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日本の山車 日本の山車
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標題の写真説明
2014-07-01
  北海道
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  表題の写真説明
 ボックスのタイトル : 近畿
 題名 : ◆和歌山県

日本の山車 和歌山県 

和歌山県総論

●30201 和歌山市
◆00321 唐船
和歌山県和歌山市

◆01171 和歌山東照宮祭
和歌山県和歌山市

◆05457 木ノ本八幡宮祭
□社名 木ノ本八幡宮
□所在地 和歌山県和歌山市西庄一
□祭神
オウジンテンノウ 應神天皇
ジングウコウゴウ 神功皇后
ヒルメオオカミ 日靈大神
配祀
仁徳天皇
高良玉垂命
金山毘古命
ほか
摂社 
若宮神社
高良神社
三嶽神社
ほかがある。
□汎論
『紀伊続風土記』に、紀國造家祖天道根命が淡路國御原山に天降り、賀太(加太)から
は馬で木の本に到り、しばらく斎奉したあと毛見に遷ったとあり、日前宮の日像鏡を橿の木の本に祀り、木ノ本の宮と呼ばれたのが当社だと伝える。
神功皇后が帰途に、誉田別命が頓宮(仮宮)を造りしばらく留まった地で、欽明天皇
期に芝原八幡宮が創祀されたと伝わる。
元和四年(一六一八)、神殿を建立し木ノ本の宮と芝原八幡宮を一社に合祀して、木本八幡宮と称するようになったとある。
例祭には、木ノ本の氏子の青年たちにより獅子舞が奉納される。五百有余年の伝統を持つといい、だんじりはは地上五メートルのうえに渡した青竹の上で獅子舞を行う。和歌山県の無形文化財に指定される。

●30202 海南市 

●30203 橋本市
◆00394 相賀大神社秋祭
□社名 相賀大神社(おうがだいじんしゃ)
□所在地 和歌山県橋本市市脇
□祭神
アマテラスコウタイジン 天照皇大神
イザナギノミコト 伊弉那岐命
イザナミノミコト 伊弉那美命
□祭は一〇月中旬。
□山車
だんじり、舟だんじり数臺を曳く。
□汎論
 神社は国道二十四号線、荒野街道の交差点から少し西にある。
早くから高野山の影響を受け、密教の両界である大日如来の智拳印を結ぶ金剛界と法界定印を結ぶ胎蔵界、それに本地の神道を加え三部大明神ともよばれる。かつては相賀荘二十九ヶ村の産土神であった。

●30204 有田市
◆00205 紀州有田千田祭
□社名 須佐神社
□所在地 和歌山県有田市千田
□祭神
スサノオノミコト 素戔嗚尊
境内社
 天照皇大神社
 月讀尊社
伊太祁曽社(遥拝所)
□祭は一〇月中旬。
太鼓臺六臺を曳く。
□汎論
 伊太祁曾社とのかかわりが深かったようである。
由緒、和銅六年、紀ノ川上流の大和国吉野郡の西川峯から遷座したと伝えられる。
鯛投神事、けんか祭の別名がある。伊太祁曽神社から氏子代表の参詣があり、伊太祁曽神社の祭にはここの須佐神社氏子が赴く。
延喜神名式には紀と出雲に共通する神社名がある。島根県の出雲氏は大阪府和泉を押さえ、次第に紀州に勢力を伸ばしたと推定する。応神天皇陵、仁徳天皇陵と伝えられる陵墓も出雲系かもしれない。
出雲意宇 熊野大社 とあるのは現在の 紀牟婁 熊野本宮大社
出雲大原 加多神社 とあるのは現在の 紀名草 加太神社
出雲意宇 速玉神社 とあるのは現在の 紀牟婁 熊野早玉神社
出雲意宇 韓国伊太神社 とあるのは現在の 紀名草 伊達神社
である。韓国伊太神社は伊太祁曽神社とのかかわりが考えられる。
岐阜県の伊太祁曽神社
岐阜県飛騨地方に伊太祁曽神社六社が祭られるのはこの神社を氏神とする氏族にかかわりがあろうと推定している。
熊野灘から木曽川を遡上し長野県安曇氏とおなじ経路をたどっている。
信州木曾は、伊太祁曽とかかわりがあるだろう。
紀伊續風土記
紀伊續風土記 巻之五十八 在田郡 保田荘 千田村から須佐神社の項に、
 境内方四町四十間 禁殺生
 祀神 素盞烏尊
 末社十社
  天照大神
  手力雄命
  伊弉諾尊        
  日本武尊社
  伊弉伊弉冉尊
  月讀尊 
   以上瑞籬の内にあり
  瀬織都理比賣社
  多紀理比賣社
  市杵島比賣社
  多紀都比賣社
  宇迦御靈神
  軻遇突知命
  大巳牟遅名社
  猿田毘古命社
   以上社地の内所々にあり

  神楽所 宿直所 與舎
  四脚門 寶蔵 御太刀寶蔵
  御装束間 御祈祷所 厩
  伊太祈曽神社遥拝所
 延喜式紀伊國在田郡須佐神社 名神大 月次新嘗
 本國神名帳在田郡従一位須佐大神

 村の西南小名西方にあり保田荘五箇村の産土神にして劔難の神と稱す劔難除の神符を諸人に與ふるを古例とす。郡中の大社なり郡中當社の外式内の神社なし 三代實録貞観元年正月二十七日甲申奉授紀伊國従五位下須佐神従五位上とあり、此地古須佐郷といひ今又近郷に宮崎等の名遺れるも當社あるを以てなり詳に宮崎宮原兩荘の總論に載す 又栂尾明恵上人傳記建仁元年の條に紀州保田荘中の須佐明神の使者といふ者夢中に來りて住處不浄を歎く事あり是古より今の社地に鎭座の明證といふへし社家の傳に和銅六年十月初亥日此地に勧請すといふ 社記曰此神舊在大和國芳野郡西川峯後移于此始祠向西海洋中往來之船不恭謹則飜覆破碎 元明天皇勅令南面今之社規是也とあり、寛永記に名草郡山東荘伊太祈曾明神神宮郷より亥森へ遷坐し給へる年月も是と同しきは故のある事なるへし當社領古は伊太祈曾神戸に接して名草郡にあり其地又當社を勧請せり 詳に名草郡山東荘口須佐村の條に辨す合せ考ふへし 天正の頃まては毎年九月初寅の日神馬十二騎山東伊太祈曾より來りて神事を勤めしといふこれ古の遺制なりしに今皆廢せり又日高郡富安荘當社及伊太祈曾神領なりし事あり 伊太祈曾社蔵久安文書是當社伊太祈曾の父神に坐すを以てなり。
天正七年、豊臣秀吉公信長公の命を受けて此地を畧せる時湯淺の地頭白樫左衛門尉實房内應をなし里民を強暴し神祠を毀壊す社家大江氏重正といふ者神器靈寶及縁起記録等を唐櫃二具に蔵め今の神祠の後光谷といふ谷の林中に隠す實房これを捜り出し或は火に投じ或は海水に没し亂虐殊に甚しこれに因りて當社の傳記文書の類一も傳はる者なく古の事蹟詳にするによしなし其後神殿を造營し今の姿となる社領没収の後も祭祀古の姿を模して九月十四日神輿渡御の祭禮流鏑馬等皆一時の盛なるを極むといふ元和年中、新に社領五石を寄附し給ひ享保年中、大慧公より御太刀御奉納あり 有徳大君御太刀一口御馬一匹を御寄附あり社務を岩橋安藝守といふ大江姓にして古より代々神職なり。
とある。

●30205 御坊市
◆00966 小竹八幡宮放生会
□社名 小竹八幡宮
□所在地 和歌山県御坊市 
□祭神
□祭は十月上旬。
□山車(屋臺、四つ太鼓)
屋臺
・上組
・紀小竹組
・中組
・浜ノ瀬組
・下組
・名屋組
・東薗組
四ツ太鼓
・御坊
・上(椿)
・中(新町)
・下(茶免)
・紀小竹
・東薗
・名屋
・浜之瀬
(順不同)
□汎論
 「人を見るなら御坊祭 屋臺見るなら高山祭」というそうである。かつて御坊祭を見に行ったとき、「どこから来た」と尋ねられて「飛騨の高山です」といったら、返ってきたのがこの言葉だった。少し驚いたが、にぎやかなお祭で、四つ太鼓の上で向かいあって太鼓を打ち鳴らし、囃子唄をほがらかに歌う。神社境内には祭りのあいだ、傘鉾が立てられる。国道四十一号線と日ノ岬への道が交差するあたり、国道から少し入ったところに「釣鐘饅頭」のお店がある。釣鐘型の饅頭で漉し餡がはいっている、このお店も地元の方に教えてもらったがめっぽううまい。和歌山方面に出向いてときはかならず寄るようにしている。じつは、お店の名前も知らないのだが…。大阪四天王寺の西門まえにも釣鐘饅頭のお店が数件ある。長い年月にわたって善男善女が買い求めてきた「まんじゅう」である。

●30206 田辺市
◆21554 熊野本宮大社
□社名 熊野本宮大社
□所在地 和歌山県田辺市本宮町
□祭神
上四社
第一殿
(西御前)
クマノムスビオオカミ 熊野牟須美大神(事解之男神) 千手観音
第二殿
(中御前)
ハヤタマオノカミ 速玉之男神 薬師如来
第三殿
(證証殿)
ケツミノミコノオオカミ 家都美御子大神 阿弥陀如来
第四殿
(若宮)
アマテラスオオミカミ 天照大神 十一面観音
中四社
第五殿
(禅児宮)
オシホノミミノミコト 忍穂耳命 地蔵菩薩
第六殿
(聖宮)
ニニギノミコト 瓊々杵尊 龍樹菩薩
第七殿
(児宮)
ヒコホホデミノミコト 彦火火出見尊 如意輪観音
第八殿
(子守宮)
ウガヤフキアエズオミコト 鵜葺草葺不合命 聖観音
下四社
第九殿
(一万十万)
カグツチノミコト 軻遇突智命 文殊菩薩、普賢菩薩
第十殿
(米持金剛)
ハニヤマヒメノミコト 埴山姫命 毘沙門天
第十一殿
(飛行夜叉)
ヤツハノメノミコト 弥都波能売命 不動明王
第十二殿
(勧請十五所)
ワカムスビノミコト 稚産霊命 釈迦如来
□汎論
 熊野本宮大社 和歌山県田辺市本宮町
 熊野那智大社 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町大字那智山
 熊野速玉大社 和歌山県新宮市新宮
 上記三社を熊野三社という。
 当、熊野本宮大社は、神託により、ケツノミコノオオカミ(家都美御子大神、素戔嗚大神)、クマノフスミノオオカミ(熊野夫須美大神、伊弉冉命)、ハヤタマオノオオカミ(速玉之男大神、伊弉諾命)を創祀したのに始まると伝える。
 スサノオノミコト(素盞嗚命)は古代出雲の神。イザナギノミコト(伊弉諾命)、イザナミノミコト(伊弉冉命)は日本神話でよく知られる神だが、創祀時にはやはり出雲の神として祀られたと推定される。
 熊野三社とも神殿と配祀様式が酷似するが、祀られる祭神に差異があることが認められる。いずれにしても南紀は古代にh、出雲系氏族の支配地だったことをうかがわせる。
 当社も他の二社とおなじように、早くから神佛褶合となり、神には本地となる佛が該てられている。

◆00094 田辺祭
□社名 闘鶏神社
□所在地 和歌山県田辺市湊六五五
□祭神
熊野三所神。
社殿六棟につぎの祭神をそれぞれ祀る。
・本殿
伊邪那美命(伊弉冉尊)
・西御殿
速玉之男命
事解之男神
・上御殿
伊邪那岐命(伊弉諾尊)
天照皇大神
宇賀御魂命
・中御殿
瓊々杵尊命
鵜草葺不合命
火々出見尊
天之忍穂耳命
・下御殿
火産霊命
弥都波能売命
稚産霊命
埴山比売命
・八百萬殿
手力男命
八百万神
・境内社
藤厳神社
玉置神社
弁天神社
戎神社
・境外社
稲荷神社
八坂神社
恵比須神社
弁天神社
浦安神社
□祭は七月下旬。
旧城下の各商人町から八基の「おかさ」と言う傘鉾が曳かれる。
□山車
・高砂町
本座人形は高砂。
・福路町
本座人形は日本武尊。
・片町
本座人形は桓武天皇。
・栄町
本座人形は神功皇后。
・北新町
由代は餅花。
・南新町
本座人形は新田義貞。
・江川町
本座人形は大黒。
□汎論
創祀は允恭天皇八年九月で、熊野本宮大社(熊野権現)を勧請したのにはじまる。
白河法皇のとき熊野三所権現を勧請し、さらに平安時代熊野別当湛快のとき天照皇大神以下十一神を勧請して新熊野権現と称し、湛快の子の湛増が田辺別当となった。牛若丸とともに有名な弁慶は、この湛増の子と伝えられる。
湛増は源平合戦のとき、どちらにつくか決めるのに、紅白の鶏を七羽ずつ社前で闘わせて戦勝を占い、すべて白が勝ったので、源氏への支援をきめ、軍船二百隻余を率いて壇の浦へ出陣したという平家物語故事がある。闘鶏権現と呼ばれその後闘鶏神社となった。
□参考
・和歌山県 熊野本宮大社

●30207 新宮市
◆00967 熊野速玉大社お舟祭
□社名 熊野速玉大社
□所在地 和歌山県新宮市新宮一番地
□祭神
クマノハヤタマノオオカミ 熊野速玉大神(伊弉諾尊)
クマノフスミノオオカミ 熊野夫須美大神(伊弉冉尊)
□祭は
□山車
お舟祭が行われる。
□汎論
延喜式に記載される古社。古来「熊野詣で」で知られる。
神がはじめに降臨した地は神倉山で、のちに現在地に遷った。神倉神社を旧宮、遷宮先を新宮とよぶ。仏教と褶合し熊野三所権現ともいう。
お舟祭は、イザナミノミコト(夫須美大神、伊弉冉尊)の祭で、神社から熊野川まで神幸があり、そこで神幸船にうつり御船島に向かい、ここで九艘の舟が競艘する、双手舟神事が行われる。
 鳥取県堺港には双手舟行われる、出雲地方の古式を伝えるものであろうか。
神社の近くには、花の窟がある。イザナミノミコトの終焉の地だと伝わる。

◆01219 新宮萬燈祭
和歌山県新宮市 
□汎論
日本各地に徐福伝説がある。
徐福は秦の始皇帝に、東方の蓬莱、方丈、瀛州の地には不老不死の霊薬があると申し出て、その命を受けて秦から東方に船出したという。その蓬莱の地が新宮とされていて、徐福らの一行は新宮に住み、大陸文化、農耕、捕鯨、漁業などの技術を人々に伝えた。
新宮市には徐福公園があり、緑色片岩製の墓碑が立てられている。
新宮萬燈祭は徐福を記念して行われる。

◆00967 熊野速玉大社御舟祭
□社名 熊野速玉大社
□所在地 和歌山県新宮市新宮
□祭神
上四社
第一殿
(結宮)
 クマノフスミノオオカミ 熊野夫須美大神(熊野結大神) 千手観音
第二殿
(速玉宮)
 クマノハヤタマオオカミ  熊野速玉大神 薬師如来
第三殿
(証誠殿)
 ケツミミコオオカミ 家津美御子大神(国常立尊) 阿弥陀如来
第四殿
(若宮)
 アマテラスオオカミ 天照大神 十一面観音
(神倉宮)
 タカクラジノミコト 高倉下命 (本地仏なし)
中四社
第五殿
(禅児宮)
 アメノオシホノミミノミコト 天忍穂耳尊 地蔵菩薩
第六殿
(聖宮)
 ニニギノミコト 瓊々杵尊 龍樹菩薩
第七殿
(児宮)
 ヒコホホデミノミコト 彦火火出見尊 如意輪観音
第八殿
(子守宮)
 ウガヤフキアエズノミコト  鵜葺草葺不合命 聖観音
下四社
第九殿
(一万宮)
 クニサツチノミコト 国狭槌尊 文殊菩薩
第九殿
(十万宮)
 トヨクモヌノミコト 豊斟渟尊 普賢菩薩
第十殿
(勧請宮)
 ウヒジニノミコト 泥土煮尊 釈迦如来
第十一殿
(飛行宮)
 オオトノジノミコト 大戸道尊 不動明王
第十二殿
(米持宮)
 オモダルノミコト 面足尊 多聞天
摂末社
神倉神社
熊野稲荷神社
手力男神
□祭は十月中旬。
□山車(御舟)
□汎論
 熊野速玉大社は延喜式神名帳に記載される古社で、創祀は熊野の神が神倉山に降臨し、神倉神社に祀られたあと、現在の鎮座地に遷座となったと伝えられる。神倉山は熊野神の御神体山、奥宮である神倉神社を旧社、里宮である熊野速玉大社は新宮である。神倉神社は当社の摂社となっている。はやくから神仏混淆の神社となり祭神にはそれぞれ本地佛があてられている。孝謙天皇より日本第一大霊験所の勅額、熊野権現の称号が与えられている。
 古歌に

  熊野へ参るには 紀伊路と伊勢路と どれ近し どれ遠し 
  広大慈悲の道なれば 紀伊路も伊勢路も遠からず

 とあるが、熊野詣での信仰心があれば遠くない熊野も、じっさいは難渋の遠い道であったが、古代の南紀熊野は、世界に開かれた日本の門戸で、ちょうど江戸期の長崎のごときであったと考えられる。南紀は徐福伝説の地としてもよく知られるが、琉球、中国、東南アジア方面からの舟はこの南紀から上陸したと考えられる。紀元前に日本を訪れた海外の使者たちは、青森県津軽海峡をすでに承知していたと察せられる。北九州までいたった魏の使者たちが、めざした邪馬臺国も九州からもう一度海に出て、鹿児島熊襲、速見、紀州を経て大倭入りしたかもしれない。
 御舟祭は、夫須美大神の祭で、熊野川原まで渡御のあと、神幸船とよばれる舟で御船島をめざし、九艘の緒手船とよばれる早船が競漕を行う。和歌山県指定の無形民俗文化財となっている。 

●30301 下津町 

●30302 野上町 

●30303 紀美野町(旧美里町)
◆03507 丹生神社祭
和歌山県美里町真岡宮
 
●30321 打田町 

●30322 紀の川市(旧粉河町)
◆00200 粉河祭
□社名 産土神社
□所在地 和歌山県紀の川市(旧粉河町)粉河
祭は七月下旬。
□山車(燈明臺)
・本町
・中町
・東町
・北町
・葵町
・根来町
・天福町
・這上り町
・鍛冶町
・石町
・蔵之町
・松ヶ枝町
□汎論
 山車(燈明臺)を曳く。
粉河街道
 泉佐野市から和泉山脈の灯明岳、三峰山を越え、紀の川谷に通じる街道は、粉河寺への参拝街道として古くからにぎわった。
 粉河町
紀の川の北岸に粉河寺の門前町として発達し、伊勢と淡路街道の分岐点で、高野大門にいたる西高野街道にいたる河港だった。
粉河寺
風猛山粉河寺といい、七七〇年(宝亀一)の創建と伝えられ、天台宗の西国三十三所霊場第三番の札所である。鎌倉時代には七堂伽藍、五百五十ヶ坊、東西南北共四キロ余りの広大な境内地があったといい、寺領四万余石を有していたが、天正十三年(一五八五)豊臣秀吉の兵乱にあい焼き払われた。このとき多くの寺宝を焼失したが、再建され、江戸時代は紀州徳川家の保護や信徒の寄進によつて徳川時代中期に現在の諸堂が完成した。那賀郡第一の大郷といわれる町となった。古来釣鐘の鋳造がおこなわれ、粉河鍛冶町ともいわれた。粉河寺の多宝塔は国宝の指定を受け、八暢神社、大日堂などがある。
有名な粉河寺縁起絵巻、絵巻物の一巻が伝わる。粉河寺縁起絵巻は鎌倉時代初期、十二世紀後半に絵巻に描かれたという。絵巻は粉河寺の縁起と本尊千手観音の霊験説話を描く。もとは二巻だったが、いまは一巻にまとめられている。火災で巻頭部を失った。第一の説話は、宝亀元年(七七〇)に大伴孔子古が千手観音を祭り、粉河寺を開いた由来、第二の説話は河内国の長者の娘が観音の加護をえて難病から救われたという霊験絵物語である。粉河町では、燈明台と呼ぶ丈の高い独特の山車(燈明臺・だんじり)を曳く。

□問い合わせ
紀の川市商工観光課
電話0736-73-3311

●30323 那賀町 

●30324 桃山町 

●30325 貴志川町
◆01224 貴志川
和歌山県貴志川町

●30326 岩出町 

●30341 かつらぎ町
◆03506 かつらぎ町夏祭
和歌山県かつらぎ町

●30342 高野口町
◆00601 高野口
和歌山県高野口町

●30343 九度山町 

●30344 高野町
◆03505 丹生神社祭
和歌山県高野町

●30345 花園村 

●30361 湯浅町 

●30362 広川町
◆21369 広八幡神社の田楽舞
和歌山県広川町

●30363 吉備町
◆03508 田殿丹生神社祭
□社名 田殿丹生神社
□所在地 和歌山県有田郡有田川町(旧吉備町)出三三五 
□祭神
ニュウツヒメノミコト 丹生都比売命(丹生大明神)

 


オオナグサヒコノミコト 大名草彦命(高野大明神)
□祭は十月上旬。
□山車
・大谷区
・賢区
・長田区
・尾中区
・上中島区
・角区
(順不動)
各地区は趣向を凝らした山車を作って曳く。
□汎論
 神社の背後には秀麗な白山があり、磐座が望見される。山頂には菊理比唐祀る。現在の祭神は後代におきかえられたもので創祀時のものではなかろうと推察する。丹生都比売命を丹生大明神とし、天照皇大神の妹神とするのは牽強付会。境内にオオナムチノミコト(大穴牟遅命)を祀るがこちらが本来の祭神であろう。
大名草彦命を丹生都比売命の子としているが、紀の国造の『紀氏系譜』には、天道根神の四世孫とある。
祭には山車が曳かれる。

◆03509 藤波神社祭
和歌山県吉備町

●30364 金屋町
◆03510 名生石神社祭
和歌山県金屋町

●30365 有田川町(旧清水町)
◆03511 清水八幡神社祭
和歌山県有田川町(旧清水町)
 
●30381 美浜町
◆03514 松原王子神社祭 更新
□社名 松原王子神社
□所在地 和歌山県日高郡美浜町吉原
□祭神
イザナギノミコト 伊弉諾命
イザナミノミコト 伊弉冉命 
ツクヨミノミコト 月読命 
オオヒルメムチノカミ 大日霊女貴神
ウカノミタマノカミ 倉稲魂神 
タケミカヅチノカミ 武甕槌神 
フツヌシノカミ 經津主神 
アメノコヤネノミコト 天児屋根神
ヒメカミ 比賣神
境内社
蛭子神社 
御霊神社 
大海神社
□祭 
□山車
□汎論
 松原王子神社の創祀は不明。【おぼりいし】とよばれる異質の石があり、古代祭祀の由緒を伝える【神籠石】と考えられる。古来、比井港は、熊野詣の人々が舟を降りたところであるが、【比井】、【日高】、【日高川】、【日ノ岬】などは古代に【日氏】が定住した地と推定される。熊野三社の成立には諸説があるが、仮説として、イザナギノミコト(伊弉諾命)、イザナミノミコト(伊弉冉命)をはじめとする、日氏につながる出雲氏族による出雲起源と考えるのが妥当ではないだろうか。
 祭神は、太古の日氏の祭祀にかかる、イザナギノミコト(伊弉諾命)、イザナミノミコト(伊弉冉命) 
ツクヨミノミコト(月読命)。海神系・綿津見氏族のアメノコヤネノミコト(天児屋根神)、ヒメカミ(比賣神)が不明であるが、 海神系・綿津見氏の、トヨタマヒメ(豊玉比賣)あるいは、イチキシマヒメノミコト(市杵島比賣命)とも考えられる。境内社の【大海神社】も海神系であろう。
 出雲系神である、ウカノミタマノカミ(倉稲魂神)。鹿島神のタケミカヅチノカミ(武甕槌神)。香取神の、フツヌシノカミ(經津主神)が祀られる。 
 オオヒルメムチノカミ(大日霊女貴神)は後祀であろう。
□参考
次を参考にさせていただきました。
・北巨木調査研究会の会長として会の活動報告を行い……
 八甲田の熊のブログ (巨木調査で出逢った巨木・奇木・動物・など)
 http://blogs.yahoo.co.jp/hakkoudanokuma
・原判決の違憲は、第1審判決の違憲と関連があるため、第1審判決についても記す
 宮城県立高校一律男女共学化裁判 裁判官の不正行為による違法な判決・決定を告発する!!
 http://blogs.yahoo.co.jp/fgpsdaebmn/2269171.html
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●30382 日高町
◆02235 道成寺
□社名 道成寺
□所在地 和歌山県日高郡日高川町鐘巻
□汎論
 安珍と清姫の悲恋物語は、紀州の古い説話。こまかいところで相違があるが、大意は
清姫が、奥州白河より熊野に参詣に来た安珍に思いを寄せたが、僧安珍はこれを裏切り逃げようとする。清姫は激怒のあまり蛇身となって安珍を追い、道成寺にいたってで鐘をおろして隠れた安珍を、清姫が化した大蛇が鐘に巻きついて安珍を焼き殺す。安珍を滅ぼした清姫は、蛇の姿のまま入水する。
 この説話はさまざまな藝能にとりいれられており、
能では「鐘巻」、「道成寺」。
長唄では「紀州道成寺」、「女男道成寺」、「奴道成寺」、「二人道成寺」。
荻江節は「鐘の岬」。
義太夫節では「日高川」
歌舞伎では「京鹿子娘道成寺」。桜を散らした艶やかな裃衣装の囃子方が「鐘にうらみは数々ござる」と演奏する。中村富十郎掾の至芸としてもよく知られる。悲恋物語であるが、舞臺のあでやかさは新春の藝題に好まれる。
 「娘道成寺」は江戸時代には山車の上で上演される山車藝能としても民衆に好まれ、飛騨高山の「青龍臺(せいりゅうたい)」の藝し物となり、鱗紋に安珍と清姫を織り出した大幕がつくられた。こお大幕は、現在秋の高山祭(櫻山八幡宮祭)に曳かれる「神馬臺(じんまたい)」の大幕になっている。
ほかにも浄瑠璃の「道成寺」。
琉球組踊の「執心鐘入」も安珍、清姫の物語をもとにしているといわれる。
 
●30383 由良町
◆05476 宇佐八幡神社祭
和歌山県由良町   
 
●30384 日高川町(川辺町)  
◆01370 紀道祭
和歌山県日高川町(川辺町)   
 
●30385 中津村
◆03221 紀道祭
和歌山県中津村   
 
●30386 日高川町(旧美山村) 
◆05479 寒川神社祭
和歌山県日高川町(旧美山村)   

●30387 田辺市(旧龍神村) 
◆06435 龍神皆瀬神社祭
□社名 皆瀬神社(かいぜじんじゃ)
□所在地 和歌山県田辺市(旧龍神村)
□祭は十一月上旬。
山車(屋臺)を曳く。
□山車(屋臺)
・広井原
・小又川
・上龍神、下龍神
・大熊
□汎論
 皆瀬神社の創祀は、長禄二年(一四五八)、(龍神一〇代の龍神正直が勧請し、文明年間(一四六九−一四八六)に龍神正が建立したと伝える。 明治四十二年(一九〇五)の神社合祀令により、龍神地区およそ二〇社が当地に合祀された。
 山峡の龍神温泉は古くから知られる。あまり熱くないが、飛鳥時代後期(六九七−七〇七)に役ノ行者、役の小角(えんのおずぬ)によって発見されたという。龍神湯本にある温泉寺は、弘仁年間(八一〇−八二四)に、弘法大師の発願により建立されたといわれる古刹で、十五世紀の作と推定される薬師如来像と脇侍日光、月光両菩薩立像が伝わる。
 龍神は、歴史の上では隠れ里でもあった。龍神の小森には「お屋敷跡」と呼ばれる地がある。平維盛(たいらのこれもり)が寿永三年(一一八四)に、富士川、木曽川の合戦に敗れたあと、高野山を経てこの地に至り、住んだ屋敷跡だという、維盛伝説にまつわる、嘉門の滝、明神滝、お万ヶ淵、赤壷、白壷などがある。
 鵺退治(ぬえたいじ)で知られる源三位頼政は、源氏敗北のあとも京にのこり、

   たつきなき 拠るべなき身は 木の本に しいをひろひて 世をすごすかな

 と無聊を歌にしている。「椎と四位」をかけている。のちに以仁王の令旨を得て源氏の旗をあげたが戦に利なく頼政は氏の平等院で自害したのであった。その五男は、治承四(一一八〇)年、源頼氏が、龍神の地に落ちのびて館を構え、住んだ住居跡、また治承年中に武運を祈願して勧請した八幡社がある。
 しかし、捲土重来、頼政の悲願はついに平氏を壇ノ浦に打ち破る先鋒となったのであった。
 幕末、大和五条代官所襲撃によって、天誅組の狼煙が上がった、河内出身の伴林光平は年齢すでに五〇歳を過ぎていたが、伊丹郷町にあってひそかに同志を募ったが、その中核となったのは学問所伊丹明倫堂であり、学頭は沼田藩旧藩士の橋本香坡であった。
 吉田松陰、坂本龍馬、松林飯山、森田節齋、長州藩士、十津川郷士、藤井藍田その他多くの勤皇の志士が往来した。
 孝明天皇が天誅組と合流し、徳川幕府打倒の勢いは一気に高まったのだが、孝明天皇の挫折で一転して、多くの志士が追われる身となった。藤井藍田も吉野の鷲家口で討死している。 龍神村に天誅組珥加担した同志、河内勢の水郡長雄ら八名は、十津川を経て小又川まで逃走したがついに力尽き龍神で紀州藩士にとらえられて蔵に幽閉された。その蔵は現存し和歌山県の史跡に指定されている。
 天誅組義挙といわれる。この流れが、倒幕へのきっかけとなり、鳥羽伏見の戦い、蛤御門の変、池田屋騒動、寺田屋事件などを経て、あと数年を待たずして、徳川は倒れ、明治維新を迎えたのである。

●30388 みなべ町(旧南部川村) 
◆03517 須賀神社祭
和歌山県みなべ町(旧南部川村)   
 
●30389 南部町
◆03516 鹿島神社祭
和歌山県みなべ町(旧南部町)

●30390 印南町
◆00349 山口八幡神社祭
和歌山県印南町
  
●30401 白浜町
◆03520 八幡神社祭
和歌山県白浜町
 
●30402 中辺路町
◆03524 近野神社祭
和歌山県田辺市(旧中辺路町)
 
●30403 大塔村

●30403 九度山町
◆06147 厳島神社祭
和歌山県九度山町

●30404 上富田町 

●30405 白浜町(旧日置川町)
◆03522 日ノ出神社祭
和歌山県白浜町(旧日置川町)
 
●30406 すさみ町
◆03521 王子神社秋祭
和歌山県すさみ町
  
●30407 串本町
◆00968 大島水門祭
和歌山県串本町大島
  
●30421 那智勝浦町
◆21553 熊野那智大社
□社名 熊野那智大社
□所在地 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町大字那智山
□祭神
第一殿
滝宮
オオナムチノミコト 大己貴命 千手観音 飛瀧権現 
第二殿
証誠殿
ケツミコノオオカミ 家津御子大神(国常立尊)阿弥陀如来 三所権現 熊野十二所権現第三殿
中御前
ミコハヤタマオオカミ 御子速玉大神(伊弉諾尊) 薬師如来
第四殿
西御前
クマノフスミノオオカミ 熊野夫須美大神(伊弉冉尊) 千手観音
第五殿
若宮
アマテアスオオカミ 天照大神 十一面観音 五所王子
第六殿
八神殿
禅児宮
オシホノミミノミコト 忍穂耳尊 地蔵菩薩
聖宮
ニニギノミコト 瓊々杵尊 龍樹菩薩
児宮
ヒコホホデミノミコト 彦火火出見尊 如意輪観音
子守宮
ウガヤフキアエズノミコト 鵜草葺不合尊 聖観音
次の五神を四所明神という
一万宮
クニサツチノミコト 国狭槌尊 文殊菩薩
十万宮
トヨクムヌノミコト 普賢菩薩
米持金剛 
泥土煮尊 釈迦如来
飛行夜叉 
大戸道尊 不動明王
勧請十五所 
面足尊 釈迦如来
また、熊野十二所権現は、大滝神である「飛瀧権現」を併せて祀ることから、「熊野十三所権現」ともいわれる
□汎論
 那智熊野大社は延喜式に記載される古社。古くは「那智山熊野権現」、「那智権現」とよばれてきた。みごとな那智大瀧で知られ、大瀧は、「熊野那智大社別宮飛瀧神社」が鎮座し、オオナムチノミコト(大己貴命)を祭神としているが社殿も拝殿もなく、大瀧を御神体としている。
 新宮の熊野速玉大社は錦浦から上陸したイワレヒコノミコト(神武天皇)に劔を届けたといわれるタカクラジ(高倉下)をタカクラジノミコトとして祀るのが注目される。高倉下は日本書紀では単に「高倉下」とあってミコト「尊あるいは命」とはなっていない。
 また当社では、第一殿、滝宮に、オオナムチノミコト(大己貴命)が祀られていて、創祀が出雲系であったことを如実に示しているが、熊野速玉大社。熊野速玉大社にはオオナムチノミコトの名はない。
 当社ははやくから神佛が褶合し、佛を神の本地としてきた、西国三十三ヶ所の霊場は古来多くの信者らが巡礼してきたが、当社はその第一番にあたる。
 那智山青岸渡寺の本尊は如意輪観音 
 御詠歌は、

  補陀洛や 岸うつ波は三熊野の 那智のお山にひびく滝つせ

 である。明治の神仏分離令で、熊野那智大社も寺院が分離されて青岸渡寺となった。

●30422 太地町 

●30423 串本町(旧古座町)
◆00756 古座神社祭

●30424 古座川町

●30425 熊野川町 

●30426 本宮町
◆00800 御船祭
和歌山県本宮町   

●30427 北山村
 

行政コード番号は従前のままです。 
20130106 更新

 

 ◆日本山車論
目次
 ◆左甚五郎傳
左甚五郎傳
 ◆斐太ノ工
斐太ノ工
 ◆谷口與鹿
谷口與鹿
 ◆論攷 延喜式神名帳
論攷 延喜式神名帳
◆阿波國
◆安房國
◆安藝國
◆伊賀國
◆隠岐國
◆越後國
 ◆古代祭祀と神南備山
古代祭祀と神南備山
 ◆玉依姫  様