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日本の山車 日本の山車
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標題の写真説明
2014-07-01
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  表題の写真説明
 ボックスのタイトル : 近畿
 題名 : ◆奈良県

日本の山車 奈良県

奈良県総論
●29201 奈良市
◆01128 東大寺
奈良県奈良市  

◆01706 春日祭
奈良県奈良市  

◆01709 奈良豆比古神社境舞
奈良県奈良市黒髪奈保町   

◆03394 皇太神社
奈良県奈良市四条大路
□祭は十月中旬

◆03395 大将軍神社
奈良県奈良市四条大路
□祭は一〇月中旬

◆03387 杵築神社祭
□社名 杵築神社
□所在地 奈良県奈良市二名町
□祭神
スサノオノミコト
□汎論
 創祀には不明な点が多いが、社記、その他によると、敏達天皇(びたつてんのう)期に、春日皇子が聖徳太子に従い大物物部守屋を討った功績により、大和の富雄を拝領し、領内の平野支郷である小野の春日に居住したといわれ、母方の祖神である素戔嗚尊を平野に祀ることになったようである。二名(にみょう)は、近鉄奈良線、あやめ池駅の北にあたる。杵築神社の祭神はスサノオノミコトとされることが多い。
 
◆06140 大安寺八幡神社祭
奈良市東九条町
□社名 八幡神社(大安寺)
□所在地 奈良市東九条
□祭神
チュウアイテンノウ 仲哀天皇
ジングウコウゴウ 神功皇后
オウジンテンノウ 応神天皇
境内社
 若宮神社
 武内神社
 他に十二社がある。
□汎論
 大安寺の境内にある。表門脇の石柱に元岩清水八幡宮とある。
大安寺の鎮守で、斉衝二年(八五五)に、行教が豊前国の宇佐八幡宮から勧請したと伝え、のちの貞観二年(八六〇)に京都府の男山に岩清水八幡宮が祀られた。すなわち京都の岩清水八幡宮の元社だとされる。

◆35671 柳生の戸岩山
□社名 天乃石立神社
□所在地 奈良県奈良市柳生町
□祭神
アマテラスオオミカミ 天照皇大神
クシイワマドノミコト 櫛盤門戸命
トヨイワマドノミコト 豊盤門戸命
アマトイワトワケノミコト 天盤戸別命
□汎論
 分割された磐。
 いまから四〇数年前、奈良の平城坂にある般若寺の向かいあたりから柳生街道を経て柳生の里を訪れた頃は、当然細い地道で、途中、智拳印を結ぶ金剛界の大日如来で著名な、忍辱山円成寺を拝観して柳生の庄に着いたときには三時間ほどもかかってしまった。いまは一時間もかからない。当時、柳生にはお店すらなく、京都府の笠置方面からの道が交わるあたりに、おなかもすいていたので「十兵衛うどん」というのを注文した。なぜ十兵衛うどんなのか尋ねると、主人はにこやかな好人物で、小さな丸い椎茸が二個はいっている、これは柳生家の紋章である二蓋笠にちなんでいるいうことであった。店の中には野良着の老人がふたりいて、主人と三人でおしゃべりを始めたのだが、そのはなしを聞くともなしに聞いていると、保元平治から建武の中興にいたる歴史の話に夢中になっていたが、あまり一般的でもない元号、人物名をすらすらと語り合い、通常どこでも語られるような世間話ではなかったので驚いたものだった。柳生坂の上り口には夏草におおわれた石柱があり、たしか、「踏むなふむな草はくさとして花ごころ」と書かれていた。当時はその意味がわかりかねたが、あとになって、障害児の施設があったことを知った。
柳生家の菩提寺である芳徳寺の裏の墓苑には、柳生歴代の墓がたちならぶ。ここをあとにしたときはすっかり日が暮れて天乃石立神社は在所さへ不明であった。
 天乃石立神社は芳徳禅寺の南東にある。延喜式神名帳に記載される古社。境内には巨石があり、なかでも、前立磐と後立磐の二石は一定の間隙を保ちながら斜立する特異な形状をしている。また一刀石とよばれる岩があり大きさは幅約七メートル、奥行約八メートル、高さ約二メートルで、中央あたりで左右に分断されている。
 前立磐と後立磐、一刀石、また周囲に見られる巨石は岩の角が丸くなっていて、自然露頭によるものではなく、岩戸谷(別名、戸岩谷、万年渓)とよばれる渓谷の転石で、古代人がここまで運んで祭祀の対象としたと推定される。岩が二つに割れているのは、花崗岩の石質と節理によるだろうが、単にひび割れ状ではなく、一定の間隙があるのは、石の性質をよく知っていた古代人がここまで運んだあとで分断したものであろう。さもなくば、谷を転じ搬出の途時に割れるはずである。
 天乃石立神社は、拝殿のみがあり、本殿のない神社で巨岩をご神体としている。神社創祀以前に分断された岩を祀る氏族があったとと考える。

●29202 大和高田市
◆01596 天神社祭
□社名 天神社
□所在地 奈良県大和高田市三和町  
□祭は十月上旬。
だんじり三臺を曳く。
□山車(地車)
・本町一
・市町
・大和地車保存会 
□問い合わせ
大和高田市商工振興課
電話 0745-22-1101

●29203 大和郡山市
◆03416 源九郎稲荷神社祭
□社名 源九郎稲荷神社
□所在地 奈良県大和郡山市洞泉寺町
□祭神
ウカノミタマノミコト 宇迦之御魂神
□祭は四月上旬。
□山車(地車)
一臺を曳く。
□汎論
 源九郎稲荷神社の創祀は不明。
 歌舞伎でよく上演され人気の高い「義経千本桜」。あらすじは、忠臣佐藤忠信はじつは狐の化身でいつも後に従っていたのは、静御前がもつ「初音の鼓」となった母を慕うゆえであった。狐であることが露顕した忠信は鼓の皮が自分の母親のものであるとつげ、義経はその孝心に感じて鼓を忠信に与え、奥州に落ちてゆく。
 社記によると、義経千本桜の狐忠信というのはこの源九郎稲荷の化身で、九郎判官義経は稲荷明神を篤く信仰していたとある。

●29204 天理市 天理市
◆23420 石上神宮
奈良県天理市   

●29205 橿原市
◆03421 十市御縣坐神社祭 
□社名 十市御縣坐神社
□所在地 奈良県橿原市十市
□祭神
トヨウケオオカミ 豐受大神
 配祀 イチキシマヒメノミコト 市杵嶋姫命
□祭は十月中旬。
□汎論
 延喜式に記載される大社。社伝では十市県主の祖大目を祭神としている。孝安天皇が妃とした五十坂媛はこの十市の出身という。寺川の北岸に鎮座する。寺川は忍坂川ともいう。古代、大和盆地の北、東をを支配していた磯城王国、葛城王国との講和が成立し、初期大和王権が定着していった由緒をしのばせる地である。

●29206 桜井市
◆24778 談山神社
□社名 談山神社(たんざんじんじゃ)
□所在地 桜井市
□祭神
フジワラカマタリ 藤原鎌足(談山大明神、談山権現)
□汎論
 談山神社は桜井市の多武峰(とうのみね)の山上にある神社。飛鳥の東にあたる。美しい姿の十三重の塔が有り、秋には紅葉がきれいで訪れる人が多い。 藤原鎌足と中大兄皇子が、大化元年(六四五)五月に大化の改新の話し合いを多武峰で行ったことはよく知られる。藤原氏の祖である藤原鎌足の阿武山古墳は摂津安威(現高槻市)にある。天武天皇七年(六七八)、遣唐使としてわたった長男の定恵が、帰国後この地に移したとされる。藤原氏の出自は阿波の國(徳島県)で、古姓は中臣氏(なかとみし)である。
 談山神社の東北に、粟原寺址があり、塔に用いる有銘の伏鉢が談山神社に国宝として保存されている。銅製、和銅八年(七一五)の刻銘がある、中臣朝臣大嶋(なかとみのあそんおおしま)が発願した粟原寺の由緒が書かれる。阿波は粟ともかかれることがあるが、粟原寺はあきらかに阿波を意図しており、談山神社の創祀以前に創建されており、粟原寺はいわば藤原氏発祥の地といってもよく、話し合い(談合)が行われた場所だったかもしれない。
 談山神社は幕末までは寺院であったが、明治維新の廃仏毀釈で神社になった。
 
●29207 五條市

●29208 御所市
◆03436 鴨都波神社祭
□社名 町鴨都波神社
□所在地 奈良県御所市宮前町
□祭神
カモツヤエコトシロノヌシノミコト 鴨都八重事代主命
シタテルヒメノミコト 下照姫命
□祭は十月上旬
□汎論
 鴨都波は、「かもつは」か、それとも「かもつわ」か? 定説がない。古くは「かもみつは」、「かもつみは」ともある。祭神名の「代主」は田の神の古語。千早赤差坂村の建水分神社の祭神にもなっている、「罔象女神」が祀られたことがある
 金剛、葛城の山麓は古代の鴨氏の発祥地と考えられ、その末流は全国にみられるが、鴨あるいは加茂、賀茂と名がついた郡名は安芸、播磨、美濃、三河、佐渡など全国にひろく見られる古代鴨氏の支配地だった名残りであろう。京都の上加茂、下鴨もそのもとはこの地が発祥と考えられている。祭神の下照姫命は疑問がある神とされる。ススキ堤燈行列参拝神輿渡御とともに、子供だんじりと太鼓臺各一臺が出る。
□山車文献資料
・式内社調査報告

●29209 生駒市
◆06318 伊弉諾神社祭
□社名伊弉諾神社
(牛頭天王宮)
□所在地 奈良県生駒市上町
□祭神
スサノオノミコト 素盞鳴命
イザナギノミコト 伊邪那岐命
オオナムチノミコト 大己貴命
境内社
厳島神社(市杵島姫命)
素戔嗚神社(素戔嗚命)
熊野神社(熊野大神)
□祭は一〇月中旬。
山車(地車)
一臺を曳く。
□汎論
 伊弉諾神社は、延喜式神名帳に記載される古社。しかし異説がある。僧行基の開山と伝える長弓寺の鎮守として祀られたという。江戸時代末期までは牛頭天王宮だったが、明治期の神仏分離で伊弉諾神社になった。

●29210 香芝市

●29301 月ヶ瀬村 

●29321 奈良市(旧都祁村)
◆03492 国津神社祭
□社名 国津神社
□所在地 奈良県都祁村白石   
□祭神 
大國魂命
□祭は十月中旬
太鼓臺が一臺ある
□汎論
もと、伊賀国阿閉郡にあった国津神社から故あってわかれた。ご神体は白石だという。

●29322 山添村 

●29342 平群町
◆28332 平群坐紀氏神社
□社名 平群坐紀氏神社(へぐりにますきのうじじんじゃ)
□所在地 奈良県西和市平群町上庄字辻の宮
□祭神
ツクスクネ 都久宿祢
アマテラスオオミカミ 天照大神
アメノコヤネノミコト 天児屋根命
ハチマンダイボサツ 八幡大菩薩
□汎論
 平群坐紀氏神社は延喜式神名帳に記載される、西和市平群町にある神社。
 もと椿井にあったが現在地に遷されたという。平群氏の根拠地に鎮座する由緒は、つぎの事情があるとされる。
 紀氏は古代紀の國の有力豪族で、紀ノ川流域を押さえ上流の吉野、大和方面にも強い影響力を持っていたと考えられるが、後年二つの氏族にわかれた。
  『紀氏家牒』によると、「武内宿禰が紀伊国造 宇豆彦の女 宇乃媛を娶り角宿禰を産む。大和国平群県紀里に家す」とあって、ジングウコウゴウ(神功皇后)にしたがって九州、三韓をも巡った武内宿禰(たけのうちのすくね)が、紀氏宇豆彦の娘を娶り、角宿禰を生んだという。角宿禰は紀氏神とも言い、ツクスクネ(都久宿禰、木菟宿禰)とよばれる。
 平群広成は平群氏族のひとりで、遣唐使として唐に渡ったが、帰りの舟四隻が遭難し
内一隻はベトナム中部とされるチャンパ王国に流れ着き、渤海、出羽(山形県)と、六年を経て大和に帰っている。

●29343 三郷町
◆03440 龍田大社祭
□社名 龍田大社
□所在地 奈良県三郷町立野南
□祭神
天御柱命
国御柱命
□祭は十月下旬
太鼓臺が四臺。
蒲団太鼓が六臺。
□山車
・坂根
・山上辻堂
・今井
・高山
・馬場
・三郷
にそれぞれある。いわせが丘にはだんじりがある。西浦にもあったが、いまは存在しない。
□汎論
延喜式に記載される大社で、龍田大社を「本宮」といい、斑鳩町にある龍田神社は「新宮」という。勅撰和歌集など、紅葉の名所として知られる龍田川は、南を流れる大和川といわれる。

●29344 斑鳩町法
◆02149 斑鳩神社祭 更新
□社名 斑鳩神社(いかるがじんじゃ)
□所在地 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺
□祭神
スガワラミチザネコウ 菅原道眞公
□祭は一〇月中旬。 
□山車
山車(蒲団太鼓)
・東里
・西里
・並松
・五丁町
・三町
(順不同)
□汎論
 斑鳩(いかるが)とは、「いかるはと」のことで【鷠】とも書かれる。
 斑鳩神社の創祀は、天慶年間(九三八ー九四七)に法隆寺の管長(管主)だった菅原湛照にかかるとされる。菅原道眞の生涯は、承和十二年(八四五)ー延喜三年(九〇三)であり、菅原道眞の没後まもなくその一族により創祀されたと考えられる。
 法隆寺駅を降り、国道二五号線を越えると法隆寺の南大門に向かって長く延びる直線賛同があり美しい松並木は【並松・なんまつ】とよばれる。
□参考
次を参考にさせていただきました。
・アインシュタインは「質量はエネルギーである」といった。いわゆるE=mc^2の式である。
 bwv*006**chのブログ もしもし 一寸失礼しますが よろしいでしょうか?
 http://blogs.yahoo.co.jp/bwv1006bach
・御殿場アウトレット〜伊豆・三津シーパラダイス
 http://blogs.yahoo.co.jp/bs52cpc/MYBLOG/yblog.html?m=lc&p=10
・百舌鳥八幡 小正月 とんど神事
 何かいいこと コンパクトデジカメ片手に何かいいこと無いかとあちらこちらと散策しています
 http://blogs.yahoo.co.jp/tumumasi2001
・播州秋祭り 広畑天満宮宵宮(姫路市広畑区)
 http://blogs.yahoo.co.jp/machmitsu/folder/528525.html
・とびだせどうぶつの森
 http://blogs.yahoo.co.jp/ligajaponesa
・20日日曜日は、冷たい北風の見沼でした……
 へいへいのスタジオ2010 故郷埼玉 健康第一、無事故第一、見沼田んぼ大好き!
 http://blogs.yahoo.co.jp/heihei_2010
・高麗神社  巫 女 舞
 浦安の舞は舞姫(巫女)によって一人舞、二人舞、四人舞で舞われる女舞
 gakenchi もろもろ野話
 http://blogs.yahoo.co.jp/urayamagakenchi
・この年になって山車の車まで作るとは思っていなかった。 まあ、多分大丈夫だろう。(笑い)
 山車、車の製作
 http://blogs.yahoo.co.jp/fukuzumi2923354/25106274.html
・お散歩しながらの神輿、山車!!
 http://blogs.yahoo.co.jp/srdrd745/59267030.html
・進化する山車
 http://blogs.yahoo.co.jp/min_aoi_show/50000417.html

地域を特定しやすくするため行政コード番号は変更せず、従前のままです。
◆日本の山車 ブログ
日本の山車
http://blogs.yahoo.co.jp/ypjcd447/
暘州通信
http://blog.goo.ne.jp/admin/
◆日本の山車 ホームページ
【都道府県別分類】は、これまでの記事はこちらに整理統合しています。随時編集中です。
 http://hiyou.easy-magic.com/

●29345 安堵町
   
●29361 川西町 

●29362 三宅町 

●29363 田原本町
◆01016 池神社祭
□社名 池神社
□所在地 磯城郡田原本町
□祭神
天万栲幡千千比売命
菅原道真
□祭
山車を曳いていたが、近年は飾りつけのみが行われている。
□山車
・西南北 三地区共有
彫刻は彫又。
・前田
江戸末期の建造。
彫刻は小松一門。
・市場
江戸末期の建造。
彫刻は小松一門。
・寺内
江戸末期の建造。
彫刻は服部清七。
・南垣内
明治期の建造。
彫刻は彫又。
□汎論
 池神社は、延喜式内大社「池坐朝霧黄幡比売神社(いけにいますあさぎりきはたひめじんじゃ)」に比定される古社。
天満宮と称し、長谷川氏の鎮守で法貴寺の実相院が別当となっていたが、明治期の神仏分離令以後池神社とよぶようになった。
田原本町にはほかにも、八尾の鏡作神社、多神社など著名な延喜式内社がある。
太閤記で知られる「賤ヶ岳の七本槍」のひとりである平野長泰は、田原本に封じられている。
また昔話の「桃太郎の出身地」だという。
南大阪の堺型だんじりがある。

◆31661 池神社の狛犬
 池神社は、奈良県磯城郡田原本町法貴寺の初瀬川沿いにある、池坐朝霧黄幡比賣(いけにますあさぎりきはたひめ)神社のことで、延喜神明帳式内の古社、「池坐朝霧黄幡比賣神社」とある。
 祭神は天萬栲幡千々比賣命 菅原道真公で天満宮とも云い、神紋は梅鉢。社名鑑では祭神は天萬栲幡黄幡比売命。境内は広く法貴寺の鎮守として祀られたというが、創祀は不明である。法貴寺はもと秦河勝が草創したもので、秦氏ゆかりの神社で、機織の神であって推古帝二四年(六一五)聖徳太子より法貴寺寺領を賜った秦氏がその祖神守神として崇敬した古社として知られ、本殿左右にイチキシマ(市杵嶋)、コトヒラ(琴比羅)、スサノオ(須佐男)、コトシロヌシ(事代主)などを祀る、波知久麻明、梅尾、松尾、春日神社などの末社が並ぶ。
 法貴寺記録によれば天慶九年(九四六)九月一九日に北野天満宮より菅原道真公を勧請し相殿したことが見える。古来法貴寺天神又は天満宮として知られ、中世には土地の豪族だった長谷川氏の氏寺であり、法貴寺の鎮守神として信仰をあつめていた。 例祭日を一〇月一九日とするのは旧暦の九月一九日菅原道真公を勧請したのにちなむ。近世以降も 法貴寺の実相院が社僧として社務全般を支配した。この関係は神仏分離により法貴寺から池神社が分離されるまで続いた。
 この法貴寺の池神社に、左甚五郎が奉納した狛犬がある。
ある夜、泥棒がこの狛犬を盗み、鍵の村方面に逃げた。ところが五加木(うこぎ)の下に来るとその狛犬は突然吠えたので、驚いて狛犬を放りだして逃げていった。この狛犬は左甚五郎の作として今も神社に伝えられている。
 左甚五郎は、奈良県磯城郡田原本町法貴寺の山車彫刻を彫るため飛騨の高山から招かれたが、賃料だけでは支払いができなくなって、酒手のかわりに池神社の狛犬も手がけたという。
 池神社では、秋の例祭に五臺の山車が曳かれた。山車は近世の製作で、中国古典などを題材とした彫刻が施されている。かつては曳き回されていたが、現在は飾り立てて神社境内に展示するだけとなっている。
□問い合わせ
田原本町役場
〒636-0392
奈良県磯城郡田原本町八九〇−一
電話 0744-32-2901

●29381 大宇陀町 

●29382 宇陀市菟田野区(旧菟田野町)
◆03493 宇太水分神社祭
□社名 宇太水分神社(うだのみくまりじんじゃ)
□所在地 奈良県宇陀市菟田野区(旧菟田野町)古市場  
□祭神
本社
第一殿
アメノミクマリノカミ 天水分神
第二殿     
ハヤアキツヒコノミコト 速秋津彦命
第三殿     
クニノミクマリノカミ 国水分神
摂社
春日神社    
 アメノコヤネノミコト 天児屋根命
宗像神社    
 イチキシマヒメノミコト 市杵島比売命
末社
恵比須神社   
 ヒルコノオオカミ 蛭子之大神
金刀比羅神社  
 オオモノヌシノミコト 大物主命
□祭は十月下旬。
□山車(太鼓臺)
・芳野
・岩崎
・宇賀志
・佐倉
・古市場
・松井
□汎論
 大和四水分神社(宇太水分神社、葛城水分神社、吉野水分神社、都祁水分神社)の一社。創祀は崇神天皇期(紀元前九〇年ころ)とされるがもとより詳細は不明。古い歴史のある神社であるが、創祀時は農耕と水利をつかさどる神社で、天皇制が布かれる以前と推定され天皇がが関与することはなかったと思われる。
 棟木の銘文より、元応二年(一三二〇)本殿三棟が建造されたと伝え国宝。境内社の春日神社、宗像神社の社殿は、重要文化財の指定を受けている。
 祭の歴史は古く平安時代にまでさかのぼり、上芳野にある「惣社水分神社」のハヤアキツヒメノミコト(速秋津姫命)が、夫であるハヤアキツヒコノミコト(速秋津彦命)にあうため宇太水分神社まで神輿でお渡りになる。

●29383 宇陀市(旧榛原町)
◆03494 御井神社祭
□社名 御井神社
□所在地 奈良県宇陀市(旧榛原町)桧牧 
□祭神
ミイノカミ 御井神
アマテラススメオオカミ 天照皇大神
アメノコヤネノミコト 天兒屋根命
ミクマリノカミ 水分神
□祭十月下旬。
□山車(太鼓臺)
一臺が出る。
□汎論
 御井神社の創祀は不明。オオナムチノミコト(大穴牟遅神・大己貴命)とヤカミヒメ(八上比売)の間に生まれた子で、コノマタノカミ(木俣神)の名があり、木俣神を祀る神社に御井神社がある。島根県簸川郡斐川町直江の御井神社は、大国主大神の第一子木俣大神を主神とする総本社がある。また三井氏の祖神とされる。御井神社は数少ないが、飛騨市(旧古川町)にある気多若宮神社(けたわかみやじんじゃ)は大巳貴神を主祭神とし、コノマタノカミ(木俣神)を配し、起こし太鼓の神事、高山祭と同じ基本形の屋臺が曳かれる。当御井神社に祀られるミイノカミ(御井神)と、コノマタノカミ(木俣神)は同神である。

◆03495 墨坂神社祭
□社名 墨坂神社
□所在地
奈良県宇陀市榛原区(旧榛原町)萩乃里   
□祭神
スミサカノカミ 墨坂神
 墨坂の神には次の六柱の神があげられている。
 アメノミナカヌシノカミ 天御中主神
 タカミムスビノカミ 高皇産霊神
 カミムスビノカミ 神皇産霊神
 イザナギノカミ 伊邪那岐神
 イザナミノカミ 伊邪那美神
 オオモノヌシノカミ 大物主神
□祭は十一月上旬。
□山車(太鼓臺)
・宮本
・東町
・上町
□汎論
 墨坂神社は、古事記、日本書紀に記載され、神武天皇の東征にも関わりがある古社であるが、延喜式神名帳に記載がない。
 創祀時の旧社殿は伊勢街道に沿った天神の森に鎮座していたと言い現在の社殿は遷座されている。皇室に所縁の神々が祀られているのに、延喜式に記述されなかった理由には、おそらく、アメノミナカヌシノカミ(天御中主神)、オオモノヌシノカミ(大物主神)など出雲系古代祭祀の神々がすでに篤く祀られていて、皇室関係者に嘉みしなかったことが想像される。このことは反面、神社の古く正しい由緒、歴史を物語っているともいえよう。

◆03496 椋下神社祭
□社名 椋下神社(くらげじんじゃ)
□所在地 奈良県宇陀市榛原区(旧榛原町)福地
□祭神
タカクラジノミコト 高倉下命
摂社
金刀比羅神社 
 オオナムチノカミ 大名牟遲命
愛宕神社
 カグツチノカミ 軻遇突智神
庚神社
 サルタヒコノカミ 猿田彦神
□祭十一月上旬。
□山車(蒲団太鼓)
一臺。
□汎論
 椋下神社は延喜式神名帳に記載されるが、その所在が古来論議となっている。
 まずその訓(よみ)については、「むくもと、むくのした、くらじ」などとよばれ一定していなかったと見られる。現在は「くらげじんじゃ」とよばれているようである。
 祭神は日本神話のタカクラジノミコト(高倉下命)、これを音読みすると「たかくらげのみこと」となり、「くらじじんじゃ」に近い読みとなる。
 社殿は棟持柱のある伊勢神明造で、屋根は反らず、直線で葺きおろされている。
 東征した神武天皇は、大阪湾からの上陸ができず、紀州をまわって南紀熊野から上陸したが、ここでも熊野の丹敷戸畔のはげしい抵抗に逢った。丹敷戸畔は女性だったという。 この反撃のため神武天皇の兵は壊滅に瀕したが、これを知った天照大神は香取神のタケミカヅチノカミ(武甕槌神)に救援を命じた。しかし、武甕槌神は「私が行かずとも、ここに国平劔がありますからこれを下賜されればおのずから戦は平定されるでしょう」といって、「国平劔」を差しだしたので、天照大神は「タカクラゲノミコト(高倉下命)」に命じて、この劔を神武天皇に届けさせた。これによって、神武天皇の兵は勢いを盛り返しさらに大和へと向かうことになった。
 このとき誅されたニシキトベ(丹敷戸畔)は熊野三所大神社(和歌山県東牟婁郡那智勝浦町浜の宮)の境内小祀にひそかに祀られている。
 神武天皇の上陸した地は丹敷の濱とされ、錦浦を比定するが地元ではこれを忌み否定する。劔は、天理市の物部氏を祀る石上神宮に伝えられている。
 当社は、この国平劔を神武天皇に届けた、タカクラゲノミコト(高倉下命)を祭神として祀る神社で、創祀は、おなじ旧榛原町高塚の八咫烏神社とおなじ慶雲二年(七〇五)といわれる。旧鎮座地は東南にある福地嶽山中の「くらかけ」に鎮座していたといわれる。 古代の福地嶽が神南備山であり、椋下神社はその麓に祀られる里宮だったと推定される。

◆03497 高井伊豆神社祭
□社名 伊豆神社
□所在地 奈良県宇陀市(旧榛原町)高井
□祭神
イズオカミ 伊豆大神(高水上神、福井神二柱)
オオヤマツミノカミ 大山祇神
□祭は十一月上旬。
□山車(蒲団太鼓、枕太鼓)
蒲団太鼓臺一臺
枕太鼓一臺
□汎論
 伊豆神社の社号の神社が旧榛原町内に二社ある。混乱を避けるため、高井地区の神社は高井伊豆神社、内牧地区の神社を内牧伊豆神社とよんでいる。奈良県になぜ伊豆神社があるのか。その謎を解明するのは容易ではないが、全国には、伊豆神社の名称の神社が広く分布しており、岩手県遠野市上郷町来内権現にある伊豆神社は、祭神が瀬織津姫命。山形県山形市大野目町にある伊豆神社は祭神不明。
宮城郡利府町菅谷飯土井字長者にある伊豆佐比賣神社の祭神は、ミゾクイヒメノミコト(溝咋比賣命)。新潟市市之瀬の伊豆神社は熱海市にある伊豆山神社の末社。埼玉県越谷市の久伊豆神社(ひさいずじんじゃ)。岐阜県高山市国府町(旧国府町)半田の伊豆神社。丹波市市島町中竹田の伊都伎神社には、出雲系の祭神であるオモタルノカミ(淤母陀流神)、イモアヤカシコネノミコト(妹阿夜訶志古泥命)の二柱の祭神。沖縄県国頭郡本部町伊豆味には伊豆味神社などがある。神社ごとに祭神が一定しないのは、長い歴史の中で変遷して言ったものであろう。イズ、イズミ、イツ、イツキなどの語彙は全国に広く展開していて、起源となる九州の伊都が、伊豆、泉、和泉、出雲、齊などに変化していった様相が連想される。広義には「イズ」は出雲を念頭において考慮すべきかもしれない。
 枕太鼓は、大阪三大夏祭の、いくたま夏祭、天神祭にも出るが、大陸的な面影を継承しているように思う。もしかしたら渡来文化かもしれない。

◆03498 八咫烏神社祭
□社名 八咫烏神社(やたがらすじんじゃ)
□所在地
奈良県宇陀市榛原区(旧榛原町)高塚
□祭神
タケツヌミノミコト 建角身神
□祭は十一月上旬。
□山車(太鼓臺)
一臺。
□汎論
 八咫烏神社は延喜式神名帳に記載される古社。創祀は慶雲二年(七〇五)と『續日本紀』に記載される。
 八咫烏(やたがらす)は、神武天皇が熊野から大和をめざしたとき道案内をはたした鳥とされ、タケツヌミノミコト(建角身命)の化身とされている。神武天皇が畿内入りしようとしたとき、おおきな抵抗にあい、どうしても大阪湾からの上陸ができず、紀州を南下して熊野灘から紀州上陸、大和を目指したとされるが、曲折を経ながらも大和入りし、のちの天皇政権を打ち立てるにいたった陰の功労者は「カモ氏(加茂氏、賀茂氏、鴨氏)」である。のちに平安京が定まるにいたったときも「カモ氏」のちからがはたらいている。のちに仲哀天皇とともに九州に向かったジングウコウゴウ(神功皇后)もカモ氏から出ている。

◆03499 伊豆神社祭
□社名 伊豆神社
□所在地 奈良県宇陀市榛原区(旧榛原町)内牧
□祭神
ヒコホホデミノミコト 彦火々出見命
□祭は十一月上旬。
□山車(蒲団太鼓、枕太鼓)
蒲団太鼓一臺。
□汎論
 伊豆神社の祭神はヒコホホデミノミコト(彦火々出見命)であるが、旧祭神は一説によるとスサノオノミコト(素盞嗚命・牛頭天皇)だったといい、いまは神波多神社(奈良県山辺郡山添村中峰山字横山)の祭神に納まっている。
 
◆03500 水分神社祭
□社名 水分神社祭
□所在地 奈良県宇陀市榛原区(旧榛原町)下井足
□祭神
アメンミクマリノカミ 天水分神
クニノミクマリノカミ 国水分神
アメノコヤネノミコト 天児屋根命
ホムタワケノミコト 品陀別命(應神天皇)
□祭は十一月上旬。
□山車(太鼓臺)
一臺。
□汎論
 大和の四水分神社(宇太、葛城、都祁、吉野)の一社。
 芳野川(ほうのがわ)沿いには、
 菟田野町上芳野にある惣社水分神社を上社。
 菟田野町古市場にあるのが宇太水分神社を中社。
 榛原区下井足の当、宇太水分神社が下社である。

◆03501 桜実神社祭
奈良県宇陀市榛原区(旧榛原町)笠間

●29384 宇陀市(旧室生村)
◆03502 海神社祭
□社名 海神社(かいじんじゃ)
□所在地 奈良県宇陀市(旧室生村)三本松
□祭神
トヨタマヒメノミコト 豊玉姫命
配祀
アマテラスオオミカミ 天照大御神
ゼンジョリュウオウ 善女龍王(清瀧権現)
クズリュウウダイミョウジン 九頭龍大明神
合祀
ゴズテンノウ 牛頭天王
摂社
紀ノ宮神社
ケツミコノカミ 家都御子大神
その他。
□祭は十一月上旬。
□山車(蒲団太鼓)
一臺。
□汎論
 海神社の名がつけられた神社は、海神氏(わだつみし)の創祀にかかわり、海神社と書いて「わだつみじんじゃ」と読む例がまま見られる。同じ名の「海神社(兵庫県神戸市垂水区宮本町)は、「わたつみじんじゃ」で、祭神は、底津綿津見神、中津綿津見神、上津綿津見神となっている。ケツミコノカミ(家都御子大神)は紀州(和歌山県)熊野那智大社の祭神として祀られている。
 旧室生村には古くから海神の神を祖神として祀る氏族がいたことを示している。

●29385 曽爾村 

●29386 御杖村
◆03503 御杖神社祭
奈良県御杖村神末

●29401 高取町
◆03472 高生神社祭
□社名 高生神社
□所在地 奈良県高取町清水谷
□祭神
タカミムスビノカミ 高皇産霊神
合祀
セオリツヒメノミコト 瀬織津姫命
ヤマトオオモノヌシクシミカタマノミコト 倭大物主櫛甕玉命
□祭は十月上旬。
□山車(だんじり)
一臺。
□汎論
 高生神社は、人形浄瑠璃「壺坂霊験記」は、盲人の沢一が、お里の献身的な愛と観音の功徳により、めでたく光がもどる話でよく知られる壺坂寺の近くにある。高生神社は『大和志』に、むかし高取山上にあり、天正年中清水谷村に遷座するとあって、創祀時のすがたは高取山を神南備山とし、麓に創建された里宮だったと推定される古社である。

◆03473 上子島神社祭
□社名 上子島神社(かみこじまじんじゃ)
□所在地 奈良県高市郡高取町上子島字天王
□祭神
スサノオノミコト 素盞鳴命
□祭は十月上旬。
□山車(だんじり)
一臺。

◆03475 国府神社祭
□社名 国府神社(こふじんじゃ)
□所在地 奈良県高市郡高取町
□祭神
オウジンテンノウ 応神天皇
配祀
アメノコヤネノミコト 天児屋根命
コトシロヌシノカミ 事代主神
□祭は十月上旬。
□山車(だんじり)
一臺。
□汎論
 国府神社の創祀は不明。一説には室町時代とする。大和の國の国府がおかれた地とされるが、こちらも詳細不明。現在小学校のある場所を旧国府所在地だとも言う。

◆03476 高皇産霊神社祭
□社名 高皇産霊神社
□所在地 奈良県高市郡高取町
□祭神
タカミムスビノカミ 高皇産霊神
□祭は十月上旬
□山車(だんじり)
一臺。

◆31771 天誅組と高取城
奈良県高市郡高取町
□汎論
 文久三年(一八六二)八月、孝明天皇の大和行幸がきまり、これを布告された。孝明天皇は皇居をあとにされたが、おもてむき大和国畝傍山稜に詣で、陵前で攘夷断行の勅命を下すことにあり、かねての手はずどおり、天誅組が呼応して旗揚げすることになっていた。八月十四日、吉村寅太郎等が京都東山の方廣寺で、公家の中山忠光を主将に天誅組が旗挙げを行った。中山忠光はこのとき弱冠十七歳だったという。
 八月十七日、尊王、攘夷を旗頭に天誅組が決起した十津川郷士らと合流して、まず行動を起こしたのは五條代官所の襲撃であった。この襲撃はみごとに成功し五條代官の首をとり、五條御政府を樹立した。孝明天皇は笠置(現京都府と奈良県の県境近く)まで進まれたが、ここで異変が起きた。
翌十八日、薩摩と会津の謀議による政変で、三条実美ら尊皇攘夷の公卿十九名が参内停止を申し渡され、「七卿の長州落ち」が起きた。
 孝明天皇の大和行幸は急遽中止となり、わずか一日にして天誅組は賊軍扱いとなり
事を重視した幕府は、郡山藩に天誅組の追討を命じ、二十三日にはさらに
高取藩をはじめ大和の各藩に、つづいて二十四日には、和歌山藩、彦根藩、藤堂藩
などに天誅組志士の追討を命じた。しかし、いったん行動を起こした天誅組はあとに戻れず、高取城を攻めたがついに及ばず敗退し、志士らは四散したが、追捕の手は容赦なくのび、首魁の藤井蘭田らは、吉野の鷲家口(わしかぐち)で幕府の軍勢に包囲され討ち死にした。しかし、一部田中光顕らはきびしい包囲から逃れている。
 元冶元年(一八六四)禁門の変(蛤御門の変)が起こり、長州藩は薩摩、会津、桑名各藩の連合軍に敗れ京都を去った。これにつづいて長州征伐が行われ長州藩は敗れた。
慶応元年(一八六五)長州藩の高杉晋作らが奇兵隊を組織して挙兵、尊王倒幕派が藩政を掌握した。幕府はこのあとふたたび長州征伐を行ったがこんどは幕府軍の敗退となった。 さらに孝明天皇の急死(岩倉具視による暗殺という)、幕府の崩壊を経てあわただしく明治維新を迎えることになった。
 伊丹郷町の明倫堂の塾頭であった、橋本香坡は、谷口與鹿とともに天誅組の首魁であった、藤本鉄石、藤井蘭田、吉村寅太郎、森田節齋、伴林光平らと交流があり、長州藩が蛤御門の変で敗れて都落ちするとき、藩士らにおにぎりを振舞ったが、これが幕府に咎めを受けることになり逮捕された。取り調べのあと一度は帰されたが、所持品の中に藤井蘭田の書状が見つかったことから再逮捕。大阪下寺町にあった新撰組屯所の囲われここで獄死した。谷口與鹿の死去後わずか一年のちのことであった。死去後死体は下げ渡されることはなかった。伊丹郷町黒墓には生前香坡が両親の墓を定め自らの生壙を設けたが、ここに納骨されることはなかった。橋本香坡は生前、自らの死を予見していたといえる。

●29402 明日香村
◆25557 飛鳥坐神社の麒麟
□社名 飛鳥坐神社(あすかにますじんじゃ)
□所在地 奈良県高市郡明日香村大字飛鳥字神奈備
□祭神
オオモノヌシノミコト 大物主命
コトシロヌシノミコト 天事代主命
タカミムスビノミコト 高皇産靈命
カヨナルミノカミ 賀夜奈留美神(飛鳥神奈備三日女命)
□祭は二月上旬
□汎論
 オオモノヌシノミコトとコトシロヌシノミコトは父子。大国さんと恵比寿さんである。大国主命は各地でオオナムチノミコト(大己貴命)と表記されることが多いが、大和三輪山に降臨した神として、大和の古社ではオオモノヌシノミコトと表記され、同一神とされるが異説がある。
 当社で行われる「おんだ祭」は、西日本三大奇祭の一つに数えられ、五穀豊穣、子孫繁栄を祈る男女の秘儀が氏子によって演出披露され、参拝者には稚松福の紙の授与がある。全国各地からこの予祝にあやかろうという、若い男女、恋人、子宝を望む夫婦らが押し寄せる。
 飛鳥坐神社の宝物として「麒麟の欄間彫刻 一面」があり、左甚五郎彫刻だと伝えられる。

●29421 新庄町 
◆03455 住吉神社祭
奈良県新庄町新庄      
 
◆03456 七社神社祭
奈良県新庄町笛堂      
 
◆03457 春日神社祭
奈良新庄町東室      

●29422 葛城市(旧當麻町)
◆03447 長尾神社祭
奈良県當麻町長尾   
 
◆03448 春日若宮神社祭
奈良県當麻町竹之内   
 
◆03449 春日神社祭
奈良當麻町当麻   
 
◆03450 春日若宮神社祭
奈良県當麻町勝根   
 
◆03451 海積神社祭
□社名 海積神社(わだつみじんじゃ)
□所在地 奈良県葛城市(旧當麻町)大田
□祭神
□祭は十月中旬。
□山車(だんじり)
一臺。
□汎論
 海積神社の創祀は不明。大きな神社ではないが、社名には氏神として祀った氏族の歴史を感じさせる。近くの石光寺(せっこうじ)は中将姫にかかる伝承の地。境内には寒牡丹が植えられ冬には菰で囲われた内で小ぶりだが見事な花を見せる。門前に日本ペオニー(牡丹)協会メンバーのプレートがかけられている。牡丹とともにさりげなく花を咲かせるカンアヤメも優雅である。
 當麻寺は、建立時期は異なるが双塔のある寺院として古くから訪れる人が多かった。五月には金堂と本堂に橋を架け、中将姫が蓮の糸で織ったといわれる蓮糸曼荼羅が懸けられ金堂と本堂に橋を架けて、二十五菩薩が来迎する「練り供養」が行われる。
 當麻の庄はいたるところで古代の息吹が感じられる。海積神社の夏祭には「ボロソ」と呼ばれる団子が供えられる。小麦粉を酢で練り上げ塩を添える。むかし神前に若い娘さんを人身御供としていた代わりとなるものだと伝えられる。程遠からぬところに棚機神社がある。
 亀井勝一郎氏の「大和古寺風物詩」、「愛の無常」、「美貌の皇后」などを手にしたお嬢さんがときどき歩いているのを見かけたのももう五〇年前の遠い昔になった。

◆03452 伊邪那岐神社祭
奈良県當麻町南今市   

◆03453 春日神社祭
奈良県當麻町兵家   

◆21144 葛木二上神社
□社名 葛木二上神社
□所在地 葛城市(旧當麻町)當麻町染野二上山頂
□祭神
トヨフツノミタマノミコト 豊布都霊神
オオクニタマノカミ 大国魂神
□汎論
 創祀は不明。延喜式神名帳に記載される古社で、二社とある。
近年の火災で神殿を焼失し、いまは神社は存在しない。
奈良県天理市の石上神宮は、フツミタマオオカミ(豊布都霊神を)主祭神としている。
おなじく天理市の大和神社は、オオクニタマノカミ(大国魂神)を祭神としている。
両者はいずれも二上山より祭神を勧請したものである。

●29424 上牧町 

●29425 王寺町
◆03468 片岡神社祭
奈良県王寺町本町      
 
◆03469 久度神社祭
□社名 久度神社
□所在地 奈良県王子町
□祭神
ホムタワケノミコト 品陀和氣命(應神天皇)
配祀 
アメノコヤネノミコオト 天兒屋命
ソコツツオノミコト 底筒男命
クドノカミ 久度神
□祭は十月下旬。
□山車(地車、太鼓臺)
□汎論
 久度神社は延喜式神名帳に記載される古社。創祀は明らかでなく当社が、延喜式記載の神社か否かについては諸説がある。久度は竈のこととする説があるが、現在の祭神からははずれている。住吉の神も三神の内一神のみ。ホムタワケノミコト(品陀和氣命・應神天皇)も後に祀られたものであろう。京都市、金閣寺の近く鎮座する平野神社(京都市北区平野宮本町)には四座の祭神が祀られ、今木、久度、古開、比唐フ神々の名があるがこのうちの度の神は当社が元社とされている。大和からの遷座だと伝えられる。今木の神は朝鮮百済からの渡来人が祀った祖神とされ、大阪南部に今木の名称が見られる。
 奈良県王寺と大阪府柏原市にかかる生駒山は、大和川にくだるあたりから長年にわたって南部に大地が地すべり状の移動をつづけ、この一帯には民家の建築はできず、関西線も付け替えが行われている。長年の間には大和川の流路にも変化があったことだろう。
 九度神社の歴史にもその変動の歴史がうかがえる。

◆03470 八幡神社祭
奈良県王寺町畠田    
  
●29426 広陵町
◆02098 櫛玉比売命神社祭
奈良県北葛城郡広陵町箸尾地区
櫛玉比売命神社(くしたまひめじんじゃ)

□汎論
 櫛玉比売命神社は、延喜式に載る古社。
クシタマヒメ(櫛玉比売命)は、桜井市の大神神社にも縁の深い、ニギハヤヒノミコト(饒速日命の妃)の御炊屋姫のこととされる。神社は前方後円墳の後円部にある。
仮にこの古墳が櫛玉比売命の霊を祀るとすれば、山を神体とする思想が人工的に神南備山を築いて人神を祀る。という出雲氏族の祭祀形態に進行した例として挙げられよう。

◆03458 櫛玉神社祭
奈良県広陵町南      
 
◆03459 広陵町
奈良県広陵町大野      
 
◆03460 天照皇太神社祭
奈良県広陵町平尾      
 
◆03461 穂雷神社祭
奈良県広陵町安部      
 
◆03462 八幡神社祭
奈良県広陵町平尾      
 
◆03463 厳島神社祭
奈良県広陵町大垣内      
 
◆03464 菅原神社祭
奈良県広陵町赤部
 
◆03465 春日神社祭
奈良県広陵町ひき相
 
●29427 河合町河合
◆03454 廣瀬神社祭
奈良県河合町河合

●29441 吉野町

●29442 大淀町檜垣本

●29443 下市町新住

●29444 黒滝村 

●29445 西吉野村 

●29446 天川村 

●29447 野迫川村 

●29448 大塔村
◆31707 惣谷狂言
奈良県大塔村

●29449 十津川村 

●29450 下北山村 

●29451 上北山村 

●29452 川上村
◆00569 丹生だんじり祭
奈良県川上村
 
◆03484 十二社神社祭
奈良県川上村西河
 
◆03485 十二社神社祭
奈良県川上村武木
 
◆03486 丹生川上神社祭
奈良県川上村迫
 
●29453 東吉野村
◆00827 文弥人形芝居
奈良県東吉野村

◆02226 岩原、永淵神楽
奈良県東吉野村


行政コード番号は従前のままです。 
20130106 更新

 

 ◆日本山車論
目次
 ◆左甚五郎傳
左甚五郎傳
 ◆斐太ノ工
斐太ノ工
 ◆谷口與鹿
谷口與鹿
 ◆論攷 延喜式神名帳
論攷 延喜式神名帳
◆阿波國
◆安房國
◆安藝國
◆伊賀國
◆隠岐國
◆越後國
 ◆古代祭祀と神南備山
古代祭祀と神南備山
 ◆玉依姫  様