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日本の山車 日本の山車
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標題の写真説明
2014-07-01
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  表題の写真説明
 ボックスのタイトル : 関東
 題名 : ◆東京都

日本の山車 東京都

総論
●13101 東京都千代田区
◆00090 神田祭
東京千代田区外神田
神田神社
□祭は五月上旬(隔年に本祭を行う)
山車は五臺
・諫鼓山車
平成二年復元。神田明神。神幸祭の先頭を行く一番山。
・獅子頭
昭和五八年復興。先代は関東大震災で焼失した。神田明神。
・加茂能人形山車
築地魚河岸会。かつて山王祭一〇番を曳いた加茂能人形山車を昭和三〇年復元。祭礼時飾置きする。
・加茂能人形山車
日本橋室町一丁目。関東大震災で山車は焼失し、魚市場は築地に移転した。
昭和一一年の再建。工匠は後藤直光。
・羽衣山車(神田松枝町)
昭和一三年五月建造。羽衣の人形山車で四輪。足立区花畑の大鷲神社の脇に収納庫があり戦災を免れた。人形師は磯貝勝之。

◆『武江年表』、天保十二年の記述に、「九月、神田明神祭礼のとき、今年より附祭十六箇所をあらためて三箇所となる。一箇所より三品づつ出す(踊臺、地走踊、練物の三品なり曳物は中止)」とある。御雇祭は「独楽廻し(こままわし)」があらたにはじまり、浅草の田原町源水というものがこれを勤めたとある。弘化四未(ひつじ)年からは弟子の本所元町源彌が引き継ぎ、独楽の曲は、万歳、打末、砧(きぬた)、山雀、玉子の上、風車、立葵、架橋、水の上、きせる、帆綱とり、などがあり、枕の曲として、三重、八ツ橋、綾杉、すくい、打ち抜き、独楽の曲、しゃきり、筆の先、三重の糸渡り、がんぜき、篠竹、扇、唐子遊び、梯子のり、糸わたり、大独楽、があげられ、これは初年度の曲で、以後年ごとに若干の変化があったとある。

◆『武江年表』、文政十年(一八二七)の記述に、「九月、神田明神祭礼、御雇祭が中止され、附祭が十六箇所となり、一箇所から一品つつ出すとあり、其の内訳は、曳物三、踊臺七、練物六と定められ、曳萬度はこの年より中止された」とある。

◆00495 山王祭
東京都千代田区永田町二丁目
日枝神社
□祭は六月中旬(隔年本祭)。
江戸天下祭とよばれ華麗な山車が四〇数臺出たが、明治と改元されたころから次々と姿を消し、いまは山車二−三臺を曳く。
□山車
・諫鼓鶏
・山王山車
・花山車
 上記三臺が宮山車として境内の山車庫に保存される。
・九段四丁目
昭和二十七年建造。工匠は宮本重義。人形は昭和三十二年の作、「弁慶と牛若丸」。人形師は平田洋光。四輪。昭和二十年の空襲で焼失したが再建された。
□汎論
天下祭の一つ、神田祭、深川祭と並んで江戸三大祭のひとつである。正しくは「日枝神社大祭」である。各地の山王宮は明治初期に明治政府により日枝神社と改称された。徳川治世の江戸文化の一つともいえる山王宮の呼称を忌避したからである。江戸時代を通じて呼び習わされた名称はいまも消えることが無い。
山王祭の名がつけられた代表的な祭には、
東京都千代田区の山王祭、滋賀県大津市の日吉大社の祭礼。岐阜県高山市の春の高山祭はじもとでは山王祭と呼び、日枝神社祭とはいわない。
江戸山王祭の最盛期には山車が四十数臺曳かれた。
 『武江年表』、文政十一年(一八二八)の記述に、「山王御祭礼附祭、今年り二十箇所となる(一箇所より一品つつ出す)」とある。
□問い合わせ
日枝神社
電話 03-3581-2471

◆27904 日枝大神、神田大神の車樂
東京都千代田区永田町二丁目
日枝大神(日枝神社)
東京都千代田区外神田二丁目
神田大神(神田明神)
□汎論
『武江年表』、安政二年(一八五五)の記述に、「日枝大神、神田大神両者の祭祀は、隔年に執行して東都の一盛事で、□物(□はねり。文字なし。黎にしんにゅうがつく。練物)」等は当日御城内ににはいり、幕府の覧に備え、年々その趣き変わることなし。よって、是までの祭祀は一々記さず。明治以来は、其の時々の遊侠の党、にわかに企てるところで、年々に不同がある。且つ神輿渡御の道筋が変更されることもある。
 さらに補遺に、
 祭のとき、人形その他の外造物を車で曳くのを当地の方言で「出し」という。名義まずく、文字にもうつしかねるが、和州誉田社(八幡宮のこと)にはじまった「車樂」の文字を借りて用いる、以下も同じである」とある。
 江戸の町を盛大に曳かれた「練物、出し」には適当な語彙がなく、「車樂」という語彙で表現するとある。「山車」とよぶ風習は江戸にはまだなかったようである
祭に曳かれる山車は大衆の「附祭」として大きく発展してきた。執行(曳行)にこそ権力者の支配は及ぶが、たとえ喧嘩ざた、多少の奢侈も、祭のときだけは寛大で怪我、死人でも出なければ余程のことがない限り「お咎めなし」が通例であった。これは日本各地いずこも同じであったといえる。祭と附祭は大衆のものであり、民衆は祭を楽しんだのである。

◆24335 武江年表
 齋藤月岑(さいとうげっしん)の編になる『武江年表』は、徳川氏天正十八年(一五九〇)八月一日の江戸入府から、新政府明治六年まで、江戸時代の事蹟を編年体で記述したもので、その正確さには定評があり、後学の指針となって多く引用されている。さらに、若干の補正が加えられた『増訂武江年表』は、金子光晴氏の校訂を経て、昭和四十三年平凡社より刊行された。
 記述には「風流(ふりゅう)」の山車である、初期の「練り物」からその変遷の様相をつまびらかに知ることができる貴重な書である。
 当「日本の山車」でも、東京都をはじめ、関東地方の山車を知るためずいぶん参考にさせていただいた。
 記述の中で単に『武江年表』とあるのは、当文献を指す。
 『武江年表』記述、享保十八年(一七三三)七月上旬より疫癘天下に蔓延し、十三、十四日には大通りの往来すら絶えるほどであった。藁で疫神のかたちをつくり、これを送るとて、鉦、太鼓を打ち鳴らし、囃子につれて海辺にいたる。とある。
 □庭(□は文字なし。竹かんむりの下に均)の注に、このとき、江戸のみではなく、海内ひとしくこれを憂い、老人、幼児を問わずこの病にかからずにすんだものは百人中一、二人だったとその参上を述べ、古より未曾有のことといっている。

●13102 東京都中央区
◆01054 椙森神社祭
□社名 椙森神社
□所在地 東京都中央区日本橋堀留町
□祭神
ゴシャイナリオオカミ 伍社稲荷大神
エビスオオカミ 恵比壽大神
□汎論
当社は、江戸時代には杉木立にかこまれていて、江戸三森の一つに数えられていた。田原藤太秀郷が平将門の乱を鎮めるため派遣されたとき、戦勝祈願を目的に創祀されたと伝える。文正元年(一四六六)に太田道灌が雨乞祈願をおこない奇瑞があったと言う。現在山車は存在しない。

◆『武江年表』宝暦年間の記述に、杉森稲荷祭には、宝暦九年まで隔年で、産土の町内より「花出し」、「練物」、神輿の渡御がおこなわれていたが、その後は中絶した。とある。この杉森神社とは、中央区日本橋堀留町にある「椙森神社(すぎもりじんじゃ)」のことだろうと考えられる。
□問い合わせ
椙森神社
電話 03-3661-5462

◆01055 水天宮祭
□社名 水天宮
□所在地 東京都中央区日本橋蛎穀町二丁目

◆01053 波除稲荷神社祭
東京都中央区築地六丁目
波除稲荷神社
□祭神
ウカノミタマノミコト 倉稲魂尊
□祭は六月上旬 (三年毎に本祭)
山車と屋臺がある。
□山車
山車二臺
・築四多々幸会 築三
・獅子頭付太鼓山車
屋臺一臺
・築六互楽会
昭和十二年の建造
□汎論
明暦大火のあと、築地の埋め立てが行われたが、荒波がたち難工事となった。折からウガノミタマノミコト(倉稲魂尊)の御霊臥流れ着いた。万治二年(一六五九)に稲荷の社殿を建て祀ったところ、波は鎮まり無事工事が完了したという伝承がある。

◆00908 佃島住吉神社祭
東京都中央区佃一丁目
佃島住吉神社
□祭は八月上旬。
太鼓山車、獅子山車がある
・一部 上町
太鼓山車。昭和三四年の建造、浅草田原町の岡田屋太鼓店。
・二部 下町
太鼓山車。昭和三四年一一月の建造。浅草田原町の岡田屋太鼓店。
・三部 東町また向町ともいう
太鼓山車は昭和三一年八月の建造。彫刻は漁商高橋長吉。中沢弘の作。
次の三地区には山車各一臺、三臺の山車があったが現存しない。
・佃島
・新佃
・月島
□汎論
葛飾北斎の冨嶽三十六景でも知られる佃島は、隅田川が東京湾にそそぐ位置にある。
徳川家康関東開府にあたって摂津国佃村(現大阪市西淀川区佃)の漁師らが江戸に移り住んだ地だといい、正保二年(一六四五)、現地に百間四方の土地を埋め立てて島とし永住することになり、郷里の佃村にちなんで佃嶋と名づけた。
住吉神社は郷里の佃村から同行した神官の平岡権大夫好次が、摂津佃村の住吉社(現在は田蓑神社)より分祀を受けて祀ったとされる。田蓑神社は、はじめ田蓑嶋神社、住吉神社、田蓑神社と変遷している。神功皇后が三韓からの帰途、摂津佃村に住吉三神を祀ったと伝えられ、のちに神功皇后も祭神に祀られている。住吉大社より由緒が古く、世に言う難波河尻島の八十島祭は田蓑神社の祭であった。境内に謡曲の芦刈の碑がある。
謡曲の芦刈は、京都祇園祭に芦刈山が曳かれ、飛騨高山の三ノ町にある恵比寿臺は旧臺を芦刈といい、日下新左衛門が淀川畔で芦をかるからくりが戯あった。

●13103 東京都港区
◆芝大神宮祭
□社名 芝大神宮
□所在地 東京都港区芝大門一丁目
□祭神
□祭は九月中旬(隔年本祭)
子供屋臺二臺を曳く。
・宮元大門
・芝新堀

◆27889 麻布氷川神社祭礼
東京都港区元麻布一丁目
氷川神社
□祭は九月中旬。
□汎論
山車があったが現存しない。
麻布氷川明神の練物
『武江年表』に、文政三年八月十七日、麻布一本松氷川神社の祭礼が復活し町々から練物などが出たが、長くは続かずのちに中絶したとある。
 氷川神社の創祀は、社記によると天慶五年(九三八)、源経基が東征の時、麻布一本松付近に勧請したのにはじまるといい、万治二年(一六五九)に現在地に遷座。麻布の総鎮守となっていて、江戸氷川七社のひとつに数えられる。
『武江年表』、天保三年(一八三二)八月十七日の記述に、「麻布氷川神社祭礼。花出し、練物などが出たが、その後は中絶した」とある。

◆鹿島神社祭
□社名 鹿島神社
□所在地 東京都港区芝四丁目
□祭は五月上旬。
山車があったが現存しない。

◆熊野神社祭
□社名 熊野神社
□所在地 港区麻布台二丁目
□祭 六月上旬
曳太鼓四臺

◆06861 赤坂氷川神社祭
□社名 赤坂氷川神社
□所在地 東京都港区赤坂六丁目
□祭は九月中旬 (隔年本祭)
□山車
山車の形態(呼称)は囃子屋臺、山車
囃子屋臺
・赤坂五、六丁目
山車五臺 曳行は休止している
・表伝馬町一丁目 赤坂表一、二町会
本坐人形は明治期の作。九代目団十郎の猩。
・裏伝馬町二丁目 伝馬町町会
本坐人形は源頼義。伝、弘化三年(一八四六)の作。
・田町一・二・三丁目 赤坂見附会
本坐人形は恵比須。昭和初年作。岩組型山車。
・赤坂新町二・三丁目 赤坂新二会
本坐人形は翁二人立ち。文久三年(一八六三)の作。
・赤坂新町四・五丁目 赤坂六、七丁目町会
本坐人形は日本武尊。嘉永六年(一八五三)の作。
一部のみ保存があるもの。
・表伝馬町二丁目 赤坂表一、二町会
人形は弘化二年(一八四五)猿の頭。
・裏伝馬町一丁目 伝馬町町会
翁の頭。
・一ツ木町 赤坂一ツ木町会
源頼朝の人形と上高欄がのこる。人形箱に嘉永二年(一八四九)の墨書がある。
・田町四・五丁目 赤坂田町三、四、五丁目町会
神武天皇の人形のみ。大正四年の作。
いまは山車が存在しない町内。
・裏伝馬町三丁目
・元赤坂町同代地
・西大沢町
・新町一丁目

◆西久保八幡神社祭
□社名 西久保八幡神社
□所在地 港区虎ノ門五丁目
山車があったが現存しない。

◆御田八幡神社祭
□社名 御田八幡神社
□所在地 港区三田三丁目
□祭は八月下旬

◆麻布氷川神社祭礼
□社名 氷川神社
□所在地 東京都港区元麻布一丁目
□祭は九月中旬。
□汎論
山車があったが現存しない。
麻布氷川明神の練物
『武江年表』に、文政三年八月十七日、麻布一本松氷川神社の祭礼が復活し町々から練物などが出たが、長くは続かずのちに中絶したとある。
 氷川神社の創祀は、社記によると天慶五年(九三八)、源経基が東征の時、麻布一本松付近に勧請したのにはじまるといい、万治二年(一六五九)に現在地に遷座。麻布の総鎮守となっていて、江戸氷川七社のひとつに数えられる。
『武江年表』、天保三年(一八三二)八月十七日の記述に、「麻布氷川神社祭礼。花出し、練物などが出たが、その後は中絶した」とある。

●13104 新宿区
◆02583 西向天神社祭
□社名 西向天神社
□所在地 新宿区新宿六丁目
□祭は五月下旬
山車があったが現存しない。

◆06665 赤城明神祭礼 一
□社名 赤城神社
□所在地 東京都新宿区赤城元町
□祭神
イワツツオノミコト 岩筒雄命
アカギヒメノミコト 赤城姫命
□祭  
□山車
 『武江年表』文政五年(一八二二)九月、小石川赤城明神祭礼。十八日には氏子より練物が多数出たが、十九日は雨天となり、二十四日に延引され、その後中絶されたとある。
(順不同)
□汎論
 東京都下には、【上毛三山】とよばれる、妙義山、榛名山、赤城山を神奈備とする出雲系の神々が鎮座する神社がある。上毛三山の山頂には奥宮、山麓には里宮があって、古くから出雲系氏族が定着した地域であるが、その同族あるいは支族が東に発展して、開拓した新しい地に祖神を祀ったと考えられる。赤城神社はその一社であり、小石川神楽坂に鎮座する。
 創祀は、鎌倉時代の正安二年(一三〇〇)、上野国赤城山の麓
に根拠を有し、牛込に移った大胡彦太郎重治が、旧牛込早稲田の田島村に祀ったと伝わる。
 寛正元年(一四六〇)に、太田道灌が牛込台に遷している。
弘治元年(一五五五)にはさらに大胡宮内少輔が現地に遷座した。牛込の鎮守で、別当は東覚寺であった。
 大胡氏は、出雲氏に従った古代氏族と考えられ上野國(群馬県)に根拠を占めたが、群馬県大胡町(現前橋市)はその旧地と考えられる。太胡、多胡、多古と書かれる例がある。下総國(千葉県香取郡多古町)にはかつて多胡藩があった。大胡氏発展の旧地であろう。大胡氏と牛込氏は同族とする考えがある。
 祭神のイワツツオノミコト(岩筒雄命)は、日本神話、火の神であるカグツチノカミ(迦具土神)より生まれ、香取神、フツヌシノミコト(経津主神)の親神とされる。アカギヒメノミコト (赤城姫命)は大胡氏の息女と伝わり、千葉県の香取神社と所縁が深い。

●13105 文京区
◇02584 湯島天神社祭
□社名 湯島天満宮
□所在地 東京都文京区湯島三丁目
□祭は五月下旬
□汎論
・鈴木酔鼓会 

◆06749 小石川簸川神社祭
□社名 小石川簸川神社
□所在地 東京都文京区千石
□祭神
スサノオノミコト 素盞嗚命
オオナムチノミコト 大己貴命
イナダヒメノミコト 稲田姫命
□祭は九月下旬。  
□山車
山車の形態(呼称)は山車。
現在は曳かれていないが、『武江年表』によると、享保年間には白山権現社の祭礼にあわせて二七臺の【だし】が曳かれていた記録がある。
□汎論
 小石川簸川神社の創祀は、西暦四七三年と伝わる古社。出雲系神のスサノオノミコト(素盞嗚命)とイナダヒメ(稲田姫命)の夫婦神、その子であるオオナムチノミコト(大己貴命)を主祭神として祀る。【ひかわじんじゃ】は、関東では【氷川神社】とかかれる例がほとんどであるが、当社のように古い神社には【簸川を社號】とする神社があることは、関東の氷川神社成立の歴史の過程を示していて貴重である。旧小石川村の鎮守で、旧社殿は現在の小石川植物園内にあった。

◆小日向神社祭
□社名 小日向神社
□所在地 文京区小日向二
□汎論
山車があったが現存しない。

◆白山神社祭
□社名 白山神社
□所在地 文京区白山五
□祭は九月下旬。
□反論
山車があったが現存しない。

◆00758 根津神社祭礼
□社名 根津神社
□所在地 東京都文京区根津
□祭神
スサノオノミコト 須佐之男命
オオヤマクイノミコト 大山咋命
ホムダワケノミコト 誉田別命
相殿
オオクニヌシノミコト 大国主命
スガワラミチザネコウ 菅原道真公
□祭は九月下旬。
□汎論
根津神社の創祀は、日本武尊が千駄木に祀ったのがはじまりと伝えられ、文明年間に太田道灌が社殿を建立している。
□汎論
 『武江年表』によると、正徳四年(一七一四)九月二十二日、根津権現の祭礼に、江戸町中から練物がでた、本来は二十一日の祭礼であるが雨天で一日延びた、練物は、この年のみの神事で一年で中止された。番付は五〇騎、町数一五四町、詳細は『曲亭漫筆』珥記載されるとある。その道筋は、惣門より茅町通り、西川家(石川家)西脇、神田明神裏門通り、昌平橋へ入り、神田橋通り、護持院裏通り、元飯田町、田安御門を入り、竹橋を出、龍ノ口大名小路、鍛冶橋御門出、南かぢ町通りより通り町北へ、日本橋四日市土手通り御旅所、夫より日本橋を渡り通り町、筋違橋より上野通り、石川家前、茅町より本社へ還御となっている。

●13106 台東区
◆00074 浅草三社祭
□社名 浅草神社
□所在地 東京都台東区浅草二丁目
□祭神
ヒノクマハマナリ 檜前浜成
ヒノクマタケナリ 檜前竹成
ハジナカトモ 土師中知(呼称に異説あり)
トクガワイエヤスコウ 徳川家康公
オオクニヌシノミコト 大國主命
□祭は五月下旬。  
□山車
山車の形態(呼称)は、屋臺、小型屋臺、小型の底抜け屋臺。
屋臺
・白鷺の舞
小型屋臺
・花川戸一
・花川戸二
・浅一三栄
・浅一中央
・浅草二
・浅三東
・浅草馬一
・浅草馬三
・浅草東
小型の底抜け屋臺
・千草
(順不同)
□汎論
 【浅草神社例大祭】は、【浅草三社祭】の呼び名で広く知られる。もとは、【金龍山浅草寺】の祭であったが、明治初年の神仏分離令により【浅草神社】と改称された。観世音菩薩を隅田川より得た、檜前浜成、檜前竹成、土師中知の三柱を祭神とすることをもって三社とし、現在は、徳川家康公と大國主命が追祀されている。
 清元の【弥生の花浅草祭】、長唄【三社祭】でもよく知られるように、浅草は江戸町衆文化の一大発祥地でもある。
 齋藤月岑の『武江年表』、文政五年(一八二二)の記述に、「三月十七日、十八日浅草三社権現祭禮四十余年目にして出る。都鄙遠近の群集が集まり、先規(先例)のとおり神輿の乗船があり、産土の町々から、出し練物(山車)がでて華麗を競った(意訳)」とある。
 浅草三社祭は御舟祭を濫觴とし、不定期に齋行されてきたが、のちには華麗な山車が曳かれる祭へと発展した。

◆06742 金龍山浅草寺
□寺名 金龍山浅草寺
□所在地 東京都台東区浅草二丁目
□祭神
□祭は三月中旬。  
□山車
山車の形態(呼称)は、屋臺。
・金龍の舞
この屋臺は装いを変え浅草神社の三社祭にも曳かれる。
・寶舟
□汎論
 金龍山浅草寺の開基は、『浅草寺縁起』によると、飛鳥時代、推古天皇期の三六年(六二八)三月一八 、宮戸川(現隅田川)で網をうっていた檜前浜成、檜前竹成の兄弟が、漁網の中から一体の像を見出し、持ち帰って土師中知に見てもらったところ、これは聖観音世音菩薩であると説き、その功徳を諄々と説いたといい、土師中知はこれを奇縁に剃髪して沙門となり、駒形堂のあたりにあったといわれる自宅に一寸八分(約五・四センチメートル)の聖観世音菩薩を安置して祀ったと伝わる、これが金龍山浅草寺のはじまりだと伝える。
 佛教が渡来し、大阪天王寺に四天王寺が建立されたのが、推古天皇元年(五九三)。奈良法隆寺の創建は推古一五年(六〇七)であり、大阪天王寺の四天王寺建立からは三五年、法隆寺の創建からは二一年のちのことで、史実としては疑義がある。
 日本への佛教伝来は、公伝と巷伝(私伝)があろうが、公伝では、『日本書紀』には、百済の聖明王の使者が欽明天皇期に佛典などを献上したといわれる六世紀(五五二年)のこととなっている。巷伝としては、渡来系の氏族のうち出雲系氏族の構成支氏族であった、秦氏は豊前(大分県)の国東半島に佛教を伝え、古丹波)丹後から、近江(滋賀県)に古い佛教遺跡が伝わることを併考すると、二世紀ころにはすでに佛教が渡来していたことが推定される。
 武蔵國に広く残る出雲文化、氷川神社の祭祀は祖神を祀るとともに祖先を供養する佛教が上流の埼玉方面にはすでにあり、天災等による氾濫などで観音像が下流の宮戸川(現隅田川)に流れ着いたことをかがわせる。

◆06094 下谷神社祭
□社名 下谷神社
□所在地 東京都台東区東上野三丁目
□祭神
オオトシノカミ 大年神
ヤマトタケルノミコト 日本武尊
□祭は五月中旬。  
□山車
山車の形態(呼称)は人形屋臺。
・東上野二丁目お囃子連
本坐人形に桃太郎がのる。
単層素木。唐破風屋根の四輪屋臺。前面に大太鼓、締太鼓二が並び、屋臺の外部で笛と鉦子がかわいらしいこどもらによって演奏される。後陣の幕のうちでは大人が笛の演奏を補う。
□汎論
 下谷神社の創祀は不明。古くは【下谷稲荷社】と呼ばれていたといい、地下鉄銀座線の稲荷町駅、町名にも稲荷町の名が残る出雲系神を祀る神社。現在稲荷神であるウカノミタマノミコト(倉稲魂命)の名は見られない。当社境内において、寛政一〇年(一七九八)に、初代三笑亭可楽による寄席が開かれたといい【寄席発祥の地】といわれ、その石碑が建っている。

◆06668 小野照崎神明神社祭
東京都台東区下谷二丁目
小野照崎神明神社
□汎論
 『武江年表』、宝暦年中の記事に、小野照崎明神祭、隔年に神輿、練物をだしたが、宝暦七年丑年(うしどし)より中止された。とある。

◆06095 西浅草八幡神社祭
東京都台東区   
   
◆06270 千束稲荷神社祭
東京都台東区   

◆06271 五條天神社祭
□社名 五條天神社
□所在地 東京都台東区   

◆佃島住吉神社祭
□社名 佃島住吉神社
□所在地 佃一丁目
□祭は八月上旬
太鼓山車、獅子山車がある
□山車
・一部 上町
太鼓山車。昭和三四年の建造、浅草田原町の岡田屋太鼓店。
・二部 下町
太鼓山車。昭和三四年一一月の建造。浅草田原町の岡田屋太鼓店。
・三部 東町また向町ともいう
太鼓山車は昭和三一年八月の建造。彫刻は漁商高橋長吉。中沢弘の作。
次の三地区には山車各一臺、三臺の山車があったが現存しない。
・佃島
・新佃
・月島 

◆06667 千束稲荷神社祭
□社名 千束稲荷神社
□所在地 台東区竜泉二丁目
□祭は五月下旬
山車があったが現存しない。

◆06666 熱田神社祭
台東区今戸二丁目
熱田神社
□祭 六月上旬
山車があったが現存しない。

◆06665 榊神社祭
台東区蔵前一丁目
榊神社
六月上旬
山車があったが現存しない。

●13107 墨田区
◇03887 牛嶋神社祭
東京都墨田区向島一丁目
牛嶋神社
□祭は九月中旬
山車があったが現存しない。

◆06664 白髭神社祭
□社名 白髭神社
□所在地 東京都墨田区東向島三丁目
□祭は六月上旬
山車一臺
曳行休止

◆06666 本所香取太神宮祭礼
□社名 香取太神宮
東京都墨田区文花
□汎論
 『武江年表』、享保十二年六月上旬の記述に、「六月上旬より、本所香取太神宮境内へ、常陸國阿波大杉大明神が飛び移ったといって貴人、賎民が群がりあつまって、萬度、家臺、練物をだし、美麗な揃いの衣類を着て参詣したが、まもなくこのことはとめられた」とある。本所香取太神宮とは墨田区文花の香取神社だという。近く亀戸にも香取神社がある。現地でお話を聞いてがよくわからなかった。もし、筆者が間違っていたらご訂正いただきたい。

●13108 江東区
◆27907 深川浄心寺の行燈
東京都江東区平野二丁目
浄心寺
□汎論
『武江年表』安政四年(一八五七)の記述に、「七月九日より六十日の間、深川浄心寺において、甲州身延山(山梨県)の祖師である七面宮の開帳があった。多くの参詣者があったが、毎朝未時(御前七時)の開門前にすでに列ができるほどであった。講中のひとたちが神事の萬度(萬燈)に似た思いおもいの行燈をつくり、燈火を燈し、いくつかの群れになり、揃いの衣装で太鼓を打ち、題目を唱えてこれをかついで往来したが絶えることがなかった」とある。

◆01342 深川富岡八幡宮例大祭
□社名 富岡八幡宮
□所在地 東京都江東区富岡
□祭神
オウジンテンノウ 応神天皇(誉田別命)
ほか。
□祭は八月中旬。  
□山車
山車一臺を曳く。
・巴美会
□汎論
 富岡八幡宮の創祀は寛永四年(一六二七)と伝わり、創祀期には永代島とよばれる沼沢地であったが、ここを埋め立て六〇五〇八坪の土地を得て、社殿が建立され、氏子の居住地が開かれた。
 江戸最大の八幡さま、深川の八幡さまとよばれて親しまれる。
 日枝神社の山王祭、神田明神の神田祭とともに【江戸の三大祭】のひとつに数えられる。
 元禄時代、

  沖の暗いのに 
  白帆が見える
  あれは 紀の國
  蜜柑舟 

 と唄われ、豪商として知られる、紀伊国屋文左衛門が奉納した総金張の神輿が三基あったと伝わるが惜しくも関東大震災で失われた。しかし、その伝統はいまに引き継がれ一二〇基ほどの御神輿が担がれる壮大な祭である。平成三年に日本―の黄金大神輿が奉納され、宮神輿が復活した。三年に一回担がれる。
 【天下祭】と呼ばれ、西の丸御殿にまで引き入れて上覧に供せられた山車は、明治期に入ると次々と姿を消し、深川富岡八幡宮を見倣った、御神輿が渡御する祭へと変貌していった。
□参考
次を参考にさせていただきました。
・富岡八幡宮 ホームページ
 http://www.tomiokahachimangu.or.jp/htmls/maturih1.html

◆00848 亀戸天神祭
東京都江東区亀戸三丁目
亀戸天神社
□祭は八月下旬
山車があったが現存しない

◆02758 亀戸水神宮祭
◆02758 亀戸水神宮祭
□社名 亀戸水神宮
□所在地 東京都江東区亀戸四丁目
□祭は六月上旬
□山車
山車があったが現存しない。

●13109 品川区
◆00632 品川神社例大祭
東京県品川区北品川

◆00909 天王祭
東京都品川区

◆01211 荏原神社天王祭
東京都品川区

◆01212 南天王祭
東京都品川区

◆01493 鮫洲八幡神社例大祭
□社名 鮫洲八幡神社
□所在地 東京都品川区東大井一丁目
□祭神
□祭は八月中旬。  
□山車
山車の形態(呼称)は山車。太鼓山車。
・仲町
本坐人形は龍宮城の乙姫。
昭和二六年の建造、工匠は千代田区神田のだし鉄。
・北町
本坐人形は浦嶋太郎。
昭和三二年の建造。工匠は仲町とおなじく神田のだし鉄。
・南町
本坐人形は桃太郎。
繊細を免れた昭和初年の建造。工匠は不明。
東京都下で、戦前に建造され現在も曳行されている貴重な山車遺産である。
太鼓山車
・林町
・曙町
(順不同)
□汎論

●13110 目黒区
◆02588 氷川神社祭
□社名 氷川神社
□所在地 東京都目黒区八雲二丁目
□祭は九月中旬
□山車
・東ヶ丘
□汎論

◆06756 碑文谷八幡宮祭
目黒区碑文谷
碑文谷八幡宮
□祭は九月中旬
子供山車(曳太鼓)鷹番町。

●13111 大田区
◆03639 羽田神社祭礼
大田区本羽田
羽田神社

◆06671 池上本門寺の萬燈
東京都大田区池上1丁目
池上本門寺
□汎論
 日蓮聖人の命日である十月十三日には、日蓮の入滅された旧地である、池上本門寺では御会式が盛大に行われる。しめやかな宗祖報恩御逮夜法要ににつづき、全国からの宗門関係者や宗徒、参詣者が大堂が埋め尽くし、午後六時頃から池上徳持会舘から本門寺までを百数十の講中や、総勢約三千人もの萬燈が町を練る。

●13112 世田谷区 
◆六所神社祭
□社名 六所神社
□所在地 世田谷区野毛
□祭は九月下旬。
□山車
山車の形態(呼称)は、太鼓車

●13113 渋谷区
◆02590 熊野神社祭
□社名 熊野神社
□所在地 渋谷区神宮前三丁目
□祭は九月下旬。
□山車
山車があったが現存しない。

◆02589 金王八幡神社祭
□社名 金王八幡神社
□所在地 東京都渋谷区渋谷三丁目
□祭は九月中旬。
□山車
山車があったが現存しない。

●13114 中野区
◆00435 氷川神社祭
中野区沼袋
氷川神社
□祭は八月下旬
山車を曳く。

◆野方氷川神社

●13115 杉並区 

●13116 豊島区
◆氷川神社祭
□社名 氷川神社
□所在地 豊島区池袋本町三丁目
□祭は九月中旬。
囃子屋臺
・池袋本町四丁目

◆妙義神社祭
□社名 妙義神社
□所在地 豊島区駒込三丁目
九月中旬
曳太鼓

◆長崎神社祭
□社名 長崎神社
□所在地 豊島区長崎一丁目
□祭は九月中旬。
曳太鼓

◆染井稲荷神社祭
□社名 染井稲荷神社
□所在地 豊島区駒込六丁目
□祭は九月中旬。
曳太鼓

◆御嶽神社祭
□社名 御嶽神社
□所在地 豊島区池袋二丁目
□祭は九月中旬
曳太鼓

◆02591 豊島
東京都豊島区

●13117 北区 
□社名 田端八幡神社
□所在地 北区田端二丁目
□祭は八月中旬。
屋臺一臺

●13118 荒川区 
◆01463 石浜神社祭
□社名 石浜神社
□所在地 東京都荒川区南千住三丁目
□祭神
□祭は六月上旬  
□山車
山車があったが現存しない。
□汎論
 石浜神社(石濱神社)の創祀は古く、神亀元年(七二四)と伝わる。境内には『伊勢物語』」東下りの段にある、

  名にしおはゞ いざことゝはん 都鳥
  わか思ふ人は ありやなしやと

 の歌碑があり、また、江戸時代の能書家亀田鵬齋の詩碑がある。亀田鵬齋は越後の良寛を尊敬して尋ねているが、その影響を受け、

  越後より 帰ってからは 字がくねり

 の狂歌がある。川越氷川神社の祭幟は亀田鵬齋が揮毫していたがいまも掲げられているだろうか。
 
◆02592 素佐盞鳴神社祭
□社名 素佐盞鳴神社
□所在地 東京都荒川区南千住六丁目
□祭神
スサノオノミコト 素盞鳴命
□祭は六月上旬  
□山車
山車の形態(呼称)は、山車
・瑞光町
素盞鳴命の人形が乗る。
・荒川中央町会
本座人形は熊坂長範だったと伝わるが、現存しない。もし今に伝わっていれば熊坂長範の乗る山車としては国内唯一の山車ではないだろうか。
・荒川文化会、荒川宮地町会、荒川四丁目西仲睦会、大西町会
本座人形はクシイナダヒメ(稲田姫)だったと伝わるが現存しない。このクシイナダヒメの人形が瑞光町に譲られたという談話があるが不明。確認できない。
□汎論
 香具師の口上に、【国の始まりが淡路島なら、泥棒の始まりは石川の五右衛門、人殺しのはじまりは、くまさかのちょうはん(熊坂長範)…】、「ひとごろしのはじまり」穏やかではないが、葛飾柴又の寅さんですっかりおなじみ。
 熊坂長範熊坂長範は、平安時代の伝説上の盗賊。幸若舞(こうわかまい)、烏帽子折』、謡曲の『烏帽子折』や『熊坂』などで知られる。越後國(新潟県)と信濃國(長野県)境にある長野県上水内郡信濃町熊坂の出身とされる。ちょうど妙高の東にあり、熊坂神社、長範山がある。
 近江龍王で元服した源義経は、金売吉次とともに、奥州の藤原氏を頼る旅にでるが、美濃の青墓宿(現垂井町、また美濃赤坂宿ともいう)で、熊坂長範に襲われるが、かえって義経に討たれる。これがあらすじだが、諸話がある。
□汎論
香具師の口上に、【国の始まりが淡路島なら、泥棒の始まりは石川の五右衛門、人殺しのはじまりは、くまさかのちょうはん(熊坂長範)…】、「ひとごろしのはじまり」穏やかではないが、葛飾柴又の寅さんですっかりおなじみ。
 熊坂長範熊坂長範は、平安時代の伝説上の盗賊。幸若舞(こうわかまい)、烏帽子折』、謡曲の『烏帽子折』や『熊坂』などで知られる。越後國(新潟県)と信濃國(長野県)境にある長野県上水内郡信濃町熊坂の出身とされる。ちょうど妙高の東にあり、熊坂神社、長範山がある。
 近江龍王で元服した源義経は、金売吉次とともに、奥州の藤原氏を頼る旅にでるが、美濃の青墓宿(現垂井町、また美濃赤坂宿ともいう)で、熊坂長範に襲われるが、かえって義経に討たれる。

◆06735 諏方神社祭
□社名 諏方神社
□所在地 東京都荒川区西日暮里
□祭神
□祭は八月下旬。  
□山車
山車
明治の末期ころまでは曳行がおこなわれたがその後休止状態。
□汎論
 埼玉県越生町の上町で曳かれる山車は、もと谷中初根町二丁目と上三崎町の山車で、本坐人形には豊島佐衛門尉経泰がのる。

●13119 板橋区 
□社名 熊野神社
□所在地
板橋区中丸中町
□九月中旬
□山車

◆天祖神社祭
□社名 天祖神社
□所在地 板橋区南常盤臺二丁目
□祭 九月下旬
□山車
囃子屋臺

◆赤塚氷川神社祭
□社名 赤塚氷川神社
□所在地 板橋区赤塚四丁目
□祭は九月中旬。
□山車
山車があったが現存しない。

●13120 練馬区 
◆かんまつり
練馬区高松五丁目
・旭町南地区公民館
一一月上旬
山車一臺

●13121 足立区
◆02593 千住神社祭
□社名 千住神社
□所在地 東京県足立区千住宮元町
□祭神
□祭は九月中旬
□山車
屋臺一臺を曳く。
□汎論
 
◆01063 千住神社祭
□社名 千住神社
□所在地 足立区千住二丁目
□祭は九月中旬。
屋臺一臺を曳く。

◆02594 千住本氷川神社祭
□社名 
□所在地 東京都足立区千住三丁目
□祭神
タケハヤスサノオノミコト 建速須佐之男命
□祭は九月中旬
□山車
屋臺一臺
・千住三丁目地区
□汎論
 千住本氷川神社は、徳治二年(一三〇七)に、千葉氏が牛田に千葉山西光院、氷川神社を創建したのにはじまり、江戸時代のはじめころ分祀をうけたと伝わる。その後牛田の氷川神社が荒川の改修工事で社地がかかったため、分祀先の当社に合祀され千住本氷川神社と称するようになったと伝わる。

◆02595 氷川神社祭
□社名 氷川神社
□所在地 東京都足立区千住四丁目
□祭神
□祭は九月中旬  
□山車
山車の形態(呼称)は屋臺。
・千住四丁目
 千住四丁目には明治初期に建造された山車があった。本座人形は『平家物語』、『義経記』、歌舞伎などでもよく知られる「白拍子の静御前」が乗る山車だった。江戸の町で曳かれた天下祭の山車が次々と東京市から消えつつあった時期に該る。
 江戸時代、日本橋の伊勢町、小田原町、瀬戸物町の静御前の乗る山車が、栃木市倭町三丁目にひきとられて江戸の町から姿を消したのが明治七年である。千住四丁目の山車が建造されたのはほぼ同時期である。山車にも人と同じように宿命が付きまとう。
 現在は屋臺を曳き、山車は足立区立博物館(足立区大谷田五−二〇)にたいせつに保存されている。
□汎論

◆02596 足立区立博物館
東京都足立区

●13122 葛飾区
◆02597 新宿日枝神社祭
□社名 日枝神社
□所在地 東京県葛飾区新宿
□祭神
オオヤマクイノミコト 大山咋命
□祭
□山車
従前は山車がたったと伝わるが現在に伝わらない。
□汎論
 新宿日枝神社の創祀は不明。江戸から水戸に向けてのびる水戸街道の宿場町に鎮座する。立派な山王型鳥居が立つ。

●13123 江戸川区
◆02598 新小岩香取神社祭
□社名 香取神社
□所在地 東京都江戸川区中央四丁目
□祭神
フツヌシノミコト 經津主命
末社
稲荷神社
鷲神社
道祖神
水神社
大雷神
□祭  
□山車
現在は存在しない。
□汎論
 新小岩香取神社の創祀は不明。茨城県の香取神宮より分祀を受けて祀られたと伝わる。江戸川と荒川にはさまれた当地は古代には氾濫原だったと推定される。当社は旧西小松川村の鎮守としてその一角を占める高地に鎮座した。江戸川を中心とする東京都から千葉県に及ぶ地域は【葛の地】で、江戸川区南部にあった、桑川村、長島村、東宇喜田村、西宇喜田村は、のちになって、四村合併により【葛西村】となって【葛】が復活している。【葛飾】もやはり【葛】の範疇に入る。
 仮説であるが、福井県には【沓】があり、沓を姓氏とする沓掛、沓水などは、滋賀県にまで及んでいる。同じ滋賀県の旧安曇川には、葛川、朽木(くつき)があり、古代の渡来系氏族の定着地と考えられる。
 新小岩香取神社の祭には江戸時代に山車が曳かれた伝承が残る。

●13201 八王子市
◆20041 八王子祭
□社名 八幡八雲神社
□所在地 東京都八王子市元横山町
□社名 多賀神社
□祭は八月上旬。
□山車
・本町
・大横町
・中町
・横山町三丁目
・上八日町(八日町三丁目、八日町四丁目)
・元横山町
・南町
・三崎町
・新町
・横山町二丁目
・八日町一、二丁目
・八日町一、二丁目
・南新町
(順不同)
□汎論
八王子祭の山車 一本柱山車
 八王子祭は七月下旬に行われていた八幡八雲神社、下の祭と、八月中旬に行われていた多賀神社、上の祭が一部併合されて八月上旬に行われている。
 天保年間に山車が存在した町内記録があるが、現在存在する山車は明治以降に再建されたものである。江戸時代には組み違いの唐破風屋根の屋臺を基臺から天井を抜いて柱が立ち、柱には本坐を設けて依代となる本坐人形が飾られた。このような山車の形態を八王子型一本柱とよんでいる。

●13202 立川市
◆00016 立川諏訪神社祭
□社名 諏訪神社
□所在地 東京都立川市柴崎
□祭神
タケミナカタノミコト 建御名方命
□祭は八月下旬。  
□山車
山車の形態(呼称)は屋臺
・柴一
・錦西協力会 錦一
・東部会 柴二
・共生会 柴二
・錦東和会 錦二
・中町会 錦二
・錦みよし会 錦四
・錦六会 錦六
・立川羽三囃子連
・高松町お囃子保存会
・曙町子供囃子連
(順不同)
□汎論
 立川諏訪神社の創祀は、社記によれば弘仁二年(八一一)、信濃國(長野県)諏訪大社(上社)より分祀を受けて祀ったとある。
□参考
次を参考にさせていただきました。
・諏訪神社(立川諏訪神社)

●13203 武蔵野市 

●13204 三鷹市
◆02599 三鷹
東京都三鷹市

●13205 青梅市
◆00598 青梅住吉神社祭
東京都青梅市青梅市住江町
住吉神社
□祭神
ソコツツオノミコト 底筒男命
ナカツツオノミコト 中筒男命
ウワツツオノミコト 表筒男命
ジングウコウゴウ 神功皇后
□祭は四月下旬−五月上旬。
江戸時代の面影を色濃く伝える山車十二臺が曳かれる。
□山車
 ・住江町
人形は、神功皇后。明治七年の作。人形師は仲秀英。
山車は、人形とも立川市砂川より譲り受けた。
住江町は、かって墨江町ともいい、新宿ともいった。宮本をつとめる。
・本町
本坐人形は神功皇后と、幼児(應~天皇)を抱く武内宿禰。
三代目原舟月、明治二年頃の作といわれ、もと茨城県土浦から譲り受けた山車に載っていたと伝えられる。
山車の建造は江戸期末期ー明治初年と推定される。
明治十七年に山車と人形を譲り受けた。茨城県土浦市大町の山車だったといわれるが、旧江戸で曳かれた神田岩本町の山車といわれる。
人形の作者は仲秀英ではないか、との説がある。
・仲町
本坐人形は静御前
もと、日本橋の瀬戸物町、伊勢町、小田原町(現日本橋室町)から山車とも譲り受けた。松雲斎徳山(しょううんさいとくざん)の作。嘉永元年(一八四八)、山王祭の九番を曳かれた山車に載っていた人形と推定されている。しかし栃木市倭三丁目にも九番を曳いた山車があり疑問がもたれている。
・上町
本坐人形は日本武尊。
明治五年に東京の浅草福井町から譲り受けている。
詳細不明。
・森下町
本坐人形は武内宿弥。
森下町の祭典事務所に展示されている武内宿弥は、安政期に仲秀英が江戸で作ったもの。江戸時代末期に天下祭の三十一番を曳いた神田三河町四丁目の山車と人形を譲り受けた。
・滝の上町
・大柳町
もと仲町で曳かれていた山車を長淵町を経て譲り受けた。
・天ヶ瀬町
平成七年の建造
・裏宿町
平成元年建造。工匠は秋川市の宮大工。
・勝沼町 勝沼神社。もと神明社
武蔵野市境町飾り山車だったものを譲り受け、改修して曳く。
・西分町 西分神社。もと妙見社
昭和四十七年の建造。
大正四年、天皇即位記念に建造した旧臺があったが畑中に譲渡された。
・日向和田 和田乃神社。もと三島社。
□汎論
住吉神社の創祀は、慶安二年(一三六九)住吉大社本社より分祀をうけ祀ったとされる。青梅の地名は、阿於目猫祖神にちなむ。あるいは、市内の金剛寺に「将門誓いの梅」があるが、平将門が馬の鞭に使っていた梅の枝を地に挿したものが根づいたと言い、梅の実は時期が過ぎても黄熟せず、落実期まで青いままであることから「青梅」といわれる。青梅市の名称もこ因縁によるという。

◆01665 調布大祭
東京都青梅市

◆21213 御嶽の太々神楽
東京都青梅市

●13206 府中市
◆00596 大國魂神社祭
□社名 大國魂神社
□所在地 東京都府中市宮町
□祭神
オオクニタマノオオカミ 大國魂大神
境内社
松尾神社
巽神社
東照宮
住吉神社
大鷲神社
□祭は五月上旬。  
□山車
東組
・八幡町
昭和二六年の建造。昭和六一年に改修が行われた。
平成九年、彫刻を付加。
・新宿
昭和初期に建造された山車があったが廃臺。
昭和六三年の建造、工匠は本宿の建造も手がけた新潟県村上市の
細野実。
・新成
昭和五六年、町内の工匠と有志の役員で建造した。
・新宿山谷
平成七年の建造。
・是政
昭和五一年、自動車を基臺にした山車、有志によって造られた。
・東町
昭和六〇年の建造。
・押立
平成三年の建造、工匠は国分寺市の大工だといわれる。
彫刻は、井上木彫刻店。
・小柳南
昭和五六年の建造。
・下染屋
平成一〇年の建造。
西組
・片町
・本町
昭和五二年の建造。
旧臺が本宿へ譲渡されている。
・新宿
・番場
明治初期の建造。昭和五八年に改修が行われている。
・屋敷分
・本宿
本町曳いていた山車を、昭和四五年に譲り受けたのにはじまる。
平成三年の建造。工匠は、新潟県村上市の細野実。
・南町
平成二年の建造。
・欅若連 けやき台
昭和六一年の建造。
平成八年に彫刻を追加。
・矢崎町
昭和五八年の建造。
・中河原
昭和五一年の建造。
平成六年彫刻を付加。
・武蔵台
平成一四年に、調布市布田の山車を譲り受けて曳くようになった。
・寿町(壽町)
関東には珍しい関西の山車が曳かれる。
平成一五年、兵庫県神戸市東灘区の柳地区より譲受けたもので、
昭和二八年の建造、工匠は西山音吉。
尼崎市の築地若中が建造し、以後大阪市西淀川区の大野町
兵庫県尼崎市西桜木とわたっていた山車で、柳地区を経て壽町の所有となった。
・片町
江戸期の作。
(順不同)
□汎論
 府中大國魂神社の創祀は、社記には景行天皇期とある。祭神はオオクニタマノオオカミとなっているが、オオナムチノミコト(大己貴命・大国さん)のことで、出雲系の神社である。神社は国指定史跡の旧武蔵國の國府跡地に鎮座し、旧府中宿が近い。
 当社には奇祭【くらやみ祭】が伝わる。古来抑圧された男女がくらやみに愛を交わした祭で、京都府宇治市ほか各地にある男女の自由恋愛の祭だった。祭は凍てつく冬、蚊にせせくられる夏を避けた、一年でいちばんいい時期になっている。

◆04629 熊野神社祭
□社名 熊野神社
□所在地 東京都府中市本宿
□祭神
□祭は九月中旬。  
□山車
・本宿
平成三年の建造、工匠は細野実。
大國魂神社祭で曳く山車を産土神社の祭にも曳く。
□汎論

◆00387 浅間神社祭
□社名 浅間神社
□所在地 東京都府中市美好町
□祭神
□祭は九月上旬。  
□山車
山車
・美好地区
□汎論

◆00387 本村神社祭 
□社名 本村神社
□所在地 東京都府中市押立町
□祭神
□祭は七月中旬。  
□山車
山車の形態(呼称)は囃子屋臺。
・押立地区
 単層、素木造、唐破風屋根、六本柱の屋臺。屋根は緩傾斜の楕円勾配で両側端がやや水平となる。むくり屋根に近いつくりである。軒は一軒垂木仕上げ、木口が白く化粧塗りがかけられている。前面柱を彫刻柱とする。基臺は勾欄で囲み、勾欄は前面が三、横が五に分割され、やや前後に長い型となっている。桁の両端は木鼻となって彫刻がつき、虹梁もおなじように木鼻としそのうえは斗栱にして屋根を支える。棟が高く取られるので欄間はやや狭いが、ここに彫刻が収まり、両側には白い丸提燈がならぶ
 内陣は三対二の割合で分割され、柱に素って脇障子を立てさらに後方に引き回して火燈窓とし、その周囲を彫刻で埋め尽くす。
 前面欄間の下には水引幕がつき後陣は竹製の御簾とする。前面柱の基部から提燈竿が斜上し、「し」の字でまるくかこみ右上に「お」、左下に「立」とかいて押立をあらわしている、基臺の下臺は紺色の大幕で囲まれ前面は、黒漆塗りの【轅・ながえ】状に形式的に仕上げて、かつては牛車として曳いた名残をのこしている。現在は引綱で曳かれる。大國魂神社祭は、地区内の祭ではなく、かなり離れているが祭には山車の賛助曳行がおこなわれる。
□汎論
 本村神社の創祀は不明。従前はゴズテンノウ(牛頭天王)を祀る神社で、祭は祗園の夏祭として行われたと伝わり、いまも盛夏の祭として齋行される。 

●13207 昭島市
◆01214 日吉神社例祭
□社名 日吉神社
□所在地 東京都昭島市拝島町
□祭は九月。
□山車
・下宿 志茂町
明治二一年の建造。工匠は地区内旧拝島村の伊藤直右衛門。
彫刻は石川為二郎(一命、為次郎)。
木挽きは旧拝島村の馬場嘉兵衛。
建具は旧拝島村の谷部茂兵衛、目黒定吉。
平成一四年本坐人形を復元し披露。岩槻の川崎人形による。
・中宿 奈賀町
明治元年製作。大工は伊藤直右衛門(拝島村)。彫師は江戸日本橋通二丁目後藤三冶郎橘恒徳。
・上宿 加美町
明治三年の建造。工匠は拝島村の宮岡菊太郎、宮岡元次郎。
は人形は和藤内。
□汎論
 日吉神社寛保元年(一七四一)山王大権現となり、明和四年(一七六七)に社殿が建立された。榊祭が行われ東京都無形民俗文化財に指定されて山車が曳かれる。加美町、奈賀町、志茂町の屋臺(山車)は昭島市の有形民俗文化財に指定されている。

●13208 調布市
◆02602 布田天神社祭
□社名 布田天神社(ふだてんじんしゃ)
□所在地 東京都調布市調布ヶ丘
□祭神
スガワラミチザネコウ 菅原道眞公
スクナヒコナノミコト 少彦名命
境内社
大鳥神社
金刀比羅神社
祓戸神社
御嶽神社
厳島神社
稲荷神社
疱瘡神社
□祭は八月下旬。  
□山車
山車の形態(呼称)はお囃子山車。
・上布田
・下布田
・柴崎
(順不同)
□汎論
 布田天神社は、延喜式神名帳武蔵國四四座、多磨郡(多摩郡)に記載される、八座のうちの一座。古名は布多天神社(ふだてのじんじゃ)とよばれていたようである。【調布】の名称は、古代に多摩川に布を晒し、仕上がった布を調(みつぎ)したことにちなむといわれる。布田天神社は、現在はスガワラミチザネコウ(菅原道眞公)を祭神とする神社になっているが、創祀はスクナヒコナノミコトをはじめとする出雲系の神を祀る出雲系氏族の氏神だったと考えれれる。現在の社殿は遷座によるもので、遷宮のさい祭神がスガワラミチザネコウになったとある。境内社にも古い神々が祀られるが、当初からのものか合祀されたものかは判然としない。
 祭には、信濃戸隠の鬼女にちなんだ【紅葉狩】が上演される。しばしば山車に取り入れられる例があり、青森県弘前市で藩政期に作られた山車人形に紅葉狩の人形がのっていたと伝わる。八戸市では三社祭に鬼女が出たことがあるほか、ねぶたやねぷたにも出ている。秋田角館祭、山形県の新庄祭には人形が作られたことがある。岩手県盛岡市の八幡宮祭礼、また、信濃國(上田市丸子町)には鬼女を退治した平維茂(たいらのこれもち)が立ち寄ったといわれる伝説が残る名湯【霊泉寺温泉】がある。名古屋市の神明神社の祭には名駅四丁目から【紅葉狩車】が曳かれる。

●13209 町田市
◆02603 相原八雲神社祭

●13210 小金井市
◆02604 小金井神社祭
□社名 小金井神社
□所在地 東京都小金井市中町
□祭神
スガワラミチザネコウ 菅原道真公
境内社
稲荷神社
熊野神社
大鷲神社
□祭は九月下旬。  
□山車
太鼓臺、屋臺
・太鼓臺
直径が二メートル近くある大太鼓を臺車に横積みする。
・屋臺
(順不同)
□汎論
 小金井神社の創祀は不明。元久二年(一二〇五)には天満宮が祭られていたとの伝承がある。旧上小金井村、下小金井村、小金井新田の鎮守だったと伝わり、小金井開創と考えられることから市の名称ともなっている。
 小金井神社の祭には、小金井市の文化財「に指定される【小金井囃子】の演奏が行われる。明治初期ころには【中山谷囃子】とよばれていたといい、江戸の祭の流れを汲み、【速間船橋流】を継ぐ田無市(現西東京市)の西林源六を経て伝わった。一時衰退期があったが、【武蔵野囃子】の中野晋一の指導を受けて復活
これを機に【小金井囃子】とよぶようになり、【小金井囃子保存会】により伝習されている。
□参考
次を参考にさせていただきました。
・小金井囃子保存会公式ホームページ
 http://www.hake.jp/koganei-hayashi/top.htm

●13211 小平市
◆02605 小平神明神社祭
□社名 神明神社
□所在地 東京都小平市

●13212 日野市
◆02606 八坂神社祭
□社名 八坂神社
□所在地 東京都日野市日野本町
□祭神
スサノオノミコト 素盞嗚尊
クシミケヌノミコト 櫛御気野命
オオヤマクイノミコト 大山咋命
ウカノミタマノミコト 倉稲魂命
□祭は九月中旬。  
□山車
屋臺
□汎論
 日野市の八坂神社の創祀は不明ながらその歴史は古い。応永五年(一三九八)、普門寺の開創により牛頭天王社を掌管するようになったと伝わり、普門寺以前の創祀だったことが伺われる。
江戸時代には病疫の蔓延から各地にスサノオノミコト(素盞嗚尊)を祭神として祀り、八雲神社、須賀神社、素鵞神社、八劔神社などの社号をつけて祀り、祗園祭が齋行されるようになったが、当社の歴史はさらに古く、スサノオノミコトを出雲神として祀られた歴史にさかのぼると考えられる。元亀元年(一五七〇)に現地に遷座されている。寺院としての長い歴史があったが明治期の神仏分離令で神社となった。
 祭神のクシミケヌノミコト(櫛御気野命)は、島根県松江市八雲町熊野の熊野大社に祀られ、スサノオノミコトのことだとされる。もとはクシミケヌノミコトとスサノオノミコトは異神だったとされるが、いまは、出雲系神としてクシミケヌノミコトと、スサノオノミコトは同一神として扱われている。
 【天然理心流奉納額】が掲げられていて、新撰組の土方歳三所縁の神社としても知られる。

●13213 東村山市
◆02607 氷川神社祭
□社名 氷川神社
□所在地 東京都東村山市秋津町
□祭神
□祭は一〇月上旬。  
□山車
・秋津地区
 単層、素木造、唐破風屋根、六本柱、四輪車で幾分小型の屋臺。
したがって、前面の藝座は、締め太鼓が左柱(向かって右)を間にして置かれ。大太鼓は右柱(向かって左)の外において演奏する。
 勾欄は四隅がはねる刎勾欄となっているのは関東の屋臺では珍しい(江戸方山車にはしばしば見られる)。両脇の勾欄には丸桁から藍色の下幕をさげる。唐破風屋根外縁と前面の勾欄上には【秋津囃子連】の御用提燈でびっしり埋め尽くされる。前面は隅の勾欄柱に沿って提燈竿が直立し、【氷川神社】と墨書きした白長提燈が下げられる。後陣は透かし模様のある脇障子から後部にかけて出格子とし、後部にも勾欄がつくが後正面に約三尺の開口部を設けている。前面の藝座では重松流(じゅうまつりゅう)の山車囃子のみごとな演奏があり、所作藝が行われるが、子供が演じるのが可愛らしい。
□汎論

◆06734 久米川熊野神社祭
□社名 熊野神社
□所在地 東京都東村山市久米川町
□祭神
イザナギノミコト 伊弉諾命
イザナミノミコト 伊弉冉命
アマテラスオオミカミ 天照皇大神
境内社
稲荷神社
伊勢神宮
御嶽社
神明宮
□祭は  
□山車
・久米川地区
□汎論
 熊野神社の創祀は不明、旧久米川村の鎮守だったと伝わる。久米氏の出自は備前國だといわれる。大和國(奈良県)には久米寺があって久米仙人の伝説で知られ、早い時代に大和に到っていたと考えられる。久米川の地名は広島県比婆山(ひばさん)にあるイザナミノミコトの陵墓に通じる。千葉県、東京都、埼玉県に熊野神社が多いことと相俟って、古代には武蔵國とも何らかの関係があったのではないかと推察される。

◆06735 諏訪神社祭
□社名 諏訪神社
□所在地 東京都東村山市諏訪町
□祭神
□祭は八月下旬。  
□山車
屋臺
・諏訪地区
単層、素木造、唐破風屋根、六本柱、四輪の屋臺。お祭に曳行されるが、祭囃子を演奏する藝屋臺、お囃子は【重松流】の西宿囃子。【市指定技芸無形文化財】とある。前面左柱(向かって右)の外部に大太鼓、柱の内側(内陣)に締太鼓が二、右柱の内は藝座でここで所作藝が披露される。お囃子には粋な袢纏姿の若い女性が多数乗り込み演奏に参加し伝統が継承されている。
 関東のお囃子は、里神楽、鎌倉幕府で演奏された鎌倉囃子(筆者の仮称)、大杉囃子のあんば、葛西囃子、さんてこ、江戸の祭で行われた神田囃子、これがいくつかの流派に分かれている。これらが渾然となり、分化し、各地域に分化して発展している。お囃子には、江戸の花街で練り上げられた藝は、手古舞いほか、加賀鳶にはじまるという粋の藝とでもいえようか。これが祭囃子、山車囃子となって磨きあげられている。埼玉県本庄市では山車囃子を幼児語で「うっちゃんちゃん」という。このお囃子が聞こえてくるともうじっとしていられない…。こどものころに、親の背中で聞いた「肩で覚えた郷愁」は、大人になっても消え去ることがない。
 山車の中でも関東地方の【屋臺】は、お囃子屋臺であり、踊屋臺であるものが多い。
□汎論
 諏訪神社祭で特筆されるのが【居囃子・いばやし】がおこなわれる。櫓状の固定の舞臺が設えられるが、あえて分類すれば、【置山】とよばれる移動しない固定山車ともいえる形態をしている。一見、栃木県各地に見られる【天棚】にちかい。全体を三層に組み立て、上部は屋根のない無蓋の露坐でここに柱が立ち常緑樹(榊か)が取り付けられ、神座がある。上部から枝垂れる造花がつけられる。造花は基臺の四隅にもある。秩父地方の笠鉾の趣があるが、赤い帽冠はない。この固定舞臺で演奏が行われ、各地の民謡などが唄われ、そのまわりでは賑やかに踊が行われる。
 不思議な光景である。

◆06736 廻田金山神社祭
□社名 金山神社
□所在地 東京都東村山市廻田町(めぐりたちょう)
□祭神
カナヤマヒコノミコト 金山彦命
合祀
ヤマトタケルノミコト 日本武尊(御嶽権現)
ウカノミタマノミコト 倉稲魂命
境内社
神明社 
祭神
アマテラスオオミカミ 天照大御神
戸隠神社
祭神
クヅリュウゴンゲン 九頭龍権現
□祭は九月中旬。  
□山車
屋臺
・廻田地区
・野口地区
(順不同)
□汎論
 金山神社の創祀は不明。一説に中世に鍛冶職だった小町大膳左京主水が屋敷内に祀っていたカナヤマヒコノミコト(金山彦命)を後世、神社に昇格させたものと説明されたものがある。これは若干疑問がある。鍛冶、冶金の神として祀るならば、アメノマナヒトツノミコト(天目一箇神)であろう。カナヤマヒコノミコト(金山彦命)は、金、銀、銅などの非鉄金属の間歩(坑道)のある場所に祀られることが多い。廻田地区は、中世には多摩川の砂金など小規模の非鉄金属を採鉱する歴史があったのではなかろうか。
 合祀された神々、境内社の祭神は、近世に祀られたものが多い。祭神の性質を歴史にさかのぼって勘案すると、出雲系のウカノミタマノミコトが最も古く、次いでクヅリュウゴンゲン(九頭龍権現)が雨乞いの神として、カナヤマヒコノミコト(金山彦命)がこれにつづき、御嶽権現は近隣より。ヤマトタケルノミコト(日本武尊)を御嶽権現にあてたのはおそらく間違い。皇室系のアマテラスオオミカミ(天照大御神)はもっともあたらしいと考えられる。

●13214 国分寺市
◆02608 熊野神社祭
□社名 熊野神社
□所在地 東京都国分寺市西恋ヶ窪
□祭神
イザナギノミコト 伊弉諾尊
イザナミノミコト 伊弉冉尊
□祭は九月中旬  
□山車
山車の形態(呼称)は屋臺。
・西恋ヶ窪地区
□汎論

●13215 国立市
◆01215 谷保天満宮祭礼
□社名 谷保天満宮(やぼてんまんぐう)
□所在地 東京都国立市谷保
□祭神
スガワラミチザネコウ 菅原道眞公
スガワラミチタケコウ 菅原道武公
配祀
イシトヒコノカミ 石土毘古神
アメノヒワシノミコト 天之日鷲命
ウカノミタマノミコト 倉稲魂命
境内社
稲荷神社
蒼守稲荷神社
淡島神社
第六天社
厳島神社
稲荷神社
妙義神社
日吉神社
熊野神社
天照皇大神宮
□祭は九月中旬。  
□山車
・谷保地区
□汎論
 谷保天満宮の創祀は、延喜三年(九〇三)と伝わり、スガワラミチザネコウ(菅原道眞公)と、その子、スガワラミチタケコウ(菅原道武公)を祀る神社である。東京都江東区亀戸三丁目の亀戸天神社、東京都文京区湯島三丁目の湯島天満宮をあわせて関東三大天神と呼称される。
 延喜式神名帳武蔵國多麿(多摩)に記載される、武蔵國四四座の一社に穴澤天神社があるが、同社の論社になっている。同名の穴澤天神社が東京都稲城市矢野口に鎮座する。
 スガワラミチザネコウ(菅原道眞公)は、承和十二年(八四五)の生まれ、延喜三年(九〇三)に死去している。遣唐使に選ばれたが廃止を建言し、これが認められて渡唐を免れた。延喜式の編集に関わったとされるが、藤原時平とのあいだに不和が生じ大宰府に任官され九州で死去した。【延喜式】は、延喜五年(九〇五)、醍醐天皇の命により藤原時平らによって編纂が始まったが、途中で時平が死去、そのあとは藤原忠平が担当完成は延長五年(九二七)に完成。その後改稿を重ね、施行されたのは康保四年(九六七)とされる。
各地に、スガワラミチザネコウ(菅原道眞公)を祭神とする神社があるが、延喜三年(九〇三)の死去以前に祀られることはないから、それ以前に創祀された神社に祀られることはありえない。
 イシトヒコノカミ(石土毘古神)は日本神話にイザナギノミコトとイザナミノミコトのあいだに生まれた【家宅六柱】とよばれる石土毘古神、石巣比売神、大戸日別神、天之吹男神、大屋毘古神、風木津別之忍男神の総称とされる。

●13216 田無市 

●13217 保谷市 

●13218 福生市
◆02610 福生八雲神社祭
□社名 八雲神社
□所在地 東京都福生市(ふっさし)
□祭神
□祭は七月下旬。
□山車
山車の形態(呼称)は、屋臺
・加美町
単層素木造、唐破風屋根の屋臺。前陣と後神は明らかに意識して分離され、屋根も前部と後部の高さを変えている。前部は藝座で、この部分は三方に勾欄がつく。現在見られる屋臺の旧態を留めている。
前部は三分割される。勾欄柱には金属製の擬宝珠がつく。ここで諸藝が行われるが、島根県安来市の民謡で知られる【泥鰌すくい】の衣装姿の藝人が、笊にお菓子を入れて現れ(山車の前に集まった子らにお菓子を撒き、子供らが歓声をあげてこれをひろう。いくつになってもこども心に刻まれるたのしい思い出になることだろう。
 後陣外部は前陣との境に彫刻のある脇障子で隔てられる。古色のある刺繍を施した猩々緋幕がめぐらされるが詳細不明。
・本町第七町会、
・本町第八町会
・鍋一
・牛浜町
・牛二町
・奈賀町
単層素木造、唐破風屋根の屋臺。前陣と後神は明らかに意識して分離され、屋根も前部と後部の高さを変え後塵を一段高くしている。後陣も勾欄がめぐらされるが、柱内に幕をかけて外部と仕切る。筆者の取材時には大屋根に白装束の女性がのっていたのが印象的だった。弘前のねぷた祭にも二間あまり(約三・五メートル)もあろうかという大太鼓に白の晒をきりりと巻いた女性が太鼓を打つ姿が見られるが、実にいいものである。
・永田町
・志茂町
・志茂二
・原町(原ヶ谷戸)
・原町(原ヶ谷戸)
(順不同)
□汎論
 山車(屋臺)の前面には、【福生市囃子連】の表示が掲げられ、山車の運行は囃子連に委ねれている掲示がある。山車は八月の七夕祭にも曳かれる。

●13219 狛江市 

●13220 東大和市
◆02611 豊鹿島神社祭
□社名 豊鹿島神社(とよかしまじんじゃ)
□所在地 東京都東大和市芋窪
□祭神
タケミカヅチノミコト 武御加豆智命、武甕槌命
□祭は九月中旬。  
□山車
山車の形態(呼称)は屋臺。
・芋窪地区
単層、素木造、唐破風屋根、角柱。車輪は四。内陣前部は囃子座で、左柱(向かって右)寄りに締太鼓二、右柱(向かって左)に胴長大太鼓がつけられる。柱の基部から前面に二本の提燈竿が斜めに立ち、白提燈には大きく【芋窪囃子連】と書かれて、屋臺の曳行は芋窪囃子連の手に委ねられていることを象徴している。欄間には紺藍色の水引幕がかかる。
 後部は三分割し、左右を羽目板仕上げ、真ん中を開放し、右三つ巴の臺紋がはいった赤い暖簾状の幕を下げる。
山車囃子は【重松流】で重厚な演奏がおこなわれ、白狐、ひょっとこ、藤助などのみごとな諸藝が披露される。新井囃子が協賛することがあるという。
□汎論
 豊鹿島神社の創祀は慶雲四年(七〇七)と伝わる古社である。この時期は、持統天皇八年(六九四)に飛鳥浄御原宮から
藤原京遷都が行われ、完成したのが景雲元年(七〇四)であり、奈良遷都以前である。
 当社の現社殿の建立は室町期の文正元年(一四六六)とつたわり、本殿は棟札とともに東京都の有形文化財に指定されている。東京都内の神社本殿建築物の中では最古である。拝殿は棟が低く屋根の勾配がゆるい緩傾斜で、正面向拝の唐破風屋根がないため、威圧感のない実にいい姿をしている。
 常陸の鹿嶋神を勧請したとの言い伝えがあるが、創祀は当社のほうが古いと言い。否定する説もある
 芋窪には当社のほかにおなじ豊鹿島神社が二社ある。
□参考
次を参考にさせていただきました。
・豊鹿嶋の天狐
 http://blogs.yahoo.co.jp/dream_again787/8402867.html
・重松流囃子 芋窪囃子連
 http://popup6.tok2.com/home2/akitaavi/jyuu251.htm

◆06733 清水神社祭
□社名 清水神社
□所在地 東京都東大和市清水
□祭神
スサノオノミコト 素盞嗚命
オオナムチノミコト 大己貴尊
イナダヒメノミコト 稲田姫命
□祭は九月中旬。  
□山車
山車の形態(呼称)は屋臺。
・清水地区
曳行休止中。
□汎論
 清水神社は、スサノオノミコト、イナダヒメノミコトの夫婦神。それに一子、オオナムチノミコトの家族神を祀る出雲系の神社である、古くは宅部、清水、内堀、日向、境、廻田、後ケ谷の旧七ヶ村の鎮守であったが、大正八年(一九一九)に多摩湖(村山貯水池)が建設されたため現地へ遷座となった。このとき、熊野神社が合祀しされて現在の社名となったと伝わる。
 江戸時代の末期ごろまでさかのぼるという、神社に係属する【清水囃子】の伝承があり、かつては屋臺の上で山車囃子が演奏された。現在は境内に【清水囃子の碑】が建っている。

●13221 清瀬市
◆02612 八幡神社祭
□社名 八幡神社祭
□所在地 東京都清瀬市清戸下宿
□祭神
オウジンテンノウ 應~天皇
□祭は四月下旬、九月中旬。  
□山車
山車
・下宿地区
清戸下宿囃子連によって曳行される。山車囃子の演奏が行われる。お囃子は【下宿囃子】とよばれる。
□汎論
  
◆06732 大醫山圓福寺 薬師堂
□寺院名 圓福寺 薬師堂 
□所在地 清瀬市野塩三丁目 
□本尊
薬師如来
□祭  
□山車
山車と囃子の伝承があるが詳細不明。
□汎論
 大醫山圓福寺の創建は、浄瑠璃浄土の薬師如来を本尊とする寺院だったと推察されるが、弘化五年(一八四八)の火災により、すべての記録を焼失したと伝わり、従前の姿を詳らかにしない。山号の【大醫山】、境内の薬師堂には薬師如来、日光菩薩、月光菩薩、それに眷属の十二神将の、宮毘羅(くびら)、伐折羅(ばさら)、迷企羅(めきら)、安底羅(あんてら)、珊底羅(さんてら)、□□羅(あにら)(□は文字なし)、因達羅(いんだら)、波夷羅(はいら)、摩虎羅(まごら)、真達羅(まだら)、招杜羅(しょうとら)、毘羯羅(びから)を従える(漢表記は一様ではない)。こららの如来および尊像が伝えられ、現在も薬師講の方らによって奉持されている。
 現在は陽岳宗春が新しく開山し曹洞宗の寺院となっている。

●13222 東久留米市 

●13223 武蔵村山市
◆02613 日吉神社祭
□社名 日吉神社
□所在地 東京都武蔵村山市中央四丁目
□祭神
□祭は八月上旬。  
□山車
山車
・中央地区
□汎論

◆06731 須賀神社祭
□社名 須賀神社
□所在地 東京都武蔵村山市岸
□祭神
□祭は  
□山車
山車の形態(呼称)は屋臺。
・岸地区
単層、素木造り唐破風屋根の屋臺。屋根には鬼板のほか左右に浮彫の獅子がつき、懸魚にも一体となった大きな彫刻が着く。二軒繁垂木構造。全体に関東地方に見られる屋臺よりすこし小型である(採寸はしていない)。前面柱は房総方面に見られるような彫刻柱。前座は左(向かって右)に締太鼓二がつく。その左は所作藝の行われる例が多いが、間隙が狭いので囃子座の前部を藝座に当てここで巧妙な所作の藝がいわゆる「座布団一枚の座」で行われる。
 【山車と郭】については別項で述べるが、柳橋、深川、吉原の芸者衆は江戸の山車とは直接、間接に関係が深く、その座敷藝は【幇間の藝】として山車に取り込まれている。
 脇にそれたが、中臺は勾欄がめぐらされ、前部には【きし囃子連
】の御用提燈が並び、前柱の基部から提燈竿が斜めに立ちこれには【き組囃子連】と書かれた大きな長提燈がつき、山車の曳行の指揮権を掌握している。みごとな囃子の演奏が行われるが、近隣からも応援参加があるらしく、お囃子の競演も見られる。
 下臺は金モールのついた朱色の半幕で覆われる。
(順不同)
□汎論
□参考
次を参考にさせていただきました。
・豊鹿嶋天狐のブログ
 http://blogs.yahoo.co.jp/dream_again787

●13224 多摩市
◆02614 小野神社祭
□社名 小野神社
□所在地 東京都多摩市一ノ宮
□祭神
アメノシタハルノミコト 天下春命
セオリツヒメノミコト 瀬織津比賣命
□祭は  
□山車
山車
・一ノ宮地区
□汎論
 小野神社は、武蔵國一ノ宮で、延喜式神名帳武蔵國多磨郡(多摩郡)に記載される、武蔵國四四座のうちの一座とされるが、小野神社の名称の神社は、府中市住吉町三丁目にもあり、武蔵一ノ宮とは、埼玉県の大宮神社だとされる。大宮神社の社号は、明治期に秩父市の秩父神社と【大宮】の社号を争い、氷川神社が大宮を獲得して現大宮神社になったいきさつがある。神社の社号が市名となっていて、ながらく大宮市だったが、現在はさいたま市となった。
 当、多摩市の一ノ宮小野神社は、多摩川の右岸に接して鎮座し、現在はすぐ北の多摩川河川敷は一ノ宮公園になっている。一見して多摩川の氾濫原に鎮座する。実際過去にはたびたび流失があったようであるが、神社の事情と史実は異なる、無理に比定することはないと思う。本来の鎮座地は不明と考えるのが自然だろう。
 古い祭神が祀られる。アメノシタハルノミコト(天下春命)はチチブヒコ(秩父彦)の父だとされる。
 私見であるが、古丹波國(現丹後)と武蔵國の間は連続する古代の道でつながっていたと考えられ、共通する事例がいくつもある。小野の名称は小野氏にちなむと考えられる。小野氏は、遣唐使にもなった小野篂(おのたかむら)、花札の十一月に描かれる枝垂と蛙にある小野道風、日本美人の白眉とも讃えられる、小野小町……など、また滋賀県の湖西には小野神社がある。若狭國(福井県)と山城國を結ぶ周山街道
には小野郷があり、春日井市の小野道風、恵那山北の神坂峠を越えれば信濃國の古社阿智神社、飯田街道を経て伊那から辰野に到ると、ここには諏訪神の母親である金刺氏が当地に到った道でもあろう推定される。辰野には二つに分割された小野神社。そして諏訪を経て甲斐國、ここから丹波山村を経て奥多摩にいたる…。古代の内陸古道である。多摩川は平安時代には【タバ】であり、武蔵國多磨郡(むさしのくにたばぐん)であった。丹波(たんば)と多磨(たば)、古代妄想と笑われるだろうか。

●13225 稲城市
◆02615 大麻止乃豆乃天神社祭
□社名 
大麻止乃豆乃天神社(おおまとのつのあまじんじゃ、おおまとのつのあまつかみのやしろ)
□所在地 東京都稲城市大丸
□祭神
クシマチノミコト 櫛真智命
□祭は一〇月上旬。  
□山車
山車
・大丸地区
(順不同)
□汎論
 大麻止乃豆乃天神社は、延喜式神名帳武蔵國多摩郡に記載される、武蔵國四四座のうちの一座とされるが、青梅市の武蔵御嶽神社も明治期には大麻止乃豆乃天神社の名称だったと伝わり、いずれも論社として決着していない。
 大和國(奈良県橿原市南浦町出屋敷字西山)には天香山坐櫛眞命神社(天香山神社、國常立神社)があり祭神名が社名となっている。この祭神の詳細は不明であるが、天香山坐櫛眞命神社の社殿は妻入りで、間口より奥行きが長い高床式で、出雲の大社形式を曳いている。神社は以後には磐坐が存在する。
 按ずるに、武蔵國、大和國いずれとも大麻止乃豆乃天神社は、同一祭祀に帰属する、出雲系の古社であることは間違いなさそうである。

●13227 羽村市
◆01663 松本神社祭
□社名 松本神社
□所在地 東京都羽村市羽西
□祭神
トヨウケヒメノミコト 豊受姫命
クシミケヌノミコト 櫛御毛奴命
オオモノヌシノカミ 大物主神
□祭は四月中旬。  
□山車
山車の形態(呼称)は山車。
・小作本町
□汎論
 松本神社の創祀は、社記によると、建久年間(一一九〇−一一九九)
とある古社で、伊豆の河津祐康の家臣が山城国(京都市伏見区)の伏見稲荷大社より分霊を請け鎮守として祀ったのにはじまるとある。明治明治二年(一八六九)に現社名となったがそれまでは稲荷大明神と称ばれていた。本殿は天保十一年(一八四〇)の建造。工匠は棟札より小林藤馬であることが知られ、羽村市の指定有形文化財となっている。
 祭神のトヨウケヒメノミコト(豊受姫命)は伊勢神宮外宮に祀られる。クシミケヌノミコト(櫛御毛奴命)は、クシイワマドノミコト(櫛岩窓戸命)、トヨイワマドノミコト(豊岩窓戸命)は門を守る岩戸の神といわれる。オオモノヌシノミコトは出雲系の、金比羅宮、大神神社の祭神で、時に大己貴命(大國主命)と同一神ともされるが異説がある。
 当社には伏見稲荷大社の祭神である稲荷神の名称が見られない。食を司る神、トヨウケヒメノミコトが稲荷真に見立てられているのかもしれない。

◆03759 八雲神社祭
□社名 八雲神社
□所在地 東京都羽村市羽東
□祭神 ヤグモオオカミ 八雲大神(スサノオノミコトのことである)
□祭は四月下旬。  
□山車
山車の形態(呼称)屋臺。
・東町
砂川村一番地区(現立川市)が、幕末期の文久二年(一八六二)
建造した屋臺。大正八年に譲り受けた。
□汎論

◆06725 玉川神社祭
□社名 玉川神社
□所在地 東京都羽村市羽中
□祭神
□祭は四月中旬。  
□山車
山車の形態(呼称)は屋臺。
・奈賀地区
砂川村六番地区(現立川市)が、幕末期に建造した屋臺。大正八年に譲り受けた。
□汎論

◆06726 川崎神明神社祭
□社名 神明神社
□所在地 東京都羽村市川崎
□祭神
□祭は四月中旬。  
□山車
・川崎地区
□汎論

●13228 あきる野市
◆02617 正一位岩走神社祭
□社名 正一位岩走神社
□所在地 東京都あきるの市伊奈
正一位岩走神社 (しょういちいいわばしりじんじゃ)
□祭神
ワカヒルメノミコト 稚日女尊
タジカラオノミコト 手力男命
タナバタヒメノミコト 棚機姫命
□祭は九月中旬
山車六臺を曳く。
□山車
新宿
・宮本
・森町
・本宿
・上宿
・新宿
創始は明治中ー末期ころに、八王子の万町が建造した山車を譲り受けたという。
現在曳かれる山車は昭和三十年ごろに建造されたもので三臺目にあたる。
・北郷
(順不同)
□汎論
 信濃国伊那(長野県)の住民十二名が入植して開村したといい、神社の創祀は戸隠大明神より分祀を得たのにはじまるといわれる。祭は頭屋制

●13307 檜原村
◆02619 春日神社祭
□社名 春日神社
□所在地 東京都西多摩郡檜原村
□祭神
□祭は九月中旬。  
□山車
山車の形態(呼称)は屋臺。
・本宿囃子連
単層、全体黒塗り、唐破風屋根の屋臺。
勾欄の四隅は刎ねない留め勾欄,真鍮の磨き擬宝珠がつく。前部は開口せず三分割し上部は丸桁、中央部は平桁で、腰板はない。藝座では大國舞が披露される。
昭和九年にはじまる。
・上元郷囃子連
単層、素木造り、八つ棟屋根の屋臺。赤い勾欄が全体を明るい印象にしている。勾欄の四隅は刎ねない留め勾欄,真鍮の磨き擬宝珠がつく。前部は開口せず三分割し上部は丸桁、中央部は平桁で、腰板はない。前部両側から紅白の布で覆った提燈竿が斜上し、上元郷と隅害した長提燈がつく。欄間は濃紫の水引幕が下がる。屋臺の前部は藝座で、ここで囃子の演奏にあわせ、所作藝が行われ、振袖姿、にこやかな於福の福踊りが披露される。昭和三年にはじまる。
(順不同)
□汎論
 檜原村の【ひばら】、奥多摩町の日原【ひばら】は同音で、【氷川】、【日野】の名称は古代の【ヒ】につながるものを連想させる。

●13308 奥多摩町
◆00514 南氷川羽黒三田神社祭
□社名 羽黒三田神社
□所在地 東京都西多摩郡奥多摩町
□祭神
□祭は八月中旬。  
□山車
山車の形態(呼称)は屋臺。
・南町地区
□汎論
 青梅市と甲府市を結ぶ国道四一一号線を、多摩川を遡上すると、多摩川と日原川との落合になる。ここが置く玉町の中心地で役場もここにある。日原川に沿った道は日原街道と呼ばれ、一石山神社あたりが車道の終点でその先は歩行することになる。奥氷川神社、日野など【ヒ】の名称が目に付く。奥多摩から秩父にかけては平将門(たいらのまさかど)の伝説がひそかに伝わる。当、羽黒三田神社の創祀は出羽(山形県)から平将門が分霊をうけて祀ったとの伝承があり、後に三田氏の庇護下にあったことから、羽黒三田神社と称ばれるようになったと言われる。
 祭には素木造り、唐破風屋根の屋臺が曳かれる。棟の高いゆったりとした造りの山車で、前部を藝坐とし、達者な所作藝が披露される。
 町内にはもう一箇所に半固定の居囃子座がありここでも林の演奏所作が行われる。かつては山車が二臺あったのだろうか。

●13303 瑞穂町
◆02336 箱根ケ崎八雲神社祭
□社名 箱根ケ崎八雲神社
□所在地 東京都西多摩郡瑞穂町箱根ケ崎
□祭神
□祭は七月中旬。
□山車
山車の形態(呼称)は山車。
・箱根ケ崎地区
□汎論
 箱根ケ崎の八雲神社、石畑の須賀神社、殿ケ谷の須賀神社はいずれもスサノオノミコトを祭神とする神社で、祭は七月であることから【瑞穂天王祭】として、同時に齋行される。

◆02336 石畑須賀神社祭
□社名 須賀神社
□所在地 東京都西多摩郡瑞穂町石畑
□祭神
□祭は七月中旬。  
□山車
山車の形態(呼称)は山車。
・畑財産管理委員会
石畑上組が明治一二年に建造した山車。工匠は地元の吉岡助右衛門。
彫刻は日本橋の彫徳である。
 日本橋の彫徳とは、江戸橋本町(現日本橋)の後藤茂右衛門にはじまる江戸後藤流からは傑出した名工を輩出したが、五代目後藤正綱に師事した後藤恒俊はとりわけ秀れていたと伝わる。この恒俊の薫陶を受けた門人に、南房総千倉の後藤義光、後藤三治橘橘恒徳、その他があるが、後藤三治橘橘恒徳は、通称を【彫徳】といい、山車彫刻に名を残している。経歴には不明な点があるが、文化四年(一八〇七)ころの生まれ、没年は明治一〇年代(一八七八ー一八八七)ころと伝わる。
□汎論
 祭は、箱根ケ崎八雲神社、殿ケ谷須賀神社との三社合同祭である。

◆02580 殿ケ谷須賀神社祭
□社名 須賀神社
□所在地 東京都西多摩郡瑞穂町殿ケ谷
□祭神
□祭は七月中旬。  
□山車
山車の形態(呼称)は山車。
・殿ケ谷地区。
安政年間(一八五四ー六〇)の建造、工匠は不明。旧臺を砂川村三番地区譲渡したが、砂川村では間もなく新臺を建造したので引き取ったと伝わる。
□汎論
 祭は、箱根ケ崎八雲神社、石畑須賀神社との三社合同祭である。

●13305 日の出町
◆01693 平井春日神社、八幡神社祭
□社名 春日神社
□所在地 東京都西多摩郡日の出町平井
□祭神
□祭は九月下旬。  
□山車
山車の形態(呼称)は、屋臺。
・加美町
彫刻は後藤徳次郎。
明治初期に砂川村の三番組(現立川市砂川)が建造した山車を昭和初期に譲り受けたと伝わる。
単層素木造、唐破風屋根前後に長い屋臺、内外陣を前後に区切り内陣前部を藝坐とし、左手寄り(向かって右)に締太鼓がふたつならび、右柱の(向かって左)外に大太鼓がつく。右手は曳行中は囃子にあわせて獅子舞が行われる。囃子の流儀は【重松流】といわれる。辻々では山車が停められ、達者な諸藝が披露される。
 唐破風の軒は金色の鶴の懸魚がかかり、左右の前柱は着彩、白い御幣がつけられ、加美町と書かれた提燈がつく。欄間には赤い水引幕がかかり前部正面で引き絞られる。
 中臺は前部が藝坐、後部が神の本座で、外部は大きな南画が描かれている。素木造の勾欄が三方にめぐらされる。隅は留めて、刎ねられない。また前部は開口されないが、下臺が低いので、外部からお囃子の様子がよく見える。羽根のあるおおきな車輪が四輪つく。
 御神幸の最前列には、秩父方面に見られる笠鉾の上部に似た造花が一本柱から抛物線を描いて垂れ下がる。上端には榊がつき、花笠のうちは、赤の帽冠(もこう)におおわれた萬燈で、夜は明かりがはいる。笠鉾と考えられる。
・志茂町
明治二六年、地元の工匠、田村興三郎の建造。
内陣前後をおおきな火燈窓(火頭窓)としさらに幕がさがる。
・八幡囃子
・櫻木囃子
・三輪囃子
(順不同)
□汎論
 春日神社、八幡神社の合同祭にはいろいろな舞があり、鳳凰の舞。奴の舞いでは、中央におかれた藁縄で締めた薦巻きの大太鼓を打ち、この太鼓を中心に少年や。青年らが丸く輪になって舞う。
 祭には
重松流 八幡囃子保存会
重松流 平井加美町囃子振興会
重松流 平井志茂町囃子保存会
目黒流 桜木囃子保存会
重松流 三和囃子保存会
 など所作藝をともなう諸流のお囃子が競演される。

◆06231 大久野幸神神社祭
□社名 幸神神社(さぢかみじんんじゃ、さちかみじんじゃ)
□所在地 東京都西多摩郡日の出町大久野
□祭神
サルタヒコノミコト 猿田彦命
□祭は三月下旬。
□山車
 山車の形態は屋臺。
・大久野地区
□汎論
 当社の創祀は建武二年(一三三五)に、山城国(現京都市京上京区幸神町)に鎮座する【出雲路幸神社】より分祀を受けて祀られたと伝わる古社である。京都市の出雲路幸神社は、「いずもじさいのかみのやしろ」とよばれるように「賽ノ神」ともよばれる道祖神を祀る神社で、境内に「大日本最初御降臨旧跡之地 猿太彦御神石」と記され、【神石】があって、日本で最初にサルタヒコノミコトが降臨した地とある
。祭神はサルタヒコノミコトのほかに相殿に、アメノウズメノミコト、出雲系神、高天原神話ゆかりの皇室神が祀られている。
 出雲路幸神社、あるいは幸神神社は道祖神を祀る神社で、宮城県の笠島道祖神も当社から分祀を受けている。
 滋賀県の白鬚神社も祭神をサルタヒコノミコトであるが、もと韓半島から渡来したかみといわれるサルタヒコノミコトには異なる神格がある。夫婦円満、子孫繁栄を願って祀られたのであろう。
 狂言の【石神】に、「出雲路の夜叉神を引いて……」とあり、夜叉神(やしゃじん)と石神は、賽ノ神の別名で、山梨県から静岡県の広川らに通じる峠には【夜叉神峠】がある。

●13363 新島村
◆02620 宮造神社祭
□社名 宮造神社
□所在地 東京都新島村
□祭神
ミヤツクリダイミョウジン 宮造大明神
□祭は十二月上旬。
□山車
山車の形態(呼称)は舟山車。
・若郷地区
□汎論
 新島村は飛騨一円で起きた【安永の大原騒動】とよばれる農民一揆で、流刑になった上木甚四郎(うわぎじんしろう)号、巴山(はざん)の流刑地である。大原騒動は、明和騒動、安永騒動、天明騒動に三大別されるが、安永時代に起きた大原騒動はもっとも悲惨なものであった。大原とはこの時代に飛騨を統治していた代官の大原彦四郎のことである。
 大原騒動による犠牲者の碑は飛騨地方に【義民の碑】が立てられているが、いまも生々しく伝えられるのは新検地に異議を唱える農民らが、飛騨一宮水無神社の境内と上宝村本郷(現高山市)において、農民集会を開いた。この集会を警戒した代官所は、隣りにある苗木藩、大垣藩、八幡藩(郡上八幡)、岩村藩、富山藩の五藩に応援を求めたがこの情報はいちはやく農民側の知るところとなったが、神社に集まる農民にお咎めはあるまいと踏んでいた農民にとっては大変な誤算となった。代官側は一宮水無神社をびっしり取り囲み、なかでも、郡上藩の兵士らは鉄砲で威嚇し、境内にあつまる農民に無差別発砲を行ったから、無数の死者や怪我人が出て、農民は逃げ惑う阿鼻叫喚の惨状となった。この責任を問われ神官の森伊勢は捕縛され、ほどなく高山の桐生(きりゅう)にある刑場萬人坑(万人講)で獄門となった。
 農民一揆を鉄砲で鎮圧した最初の例だと伝わる。
 神官森伊勢の妻女はたいへん悲しみ、夜陰にまぎれて夫の首をぬすみだし、風呂敷につつんで逃げたが、いち早く代官所の知るところとなって追っ手が向けられ、高山石浦と一ノ宮の境にある松橋が工事中であったため追い詰められてここで斬られた。
 旧橋のほとりに森伊勢と、妻女の供養佛がたてられた。現在は忘れ去られたように打ち捨てられ花を手向ける人もいない。
 検地を成功させ課税を増やし、一揆を鎮圧した大原彦四郎は、代官から布衣郡代(ほいぐんだい)へと昇格し、以後飛騨は代官所ではなく、郡代所となった。この彦四郎の妻女は夫の一連の所業に悩み、ついに自ら一命を断ち、間もなく彦四郎も失明、不慮の死を遂げることになった。大原彦四郎の死去により、その一子、亀五郎は郡代に就任したが、安永騒動は後を引き、ついに幕府は亀五郎の罪科をとがめて解任し、一揆は収束したのであった。
 前述の上木甚四郎は、この騒動の責任を問われて流刑となったのだったが、その子は、父の身の上を案じ、郡代所に願い出て新島に渡り、父の最後を看取って墓をたてたが、甚四郎親子は新島の人たちからたいへん親切な扱いを受け。父が息災に日々を送り最後の日を迎えることが出来たのはひとえに新島の人々の温かい人情に支えられたためであった。一子は、涙ながらに新島の人々に別れを告げて、飛騨に帰ったのであるが、孝子の噂は、荘川村(現高山市)にまで伝わり土地の郷氏の婿養子となったのであった。この家は文化財として保存が図られ、開放されている。
 【ミヤツクリダイミョウジン(宮造大明神)】を祭神とする宮造神社とは、宮大工の信奉する神を祀るとされ、【斐太ノ工】につながる氏族が祀ったとのお話が伝わる。

●13364 神津島村
◆02621 物忌奈命神社祭
□社名 物忌奈命
□所在地 東京都神津島村
□祭神
モノイミナノミコト 物忌奈命
□祭は七月下旬―八月上旬。  
□山車
山車の形態(呼称)は船山車。
・神津島地区
□汎論
 物忌奈命神社は延喜式神名帳、伊豆國賀茂郡に記載される、伊豆國九二座のうちの一座。祭神のモノイミナノミコト(物忌奈命)は、三嶋大社の祭神である、三嶋明神の長子とされ、神津島の開祖として祭祀される。オオヤマツミノミコト(大山祗命)につながり、肥前(長崎県)、筑紫(福岡県)、伊豫(愛媛県)、大和(奈良県)、山城(京都府)、尾張(愛知県)そして、駿河から伊豆(静岡県)へと進出した、カモ氏進出の足取りがいまも濃厚に残る。
 三嶋大社の祭神はオオヤマツミノカミ(大山祗神)と、ツミハヤエコトシロヌシノカミ(積羽八重事代主神)つまりゑびすさん(惠比壽神)のことで、出雲神であるオオナムチノミコト(大己貴命)の子である。モノイミナノミコトはそのゑびすさんの子である。
 例祭には国の重要無形民俗文化財に指定されている「鰹釣神事」が行われる。

 

 

 ◆日本山車論
目次
 ◆左甚五郎傳
左甚五郎傳
 ◆斐太ノ工
斐太ノ工
 ◆谷口與鹿
谷口與鹿
 ◆論攷 延喜式神名帳
論攷 延喜式神名帳
◆阿波國
◆安房國
◆安藝國
◆伊賀國
◆隠岐國
◆越後國
 ◆古代祭祀と神南備山
古代祭祀と神南備山
 ◆玉依姫  様