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◆02818 阿島八幡宮祭 更新 |
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◆02818 阿島八幡宮祭 更新 □社名 阿島八幡宮 □所在地 長野県下伊那郡喬木村阿島 □祭神 □祭は四月。 □山車 山車の呼称、形態は、獅子屋臺、囃子屋臺、 【阿島の獅子舞】は、全体が約二〇メートルほどもある巨大なもので、中には数一〇人が入る。 古来【あばれ獅子】とよばれ、舞い荒れる獅子は、氏子や観客を追い回し、子供らは泣き喚き、若い女性は悲鳴をあげながら逃げる。数ある獅子屋臺のうちでも【東龍随一(天竜川東)】の呼び声が高い。 □汎論 【八幡宮祭】は、喬木村阿島地区に鎮座する。旧阿島村で、明治八年(一八七五)に、筑摩県伊那郡富田村、加々須村、阿島村、小川村、伊久間村が合併して【喬木村】となった。 当社の祭には、長年にわたって当地を支配した【知久氏】が大きく関わっている。いくたびかの興亡を経て、中興、【知久則直】は、【関ヶ原合戦】のあと、阿島のほか、田村村、河野村、南原村、虎岩村の地に三千石を与えられ、幕末まで旗本として続いた。【阿島祭】の別名があり、古くは平安時代初期に四天王の北部を護る【毘沙門天(多聞天)】を、【小川鞍馬】の【阿島安養寺】の脇本尊として【毘沙門堂】が建立され【毘沙門祭】が行われ、【阿島八幡宮】と小園の【姫宮神社】の神輿が渡御し、逢橋安にて出逢ったあと一緒に、阿島安養寺にお渡りする神佛混淆の祭であったが、明治期の廃仏毀釈令により、現地に遷座となった。 喬木村の【知久陣屋跡】には、知久頼匡が残した【二階建て茶室・曙月庵(しょげつあん)】が現存する。 ◆日本の山車 ブログ 日本の山車 http://blogs.yahoo.co.jp/ypjcd447/ 暘州通信 http://blog.goo.ne.jp/admin/ ◆日本の山車 ホームページ 【都道府県別分類】は、これまでの記事はこちらにまとめています。随時編集中です。 http://hiyou.easy-magic.com/
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◆玉依姫 様 |
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