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日本の山車 日本の山車
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標題の写真説明
2014-07-01
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  表題の写真説明
 ボックスのタイトル : 関東
 題名 : ◆埼玉県

日本の山車 埼玉県 20130109 更新

埼玉県総論

 埼玉県に古代氏族が栄えた歴史は、その経路を考えれば、東北部からの南下、北西部の越後弥彦方面から、妙高、現長野市にいたる行程。これはさらに流れを遡って、大町、安曇野に至る行程と、北国街道を更級、坂城、上田、信濃追分、軽井沢、碓氷峠、松井田、安中、上州高崎(高崎市)を経て武州児玉、比企にいたる行程。この道筋は出雲系氷川氏(日氏)の経路。
 現糸魚川市から姫川を遡って、現大町市、安曇野市に至る行程。この経路は現松本市を経て諏訪に至る出雲系諏訪氏の経路。
 紀州(和歌山県)を経て勢州(三重県)の木曽河口から遡上し木曾を経て安曇野にいたる行程は、海神氏(綿津美氏)の経路、さらにこれに秦氏、伊太祁曾系氏族が重なっている。
 遠州(静岡県)から天竜川を遡上して。諏訪にいたる氏族。これは下降して繁栄した諏訪系金刺氏。
 伊豆から富士川を遡上し、諏訪から塩尻方面に至った、筑摩系氏族(つかま)。諏訪から南下し甲州(山梨県)を経て大菩薩峠、秩父にいたった氏族。甲州から、現甲州街道(ほぼ国道二〇号線沿い)に笹子峠を下って八王子に至る行程を経由した氏族。この氏族が玉敷神社、久伊豆神社に祖神を祀った出雲系諏訪氏族。
 相模から、北東にはいった渡来人高麗(高句麗)系氏族。
 房総を経て利根川を遡上した氏族などに大別できようか。 
 埼玉県には、八坂神社が多く、夏祭・祗園祭がおこなわれる。またその多くは江戸時代中期から後期に始まるものと推定される。このことは他府県でも同じような風潮があり、江戸時代には、ことに夏には病疫が蔓延して恐れられていたこと。祗園祭を行い病疫の祓を行ったこと。その病疫を抑える伏魔の卓効があったことから、ゴヅテンノウ(牛頭天王)を祀るようになったと考えられる。
 ゴヅテンノウは本来佛教の守護神である。朝鮮半島に降臨したソシモリ(曽尸茂梨)のソシは牛の頭、モリは杜、社のことで、祭神スサノオノミコトは海を渡って島根県にいたり、ここに一大勢力をひろげることになった。かくて、出雲系氏族はスサノオノミコト、あるいはその子のオオナムチノミコト(大己貴命)、孫にあたるコトシロヌシノミコト(事代主命)を祖神として祀るようになった。播州(兵庫県)の廣峯神社にはゴズテンノウが祭神として祀られるが、京都の八坂神社はその神霊の分祀を受けたものである。八坂神社は一般に京都の八坂神社と考えられがちだが、本歌は播州の廣峯神社である。おなじように、三重県の植木神社も播州の廣峯神社から分祀を受けている。
 博多の櫛田神社で行われる祗園山笠は著名な夏祭であり、勇壮な山笠を担ぐ祭で知られ、その起源は京都の祗園祭より古いというのが通念であるが、祭神は勢州松阪(三重県松阪市)から分祀を受けて創祀されている。
 戻るが、祭祀の理念はおなじであっても祗園祭というのは一様なものではなく、スサノオノミコトを祭神としていても、須賀神社、素鷲神社、八雲神社、八坂神社など出自を異にしている祭祀がある。また祭は祗園祭であっても、神社にはゴズテンノウも、スサノオノミコトも祀られていないものもある。
 埼玉県の古代祭祀は日高市に祀られる渡来系の高麗神社(高句麗神社)、白髭神社、は神奈川県方面から。出雲系の玉敷神社、は甲州方面から、氷川神社は越後を経由し、北国街道を碓氷峠を経て、出雲系阿波(安房)は大杉神社が房総方面からはいったものと沿う座右されるが断定しうるものではない。
 埼玉県の北部は両毛(上野、下野)があり、赤城山、榛名山は山上祭祀の痕跡を色濃くのこし、その祭祀は埼玉を越えて広く武州に広がっている。
 秩父の秩父神社は妙見を祀る祭祀として古い歴史があり、秩父夜祭で曳かれる豪華な屋臺は、秩父囃子とともに全国に知られる。 【日本の山車祭は新年の道祖神祭にはじまり、初冬の秩父夜祭に終わる】。
  秋蚕(あきこ) 仕舞うて 麦蒔きおえた 
  秩父祭を 待つばかり

 秩父の秩父神社は妙見を祀る祭祀として古い歴史があり、秩父夜祭で曳かれる豪華な屋臺は、秩父囃子とともに全国に知られる。地元では武甲山の神さまと、妙見さんの結婚式だと話される。
 武甲山は、古代の山上祭祀を伝えるもの、麓の秩父神社は里宮ということになるだろう。武甲山は神奈備山である。
 兵庫と武蔵。これは深い相関関係にある、もともと六甲山とは、【むこのやま】であって、江戸時代ころまでは六児山と書かれることがあった。武庫川の【武庫】も同義である。

●11201 川越市
◆00079 川越氷川祭
埼玉県川越市宮下町
氷川神社
□祭神
スサノオノミコト 素戔嗚尊
クシイナダヒメノミコト 奇稲田姫命
オオナムチノミコト 大巳貴命
アシナヅチノミコト 脚摩乳命
テナヅチノミコト 手摩乳命
□祭は一〇月上旬。
□山車
・高沢町
人形は大山咋命(山王神)
申の面を冠つており、金幣をかついぐが、面の下は豊臣秀吉の人形姿に凝らしてあるという。
建造は安政年間と言い、木札に都梁斎とあり法橋仲秀英の作であることが知れる。
山車の四方幕にはヌサがつく。かっては人形が大山咋命であることから、一番を曳いた。囃子方は川越南の新宿。
・南町の山車
人形は人形は源ノ頼朝の能舞姿。翁面で知られる。元の人形はタジカラオノミコト(手力男命)であった。猩々、翁と改められている。面は明治三年仲秀英の作。
工匠は関根平蔵。
彫刻は野本義明。
廻り舞臺付の四ツ車
最とも豪華なる山車といわれる。
囃子組は堤先連(大谷)。、昔は江戸神田祭の山車でも演奏していたこともあるといわれる。
 南町は札の辻の南にあるのことから名づけられた。昔の十ヶ町時代には札の辻が城下町の中心地であったが、今も繁華街で土蔵づくりがつづく。
・志義町車
かって、人形は布袋だったが、幕末文久年間の改作、文久元年の大祭を写した
二枚つづき板画に、羅陵王の人形で三ツ組の組込式の山車に図柄の記載があって、羅陵王は蘭陵王とある。古く舞楽に蘭陵の勝舞があったとの言い伝えがある。面は有由長門正の作。面をとると織田信長になっている。
十ヶ町時代頃の建造。仲秀英の作。
組込行燈式四ツ車。
緋の四方幕には白地で御祭禮とあらわし、四方に古式によるヌサがさげられ、舞臺の正面に羅陵王(蘭陵王)の額があがる。
廻り舞臺の腰彫刻に、文久元年島村俊豊の作銘がある。
囃子組は川越の中台(奈加)。川越城内で城主上覧のさい嘉賞され、以来上覧囃子と唱え「熨斗目」の揃衣装に鉢巻を用いず、囃子方かぶりで上演していたといわれる。
・喜多町
人形は藤原秀卿、平将門を討取った勇将の姿。
四ツ車で廻り舞臺をもつ、組込のセリあげは行燈式、
法橋鶴雲斎の木札がある。東都神田の名匠といわれた亀作で、家号を亀屋と呼び、本名を小倉作兵衛と称した。この亀作父子の合作と伝えられ囃子臺下にに署名がある。
請負人神田明神前
小倉作兵衛
同、秀吉
神田
近藤儔保
大工山崎幸吉
彫工中島直吉
塗師古川庄五郎
箔方平石惣吉
世話方川越佐川新吉
と記される。
囃子方は福田である。
・鍛治町
人形は三条小鍛冶宗近。
名匠で知られる法橋原秀月の作。
宗近の頭部には白狐の冠り物があり、神佑により名刀を鍛える姿であらわされる。
山車の上部には竹を立て注連縄がつけられる
山車は組込み競リ出し式の廻り舞臺のある四ツ車。
上部の四方幕が美しい姿の雲凰。四方にヌサが付く。
囃子臺には紫の水引幕がかかり、車久世通禧筆の鍛冶町の字額があがる。
舞臺正面は花燈形の入口がある。
見送り幕は青磁の地色に分銅模様、町名の頭文字が図案化されている。
囃子組は県のコンクールにも入賞している南古谷地区の南田島。「足踊り」が妙技と評される。
昔に此の町は鍛冶刀匠が住んだ処で鍛冶町の町名が起源とされていた。ゆえに金一由神社が祭られて、この由緒から人形に小鍛治の宗近が撰ばれている。
・上松江町
人形は浦島。
山車は、明治二十六年三月十七日の川越大火で焼失した。人形のみ災いを免れたが、山車が再建されたのは大正四年であった。
建造は、東都神田明神下山車師たる亀作(二十三代目)こと、亀甲斎清秀(小倉秀太郎)がたまたま川越生れで、小倉家の養子になっていたことも機縁となって再建に取り組んだ。
松江の町名は、ここがもと入江になっていた地であったことにちなむといわれ、このゆかりから人形が浦島になっているのだという。
青地の海に珊瑚の刺繍を施し、波と鶴亀の四方幕、波に腰彫の亀などは倉秀太郎の考案だという。
・江戸町
江戸町の人形はもと鎮西八郎為朝だった、明治五年に天鈿女命になった。仲秀英の作。
山車は三ツ車、組込み競上式。
四方幕の正面は緋色に白く鷄と雲が描かれる。
囃子臺の正西に大神会の額があがる。
腰幕に江の字がはいる。
囃子方は小中居の囃子組。昔に東町といっていたが、大手前から江戸に出る問屋場があって、次第に江戸町となった。
・六軒町
・中原町
上部の神座には四方に金幣がつく。
月鉾山車という。
中原の山車は月鉾で京都の祇園祭に模したもの。
江戸型山車が多い当地では珍しい上方風である。
上部に日月をあらわし、幕に白く町内の頭文字である中の字を抜く。
競り上げ構造で、四ツ車。
囃子臺は唐彼風造。上部に平野鉄国の龍の彫刻がある。
工匠は地元の関根平蔵。昭和二十三年五月の建造
囃子方は横沼の囃子組。
・相生町
昭和二十七年市制三十周年を記念して建造。
四ツ車で三ツ組あんどん式の小型組込につくられる。
・連雀町
人形は太田道潅。磯貝勝之の作。
大田道潅は江戸城とともに川越築城の雄将である。
山車は昭和の作、工匠は地元の印藤順造。
三ツ組の四ツ車、廻り舞臺のある構造。
囃子組は寺尾の囃子組。この町内には熊野神社があり、山車はそこに保管される。
浄土宗の十八檀林である蓮馨寺があり、門前町として栄えてきた。
・松江町
市制三十周年を記念して山車が建造された。
上部には標山を設け幣束が立てられる。
工匠は奥山竹三郎、清水登喜三。
龍の彫刻は島村源蔵の作と伝える
囃子組は角泉の囃子である。
・宮下町
人形は産土神がある宮下の町名から、祭神の日本武ノ命
車は市制三十周年記念に建造された。
工匠は地元の高柳某。
囃子方は山田の綱代の囃子組である。
・多賀町
旧臺は火災によって失われた。
山車彫刻は飛騨高山(岐阜県高山市)の上一ノ町にある麒麟臺彫刻麒麟臺彫刻は、谷口與鹿により彫刻されたその手本ともなったものであったが、惜しくも失われた。氷川神社本殿は天保十三年(一八四三)の造営で、嘉永二年までおよそ十年かけて完成した。このとき川越十ヶ町の代表的な山車彫刻は本社に彫り上げられている。
彫工は島邑(村)俊表で、欄間「東都神田川住島邑俊元八代裔孫彫工島邑俊表彫之」
とあり、島村源蔵。記録によると天保十四年から弘化三年まで、熊谷の彫刻師岩次郎が手伝ったとあり、彫刻にはおよそ五年をかけている。
・志多町
山車人形は、武蔵坊弁慶が安宅の関で二人の童子に道を訪ねているところ。
人形師は名人の名をほしいままにする鼠屋豊斎五兵衛で、その代表作ともいうべき名作。志多町は大きな東明寺坂があって、その坂下だったので、下町とも記された。十ケ町の一つで、坂上の宮下入口に元は代官町と呼ばれ代官屋敷があった。昔の山車祭礼控によると、山車は代官町よりはいるとある。
旧臺は、仲秀英の建造。安政年間の作と伝えられ、人形は小槌であった。改修されて、四ツ車の組込競り上げ式となった。
囃子方はもと曲師であったが、いまは府川組となっている。
山車の正面に弁慶の字額が掲げられる。
・本町
本町にはむかし、船屋臺があったと伝えられが、清水町にあった石橋で倒壊して多くの怪我人が出たため曳行の道筋を変えたとある。舟山車は現存しない。
(順不同)
□汎論
 取材にあたり氷川神社の各位より格別のご好意にあずかった。記して謝意を表したい。
 平安時代の「伊勢物語」にも、入間郡三芳野の里と記され、また詩歌に題され、多濃武の沢が初雁の名所地として有名であった。川越市の総鎮守である水川神社も歴史は古く、その創祀は欽明天皇期とあり、武蔵国大宮(現埼玉市)のーノ宮から分祀されたといわれる。出雲系氏族の氏神として武蔵地方には氷川神社が多く祀られ、東京など江戸期には氷川神社が過半数を占めている。かっての入間郡は中郡であり、山田、麻羽、高階、安刀、郡家、大家、広瀬余戸の八郷に分けられていた。この山田郷が川越地方にあたり、河肥之庄と改称され、吾妻鑑には河越荘とも記載されている。
□汎論
 江戸型山車が多数曳かれる。
 氷川神社の祭神はスサノオノミコト、妃のクシイナダヒメノミコト、その子であるオオナムチノミコト、アシナヅチノミコト、テナヅチノミコトはクシイナダヒメノミコトの両親であり、出雲系一族の神々を祀る。
・高沢町の本座人形は、大山咋命(山王神)
・南町の本座人形は、源ノ頼朝の能舞姿。翁面で知られる。旧人形はタジカラオノミコト(手力男命)で、猩々、翁と改められている。
・志義町の本座人形は、布袋。旧蘭陵王。
・喜多町の本座人形は藤原秀卿。平将門を討った武将。
・鍛治町の本座人形は、三条小鍛冶宗近。
・上松江町の本座人形は、浦島太郎。
・江戸町の本座人形は天鈿女命、旧人形は鎮西八郎為朝。
・六軒町
・中原町山車の上部の神座には四方に金幣がつき月鉾山車といい、京都祇園祭の月鉾に凝らしている。
・相生町
・連雀町山車の本座人形は、太田道潅。大田道潅は江戸城、川越城を築城している。
・松江町の山車は、上部に標山を設け幣束が立てられる。
・宮下町山車の本座人形は、日本武命。
・多賀町
・志多町山車の本座人形は、武蔵坊弁慶。旧臺の本座は小槌だった。
・本町には船屋臺があったと伝えられが現存しない。
(順不同)
 いずれも神社とは関連のない人形である。
□川越市文献資料
「川越の山車」 岸傅平著 川越市教育委員会刊行
「万之覚原文」
「川越史料」
「風俗画報第二百五十八号」
「東京都の郷土芸能」
「伊勢物語」

◆01316 川越高松天神祭
埼玉県川越市 

◆02512 川越まつり会館
埼玉県川越市 

●11202 熊谷市
◆00103 熊谷うちわ祭
□社名 愛宕八坂神社、石原八坂神社
□所在地 埼玉県熊谷市鎌倉町
□祭は七月下旬。 
山車十二臺を曳く。
□山車
・第一本町区 本町一、二丁目
本座人形は神武天皇。長野屋綱季の作。
明治三十一年の建造。
工匠は島野茂三郎。
彫刻は小林栄次郎。
見送り幕は龍虎。
創建は天保元年(一八三〇)という。
・第二本町区 本町三、四丁目
本座人形は戸隠大明神。三代目仲秀英の作という。
天保年間の建造と推定されている。
明治二十四年に神田の紺屋が個人で所有していた山車を中家堂・軍配せんべい製造販売、初代の中村藤吉をはじめとし、松本清七、鴨田半三郎他数名が世話人となって譲り受け、東京から曳いてきたといわれる。
工匠、彫刻ともに不明。
見送り幕は火焔太鼓と鶏の図は閑古鶏と推定される。
・筑波町区
本座人形は日本武尊、人形師は本庄市の米福。
昭和三十六年の建造。工匠は岡田屋の小林福三郎と篠笹直広。
彫刻は福島光治、新井松十郎。
見送り幕は龍。
創始は明治三十五年に鴻巣市より渦理受けた。本座人形は神武天皇だった。
江戸期に狂言屋臺が出ていたろの口伝がある。
・仲町区
昭和三〇年の建造。
鉾は昭和五十六年の後補で、従来のものを大きくした。
工匠は小林工務所、小林稲三郎。
彫刻は福島光冶。
塗師は楢原平助。
見送り幕は天女奏楽図。
明治三十九年に建造した花屋臺。昭和初期に妻沼町の上町に譲渡したというが現存しない。
江戸期には狂言屋臺がでていたとの伝承がある。
・銀座区
本座人形は熊谷次郎直実、長野屋綱季の作。
平成六年の建造。
工匠は松本房吉。
彫刻は日光兼光。
見送り幕は上鉾幕が熊谷直実公略記。下鉾幕は、桐に鳳凰。平家物語にちなむクマガイソウ(熊谷草)とアツモリソウ(敦盛草)
・弥生町区
大正十五年の創建。
工匠は島野茂吉。
彫刻は内山良雲。
見送り幕は松と鶴亀。
・荒川区
昭和二十二年の建造。大室木工所の建造。
見送り幕は横綱の土俵入り。
昭和十〇年頃に建造した山車があったが、伊勢町に譲渡した。
・鎌倉町区
昭和二十八年の建造。
三代目。
工匠はは岡田屋、小林福三郎。三臺目の建造だという。
彫刻は福島光治。
見送り幕は、松と火焔太鼓。
先の山車は大正五年建造の屋臺だったが、終戦前日の昭和二〇年八月十四日に戦災により焼失した。
創建は山車で明治二十九年の建造。明治四十二年に越生町黒岩町に譲られた。 
江戸期には狂言屋臺がでていたと言われる。
・伊勢町区
昭和五十四年の建造、工匠はは若松建設、若林松太郎。
彫刻は神田洋三。
昭和二〇年代に建造した山車があったが。桜町に譲られ、さらに現吹上町へ渡っている。・桜町区
平成六年の建造。
工匠は四分一作次郎。
彫刻は四分一昌宏。
見送り幕は桜の老樹。
昭和五十四年伊勢町より小型の屋臺を譲り受ける。
・石原区
四方唐破風屋根をもつ三輪の御所車。
昭和十一年の建造。
工匠はは渡谷豊吉(石原)。
彫刻はは小林義雄。
見送り幕は鶴亀。
先の山車は群馬県鬼石町三杉町に譲られた。
・本石区 石原下町、一丁目
昭和十二年の建造。工匠は大澤善太郎。
彫刻は内山良雲。
見送り幕は唐獅子牡丹と小獅子の峪落し図。獅子は我が子を生まれて三日目に峪におとし、無事這い上がってきたものだけ育てるという故事。
先の山車は大正初期頃の作といわれるが群馬県鬼石町本町に譲られた。 
・石原中町 石原二丁目
創建は不明。戦災で焼失。いまも石原の赤城神社に一部残る屋臺部材がこの屋臺のもの。その後再建されていない。
・文化町
昭和七年の建造だったが文化町と本石町の合併で処分された。
いまは存在しない。
□汎論
第二本町区、工匠島野茂三郎、彫刻小林栄次郎による、神武人形の山車。第二本町区
天保時代の建造と推定される、戸隠人形の山車(いずれも典型的な江戸型山車)は、昭和四十三年十一月三日に熊谷市、有形文化財に指定された。
埼玉県児玉郡児玉町の児玉 八幡神社の祭で曳かれる、新町の山車彫刻は熊谷の彫刻師の手になるという。
また、埼玉県岡部町板井の出雲乃伊波比神社で曳かれる山車(屋臺)は、大正期に熊谷の鎌倉町より譲り受けたといわれる。
 祭と団扇(うちわ)
 熊谷祭は猛暑に行われる祭とあって、涼を求める観客に団扇が配られたことから【うちわ祭】の名が出たといわれる。各地にはおなじように、祭や盆踊に団扇が提供されるのをく見かける。
 泉州岸和田のだんじり祭には山車の上でいなせな若衆が両手を広げ柿渋をひいた丈夫な団扇を翳しながら、疾走する屋根の上を軽々と右や左に飛び、一瞬で後ろ向きになったりの妙技を見せ、観客はそれをみてはらはら、どきどき肝を冷やす。
 この場合はやはり団扇がよく似合う。扇子ではそうはいかないだろう。だが、たとえば近くの川越祭、本庄祭、秩父夜祭では団扇は似合いそうにない。飛騨高山祭、京都の祗園祭でも団扇は似合わないように思う。博多の祗園山笠だと団扇が似合いそうである。阿波おどりだと団扇の印象である。
 団扇が似合うか、扇子が似合うか。それはどうやら祭の調子に関係ありそうである。

●11203 川口市
◆02513 川口
埼玉県川口市

◆05121 柳崎氷川神社祭
埼玉県川口市

●11204 さいたま市(旧浦和市)
◆00319 浦和
さいたま市(旧浦和市)宿

◆01166 無道寺
埼玉県さいたま市

◆05905 調神社祭
埼玉県さいたま市(旧浦和市)

◆06073 須賀神社祭
埼玉県さいたま市(旧浦和市)

◆06074 内谷氷川神社祭
埼玉県さいたま市(旧浦和市)

◆06075 南元宿氷川神社祭
さいたま市(旧浦和市)

●11205 大宮市
◆00364 大宮氷川神社祭
埼玉県大宮市

◆00479 砂の萬燈
埼玉県大宮市東大宮

●11206 行田市
◆00290 桜町久伊豆神社祭
□社名 久伊豆神社
□所在地 行田市桜町
□祭神
オオナムチノミコト 大己貴命
境内社
赤飯稲荷社
□祭は八月中旬。  
□山車
屋臺
・一桜
・二桜
・三桜
(順不同)
□汎論
 桜町久伊豆神社の創祀は、応永期(一三九四−一四二八)に、成田顕泰により、忍城の鬼門にあたる当地の守護神として祀られたと伝わる。また一説に、文明期(一四六九ー一四八七)だとも言い、埼玉県加須市(旧騎西地区)にある玉敷神社の末社である。末社は埼玉県内に三〇社ほどあると伝わり、同じ地域にある氷川神社とともに出雲系神社である。行田市には旧小見村の鎮守である小見久伊豆神社がある。

◆00290 行田八坂神社祭
□社名 八坂神社
□所在地 埼玉県行田市
□祭は七月下旬。
□山車(屋臺)
・八幡町
屋臺は単層、三輪。
基臺の全部は長く突き出し先端は擬形の獏の形になっている。
平臺の下部は平面を保つため、車輪部より櫓状に組まれた木組みの上に構築されている。平臺は藝坐とし素木角柱が四本立つ。縁周りは素木の直線勾欄をめぐらす。装飾は無い。前部に御囃子を演奏する小太鼓が三個ならぶ、右柱の外には柱に大太鼓が取り付けられ、高張の組堤燈が二個掲げられる。屋根は唐破風。おおきな鬼板と懸魚がつく。軒に堤燈がならんでさがる。
この基本形は他の組もほぼ同じである。
・元内連合会
・下町
鬼板と懸魚は極彩色にいろどられる。
小太鼓は二、大太鼓は柱の内側に収まる。
・新町
基臺と藝坐の間の櫓部分を紺色の下幕で覆う。
・旭町
藝坐には小太鼓が三個ならぶ。屋臺側面には新町とおなじように雪洞(ぼんぼり)がつけられる。
□汎論
 八坂神社の祭は、近年は「行田浮城祭」という市民歳として行われる。屋臺が曳かれるが、五組から出る屋臺はほぼ同じ形をしている。車輪は三輪で、後部二輪は大きく外車、前は一輪で基臺から前方に長く突き出した部分につけられる。三輪の形状は滋賀県の天孫神社の山車に似ている。軛(くびき)に似ている。もとは牛に曳かせた名残だろうか。

◆06694 忍諏訪神社祭
□社名 諏訪神社
□所在地 埼玉県行田市本丸
□祭神
タケミナカタノミコト 建御名方命
ヤサカトメノミコト 八坂刀売命
□祭は七月下旬  
□山車
屋臺
・元内
創始には底抜け屋臺だったと伝わり、屋臺に変わった。
・本丸
(順不同)
□汎論
 埼玉県内には数箇所に【底抜け屋臺】とよぶ屋臺が出ている。奇妙な名称だが、枠と幕だけで囲った底抜け屋臺は床がなく、このなかに祭囃子を演奏する囃子方がはいり、これを人が担いで移動する。中の囃子方は屋臺といっしょになって屋臺の中を歩いて移動し、所望があるとこれをおろして、演奏をした。初期のものは簡単なものだったが、粋の文化を誇る江戸の流れを汲み、演奏曲目は端唄から、清元、常盤津、ときに新内から諸国の民謡などきわめて多彩な演奏が行われた。吉原、深川、柳橋などの当時の妓楼は江戸時代の男社会の社交サロンであって、この世界の女性は高い教養を身につけていて、現代女性が目を剥くような世界ではなかった。祭には、女性が参加しないところ、また山車には乗らないのが普通だが、粋筋の女性は別格で、山車に乗り、お囃子を演奏し、山車を曳いた。この曳方のなかから【梃子舞(手古舞)】も生まれている。
 小江戸といわれる川越、千葉の佐原には江戸では失われた梃子舞(手古舞)はいまも継承されていて、女性はその髪形を結うのに三カ月分にのお給金に相当するような大金を投げ出したといわれる。
 富山県の城端(じょうはな)には、やはり底抜け屋臺があって、山車囃子、謡曲などが唄われるが、江戸時代の遊郭の妓楼を精密に縮尺した精巧な屋臺がある。城端の周辺でも福光、福野などでも、底抜け屋臺が曳かれていたが、いまはお蔵入りで行われなくなってきている。江戸時代文政期には、摂津伊丹(現兵庫県伊丹市)から二〇万樽前後の清酒が江戸の町につき、花街の酔客に愛された。粋な祭囃子の江戸の花街文化。【いろは四十六組(ひ組、へ組はなかった)の火消しのルーツともいわれる【加賀鳶(かがとび)】、町印の纏、里神楽には、伝統と歴史が息づいていて、底抜け屋臺には、いまにそれを伝えているといえよう。

◆06695 佐間天神社八坂祭
□社名 佐間天神社
□所在地 行田市佐間
□祭神
スガワラミチザネコウ 菅原道真公
稲荷社(旧安養院)
八坂社
塞神
三峰社
□祭は七月中旬。  
□山車
屋臺
・佐間地区
□汎論
 佐間天神社の創祀は、忍城藩主成田氏により、築城のとき城の南出口にある当地に祀られた。当時より佐間村安養院が別当を勤め、佐間村の鎮守となっていた。一般に八坂祭といわれ、盛大に行われるが、境内にある八坂神社の祗園祭である。

◆06696 谷郷春日神社祭
□社名 谷郷春日神社
□所在地 行田市谷郷
□祭神
タケミカヅチノミコト 武甕槌命
イツキヌシノミコト 齋主命
アメノコヤネノミコト 天児屋根命
ヒメカミ 比売神
相殿
スガワラミチザネコウ 菅原道真公
境内社
八幡社
天神社
白山社
神明社
愛宕社
御鹿社
□祭は八月中旬。  
□山車
屋臺
・谷郷地区
□汎論
 谷郷春日神社の創祀は忍藩築城時に鎮守として創建されたと伝わる。春日系の神社で、祭神三神が揃うが、なぜかフツヌシノミコト(経津主命)が見られない。谷郷は越後(新潟県)の上杉氏の支配下にあったが、成田氏の居城となった。行田の忍城は、高松城 (備中國、太田城 (紀伊国とともに【日本最三大水攻めの地】として著名である。

●11207 秩父市
◆00047 秩父夜祭
□社名 秩父神社
□所在地 埼玉県秩父市番場町
□祭神
ヤゴコロオモイカネノミコト 八意思兼命
チチブヒコノミコト 知知夫彦命
アメノミナカヌシノカミ 天之御中主命
チチブノミヤヤスヒトシンノウ 秩父宮雍仁親王
□汎論
 秩父夜祭は日本三大美祭、また日本三大曳山祭ともいわれ、飛騨高山祭、京都祇園祭とならんで立派な山車(屋臺、笠鉾)が曳かれる。平成のはじめ、下郷の傘鉾の改修が完了し、すべての装備を調え、八〇年余を経て曳かれた。市内には笠鉾の曳行を妨げた電線が地下に埋められ、明治期以前の姿を見せたのは感動であった。
 秩父市とその周辺には傘鉾から発展した傘鉾(山車)と、地歌舞伎、辻踊などの山車藝能を行う屋臺の二態様の山車がある。

◇秩父まつり会館
 二階には祭関係の展示がある。また二階よりも屋臺と笠鉾が見られるようになっている昭和の屋臺と笠鉾の出来るまでの行程を解説してあるのは良い試みである。二階で目を惹くのは、屋臺を舞台にしたときの中央、左右の展開がよくわかるようになっていることである。古い神輿が素朴で気品がある。神輿の担ぎての握り棒のさきが多面に面取りした形がいい。
刺繍では、猿が船頭をつとめる玩具を積んだ船で、鯛をはじめこのおおらかで大胆な幕には圧倒される。
「江戸の孫王」作の縫い取りがある
秩父には現在四臺の屋臺と、二臺の笠鉾があり、これに昭和になって建造された各一体の屋臺と笠鉾がある。新しく建造された笠鉾と屋臺は共に展示されるのみで、曳行されることはないとのことである。
構造
笠鉾、屋臺いずれも祭りの前に組み立てられる、組立式で 屋臺を所有する町内んひと達の手で一日かけて組み立てられる。
祭りの都度組み立てられるが、たいへん複雑な構造びなっており、組立式の屋臺では随一といわれる凝った作りになっている。
笠鉾
上には直径三尺(九〇センチ)の朱色に塗られた日輪と下から上に線状に放射する後輪がある。複雑な構造をもつ神座があり、美しく彩色されている。
その下には円形の笠が三個取り付けられる。これらが上部のものが小さく下にいくほど大きくなっている。笠の骨からは円弧を描いて造花が枝垂れ、一階、二階、三階の造花がそれぞれうち重なり、たいへん優雅である。四輪の台車は板車で、鉄綸で焼きばめられている。材質はケヤキである
幕がめぐらされる。そのうえには勾欄によって囲まれる。勾欄は黒漆がけである。先は緩く上に反らせる、いわゆる跳勾欄(刎勾欄)である。
前面は階段で、黒漆かけになっている(なっていないものもある)。
床が張られるが素木(白木)のままである。中央に大きな柱が立てられる。この柱を「標柱(しめばしら)」といい、最下部には、緑の松が標柱に結ばれている。この松は、古い笠鉾の祖型を伝える。
屋臺
高山と同じように、屋臺の名称で呼ばれる。四つの臺車、上に幕がめぐらされる。
波の彫刻で亀が泳ぐ。後は船のように弧を描くいて上に反りあがり、斜形にそろえられる四隅の「支輪」は波形の透かし彫りになっている。下臺は舞臺と囃子方が襖で仕切られている
舞臺では歌舞伎が上演され、演し物は式三番叟
囃子は、笛、太鼓。
柱は四角の角柱でこの柱は素木のままで、彩色されない。毎年鉋をかけて木地を新しくする。右の柱(向かって左)には「五穀豊穣」左の柱(向かって右)には「天下泰平」
の木札が懸けられる。
かつてはこの札はいろいろあって懸け変えられたもののようで、歌舞伎の藝題
などを懸ける。
揚げ幕は三方が同時にあがる構造で、舞臺は回転する。囃子方の音曲を演奏する場所は御簾がかけられる。
屋臺の装飾
「應夫人弾琴図」。正面の屋根に上げられる最大の彫刻で、夫人が琴を弾くと、海中より龍が現れたという。

◆00448 秩父まつり会館
□社名
□所在地
埼玉県秩父市
□汎論
 二階には祭関係の展示がある。また二階よりも屋臺と笠鉾が見られるようになっている昭和の屋臺と笠鉾の出来るまでの行程を解説してあるのは良い試みである。二階で目を惹くのは、屋臺を舞台にしたときの中央、左右の展開がよくわかるようになっていることである。古い神輿が素朴で気品がある。神輿の担ぎての握り棒のさきが多面に面取りした形がいい。
刺繍では、猿が船頭をつとめる玩具を積んだ船で、鯛をはじめこのおおらかで大胆な幕には圧倒される。
「江戸の孫王」作の縫い取りがある
秩父には現在四臺の屋臺と、二臺の笠鉾があり、これに昭和になって建造された各一体の屋臺と笠鉾がある。新しく建造された笠鉾と屋臺は共に展示されるのみで、曳行されることはないとのことである。
構造
笠鉾、屋臺いずれも祭りの前に組み立てられる、組立式で 屋臺を所有する町内んひと達の手で一日かけて組み立てられる。
祭りの都度組み立てられるが、たいへん複雑な構造びなっており、組立式の屋臺では随一といわれる凝った作りになっている。
笠鉾
上には直径三尺(九〇センチ)の朱色に塗られた日輪と下から上に線状に放射する後輪がある。複雑な構造をもつ神座があり、美しく彩色されている。
その下には円形の笠が三個取り付けられる。これらが上部のものが小さく下にいくほど大きくなっている。笠の骨からは円弧を描いて造花が枝垂れ、一階、二階、三階の造花がそれぞれうち重なり、たいへん優雅である。四輪の台車は板車で、鉄綸で焼きばめられている。材質はケヤキである
幕がめぐらされる。そのうえには勾欄によって囲まれる。勾欄は黒漆がけである。先は緩く上に反らせる、いわゆる跳勾欄(刎勾欄)である。
前面は階段で、黒漆かけになっている(なっていないものもある)。
床が張られるが素木(白木)のままである。中央に大きな柱が立てられる。この柱を「標柱(しめばしら)」といい、最下部には、緑の松が標柱に結ばれている。この松は、古い笠鉾の祖型を伝える。
屋臺
高山と同じように、屋臺の名称で呼ばれる。四つの臺車、上に幕がめぐらされる。
波の彫刻で亀が泳ぐ。後は船のように弧を描くいて上に反りあがり、斜形にそろえられる四隅の「支輪」は波形の透かし彫りになっている。下臺は舞臺と囃子方が襖で仕切られている
舞臺では歌舞伎が上演され、演し物は式三番叟
囃子は、笛、太鼓。
柱は四角の角柱でこの柱は素木のままで、彩色されない。毎年鉋をかけて木地を新しくする。右の柱(向かって左)には「五穀豊穣」左の柱(向かって右)には「天下泰平」の木札が懸けられる。
かつてはこの札はいろいろあって懸け変えられたもののようで、歌舞伎の藝題
などを懸ける。
揚げ幕は三方が同時にあがる構造で、舞臺は回転する。囃子方の音曲を演奏する場所は御簾がかけられる。
屋臺の装飾
「応夫人弾琴図」。正面の屋根に上げられる最大の彫刻で、夫人が琴を弾くと、海中より龍が現れたという。

◆01197 秩父山田の恒持祭
埼玉県秩父市

◆21501 秩父神社の神楽
埼玉県秩父市

◆01502 秩父屋臺囃子
埼玉県秩父市

◆01503 秩父屋臺芝居
埼玉県秩父市

◆01512 八幡町夏祭
埼玉県秩父市下影森

◆03725 栃谷八坂神社例大祭
埼玉県秩父市栃谷

●11208 所沢市
◆02514 所澤神明社祭
埼玉県所沢市
所澤神明社
□祭神
アマテラスオオミカミ 天照大御神
ウカノミタマノオオカミ 倉稲魂大神
オオモノヌシノオオカミ 大物主大神
□祭は一〇月上旬。
山車十数臺を曳く。
□山車
・御幸町    
明治六年の建造
三代目 原舟月
盛留の人形は、三国志の漢羽と周蒼
盛留と人形は所沢市指定文化財。
・元町、本町
加藤清正
 総欅造りの釘を使わない組み立て式で特別な細工がある山車は所沢一の大きさです。
右柱に下り龍
左柱に上り龍
欄間に5頭の龍など多数の彫物があります。
・元町東
人形は日本武尊
建造は昭和三年
山伊助
みごとな昇り龍・降り龍の彫刻がある。
所沢市の指定文化財
・寿町
人形は神武天皇
昭和二三年の建造
工匠は吉沢宗吉、田中武
旧山車は弘化四年(一八四七)の建造。
・宮本町
建造は昭和初期。
工匠は青山与助。
青山与助は、元町東の山車を建造した青山伊介の弟にあたる。
明治以前からあった山車部材を活かして建造したとつたえられる。
・日吉町
・東町
昭和三〇年の改修。
工匠は二上良作、井上薫、牧野正一、荒井喜一郎。
江戸時代後期の建造と推定される旧山車の台座を生かし昭和30年に大改修が行われた。。天井の龍は北有楽町の浅見某の画
・金山町
昭和五五年の建造。
工匠は、本橋吉蔵。
彫刻は旧臺のものを使用。
旧山車の彫物を使用。
・旭町
昭和三年の建造
鈴木鉄蔵ほか五名。
旭町は日吉町から分離して創設された町内
・星の宮
昭和五七年の建造。
工匠は金山町の山車を手がけた本橋吉蔵。
・西所沢
平成一二年の建造。
高橋邑吉、北沢一京
旧山車は、昭和二三年の建造だったが、平成になって再建された。
・有楽町
明治初期の建造
後藤徳蔵
この町内の山車は立川市(旧砂川村)で曳かれていたもの
深井伝右衛門が譲り受けて町内に寄付した。
所沢市の指定文化財。
・新井町
明治一六年の建造と推定されている。
工匠は鈴木三蔵、甲田了作。
彫刻は甲田了作
(順不同)
□汎論
社記によると所澤神明社は所沢の総鎮守で、創祀は、ヤマトタケルノミコト(日本武尊)の東征時、小手指原で休憩されたが、そのとき天照大御神に戦勝を祈願し、土地の民が天照大御神を祀ったとある。
しかし、このころにはすでに大神神社のオオモノヌシノオオカミ(大物主大神)、伏見稲荷のウカノミタマノオオカミ(倉稲魂大神)など出雲系の神が祀られていたものと推定する。
祭には山車が曳かれており、記録によれば、
壱番 上町(元町本町)
弐番 上仲町(元町東)
参番 下仲町(寿町)
四番 浦町(有楽町)
五番 下町(御幸町)
六番 河原宿(宮本町)
七番 金山町
八番 日吉町
となっており、八臺の山車が曳かれていたことがわかる。それ以前の記録は見かけないが、一本柱の山車があり、前後に長い唐破風屋根の上に突き出した柱に「盛留(もりとめ)」とよぶ依代が宿る本坐・人形座があったものが知られる。現在は載せられない。山車を曳行する曳子は「手古舞」の習俗が見られることともあいまって、山車が曳かれる様になった時期は江戸時代中期以前にまでさかのぼると推定する。

◆06446 飯能まつり
埼玉県飯能市
飯能まつり連合会が主催する市民祭
□祭は十一月上旬
山車、屋臺、底抜け屋臺、笠鉾がある。
□山車(屋臺、底抜け屋臺)
山車
・河原町
本座人形は人形はスサノオノミコト(素盞鳴命)。
明治十年ころ東京浅草区茅町の浪花屋・庄田七郎平衛の建造。
大幕に八岐大蛇退治を刺繍する。
もとは、明治初期まで静岡市浅間神社の祭礼である二十日会祭(はつかえさい)で曳かれていた山車。
明治二十七年に、飯能の有志らが伊勢参のさいに縁があって取得し、静岡から人馬で東海道を経由して半月あまりかけて曳いてきたといわれる。熊谷の山車も東京から曳いてきたというが大変な労力だっただろうと思われる。近年、静岡市から静岡浅間木遣保存会の方たちが出張し、木遣りを唄いながら旧臺を曳行し、両市の友好を深めた。本座人形を人形座ごとせりあげる一本柱構造となっている。
・原町
本座人形は三代目法橋原舟月作の神武天皇。当初は御幣を立てていた。
町内の松本重助、寅八の両名により明治十五年に建造。
建造時は三重勾欄をめぐらしていたが、いまは改修され二重勾欄となっている。
・前田
本座は諌鼓鳥。
建造は昭和二十二年。川越市笠幡の旧家より譲受た彫刻がとりつけられる。
屋臺
・宮本町
大正十四年の建造。工匠は高麗村横手(現、日高市)の岡野桂之助。
彫刻は佐藤光重。
・双柳 (なみやなぎ)
旧臺を一丁目に譲り、平成三年に再建。
・柳原
昭和二十二年の建造。工匠は地元の荒木文吉、島田仁三。
唐獅子の見送りがかかる。
・中山
昭和五十三年、中山大工組合の建造。
・一丁目
大正九年創始。双柳の屋臺を譲り受ける。
昭和九年に改修。
・二丁目
大正九年にもと砂川村(現立川市)五番組が明治四年に建造した屋臺を譲り受けた。
・三丁目
本座に加藤清正の乗る人形山車があったが大正初期に改修して屋臺となった。

●11209 飯能市
◆00324 八坂神社祭
埼玉県飯能市
正丸八坂神社祭
下直竹八坂神社
□汎論
飯能夏祭は「八坂さま」とよばれる飯能各所の八坂神社の祭。七月に行われる
夏祭で山車(屋臺)が曳かれる。十一月には、地域の連合でおこなわれる飯能まつりがある。

◆05127 畑神社祭
埼玉県飯能市

◆05128 富士浅間神社祭
埼玉県飯能市

◆06442 正丸八坂神社祭
埼玉県飯能市

◆06443 中藤中郷
埼玉県飯能市

◆06444 白髭神社祭
埼玉県飯能市

◆06445 間野
埼玉県飯能市

◆06446 飯能まつり
埼玉県飯能市
飯能まつり連合会が主催する市民祭
□祭は十一月上旬
山車、屋臺、底抜け屋臺、笠鉾がある。
□山車(屋臺、底抜け屋臺)
山車
・河原町
本座人形は人形はスサノオノミコト(素盞鳴命)。
明治十年ころ東京浅草区茅町の浪花屋・庄田七郎平衛の建造。
大幕に八岐大蛇退治を刺繍する。
もとは、明治初期まで静岡市浅間神社の祭礼である二十日会祭(はつかえさい)で曳かれていた山車。
明治二十七年に、飯能の有志らが伊勢参のさいに縁があって取得し、静岡から人馬で東海道を経由して半月あまりかけて曳いてきたといわれる。熊谷の山車も東京から曳いてきたというが大変な労力だっただろうと思われる。近年、静岡市から静岡浅間木遣保存会の方たちが出張し、木遣りを唄いながら旧臺を曳行し、両市の友好を深めた。本座人形を人形座ごとせりあげる一本柱構造となっている。
・原町
本座人形は三代目法橋原舟月作の神武天皇。当初は御幣を立てていた。
町内の松本重助、寅八の両名により明治十五年に建造。
建造時は三重勾欄をめぐらしていたが、いまは改修され二重勾欄となっている。
・前田
本座は諌鼓鳥。
建造は昭和二十二年。川越市笠幡の旧家よりゆず売りうけた彫刻がとりつけられる。
屋臺
・宮本町
大正十四年の建造。工匠は高麗村横手(現、日高市)の岡野桂之助。
彫刻は佐藤光重。
・双柳 (なみやなぎ)
旧臺を一丁目に譲り、平成三年に再建。
・柳原
昭和二十二年の建造。工匠は地元の荒木文吉、島田仁三。
唐獅子の見送りがかかる。
・中山
昭和五十三年、中山大工組合の建造。
・一丁目
大正九年創始。双柳の屋臺を譲り受ける。
昭和九年に改修。
・二丁目
大正九年にもと砂川村(現立川市)五番組が明治四年に建造した屋臺を譲り受けた。
・三丁目
本座に加藤清正の乗る人形山車があったが大正初期に改修して屋臺となった。
底抜け屋臺

●11210 加須市
◆00588 中央八坂神社祭
□社名 八坂神社
□所在地 
□祭神
□祭は七月中旬−下旬。  
□山車
山車、屋臺。
山車
・本町
文久二年(一八六二)、江戸の新大阪町、田所町、通油町共有の山車として建造されたもの。明治十六年に譲り受けた。本町の当番年に曳かれる。
屋臺
・本町
・仲町
初代は、栃木県佐野市某組より譲り受けたと伝わるが、東栄町に譲られた。現在の屋臺は昭和五年の建造。
・上町 現中央一丁目
明治中期の建造。
・東大門町
初代は江戸後期の建造と伝わるが現存しない。
・西大門町
・北大門町
初代は、昭和六〇年の建造。平成2年に二代目が建造された。
・諏訪町
平成元年の建造。
・東栄一丁目
・東栄二丁目
幕末の安政二年(一八五五)の建造と伝わる。詳細は不明。加須市の屋臺ではいちばん古い。
(順不同)
□汎論

●11211 本庄市
◆00107 本庄祭
□社名 金鑚神社(かなさなじんじゃ)
□所在地 埼玉県本庄市宮本町
□祭は十一月上旬。
山車十一臺を曳く。
□山車
・宮本町
明治一五年の建造。
本座人形は日本武尊。江戸(東京)日本橋の人形師、原舟月の作。
山車は臺輪部と本体部に分かれる 本体部は臺輪の上で回転できる構造になっている 車軸は車臺に固定され大八とよばれる車輪は四輪とも同じ大きさである 街の角を曲がるときは、車輪を梃子棒でこじりながら少しづつ向きを変えるが 逆方向に方向を変えるときは、本体部だけ回転させてひきかえせるようになっている このような装置を備える山車は、台町にもあったが今は使用されていないので いまは宮本町だけの特徴である。
大幕を彩る豪華な刺繍は玉亀の作。
上臺の幕には飛雲と龍の図。
下臺の幕は萌葱色の羅紗地に楽器。
額は「宮本町」と書かれており「山岡鉄舟」の書
鉾柱をつけると八メートルにも及ぶ大きさだったというが、最近は鉾柱は取り付けられない。
祭礼の日には以前山車に乗せて曳かれた大きな獅子頭が宮本町会館に飾られる。
祭囃子には、逢魔、屋臺、神田、神楽がある。
・泉町
明治二八年頃の建造。
本座人形は武内宿禰、江戸(東京)浅草の横山友治郎、号を朝之というの作。
明治二十八年頃から建造にかかったといわれる 日清戦争の戦勝を記念して作られた この山車には唐破風の屋根がない。いままでほとんど改造の手が入っていない 上臺の人形座の前面勾欄が開かれている この山車が出来る前には旧臺があったといい、三輪車だったとか、牛に曳かせたなどの伝承がある。
明治三十二年、新臺の完成を挨ってこの山車は上町に譲られた。 人形の箱書に「明治二十八年十二月吉祥日」 上幕(三重幕)の箱書きに「上幕明治二十九年十一月泉町」 建造にはおよそ四年をかけ、曳行されたのは明治三十二年と思われる 上幕は赤地に鶴と雲 赤色の下地は取り替えられた 中幕(二重幕)はすべて交換された 上臺にたてられる「錦の御旗」は日輪と月輪 曳行の時ははずされる。
泉町と上町の山車の作者は同一人の建造。
祭囃子は、さんてこ囃子、かわりめ。
・上町
明治三五年の建造。
本座神功皇后、江戸(東京)浅草区榊町一番地横山友治郎の作。
出来たときは泉町の山車と同じように唐破風の屋根がなかった 現在見られる唐破風の屋根は、後年の補作である このとき勾欄にも手が加わっている 山車は明治三十五年九月九日、重陽の節句に発注された 請負約定書に「十月二十八日必着」とあるのは、 作者が出張により作るいわゆる「出造」ではなく 東京で作って 中山道を本庄まで曳いてきたことをあらわしている 人形は神功皇后 泉町の竹内宿禰と一対をなしている 中臺の大幕は「猩々緋に岩と波」 製作された当時のままである 下臺の彫刻があり神功皇后ゆかりである 額の書は 「明治臨池の三代家」といわれた島村出身の「金井之恭」 かないしきょう 貴族院議員になっている 腰板の一面には上町の文字を図案化したものを彫ってある 金具は「銀杏唐草模様」の手のこんだもの 祭礼の床の間にかける「金鑚神社」の軸は、松平越中守定信 の書で金鑚神社の鳥居に懸けられている 扁額の拓本である 明治五年の祭礼には家臺人形菊童子とある 新臺の発注と縁起を併せてある
祭囃子は、大間(おうま)、屋臺囃子(やたいばやし)、通り囃子(とおりばやし)
・照若町
明治三十三年(一九〇〇)の建造。
本座人形は桃太郎、浪速屋七郎兵衛の作。
江戸(東京)浅草の庄田七郎右衛門の作 七郎右衛門は屋号を浪花屋といったので浪花屋七郎右衛門といわれる 本町の石橋人形を作った浪花屋とは同一人である 明治三十三年山車を建造したときの「寄付金人名簿」にはこの山車のことを 「鉾花車」とある 山車彫刻、刺繍は桃太郎に因む 破風下の懸魚に犬と猿が向き合っている 雉はは鬼板にとまっている 鬼ヶ島は中段大幕に描かれる 波と岩が刺繍される 囃子臺の正面上手の左柱(向かって右)に赤鬼が 下手の右柱には青鬼がいる 鬼ヶ島から持ち帰る金、銀、珊瑚、綾、錦、打ち出の小槌、大福帳などの宝物が 囃子臺の欄間にみられる この山車には泉町と同じように破風屋根がなかったが昭和十二年頃補ったといわれる
現在の人形は二代目 上町の米福の作。米福は近隣の山車人形をいくつか手がけている。
囃子は、大馬(おうま)、テンガスク、屋臺囃子。かっては「通り囃子」も あったとわれるが、今は行われない。 宮本町、上町、本町、南本町にはそれぞれ同名の囃子があるが、演奏がいずれも若干異なる。
・七軒町
大正十三年の建造。
本座人形は加藤清正。町内の人たちが作る。
この山車は一度に出来たのではなく、大正十二年頃より、臺輪、枢臺、屋根、 せり上げの採用、上臺 などが、年を逐って加えられてきた 上臺人形も一定ではなく、 「八たの鏡」「太平樂」「大黒」「加藤清正」などがあったといい 年毎に変えていたともいう。 昭和八年皇太子誕生を記念して新たに人形を作ったが今の加藤清正。この加藤清正は虎退治ではなく、「地震加藤」だという 慶長元年(一五九六)正月、伏見において加藤清正が蟄居していたとき 七月十三日大地震があり伏見城が壊れた が、このとき一番に駆けつけたのが加藤清正で、これを賞して蟄居を解かれた という このときの出で立ちすがたである。
この人形は本庄町上町の「松壽軒米富久」の作 本名は松崎福松、東京浅草の人形師に弟子入りし、人形製作を学び 本庄に帰郷して「米福」の屋号で開業した 本庄近在はもとより、群馬県方面にも屋臺や、山車人形を作っている。
昭和三十五年、前臺に唐破風の屋根がつけられた。主任工匠・棟梁は町内の脇坂新太郎 彫刻は神崎助三郎。
幕も何度か作られたが、現在の物は昭和五十六年群馬県の桐生で調製。
額の書は塚越泉南。やはり地元本庄の人である 本名は塚越伊三郎 弘化五年、塚越門之助の長男として生まれた 漢籍や書画の鑑定に長じ、書も巧みである。 大正十三年七十七歳の時に揮毫されている。
・仲町
明治五年の建造。
本庄市最古の山車。
明治二五年に山車改修と人形新調。
東京日本橋本石町の原舟月、本名、原金五郎である 本庄に残る山車の中では一番古い 古文書「龍女人形出シ印仕用帳 法橋原舟月 本庄宿仲町御世話人衆中様」 人形は龍女の木彫 目に玉が入っている 「唐団扇」と「金の龍玉」を持つ 上臺に懸かる水引幕には白の羅紗地に四神が刺繍されている 東青龍 西白虎 南朱雀 北玄武 山車は中国の故事に「天子は南面す」とあることから 定位置では南に向かって留め置かれる 正面には朱雀が来るように張られる 中段の水引幕は萌葱色の羅紗地に龍が刺繍されている 下段の水引幕は龍と立浪の模様がある 前大幕は紫地に白羅紗の「巴紋」が縫いつけられている 三味線胴 雲に玉丸入りの白鶴の彫刻 中段勾欄には白鶴の透かし彫りがある この山車を作ったとき舟月は四十二歳である
山車創建時の人形は龍女だったという。
この十年後、五十二歳のとき宮本町の山車を作ることになる 刺繍はいつもの提携者「玉亀」があたっている 明治二十四年やはり舟月に伊頼して大改修を施している 神武天皇の人形はこのとき新調された 昭和十年大改造を行い、「唐破風屋根」がつけられた 大工は仲町の粟野清吉、塗師は五井富蔵 彫刻は玉井村(現在は熊谷市)の小林栄吉 下段の幕も神武天皇にゆかりの「三種の神器」である 剣、鏡、勾玉が高崎市の新井道平により刺繍されている 山車を収蔵する収蔵庫、「山車小屋」といわれる収蔵倉もこのとき作られた 「仲町」之額は書家の松本薫仙 松本薫齋の子で名は宗祐、字を成義といい、文久三年頃は東京の泉町に住んでいた 書の中井敬義(薫堂)之流れをくむ 祭りのとき「会所」の床の間にかけられる「金鑚神社」の軸は小暮雪堂の書 屏風の画は小倉青於 いずれも地元の文人。
囃子は、大麻、屋臺囃子、通り囃子、ひょっとこ囃子、籠丸。
・本町
本座人形は石橋、庄田七郎兵衛の作。
建造期は不明。
町内に「竹田近江大掾縫殿之助清兼 明治二十八年拾弐月大祥以壱周年」と書かれ た木簡がある からくりにゆかりの「竹田近江」であろうが 「翁」の人形の制作者ではないか? と考察されている 山車の製作者とは思われないが、詳しいことはわかっていない 当初は三番叟だったと思われる 町内の言い伝えでは現在の山車は二代目で、初期の物は原舟月の作だったといわれる 昭和三年十一月に、人形を「翁」から「石橋」に変えた 石橋の製作は東京市浅草区茅町二丁目二十一番地 浪花屋、庄田七郎兵衛 中臺の幕牡丹の花の図」もこのとき取りかえられた 人形は能の五番もの「石橋」 清涼山 前半 後半 寂昭法師(大江定基)と、獅子は面で表現されている 中段の幕に描かれる牡丹は、能舞台に見立てている 昭和九年、唐破風屋根、鬼板、腰板を台町に譲り、あらたに 唐破風屋根が作られたが、囃子臺の「半柱」に上り龍」「下り龍」 の彫刻がつけられた 彫刻は玉井村(現在熊谷市)の小林という彫刻師による (小林については詳しいことがわからない) 本町と書かれた額は福羽美静(ふくばびせい)の書 明治二〇年子爵に叙せられ、のち貴族院議員になった。 「金鑚神社の軸は中沢雪城の書 雪城は巻菱湖の四天王の一人といわれる ちなみに、上町の額を書いている金井之恭は雪城の門人である 囃子がどこから伝えられたかよくわからないが 対象の初め頃までは仁手村から指導にきたという 岡部町の屋臺囃子の中に本町と同じものがあり この囃子を、境町では「武州囃子」とよんでいる
祭囃子は、大間(おうま)、屋臺囃子、通り囃子、籠丸(かごまる)、新道、貴船、ひょっとこ囃子。
・南本町
昭和四十八年の建造
人形は天宇受売命(天鈿女命)で、表記は「古事記」に則っている 製作は町内のひとたちの手による。
本庄の山車の中では一番新しい 高崎線が電化されたことから、それまでは曳行されていた本町の山車が 架線のため駅南には曳くことが出来なくなった 山車の本体は鉄骨製 「駅南会」の額を上げ本町の山車の「供車」として参加した 人形もまた町内の人の手になる 昭和五十五年四月、駅南会は新たに南本町自治会として発足した その年の秋祭りには、それまで掲げられていた額をおろし、「南本町の額を 掲げ、南本町の山車として正式に参加した。 本庄の山車はこの南本町の山車を加えて、九町九臺となった。 昭和五十六年南本町会館と山車蔵(山車小屋)ができた 会館にかけられる「金鑚神社」の軸は本庄の金鑚神社宮司、中山訓好の書。
囃子は「大間」「屋臺囃子」「通り囃子」「籠丸」「ひょっとこ囃子」「数え歌」 「四丁目」で本町の囃子を伝承している。 この四丁目は寄居町の同名の曲と同じ囃子となっている。
・台町
本座人形は素盞鳴命(スサノオノミコト)。
町内に「明治十八年十二月東京浅草浪花屋七郎兵衛」の木札がある 浪花屋七郎兵衛は、照若町、本町の山車も製作している この山車は宮本町の山車と同じように、枢臺が回転する ように作られていた しかし、後の改修以来出来ない構造になった。 旧構造を懐かしみ惜しむ声がある 昭和十年頃唐破風と腰板を本町より譲り受け改造が行われた 大工は町内の清水林平、 塗師は野村源光 中臺の幕もこのとき福島梅吉により新調された 町内に残る逸話 「昔京都で中古の山車を買ってきた」 「東寶齋壽山作」と書かれた木札が山車に掲げられている 「東寶齋」という人物は不明である 人形は、素戔嗚尊のヤマタのおろち退治 上臺大幕には、ヤマタのおろちが刺繍されている 中臺の大幕には、おろちに飲ませる酒樽が八個描かれている 「臺町」の額の書は尾高藍高 下手計村(現在深谷市) 通称新五郎、字を子行 後年、惇忠といった、諡号もまた惇忠という 水戸額を学び、後に彰義隊にはいった 明治に入り民部省に招聘されて、富岡製糸の工場長になった 「金鑚神社」の額は、中沢雪城 越後の人で、名は俊卿、字は小國、通称を行倉と言った 巻菱湖の門人囃子は「大間」「神田丸」「屋臺囃子」「「ひょっとこ囃子」「貴船」 「屋臺囃子は、通称「さんてこ」といわれ、地が「さんてこ」「変わり目」が 「屋臺囃子」
・諏訪町
平成五年の建造。
本座人形は太田道灌。日光兼光、纏屋義郎の作。
・南本町
平成三年の建造。
本座人形は連獅子、町内の人たちが作る。
昭和四八年の創建。
□問い合わせ
本庄市商工課
電話0495-25-1174
□山車文献資料
・本庄祭りの山車 本庄市教育委員会
・中山道の旅(一)」(日本歴史一九七二年一月号)岡田章雄翻訳文
フランス人レイモンド・ド・ダルマスが明治十五年(一八八二)十一月三日 中山道を通った時の記述

●11212 東松山市
◆00050 箭弓神社例祭
埼玉県東松山市
□祭は七月下旬。
□汎論
夏祭である。
 当地の祭囃子を調査した「比企地方の祭囃子を調査報告」、「東松山市の文化財その四・東松山市の文化財」によると、古くは三臺の山車が曳かれてきたようである。
祭囃子は四団体に継承されている。祭囃子の系統は、いずれも江戸囃子系統で、箭弓町は坂戸市の四丁目から、そのほかは川島町小見野から古凍に伝わったものがさらに古凍から正代・松葉町へ継承されたという。いずれも付属藝能があるが、正代の踊りは坂戸市の塚越から習っているという。
以前は旧来の古凍や坂戸市、吉見町に依頼していたが、いまはいずれも昭和四十年ころに町内で習って演奏するようになった。しかし、交流は続いており、今でも祭には坂戸市・吉見町などから応援がある。いずれも夏祭だが、古凍は春祭りでも演奏する。
箭弓町の祭囃子(神田流祭囃子)
演奏曲目は、寧波(二ンバ)、四丁目(シチョウメ)、子守唄(コモリウタ)の三曲である。

◆00641 八雲神社祭
埼玉県東松山市

◆06009 八雲神社祭
埼玉県東松山市

●11213 岩槻市
◆03628 人形のまち岩槻まつり
埼玉県岩槻市

●11214 春日部市
◆00467 粕壁八坂神社祭
□社名 八坂神社
□所在地 埼玉県春日部市粕壁東四丁目
□祭神
□祭は七月中旬。  
□山車
屋臺、底抜け屋臺、太鼓山車
屋臺
・打出町
・仲町
・新町
・新仲町
・八丁目下組
・宮本町
・中央二丁目
底抜屋臺
・仲町
太鼓山車
・本町
・陣屋町
(順不同)
□汎論
 春日部市は、東北へ、また日光参道への【粕壁宿】として発展してきた。現在も新しい家並みの間に懐かしい家々が残り、江戸日本橋から八里の一里塚がある。
 京都東山の祗園町には、【六波羅蜜寺】があり、ここに【空也上人像】がある。「食うやくわずの空也上人」といわれ、愛していた鹿の角をつけた杖をついて各地を行脚し、立ち上る称名念仏の称号は六体の佛になってたちのぼったといわれる。
 そのあとは【六齋念佛】、【願人踊り】、となって残っていて、富山県の小矢部市には願人踊り、大沢野町(現富山市)には願念坊祭が行われ、山車が曳かれる。六齋念佛に起源を持つ【六齋藝能】が知られる。各地に【六齋市】が行なわれてきたが、当粕壁八坂神社にも長い間六齋市がおこなわれてきた。祭は祗園祭である。八坂神社は江戸時代に牛頭天王社と呼ばれ、日光街道・粕壁宿の市神として崇められてきた。元禄時代に始まったと伝えられる粕壁八坂神社祭は、江戸時代には山車を曳く祭だったが、明治以降は東京と同じように御神輿を担ぐ祭りへと変貌した。

◆05917 大杉神社祭
埼玉県春日部市

●11215 狭山市
◆02515 廣瀬神社祭
□社名 廣瀬神社
□所在地 埼玉県狭山市上広瀬
□祭神
ワカウカノメノミコト 若宇加能売命
カミホムスビノカミ 神火産霊命
コノハナサクヤヒメノミコト 木花咲耶姫命
ヤチマタヒコノミコト 八衢比古命
ヤチマタヒメノカミ 八衢比売命
クナドノミコト 久那斗命
□祭は一〇月中旬。  
□山車
山車、底抜け屋臺。
・広瀬地区
□汎論
 廣瀬神社は、延喜式神名帳武蔵國入間郡に記載される、武蔵國四十四座のうち入間郡五座中の一座。社記によると、創祀は景行天皇期、垂仁天皇十七年(紀元前十三)ー 景行天皇六〇年(一三〇)、日本武尊の東征時に祀られたとある。
 祭神ワカウカノメノミコト(若宇加能売命)は、当社の本社である
大和(奈良県)の廣瀬大社とおなじ。また、伊勢外宮のトヨウケヒメノミコト、伏見稲荷のウカノミタマは同一神だとする。カムホムスビノカミは、カグツチの別名であり、廣瀬大社のホノイカヅチノカミ(穂雷命)とは同じ神だとされる。
 そのほか、ヤチマタヒコノミコト、ヤチマタヒメ、クナトノミコト
は愛宕神で、ヤチマタヒコノミコトは、サルダヒコノミコト(猿田彦命)、ヤチマタヒメノミコトは、アメノウズメノミコト(天宇受売命)と同一神とされる。コノハナサクヤヒメノミコトは浅間神、広義の三嶋神で富士山、浅間山など噴火山の祭神である。火の神の印象があるが、鎮火の神と考えられている。
 愛宕神、浅間神ともに明治期の合祀令でまとめられた。仮説であるが富士山、浅間山の噴火を鎮める神として祀られたのではないだろうか。

◆05728 柏原白鬚神社祭
□社名 白鬚神社
□所在地 埼玉県狭山市柏原
□祭神
サルタヒコノミコト 猿田彦命
□祭は七月中旬。  
□山車
屋臺
・柏原地区
以前は底抜け屋臺だったと伝わる。 
□汎論
 柏原白鬚神社の由緒は不明。白髭神社の本社は琵琶湖の湖西にあり、湖に朱塗りの鳥居が立つ。滋賀県では最古の神社とされる。韓半島からの渡来系神社で、祭神もまた渡来人である全国に白髭神社は二千社近くあるのではないだろうか。
 古代からの著名な神社であるが延喜式神名帳には記載されない式外社、皇室を出て伊勢神宮が定まるまで各地を徘徊したとされるヤマトヒメ(倭姫)も立ち寄ったとされる。
 白髭神社、白鬚神社、白髯神社と証する神社が各地にあるが、白髭神社が一番多いのではないだろうか、いずれもサルタヒコノミコト(猿田彦命)を祭神としており、同じ神社と考えてよいだろう。
本社の社号はこのごろ白髭神社ではなく、白鬚神社である。謡曲に【白鬚】がある。柏原白鬚神社の白鬚は本社のしゃごうとおなじである。長身、赫ら顔、高い鼻は【天狗】を象徴している。韓人というより西洋の白人を髣髴とさせる。もしかしたら古代に韓半島を経て倭(日本)にきた西欧人だったかもしれない。

◆05772 八幡神社祭
□社名 八幡神社
□所在地 狭山市入間川
□祭神
ホムダワケノミコト 應神天皇
合祀
カスガノオオカミ 大神
アマテラスオオミカミ 天照大御神
□祭は七月中旬。  
□山車
屋臺
・入間川旧菅原地区
□汎論
 八幡神社の創祀は不明、新田義貞の崇敬が篤かったと伝わる。また、入間川地域の鎮守として敬われている。江戸時代には埼玉県の各地は病疫に見舞われ惨憺たる状態だったようで、この病を祓う祗園祭が行われ隆盛を極めた。ゴヅテンノウ(牛頭天王)を祀る神社がないときは、鎮守の境内に境内社を設けて神霊の分祀をうけて祀り、それもないときは鎮守の神に一日だけ八坂の神になっていただいて、八坂神社の祗園祭が齋行
されている。当八幡神社も祗園神は祀られておらず祭は秋の中旬に行われるが、住民の意志で祗園祭が行われ、山車を曳き、祭囃子が演奏されてきた。

●11216 羽生市
◆00114 八雲神社例祭
□社名 八雲神社
□所在地 埼玉県羽生市
□祭神
□祭は七月上旬。  
□山車
屋臺
・旭町
明治中期の建造と伝わる。
・東大和町
・本町
休止中。
・下町
休止中。
(順不同)
□汎論
 八雲神社の例祭は【羽生祭】とも言われ、羽生市を上げての【祗園祭】が行われる。市内でいちばん古い屋臺を保有する旭町には祭囃子が伝わり祭中は賑やかに演奏される。また女性だけで担ぐ【女神輿】の渡御は人気があり見物衆が押し寄せる。

●11217 鴻巣市
◆01883 
旧臺を渋川市へ譲渡。  
埼玉県鴻巣市

◆06078 滝馬室天王祭
埼玉県鴻巣市

●11218 深谷市 
◆06006 壁ヶ谷戸天王祭
□社名 
□所在地 埼玉県深谷市壁ヶ谷戸(かべがやと)
□祭神
□祭は七月下旬。  
□山車
屋臺
・壁ヶ谷戸地区。
□汎論
 壁ヶ谷戸天王祭は、【天王さま】とよばれる祗園祭である。壁ヶ谷戸の地名にある【ヤト】は、関東地方の古名称のようで、『常陸国風土記』には「夜刀神」の記述があり、深谷市には宮ケ谷戸もある。仮説であるが、山裾の湧き水のあるような湿地を意味するのではないかと推定している。古街道には【宿場】がおかれて、【宿(しゅく・じゅく)】は地名となっているところがあるが、街道沿いではない場所でこれを【ヤド】と呼ぶところは、古くは湿地であり、あるいは河川の氾濫原となっていたような場所が考えられる。【沼】と呼ばれるようなところはそのひとつであり、古代にはいちはやく水田が開かれた場所であろう。埼玉県内には【沼(ぬま)】のつく地名がしばしば見られる。
 山形県にはこのような土地を開墾した由緒を持つ【谷地唐鍬祭(やちとんがまつり)】が行われる。
 中部地方から北陸地方、東北地方、北海道には【ヤチ】の名称が見られ、漢字では【谷地】と書かれる例が多いようである。湿原の植物には【ヤチ】のつく和名がつけられた植物がある。
 中部地方にはおなじような湿地や湿原には【クテ】の名称が知られ、愛知県には、古戦場で知られる【長久手】があり、岐阜県の瑞浪市には【細久手】、飛騨地方には【久手】がある。【久手】はまた【湫(くて)】が同じ字義として用いられている。

◆06006 壁ヶ谷戸天王祭
□社名 
□所在地 埼玉県深谷市壁ヶ谷戸(かべがやと)
□祭神
□祭は七月下旬。  
□山車
屋臺
・壁ヶ谷戸地区。
□汎論
 壁ヶ谷戸天王祭は、【天王さま】とよばれる祗園祭である。壁ヶ谷戸の地名にある【ヤト】は、関東地方の古名称のようで、『常陸国風土記』には「夜刀神」の記述があり、深谷市には宮ケ谷戸もある。仮説であるが、山裾の湧き水のあるような湿地を意味するのではないかと推定している。古街道には【宿場】がおかれて、【宿(しゅく・じゅく)】は地名となっているところがあるが、街道沿いではない場所でこれを【ヤド】と呼ぶところは、古くは湿地であり、あるいは河川の氾濫原となっていたような場所が考えられる。【沼】と呼ばれるようなところはそのひとつであり、古代にはいちはやく水田が開かれた場所であろう。埼玉県内には【沼(ぬま)】のつく地名がしばしば見られる。
 山形県にはこのような土地を開墾した由緒を持つ【谷地唐鍬祭(やちとんがまつり)】が行われる。
 中部地方から北陸地方、東北地方、北海道には【ヤチ】の名称が見られ、漢字では【谷地】と書かれる例が多いようである。湿原の植物には【ヤチ】のつく和名がつけられた植物がある。
 中部地方にはおなじような湿地や湿原には【クテ】の名称が知られ、愛知県には、古戦場で知られる【長久手】があり、岐阜県の瑞浪市には【細久手】、飛騨地方には【久手】がある。【久手】はまた【湫(くて)】が同じ字義として用いられている。

◆05223 中瀬八坂祭
□社名 
□所在地 埼玉県深谷市中瀬
□祭神
□祭は七月下旬。  
□山車
屋臺
・中瀬地区
明治末期の建造と伝わる。
□汎論

●11219 上尾市
◆00457 どろいんきょ
埼玉県上尾市平方
八枝神社(やえだじんじゃ)
□祭は七月下旬。
□汎論
「上尾のどろいんきょ」は、「平方のどろいんきょ」ともいわれるが、語源は不明。
七月下旬、盛夏の中で行われる祇園祭の神事で、この祭には、神幸の神輿のほか、いんきょ神輿という装飾のない素木造の神輿が町内を渡御し、町内各所に設けられた神酒所のうち五カ所で、どろいんきょが行われる。
 一説に、新しく作られた神輿により、用済みとなった神輿を用いて、泥の上を転がし、荒川に入って、病魔が閉口して退散するようにとの、病気やらいが起源だといわれる。
 いうなれば「泥んこ神輿」ということになろう。
 「いんきょ神輿」を山車に見立て、人が乗る地区内曳行も行われる。
 八坂神社でなく八枝神社となっているのは、創祀時に草書で書かれた「八坂」を「八枝」と読みまちがえたのが原因で、間違っていても訂正しないのは土地っ子の気風だとか。些細なことにこだわらないおおらかな人情味がうかがえる。
 上尾市の民俗文化財、無形民俗文化財に指定されている。

◆05906 愛宕神社祭
埼玉県上尾市

◆06076 原市氷川神社祭
埼玉県上尾市

◆06077 八雲神社祭
埼玉県上尾市

●11220 さいたま市(旧与野市)
◆00171 与野祭囃子
埼玉県与野市
□汎論
与野市の祭囃子は、大戸の大戸囃子、上峰の上峰囃子連、本町の麗和会囃子連がある。江戸囃子系葛西囃子の囃子で、楽器の構成も大太鼓が一人、小太鼓が二人、笛が一人、鉦が一人の五人囃子である。
大戸囃子は与野では最も古くから伝わるお囃子だが現在は中止。上峰囃子連、麗和会囃子連は江戸囃子系の神田囃子。演奏は七月中旬の夏祭の際山車の上でおこなわれてきた。曲目は「屋臺」「神田丸」「鎌倉」「昇殿」「四丁目」など。関東でひろく行われている演奏曲目である。

●11221 草加市 

●11222 越谷市
◆00602 久伊豆神社祭
□社名 久伊豆神社(ひさいずじんじゃ)
□所在地 埼玉県越谷市
□祭神
オオクニヌシノミコト 大国主命
コトシロヌシノミコト 言代主命
タカテルヒメノミコト 高照姫命
ミゾクイヒメノミコト 溝咋姫命
アメノホヒノミコト 天穂日命
□祭は十月上旬(数年に一度)
山車数臺を曳く。
□山車
・仲町
・本町一丁目
・本町二丁目
・本町三丁目
・新石一丁目
・新石二丁目
・弥生町
□汎論
境内には国学者平田篤胤の仮寓居、根回り七メートルのみごとな藤があり花期には藤棚いっぱいに花を咲かせる。祭りには山車が曳かれる。

◆31498 下間久里の獅子舞
越谷市下間
久里の獅子舞
七月中旬に行われる獅子舞。、
越谷市下間久里の香取神社に奉納され、地区をまわる。太夫獅子、中獅子、女獅子の三頭が一組になって舞う、雨下無双角兵衛流といわれる獅子舞がおこなわれる。昭和五四年県の無形文化財の指定を受けた。

◆05915 大沢八坂神社祭
□社名 八坂神社
□所在地 埼玉県越谷市大沢
□祭神
□祭  
□山車
現在は山車は存在しない。
□汎論

◆05201 増森神社祭
□社名 増森神社
□所在地 埼玉県越谷市増森
増森神社
□祭は七月下旬
□山車
子供山車一臺を曳く。
□汎論
 増森神社は現在でも【水神さま】とよばれる。増森神社の社名増森は旧地名である。創祀は不明であるが、当社の背後はかつて利根川が流れ、【せいがふち】とよばれる恐ろしい淵があり、よく水難が起きた。このため河川の神を鎮めるため神社を建立したのが当社だと伝わる。増森村には鎮守の香取神社があったが、明治四十五年に弁天社、第六天社、稲荷社とともに合祀された。利根川は大正十三年の河川改修により流れを変えた。子供山車筥の合祀を記念して明治末期に建造されたと伝わる。

●11223 蕨市
◆02517 蕨
埼玉県蕨市

●11224 戸田市
◆00589 戸田祭
埼玉県戸田市

●11225 入間市
◆00330 豊岡愛宕神社祭
□社名 愛宕神社
□所在地 埼玉県入間市豊岡
□祭神
アマテラスオオミカミ 天照大神
ホムスビノカミ 火産靈神
ワケイカヅチノカミ 別雷神
ニッタヨシオキコウ 新田義興公、 
□祭は四月下旬。  
□山車
屋臺
・志茂町
天保七年(一八三六)の建造と伝わる古い屋臺。埼玉県越生町仲町から譲り受けた。別に新臺がある。
・賀美町
・奈賀町 扇町屋第二区
(順不同)
□汎論
 豊岡愛宕神社は、社名が愛宕神社であるが一般に地方の愛宕神社で祀られることの多いカグツチノミコト(迦遇槌命)の名称が見られない。ちなみに、京都市右京区の愛宕神社本宮の祭神は、本殿に、イザナミノミコト(伊弉冉尊)、ハニヤマヒメノカミ(埴山姫神)、アメノクマヒトノミコト(天熊人命)、ワクムスビノカミ(稚産霊神)、トヨウケヒメノミコト(豊受姫命)。若宮には、イカヅチノカミ(雷神)、カグツチノカミ(迦遇槌命)、ハムシノカミ(破无神)である。ワケイカヅチノカミ(別雷神)が祀られるが、これは賀茂神で、愛宕神ではない。

◆01920 高倉氷川神社祭
埼玉県入間市高倉

◆02518 白髭神社祭
埼玉県入間市

◆03625 新久天王祭
埼玉県入間市新久

◆03626 八坂神社天王祭
埼玉県入間市野田

◆06252 二本木神社祭
埼玉県入間市

◆06253 桂川神社祭
埼玉県入間市

◆06254 仏子八坂神社祭
□社名 八坂神社
□所在地 埼玉県入間市仏子
□祭神
□祭は一〇月下旬。  
□山車
山車、屋臺
・仏子地区
山車は江戸深川八幡宮祭に曳かれていた山車を譲り受けたと伝わる。
屋臺は近年導入された。
□汎論
 仏子八坂神社祭は祗園祭であるが、夏季ではなく秋祭として行われる。祭には、自他相許す仏子八坂囃子連若葉会の名演奏が行われる。若葉会は、入間市郷土藝能、仏子囃子保存会を兼ねている。もと【神田囃子隠岐流・神山藤原遠藤くずし】を入間市内の新久から、【祇園囃子・神山藤原くずし】を、やはり入間市内の高倉から伝習したと伝わる。
 きりっと粋な江戸の山車囃子と、優雅な祇園囃子がこなされる。

●11226 鳩ヶ谷市 
◆04653 本町氷川神社祭
埼玉県鳩ヶ谷市

◆05122 八幡社祭
埼玉県鳩ヶ谷市

●11227 朝霞市 

●11228 志木市
◆02519 志木
埼玉県志木市

◆05913 敷島神社祭
埼玉県志木市

◆05914 天神社祭
埼玉県志木市

●11229 和光市 
◆05911 新倉氷川神社祭
埼玉県和光市

◆05912 下新倉氷川神社祭
埼玉県和光市

●11230 新座市 
◆05910 氷川神社祭
埼玉県新座市

●11231 桶川市
◆00481 桶川祇園祭
□社名 八雲神社(旧祇園牛頭天王社)
□所在地 埼玉県桶川市
□祭神
スサノオノミコト 素戔嗚命
(旧ゴヅテンノウ 牛頭天王)
□祭は  
□山車
屋臺
・相生会 旧上町
・本街保存会 旧上中町
・栄会 旧下中町
・八雲会 旧下町
(順不同)
□汎論
 元文二年(一七三七)に、桶川宿の上中町を通る中山道沿いに
【市神社】が創祀されたと伝わる。現在の八雲神社の社殿は遷座されたものである。旧地に祀られていたころは祇園牛頭天王社と称ばれたと伝わる。祭には鉾山車と呼ぶ山車が曳かれていたと伝わる。当時の写真を見ると、秩父の笠鉾に似た帽冠三層を重ねた一本柱の笠鉾だったようであるが、上に太陽神、セキダイが見当たらない。これは電線が引かれるようになっておろされたあとの撮影かもしれない。しかしこれが次第に屋臺型へと変遷した。これには屋臺囃子が隆盛になったこととも関係がありそうである。
 当時の囃子は町内の衆ではなく、近隣から出囃子として参加しており屋臺組と囃子連の関係はいつも決まっていた。一般に祭には女性は参加しないものだが、桶川ではそのようなことがなく比較的自由に屋臺に乗り込んで演奏に参加するというようなことがあった。桶川は美女そろいで評判で、山車のない組でも【囃子棚】とよぶ藝座を設えて。居囃子として演奏が行われた。山車上では囃子が演じられる。かつては、桶川の祭には周辺の村々の若い衆による囃子連が技を競った伝統はいまも根付いていて下日出谷、倉田、となりの北本市内の囃子連も参加し、お嬢さんらが熱いまなざしで見つめ、聞き惚れる。
 【嫁取するなら、桶川祇園祭を見てから】といわれる。かつて、庄内地方(山形県)とおなじように、紅花(ベニバナ)が栽培されていたといい、これから採取した臙脂(えんじ)は京都に、また江戸へと運ばれた。
 桶川祇園祭はほんのりと、祗園祭、神田祭の艶っぽさが感じられるのもその所為だろうか。桶川市民の歌に【べにのはな】がある。

●11232 久喜市
◆11232 八雲神社祭
□社名 八雲神社
□所在地 埼玉県久喜市上清久
□祭神 
スサノオノミコト 素戔嗚尊
□祭は七月中旬
山車六臺を曳く
□山車
・仲町
昭和五六年七月再建。工匠は砂川建設。人形は織田信長。人形は岩槻市中島敏光。
・本壱 本壱祭典保存会
昭和五九年六月建造。工匠は行田市の高橋社寺建築工務所。人形は明治二一年作の素盞鳴命、人形師は古川長延。
・本二 本二祭典保存会
明治四〇年建造。人形は武内宿禰。
・本三 本三祭典保存会
昭和六〇年建造。工匠は行田市の高橋社寺建築工務所。人形は神功皇后。
・新一
明治四四年建造。人形は日本武尊。人形は三世安本亀八の作。
・新二
平成一三年再建。工匠は植村建築・荒木社寺設計。人形は神武天皇。
□汎論
 山車六臺を曳く。
 八雲神社は、旧久喜町の総鎮守として祀られてきた。関東一の提灯祭で知られる。天明三年(一七八三)七月八日の浅間山大噴火によって被害を受け、住民を災害から守り、豊作を祈願する祭としてはじまった。「本町、宮本の山車を借りて曳いた」との伝承がある。 山車は、昼間は、山車の上に人形を飾って曳き、夕方に人形をおろし、山車に四〇〇個以上もの提灯を付けて曳行する。
山車は関東地方の古い形態をもつ一本柱の屋根付で、昇降口はなく外部に梯子をかけ乗降する。二〇〇四年四月、久喜八雲神社の山行事は久喜市指定無形文化財に指定された。

◆00367 久喜の提燈祭
□社名 八雲神社
□所在地 埼玉県久喜市上清久
□祭神 
スサノオノミコト 素戔嗚尊
□祭は七月中旬
□山車
・仲町
昭和五六年七月再建。工匠は砂川建設。人形は織田信長。人形は岩槻市中島敏光。
・本壱 本壱祭典保存会
昭和五九年六月建造。工匠は行田市の高橋社寺建築工務所。人形は明治二一年作の素盞鳴命、人形師は古川長延。
・本二 本二祭典保存会
明治四〇年建造。人形は武内宿禰。
・本三 本三祭典保存会
昭和六〇年建造。工匠は行田市の高橋社寺建築工務所。人形は神功皇后。
・新一
明治四四年建造。人形は日本武尊。人形は三世安本亀八の作。
・新二
平成一三年再建。工匠は植村建築・荒木社寺設計。人形は神武天皇。
□汎論
 山車六臺を曳く。
 八雲神社は、旧久喜町の総鎮守として祀られてきた。関東一の提灯祭で知られる。天明三年(一七八三)七月八日の浅間山大噴火によって被害を受け、住民を災害から守り、豊作を祈願する祭としてはじまった。「本町、宮本の山車を借りて曳いた」との伝承がある。 山車は、昼間は、山車の上に人形を飾って曳き、夕方に人形をおろし、山車に四〇〇個以上もの提灯を付けて曳行する。
山車は関東地方の古い形態をもつ一本柱の屋根付で、昇降口はなく外部に梯子をかけ乗降する。二〇〇四年四月、久喜八雲神社の山車行事は久喜市指定無形文化財に指定された。

◆05202 八雲神社祭
埼玉県久喜市上清久

●11233 北本市
◆02520 北本祭
埼玉県北本市

◆05907 八雲神社祭
埼玉県北本市

◆05908 須賀神社祭
埼玉県北本市

◆05909 天神社祭
埼玉県北本市

●11234 八潮市 

●11235 富士見市 

●11236 ふじみ野市(旧上福岡市)
◆06005 苗間神明神社祭
□社名 神明神社
□所在地 ふじみ野市(旧上福岡市)苗間
□祭神
境内社
八雲神社
熊野神社
子の権現社
天満天神社
稲荷神社
古六天神社
□祭  
□山車
屋臺
□汎論
 神明神社は文化元年(一八〇四)の創祀と伝わる。神明型鳥居がたつが、八雲神社、稲荷神社、熊野神社などが境内社としてあり、他の祠
もあって、合祀された形跡が伺われるが、古くは出雲系神社の系統を
曳く神社だっただろうと推定される。
 祭には屋臺が曳かれる。唐破風屋根素木六本柱、後部柱脇には脇障子がある。勾欄と、下臺は紅白幕で覆う。前面に、苗間囃子保存会の幕を掲げ、長胴の太鼓、締太鼓、二がならぶ。彫刻は見られない。藝座が回転する構造になっていて、狭い道路沿いで囃子の所望があると、その家に正面を向けて演奏する。苗間囃子保存会による山車囃子の演奏が行われる。囃子の流派は木ノ下流。明治四年に間宮村(現さいたま市)から習いうけたという。以後消長があり、休止の期間を経て、明治一〇年頃、亀久保へ伝授されている。また過去には、川越(川越市)の氷川神社祭礼に出囃子として出向したこともあるという。

◆02521 上福岡市立歴史民俗資料館
埼玉県ふじみ野市(旧上福岡市)

●11237 三郷市 

●11238 蓮田市 
◆05995 上平野八幡神社祭
□社名 八幡神社
□所在地 埼玉県蓮田市上平野
□祭神
□祭は七月中旬。  
□山車
山車
飾り付けのみが行われる。
・上平野地区
□汎論
  
◆06079 須賀神社祭
□社名 須賀神社
□所在地 埼玉県蓮田市上蓮田
□祭神
□祭は七月中旬。  
□山車
山車
・上町地区
休止中。以前は曳行されていた。現在山車はない。
□汎論

◆06080 愛宕神社祭
□社名 愛宕神社
□所在地 埼玉県蓮田市上蓮田
□祭神
□祭は七月中旬。  
□山車
山車。
・下町地区
休止中。以前は曳行されていた。現在山車はない。
□汎論
 上蓮田の愛宕神社の祭は、本来火防の祭として行われるところだが、江戸時代には蔓延した病魔調伏の悲願から祗園祭としておこなわれてきた。上町地区とおなじように華やかに山車の曳かれた時期もあったが、
現在は休止中である。

◆06081 中関戸天王祭
埼玉県蓮田市

●11239 坂戸市
◆00105 坂戸天王祭
埼玉県坂戸市

◆31496 大宮住吉神社神楽
埼玉県坂戸市

◆06083 紺屋白髭神社祭
□社名 紺屋白髭神社
□所在地 埼玉県坂戸市
□祭は七月中旬
一臺の飾付のみ行われる。
□汎論
 盛時には山車を曳き、山車囃子が演奏された。現在は山車一臺の飾り付けのみが、行われる。祭囃子は坂戸市の指定無形文化財、芝金杉流の紺屋囃子が演奏される。明治期に山田村網代(現川越市編代)から伝授を受けたといわれる。

◆06084 島田天神社祭
□社名 天神社
□所在地埼玉県坂戸市島田
島田天神社
□祭は四月上旬
□汎論
 島田天神社祭に演奏される祭囃子を「島田囃子」といい、坂戸市の指定無形文化財になっている。山車の上で演奏する山車囃子で、昭和初期に市内の塚越から伝えられたという。塚越囃子は、大宮住吉神社の祭に演奏される。例年四月上旬には大宮住吉神社の大祭が行われ、埼玉県の定無形民俗文化財である「大宮住吉神楽」の奉納がある。

◆06085 東入西神社祭
埼玉県坂戸市

◆06087 横沼白髭神社祭
□社名 白髭神社
□所在地 埼玉県坂戸市横沼
□祭神
□祭は七月中旬。  
□山車
屋臺
・横沼地区
曳行休止中、飾り付けのみが行われる。
□汎論
 横沼白髭神社祭には【横沼新囃子】の演奏が行われる。【江戸山王祭の新囃子、木ノ下流】の流れを汲むひじょうに優れた演奏で、川越市通町の山車囃子で知られる川島町の角泉囃子連から伝習をうけた。
坂戸市の無形民俗文化財に指定されている。

◆00105 坂戸神社祭
□社名 坂戸神社
□所在地 埼玉県坂戸市日の出町
□祭神
シラガタケヒロクニオシワカヤマネコテンノウ 
 城髪武廣國押稚日本根子天皇(清寧天皇)
カブロクマノオオミカミクシミケノミコト
 神祖熊野大神櫛御氣野命
スサノオノミコト 素盞鳴命
サルタヒコノミコト 猿田彦命
オオヤマクイノカミ 大山咋神
タケミナカタノカミ 建御名方神
スガワラミチザネコウ 菅原道眞公
キクリヒメノミコト 菊理比当ス
ウカノミタマノカミ 宇迦之御魂神
ホムダワケノカミ 品陀和氣神
□祭は七月中旬。  
□山車
屋臺、山車
・一丁目
・二丁目
・三丁目
・四丁目
・粟生田
(順不同)
□汎論
 坂戸神社の祭は一名八坂神社祭ともいい祗園夏祭として行われる。屋臺が出てみごとな山車囃子が演奏される、これらの山車囃子は坂戸市の無形文化財に指定されている。 

◆06086 八坂稲荷神社祭
□社名 八坂稲荷神社
□所在地 埼玉県坂戸市塚越
□祭神
□祭は七月中旬  
□山車
屋臺
□汎論
 八坂稲荷神社の祭礼には塚越ばやしの囃子が演奏される。明治三十二年(一八九九)に川島町伊草良い伝習を受けたといわれ、おなじ
塚越にある、大宮住吉神社の四月の祭礼にも格調高い演奏が行われる。

●11240 幸手市
◆00250 幸宮神社例祭
埼玉県幸手市中
幸宮神社
□祭神
ホムダワケノミコト 譽田別尊(八幡大神) 
フツヌシノカミ 経津主神(香取大神)
配祀
オオモノヌシノカミ 大物主神
ウカノミタマノミコト 宇賀魂命
スガワラミチザネ 菅原道真
□山車
・荒宿 睦會
荒宿の山車は明治後期より曳かれ、大正一二年に二代目が建造された。
平成四年に向拝柱に彫刻が取り付けられた。
・仲町 青和會
神功皇后がのる人形山車。
明治五年の建造で、幸手では一番古い歴史がある。
・久喜町 魁會
江戸期、将軍様御成り街道と日光街道の合流地として栄えた宿場町に
大正初期に三番町として新調した山車された。
名工左甚五郎の流れをくむ
唐破風に飛龍が彫られる。彫刻は後藤系といわれる。関東では後藤系の名工は左甚五郎の流れを引くとよく耳にする。日光東照宮の建造、彫刻に、飛騨の名工たちがかかわっていたことともかかわりがあるのだろう。
・助町 共助會
助町の山車は、
昭和四年、工匠、手島福太郎、伊丹林蔵の手になる。
彫刻は後藤義光。
・天神町 振興會
天神町の山車は、昭和四に後藤義光により建造。
右柱の降り龍、左柱の昇り龍、柱上部の獅子、破風板の鳳凰、松に千鳥、脇障子は竹に虎、唐獅子牡丹など多くの彫刻がある。
・東町 若樹會
東町の山車は、昭和五三年の建造。おおきな唐破風をもつ屋臺造りの山車。
山車彫刻は幸宮神社の本殿の彫刻を手本にしている。
・北町 櫻會
北町は日光街道の幸手宿の北、権現堂桜堤にある北町櫻會は平成元年に発足した。
山車は平成三年の建造。
□汎論
幸手市の総鎮守とされる幸宮神社の創祀は不明とされているが、元禄八年(一六九五)の検地帳に社地の記録があって、いまのところ由緒が知れる古記録となっている。
本殿の建造は、幕末の文久三年(一八六三)に再建された。総流れ造りで正面扉の両側に昇龍・降龍が彫刻され、本殿周囲には獅子、鳳凰、邪鬼、鷹、松などが彫られている。
 拝殿に天保一二年に仲町氏子中より奉納された、歌舞伎の茨木を描いた絵馬があるが秀逸である。
地元で行われる八坂祭は「天王様」といいい、幸宮神社に奉納されている大神輿がある
夏祭には神社で御霊入れのあと、北町から旧街道を駅前まで渡御し、年番にあたる当番町内の御仮屋で一泊して還御となる。
 幸宮神社にはスサノオノミコトが祀られておらず境内社にも八坂神社が見当たらない。

◆00250 香取八幡神社例祭
埼玉県幸手市高須賀

◆05916 千塚神社祭
埼玉県幸手市

●11241 鶴ヶ島市
◆00552 坂越祭
埼玉県鶴ヶ島市坂越

●11242 日高市
◆00850 高麗川神社祭
□社名 高麗川神社
□所在地 日高市上鹿山
□祭神
スサノオノミコト
□祭は八月中旬。  
□山車
屋臺
・神社所有
屋臺は現立川市砂川町で建造された。その後飯能市宮本町を経て上鹿山地区が譲渡を受け、神社に移った。
□汎論
 高麗川神社は、古くは、武蔵国高麗郡上鹿山だったが、高麗郡高麗川町上鹿山を経て、現在の日高市上鹿山になった。江戸時代から明治中期ころまでは八剱神社とよばれ、スサノオノミコトを祀る神社で。祗園祭が行われていた。現在も祭神に変更はない。高麗川神社に改称されたのは明治時代後半頃といわれる。
 市内には、韓半島の高句麗から渡来した高麗王若光(こまのこしきじゃっこう)を祭神とする、高麗神社(高句麗神社)がある。

◆00850 高萩
埼玉県日高市高萩

●11243 吉川市
◆02522 平沼八坂神社祭
□社名 八坂神社
□所在地 吉川市平沼
□祭神
タケミナカタノミコト 建御名方命
配祀神
フツヌシノミコト 経津主命
アイゼンオオカミ 愛染大神(愛染明王)
摂社、末社
稲荷神社
八坂神社
松尾神社
古峯神社
芳川天満宮
鹿頭大明神
□祭は七月中旬。  
□山車
山車、太鼓山車
山車
・下町
太鼓山車
・上河岸
・仲町
・下河岸
・上町
・野尻
(順不同)
□汎論
 祭の行われる八坂神社は、芳川神社の境内社である。芳川神社の創祀は、文治三年(一一八七)に、当地の吉川氏により諏訪神であるタケミナカタノミコト(建御名方命)を祭神として祀る社殿が再建されたと伝わるが、創祀は不明。一説には土地神を祭る鎮守だったと伝わる。吉川氏の名称は、当社、また吉川市の市名ともなっている。
 太鼓山車は一〇臺ほどあり若干の差異はあるが、無蓋、素木造りで、彫刻を施した基臺の上に二重の勾欄を引き回し、後部には大きな平太鼓がのる。前部には小太鼓がならび山車囃子を演奏する。埼玉県では珍しいかたちである。

●11301 伊奈町 

●11304 吹上町

◆2523 吹上愛宕神社祭
□社名 吹上愛宕神社
□所在地 埼玉県鴻巣市(旧吹上町)

◆02792 吹上神社祇園祭
埼玉県鴻巣市(旧吹上町)

◆05123 新宿
埼玉県鴻巣市(旧吹上町)

●11322 ふじみ野市(旧大井町)
◆02524 大井氷川神社祭
□社名 氷川神社
□所在地 ふじみ野市(旧大井町)
□祭神
スサノオノミコト 素戔嗚命
クシイナダヒメ 奇稲田姫命
オオナムチノミコト 大己貴命
□祭は七月下旬。  
□山車
屋臺
・上組
・旭連 中組、下組
(順不同)
□汎論
 
◆02524 大井
埼玉県大井町

●11324 三芳町
◆02525 北永井八雲神社祭
□社名 八雲神社
□所在地 埼玉県入間郡三芳町北永井
□祭神
□祭は七月下旬。  
□山車
山車
・北永井地区
□汎論

◆06007 上富八雲神社天王祭
□社名 八雲神社
□所在地 埼玉県入間郡三芳町上富
□祭神
□祭は八月下旬。  
□山車
山車
・上富地区
□汎論
 
●11326 毛呂山町 
◆06008 出雲伊波比神社
□社名 出雲伊波比神社(いずもいわいじんじゃ)
□所在地 埼玉県毛呂山町
□旧国名 武蔵國
□祭神
オオナムチノカミ 大名牟遲神
アメノホヒノミコト 天穗日命
配祀
スセリヒメノミコト 須勢理比売命
オキナガタラシヒメノミコト 息長足姫命
トヨウケヒマノミコト 豊受姫命
スガワラミチザネ 菅原道真
カグツチノカミ 迦具土神
スサノオノミコト 素盞嗚命
タケミナカタノミコト 建御名方命
合祀
オオヤマクイノミコト 大山咋命
配祀
オオクニヌシノミコト 大国主命
スクナヒコナノミコト 少彦名命
ウワツツオノミコト 上筒之男命
合祀
オオヒルメムチノカミ 大日霊貴命
アマエノウズメノミコト 天鈿媛命
配祀
イザナギノミコト 伊弉諾尊
イザナミノミコト 伊弉冉命
ホムダワケノミコト 誉田別尊
合祀
タカオカミノカミ 高□神(□は文字なし)
配祀
オオイカヅチノカミ 大雷神
□汎論
 出雲伊波比神社は、延喜式神名帳武蔵國入間郡に記載される、武蔵國四十四座のうちの一座。茂呂山町の中心にある臥龍山頂に鎮座する。臥龍山は古代の神南備山と考えられる。出雲系神が祀られ、皇室神が配祀される。
 創祀時に【ヒイラギ(比々羅木)の鉾(矛)を納めた】との伝承がある。
現在の本殿は享禄元年(一五二八)に毛呂顕繁(もろあきしげ)によって再建されたと伝わり、埼玉県内最古の神社建築で国指定の重要文化財である。

●11327 越生町
◆00170 越生祭
□社名 越生神社(おごせじんじゃ)
□所在地 埼玉県入間郡越生町
□祭神
スサノオノミコト 素戔嗚尊
□祭は七月下旬。  
□山車
山車、屋臺
・ほ組 本町
本座人形は神武天皇。
大正九年の建造。工匠は東京神田の亀家清秀。
創建は江戸時代と推定され、本座人形は牛若丸だったと伝わるが、県内入間郡毛呂山町毛呂本郷に譲渡されている。
・い組 仲町
昭和二十九年の建造。工匠は東京神田のだし鉄こと山本正太郎に、町内の長谷竹松が参加している。
先代の山車があり、明治期に川越市志義町(現仲町)より譲り受けたろ伝わる。原産者建造にあたり、入間市志茂町に譲渡された。
・上町
人形は豊島佐衛門尉経泰。
明治十九年の建造と伝わる。旧東京市谷中初根町二丁目、上三崎町の保有する山車で、東京日暮里の諏方神社の祭礼に曳かれていたと伝わる。大正八年に譲り受けた。
 豊島佐衛門尉経泰は聞きなれない人物であるが、豊島左衛門佐を名乗りのちに豊島左衛門尉経泰と名乗るようになったと伝わる。現東京都荒川区西日暮里の諏方神社を勧請し、隣地の浄光寺を創建している。法輪山浄光寺は、真言宗豊山派の寺院で、諏方神社の別当寺だった。また徳川将軍家御膳所だったことでも知られる。
・ろ組 河原町
昭和十二年の建造。旧臺は花山だったと伝わる。
・黒岩町
本座人形はスサノオノミコト(素盞鳴命)。
明治二十九年に熊谷市鎌倉町が建造した山車を譲り受けた。
屋臺
・は組 新宿町
創建は八王子市上八日市町で建造された、車軸に文政一〇年の隅が期が残る古い屋臺。現、青梅市小曽木を経て譲り受けたと伝わる。
(順不同)
□汎論
 越生祭は、祭神がスサノオノミコトで祭は祗園祭である。由緒ある山車が曳かれる。越生町の西部は梅林で著名であるが、大高取山、西山高取山がある。おそらく神南備山で、西方には埼玉県秩父市、東京都西多摩郡奥多摩町、山梨県北都留郡丹波山村にまたがる雲取山がある。紀州(和歌山県)の熊野古道にも一組の大雲取、小雲取がある。この名称は古代祭祀が継承されていると考えられる。
 北部の夫婦岩岩陰遺跡は岸壁からの崩落落下した巨岩だといわれるが、中期縄文時代の住居址、遺物の出土があり、目的を持って意図的に構築されたものと考えられる。さらに後世の弥生時代には磐坐として崇拝されたと推定される。

●11330 名栗村 

●11341 滑川町 

●11342 嵐山町 

●11343 小川町
◆00170 越生祭
□社名 越生神社(おごせじんじゃ)
□所在地 埼玉県入間郡越生町
□祭神
スサノオノミコト 素戔嗚尊
□祭は七月下旬。  
□山車
山車、屋臺
・ほ組 本町
本座人形は神武天皇。
大正九年の建造。工匠は東京神田の亀家清秀。
創建は江戸時代と推定され、本座人形は牛若丸だったと伝わるが、県内入間郡毛呂山町毛呂本郷に譲渡されている。
・い組 仲町
昭和二十九年の建造。工匠は東京神田のだし鉄こと山本正太郎に、町内の長谷竹松が参加している。
先代の山車があり、明治期に川越市志義町(現仲町)より譲り受けたろ伝わる。原産者建造にあたり、入間市志茂町に譲渡された。
・上町
人形は豊島佐衛門尉経泰。
明治十九年の建造と伝わる。旧東京市谷中初根町二丁目、上三崎町の保有する山車で、東京日暮里の諏方神社の祭礼に曳かれていたと伝わる。大正八年に譲り受けた。
 豊島佐衛門尉経泰は聞きなれない人物であるが、豊島左衛門佐を名乗りのちに豊島左衛門尉経泰と名乗るようになったと伝わる。現東京都荒川区西日暮里の諏方神社を勧請し、隣地の浄光寺を創建している。法輪山浄光寺は、真言宗豊山派の寺院で、諏方神社の別当寺だった。また徳川将軍家御膳所だったことでも知られる。
・ろ組 河原町
昭和十二年の建造。旧臺は花山だったと伝わる。
・黒岩町
本座人形はスサノオノミコト(素盞鳴命)。
明治二十九年に熊谷市鎌倉町が建造した山車を譲り受けた。
屋臺
・は組 新宿町
創建は八王子市上八日市町で建造された、車軸に文政一〇年の隅が期が残る古い屋臺。現、青梅市小曽木を経て譲り受けたと伝わる。
(順不同)
□汎論
 越生祭は、祭神がスサノオノミコトで祭は祗園祭である。由緒ある山車が曳かれる。越生町の西部は梅林で著名であるが、大高取山、西山高取山がある。おそらく神南備山で、西方には埼玉県秩父市、東京都西多摩郡奥多摩町、山梨県北都留郡丹波山村にまたがる雲取山がある。紀州(和歌山県)の熊野古道にも一組の大雲取、小雲取がある。この名称は古代祭祀が継承されていると考えられる。
 北部の夫婦岩岩陰遺跡は岸壁からの崩落落下した巨岩だといわれるが、中期縄文時代の住居址、遺物の出土があり、目的を持って意図的に構築されたものと考えられる。さらに後世の弥生時代には磐坐として崇拝されたと推定される。

◆00345 勝呂津島神社祭
□社名 津島神社
□所在地 
□祭神
□祭は七月中旬。  
□山車
山車、笠鉾。
従来曳かれていた記録があるが、いずれも現在は休止。
□汎論
 津島神社の詳細は不明。尾張(愛知県)津島系の神社と推定される。かつて山車、笠鉾が曳かれた記録があるが現在は行われない。しかし、山車囃子(神田囃子)は現在も継承されていて、祭になると、居囃子、あるいは自動車の荷台を飾りつけた簡易藝山車に乗って演奏荒れる。

●11344 ときがわ町(旧都幾川村)
◆02526 西平八坂神社祭
□社名 八坂神社
□所在地 埼玉県比企郡ときがわ町(旧都幾川村)西平
□祭神
□祭は七月中旬。  
□山車
屋臺
・西平区
単層、素木六本柱。中央柱の外部には脇障子があって前後を仕切る。軒に平宿、宿の文字が書かれた丸堤燈が下がる。
□汎論
 ときがわ町西平地区にある八坂神社の祭には山車(屋臺)のうえで小学生らによる屋臺囃子が演奏される。飯能市原市場からの伝習と伝わり、ときがわ町指定民俗文化財に指定される。
 萩日吉神社、大付の日枝神社、瀬戸の雷電神社、大野神社、稲荷神社などではささら獅子舞の奉納がある。

●11345 ときがわ町(旧玉川村)
◆00347 玉川天王祭
□社名 八坂神社
□所在地 埼玉県比企郡ときがわ町(旧玉川村)
□祭神
□祭は七月下旬。  
□山車
屋臺。
・玉川地区
単層、唐破風屋根、角六本柱で、軒に赤白染め分けの堤燈が下がる。朱塗りの勾欄が引き回され、雪洞(ぼんぼり)がつく。
基臺の下は、水をあしらった紺色の下幕がめぐらされる。
・春和地区
休止中。
(順不同)
□汎論
 玉川天王祭に曳かれる山車(屋臺)には、坂戸市の赤尾からの伝習とされる山車囃子が、一ト市祭囃子保存会により演奏される。曲目には、かまくら(鎌倉)、しょうでん(昇殿)、にんば(仁波、寧波)、しちょう(四丁目、師長)などがある。

●11346 川島町
◆06010 角泉山王神社祭
□社名 山王神社
□所在地 埼玉県比企郡川島町角泉
□祭神
□祭は七月中旬。  
□山車
山車
・角泉地区
近年は曳かれていない。
□汎論
 川島町角泉地区には、「江戸山王新囃子 木の下流」の優れた祭囃子が伝承されている。地域の角泉山王神社祭の山車は近年曳行されないが、川越市通町の山車は、もと東京都世田谷区で建造されたもので、これを通町と、角泉囃子連が共有することで譲り受けた。川越祭には川島町角泉が出囃子として出張演奏する。
 川越市南町の山車にも明治中期まで角泉囃子連が乗りこんで演奏していたと伝えられる。坂戸市横沼にある白髭神社の祭に演奏される【横沼新ばやし】は、明治末期頃にやはり角泉から伝授されたものと伝わり、坂戸市の無形民俗文化財に指定されている。

●11347 吉見町 

●11348 鳩山町
◆02529 今宿八坂神社祭
□社名 八坂神社
□所在地 埼玉県比企郡鳩山町今宿
□祭神
□祭は七月下旬  
□山車
屋臺
・今宿地区
□汎論
 今宿八坂神社の祭で演奏される祭囃子は、【京都祇園囃子神田大橋流】を継承し、曲目には、祇園囃子、屋臺、仁羽、鎌倉、数え唄、子守唄などがあり、八坂神社祭囃子保存会により祭礼で演奏される。

●11361 横瀬町
◆00825 宇根八坂神社祭
□社名 八坂神社
□所在地 埼玉県秩父郡横瀬町宇根
□祭神
□祭は四月上旬。  
□山車
笠鉾
・宇根上組
創建は江戸時代後期と伝わる。
・宇根下組
創建は江戸時代後期で宇根上組と同時に出来た。
旧臺が秩父市東町に譲渡されている。
(順不同)
□汎論

◆03586 中郷八坂神社祭
□社名 八坂神社
□所在地 埼玉県秩父郡横瀬町中郷
□祭神
□祭  
□山車
笠鉾
・中郷地区
現在は曳かれていない。
□汎論

◆21506 横瀬のふくさ人形
□社名 
□所在地 埼玉県秩父郡横瀬町
□汎論
 秩父地方には古くから歌舞伎が伝承されていて、かつては村民すべてが役者という村まであった。山車の藝座で勾欄を左右に張り出し、花道まで付属され、このうえで【白波五人男・稲瀬川】などがはじまると、番傘をさし一人づつ口上を述べる名場面となるが、中でも人気は【お嬢吉三】で、黄色い声で名乗りはじめると、大向こうから声がかかり、つづいて、観客から掛け合いがはじまり、「おねえさん素敵!」などとたちまち野次と抱腹絶倒の笑いの渦になる。このような山車藝能にとどまらず各地に小屋がある。
 【横瀬のふくさ人形】は歌舞伎は、藝事の盛んな横瀬町に伝承されているもので、人形芝居には珍しい廻り舞臺のうえで、一人遣いの人形師が人形の背中から手を入れて巧妙に操られる。現在は、五月と、一〇月の【よこぜまつり】に公演が行われる。

◆02530 芦ヶ久保綜合資料館
埼玉県横瀬町

◆02531 横瀬町活性化センター
埼玉県横瀬町

◆03586 宇根八阪神社例大祭
埼玉県横瀬町

●11362 皆野町
◆00450 親鼻八坂神社祭
□社名 八坂神社
□所在地 埼玉県皆野町親鼻
□祭神
□祭は七月中旬。  
□山車
屋臺
・親鼻地区
昭和一〇年、秩父市番場町で曳いていた屋臺を譲り受ける。
□汎論
 皆野町親鼻は、国道一四〇号線・通称彩甲斐街道を長瀞町方面から南の秩父市方面へ、荒川の左岸から右岸射道路が移ったあたりの繁華街にある。すぐちかくにわが国で最初に和銅が見つかり、元号が【和銅】とあらためられた鉱山跡がある。和銅年間は元明天皇期の(西暦七〇八−七一五年)、元号では慶雲と、霊亀の間にあたる。

◆02532 日野沢八坂神社祭
□社名 八坂神社
□所在地 埼玉県皆野町下日野沢
□祭神
□祭は七月下旬。  
□山車
笠鉾
・下日野沢地区
明治末期の建造。
近年はまったく曳かれていない。
□汎論
 平将門は【承平天慶の乱、将門の乱】で知られ、逆賊扱いされるが、それは天皇政権から見た場合であり、関東地方では英雄として評価されることが多い。江戸の神田祭は東京の鎮守たる神田明神の祭であるが、栃木県烏山町(現那須烏山市)の山あげ祭ではしばしば藝題として取り上げられ、また各地に伝説が語り継がれる。皆野町下日野沢は荒川の支流日野沢川畔の集落である。ここにも将門伝説がある。
 将門を討った藤原秀郷は一説によれば、下野の出身だといわれる。
近江の三上山を七巻半もする大百足を瀬田川の橋の上から弓で射て退治した話は名高く、戦前の絵本では恐ろしい蜈蚣の絵が描かれていた。

◆03791 大浜祇園祭
□社名 八坂神社
□所在地 埼玉県皆野町大浜
□祭神
□祭は七月中旬  
□山車
屋臺
・大浜地区
現在は屋臺となっているが、当初は秩父市小柱より譲り受けた笠鉾だったとの伝承がある。
□汎論
 秩父を中心に見られる笠鉾は傘鉾でもあり、表記も地区によりさまざまでどちらも用いられている。中心の一本柱の上部に【セキダイ】とよぶ【仮神座】がある。これは天から神が降臨されたときの一時の神座であり、神は柱に降り、ここにしばらくとどまったあと山車に憑依される。
 京都祗園祭に曳かれる【鉾の天王座】に当たり、菊水鉾は彭祖が祀られる。同じ一本柱の山車である越中高岡の【御車山】では籠目状の神座がある。
 秩父地方の屋臺は、古い時代に曳かれたものの原型は、【御舟】だったといわれ、秩父祭会館に復元展示されている山車は前後が反りあがり、後部は舟の艫のかたちになっている。
 瀬戸内の伊豫(愛媛県)から阿波(徳島県)の沿岸部には【セキブネ】があり、【関舟、席舟】などとも書かれるが、共通するのは神宿る舟は【セキ】と呼ばれていたと推定される。その語源は不明である。

◆03788 金崎祇園祭
□社名 八坂神社
□所在地 埼玉県皆野町金崎
□祭神
□祭は七月中旬。  
□山車
屋臺
・金崎地区
□汎論

◆03789 原の祗園祭
□社名 八坂神社
□所在地 埼玉県皆野町原
□祭は七月下旬
□汎論
 原地区の山車は、秩父祭の下郷が曳いていた寛政七年(一七九五)建造の笠鉾を譲りうけて曳いたのに始まるといわれる。その後の改修を経て現在は屋臺になっている。秩父の下郷の笠鉾は平成初期に改元を記念して大改修を行い八〇数年ぶりに旧笠鉾がみごとに復元された。市内の電線がなくなった神社前の道路、およそ二キロメートルの曳行が行われた。神社に参詣のあと境内を出ていったが。長年曳かれない内に伸びた大楠の枝にひっかかって、見守る人たちは肝を冷やしたが、無事に境内をでていった。

◆03829 大淵八坂神社祭
□社名 大淵八坂神社
□所在地 埼玉県秩父郡皆野町大淵
□祭神
□祭  
□山車
笠鉾
・大淵地区
江戸時代末期に建造された笠鉾があったが、明治期に譲渡されて伝わらない。
□汎論

◆01911 三沢八幡神社祭
□社名 八幡神社
□所在地 埼玉県秩父郡皆野町三沢
□祭神
□祭は九月中旬。  
□山車
笠鉾
・三沢地区
明治初期の建造と伝わる。
□汎論

◆03790 國神神社祭
□社名 國神神社(くにつかみじんじゃ)
□所在地 埼玉県皆野町国神
□祭神
オオモノヌシノカミ 大物主神
□祭は七月下旬。  
□山車
笠鉾
・国神地区
休止中。
□汎論
 國神神社の創祀は、社記によると北条氏の家臣だった、多比良丹波守が天正年間(一五八〇頃)に祀ったのにはじまると伝わる。

●11363 長瀞町
◆03743 長瀞八坂祭
□社名 八坂神社
□所在地 埼玉県秩父郡長瀞町
□祭神
□祭は七月下旬。  
□山車
笠鉾
・長瀞地区
現在は単層の笠鉾だが、明治二〇年(一八八七)頃に創建された秩父中町で曳かれた三層笠鉾を譲り受けて改修されたと伝わる。
□汎論
 長瀞町は秩父方面からのからの清流が当地あたりで随所で澱んで淵となり、瀞となることより名づけられた地名のようである。奇岩とあいまって独特の景観となり関東では著名な観光地でもある。長瀞町の【瀞】は正式ではなく略体文字であるが、コンピュータでは正しく表記できない。 

◆00454 舟玉祭
埼玉県長瀞町長瀞

◆29335 寶登山神社
□社名 寶登山神社
□所在地 埼玉県埼玉県秩父郡長瀞町長瀞
□祭神
カムヤマトイワレヒコノミコト 神日本磐余彦尊(神武天皇)
オオヤマツミノカミ 大山祇神
ホムスビノカミ 火産霊神
□汎論
 荒川上流の景勝地長瀞町に鎮座する神社。
 創祀は、寶登山神社社伝によると、景行天皇期(一一〇)といい。寳登山山頂に奥宮がある。 ヤマトタケルノミコト(日本武尊)が登拝した伝承がある。
 案ずるに、古代にはすでに御神体山として祀られた神南備山だったと推定される。

●11364 吉田町
◆00461 八坂神社例祭
□社名 八坂神社
□所在地 埼玉県吉田町
□祭は七月下旬。
屋臺三臺を曳く。
□山車(屋臺)
・上町
建造は昭和四〇年代。当初は笠鉾だったが、現在は屋臺に改修されている。
・仲町
建造は昭和五〇年代。当初は笠鉾だったが、現在は屋臺に改修されている。
・本町
(順不同)
 
◆31505 椋神社のささら獅子舞
埼玉県吉田町

●11365 小鹿野町
◆00009 小鹿祭
□社名 小鹿神社
□所在地 埼玉県小鹿野町小鹿野
□山車
 小鹿神社の春祭には笠鉾二臺、山車(屋臺)二臺を曳く。
 笠鉾は笠鉾から発展した山車で、秩父地方各地に見られる上臺から竹ひごに造花をあしらった花笠が優雅に円弧を描いて垂れ下がり、曳くときにはゆらゆらと揺れて美しい。
□汎論
 屋臺は歌舞伎を上演する藝山で、小鹿野町は町民すべてが歌舞伎役者と形容されるほど歌舞伎の盛んな地域である。初冬師走には鉄砲祭が行われ、山車の上で歌舞伎が熱演される。ただし秩父山塊からの冷気が降りてきて、広場におおきな火がたかれるが、夜間でもあり相当冷え込むから震えながらの観劇になる。

◆00901 鉄砲祭
埼玉県小鹿野町

◆03644 夏祭(お祗園)
埼玉県小鹿野町

◆20855 小鹿野歌舞伎
埼玉県小鹿野町

●11366 小鹿野町(旧両神村)
◆02534 大塩野八坂神社祭
□社名 八坂神社
□所在地 埼玉県秩父郡小鹿野町(旧両神村)
□祭神
□祭は七月下旬。  
□山車
屋臺
・大塩野地区
不定期に曳かれる。長い休止期間を経て曳行される様になった。
□汎論
 山車(屋臺)の建造はおそらく幕末期。唐破風屋根、柱は素木で、
祭ごとに削るということはなく、上下に長い行燈をかけ表面に天下泰平、五穀豊穣の祈願文が墨書きされる。前後に長い秩父方面によく見られる屋臺。若衆が、胴長の大太鼓、締太鼓をうち、篠笛を吹き、秩父囃子にあわせて曳かれる。曳行中の方向変換は、昔から伝わる伝統の車地巻(しゃじまき)によっておこなわれる。所定の場所では左右の勾欄が前面一列に張りだし舞臺となる。勾欄の前面には白い雪洞(ぼんぼり)があしらわれる。赤い水引幕、赤い鬼燈堤燈(ほうづきちょうちん)が軒にさがる。
 大塩野屋台保存会により保存が図られている。
□参考
次を参考にさせていただきました。
・大塩野屋台保存会
 http://sites.google.com/site/oshionoyatai/

◆05033 両神神社
□社名 両神神社
□所在地 埼玉県秩父郡両神村薄
□祭神
ミズハノメノカミ 
イザナギノミコト 伊弉諾尊
イザナミノミコト 伊弉冉尊
タケミナカタノカミ 建御名方神
ほか五〇余柱の多きを数える神が祀られる。
□祭  
□山車
山車はない。
□汎論
 両神山(りょうかみさん)は、埼玉県秩父郡旧両神村(現小鹿野町)と秩父市の境界、秩父山地の北端にあり、標高一七二三メートル。武甲山、三峰山とともに秩父三山の一つに数えられる。
 古来信仰の山としての歴史があり、両神神社の由緒は、社記によると、日本武尊東征の帰途、常陸の筑波山より八日の間両上山を望みつつ当地にいたり、神犬の導きで登山し、両神神社を建立しイザナギノミコト(伊弉諾命)、イザナミノミコト(伊弉冉命)を祀ったのにはじまるとしている。また丹生明神ともいい、丹党薄氏の氏神だったともある。
 旧両神村にはいってからも長い一本道の終点に鎮座する。水神であるミズハノメノカミ(罔象女神)が祀られ、赤平川を経て荒川に合流する荒川の源流のひとつである。
 長い歴史に埋もれ、また変遷があり、しかも記録を欠くから推定になるが、創祀時の祭祀は古代に遡る山上祭祀の痕跡があり、表登山道のある日向大谷の観蔵院はのちの金昌寺、八日見神社を里宮とする神奈備山であろう。
 両神山とは、龍山(りょうやま)で水を司る龍神にちなむとも言う。前記ミズハノメノカミ(罔象女神)が祀られることともあいまって、北麓の尾ノ内の龍頭神社とともに雨乞いがおこなわれたと推定される。

◆05033 御霊八坂神社祭
□社名 八坂神社
□所在地 埼玉県秩父郡小鹿野町(旧両神村)
□祭神
□祭は七月下旬。  
□山車
笠鉾
休止中。
□汎論

●11367 秩父市(旧大滝村)
◆02535 九十九神社祭 
□社名 九十九神社(くじゅうくじんじゃ、つくもじんじゃ)
□所在地 埼玉県秩父市(旧大滝村)大血川
□祭神
平将門の兵士九十九柱。
□祭は十月中旬。  
□山車
笠鉾一臺。
曳行休止中。
□汎論
 九十九神社は、平将門の乱で殉じた九十九名の霊を祀ると伝わる。熊野信仰と、熊野古道について、先達を勤めた九十九王子があるが、そちらとは関係がないらしい。
 東京都青梅市日向和田に九十九神社がある。 

●11368 秩父市(旧荒川村)
◆00121 半縄天神祭
□社名 天神社
□所在地 埼玉県秩父市(旧荒川村)半縄
□祭神
□祭は六月下旬。  
□山車
笠鉾一臺。
休止中。
□汎論
 秩父地方の山車は、笠鉾と屋臺に二大別され、江戸時代中期には現在見られる形態にほぼ近い型が完成していたと考えられる。秩父市を中心に周辺町村に及び、秩父囃子・屋臺囃子がともなう。長い歴史の中で相互に譲渡が行われたりしている。旧荒川村半縄で曳かれた笠鉾は天保五年(一八三四)に建造された古い歴史がある貴重な笠鉾で、明治末期まで曳かれたがその後は長く飾り置きのみされていた。現在は秩父(旧荒川村)歴史資料館に寄託されている。祭は天神祭であるが、実態は祗園祭だった。

◆00398 荒川村歴史民俗資料館
埼玉県荒川村

◆21499 白久の串人形
埼玉県荒川村白久

◆03609 神明社夏祭(川瀬祭)
埼玉県荒川村大字白久地区

●11369 東秩父村
◆00304 天児安神社祭
□社名 天児安神社
□所在地 埼玉県秩父郡東秩父村皆谷(かいや)
□祭神
アメノコヤネノミコト 天児屋根命
□祭は十一月上旬。  
□山車
笠鉾。
現在は休止中。
□汎論
 天児安神社の創祀は不明。祭神のアメノコヤネノミコト(天児屋根命)は、コゴトムスビノミコト(居々登魂命)の子、妃はアメノミツタマテルヒメノミコト(天美津玉照比売命)。東大阪市の枚岡神社の祭神として古くから祀られる。奈良の春日大社の三祭神の一神で、アメノコヤネノミコトは枚岡神社より分祀されたと伝わる。
 中臣連の祖神であることから、中臣氏(藤原氏)の祖神として祀られていることが多い。
 当社の由緒には、アメノコヤネノミコトを祖神とする中臣氏の一族がいたということだろうか。

●11381 美里町
◆00406 広木祇園祭
□社名 八坂神社
□所在地 埼玉県児玉郡美里町広木
□祭神
□祭は七月下旬。  
□山車
屋臺一臺
・広木
 唐破風、四輪、六本柱の屋臺である。初代の屋臺は【瓜小屋屋臺】とよばれていたといい、現群馬県太田市世良田町の祗園形式の屋臺だったと伝わる。すぐ東にある駒衣地区の屋臺もやはり世良田町の影響を受けている。現在の屋臺は二代目で、日清戦争の戦捷記念して建造されたと伝わるが、屋臺には珍しく、正面に階段を設け、基臺は外縁。内陣が二重の勾欄を引き回している。このような屋臺は秩父地方では秩父市本町屋臺、
藤岡市の大戸町屋臺(旧児玉町鍛冶町)および、当広木屋臺の三臺が知られるが、秩父市本町屋臺は改修されている。
 内陣を中柱で仕切って障子をたて、前部は舞臺、後部を囃子座とする。側面が前面に一列に開閉する張出部はない。柱が高いので開放感がある。
 このような形式は、もと内陣を神座としていた古い山車の形態を継承しているといえるだろう。
□汎論

◆04486 諏訪神社祭
□社名 諏訪神社
□所在地 熊谷市(旧江南町)上新田
□祭神
タケミナカタノミコト 建御名方命
境内社
女諏訪神社
天神社
琴平神社
□祭は七月中旬。  
□山車
屋臺
・上新田
□汎論
 熊谷市(旧江南町)上新田にある諏訪神社の社殿建立は、延享三年(一七四六)の伝承があるが、棟札は嘉永五年(一八五二)のものが残る。鞘堂に収まる社殿は見事な彫刻が施されている。

●11382 本庄市(旧児玉町)
◆00412 東石清水八幡神社祭
□社名 八幡神社
□所在地 埼玉県本庄市(旧児玉町)児玉
□祭神
ホムダワケノミコト 誉田別命
ヒメオオカミ 姫大神
ジングウコウゴウ 神功皇后
□祭は十一月上旬。  
□山車
屋臺。
・上町
明治三〇年代の建造。二代目にあたるが、初代の山車については不明。
・仲町
現在の山車は二代目にあたり、明治二十七年の建造。
工匠は、花園町(現深谷市)小前田の藤井作次郎。
・本町
明治初期に車台の山車を建造、現在の山車は二代目で、明治末期の建造と伝わる。
□汎論
 東石清水八幡神社の創祀は康平六年(一〇六三)、源頼義、義家親子が、東北征伐に際し、山城(京都府)の岩清水八幡宮より分祀を受けて祀っ田の西之一色町はじまると伝わる古社。社殿各間にはみごとな彫刻が収まる。
 祭神のヒメオオカミ(姫大神)は、大分県の宇佐神宮と同じ、宗像三女神の一神である、イチキシマヒメノミコト(市杵島姫命)。

●11383 神川町 

●11384 神泉村 

●11385 上里町
◆02537 上里
埼玉県上里町

●11401 大里村 

●11402 熊谷市(旧江南町)
◆00068 出雲伊波比神社祭
□社名 出雲伊波比神社
□所在地 埼玉県熊谷市(旧江南町)板井
□祭神
タケミカヅチノミコト 武甕槌命
□祭は七月中旬  
□山車
山車
・板井
 江戸時代末期ころに張り出し構造の舞臺のある屋臺があったと伝わり理、明治末期まで曳かれた。
現在の山車は二代目。熊谷市某所より譲りうけたと伝わる。
□汎論
 出雲乃伊波比神社は延喜式神名帳、武蔵國男衾郡に記載される武蔵國四十四座、男衾郡三座のうちの一座。当社のほかに、寄居町赤浜、毛呂山町毛呂山町中央二丁目などにあり、東京都大田区大森北二丁目には磐井神社がある。
 熊谷市(旧江南町)の創祀は不明ながら、古くは氷川神社、鹿島神社などと呼ばれていた時代があり、祭神にも変遷の痕跡が見える。
 現在は鹿島神を祭る神社であるが、創祀時はオオナムチノミコト(大己貴命)を祀る出雲系の神社だったと推定される。

●11403 妻沼町 

●11405 岡部町
◆00068 伊波比神社祭
埼玉県岡部町

◆00124 成沢の天王祭
埼玉県岡部町

◆00340 岡部祭
埼玉県岡部町

◆00525 鹿島田の天王祭
埼玉県岡部町

◆04486 諏訪神社祭
埼玉県岡部町

●11406 川本町
◆02539 川本
埼玉県川本町

●11407 花園町
◆00414 小前田諏訪神社祭
□社名 諏訪神社
□所在地 埼玉県花園町小前田
□祭は十月上旬。
□山車(屋臺)
・上町
明治十年の建造。
・中町
明治四年の建造。
・本町
明治元年の建造。
・西ノ階戸
明治中期に建造された笠鉾があったが、鬼石町仲町に譲られた。
□汎論
 諏訪神社は地名の小前田(おまえだ)をつけて小前田諏訪神社とよばれ長野県の諏訪大社より分祀を受けて創祀したと伝えられる
る。山車は三臺とも屋臺前面に小太鼓四、大太鼓一がゆったり並べる大型の単層屋臺で、屋根は唐破風である。秩父地方と同じように
屋臺の上で歌舞伎が行われたといわれ、八本の柱が立ち、屋臺前部は藝座、後部は囃子座であった名残がある。

●11408 寄居町
◆00453 寄居祭
□社名 宗像神社
□所在地 埼玉県大里郡寄居町
□山車
笠鉾
・宮本(六供)
・花町
・常木
山車は、旧五町の、
・茅町
・武町
・栄町
・本町
・中町
□汎論
寄居秋祭の山車 一本柱山車
 笠鉾と山車がある。
 寄居町の山車は関東の祭のなかでも最も古い形を残している。現在すべてが古い型を
継承しているわけではないが、山車が曳き始められたころの一本柱の山車がある。
寄居町は埼玉県の北西部、荒川に沿った左岸の段丘上に寄居町がある。
寄居秋まつりはこの宗像(むなかた)神社の例大祭で、祭には、古式の一本柱山車(いっぽんばしら)で知られる八臺の山車が曳かれる。江戸初期から中期にかけ関東各地で曳かれた山車には一本柱吹貫山車が多かった。しかしこれは次第に姿を消し一本柱吹貫山車を今にみられるところは少なくなった。
社記によると、宗像神社は、奈良時代文武天皇の御代大宝元年(七〇一)に、荒川の氾濫を鎮め、水上の交通を護るため福岡県宗像郡玄海町の宗像大社の御分霊をうけて祀った。
とあるように古社である。
寄居町の山車は、秩父地方各地に見られる「傘鉾」形式と「一本柱山車」に二大別できる。
茅町山車(花車)記録した「昭和四八年十二月十五日 茅町の諫鼓鶏山車の文化財指定の申請資料によると、上臺には諫鼓鶏が載る。茅町の山車は、明治初年、曳行中、本町で転倒し、大破したので花車の再建にかかり、およそ十三年かけて、明治十三年頃に完成した。花車全般の構想・設計・指導及び主要彫刻物は後藤功祐による。

◆00028 玉淀水天宮祭
埼玉県寄居町

●11421 騎西町
◆00462 騎西祭
□社名 玉敷神社(たましきじんじゃ)
□所在地 埼玉県加須市(旧騎西町)騎西
□祭神
ナムチノミコト (己貴命)
□祭は  
□山車
屋臺
・騎西地区
□汎論
 玉敷神社は、延喜式神名帳武蔵国埼玉郡に記載される、武蔵国四十四座、埼玉郡四座のうちの一座。創祀は大宝三年(七〇三)と伝わる。祭神はナムチノミコト (己貴命)とされるが、オオナムチノミコト(大己貴命)
である。久伊豆大明神の別名があり、埼玉県内に数社ある久伊豆神社(ひさいずじんじゃ)の総本宮に当たる出雲系神社である。
 埼玉郡(現埼玉県行田市大字埼玉字富士山)には、おなじ延喜式神名帳記載の前玉神社があって、古墳の上にサキタマヒコノミコト(前玉彦命)、サキタマヒメノミコト(前玉姫命)の二座が祀られ、玉敷神社には境内社となっている【宮目神社】が延喜式神名帳に記載される。実質的には埼玉郡には延喜式神名帳記載神社は二社ということになり、且つ埼玉県の件名ともなっていて、ここが古代の埼玉県の中心だったといえよう。
◆21500 玉敷神社神楽
埼玉県騎西町

●11422 南河原村
◆02540 河原神社祭
□社名 河原神社
□所在地 行田市(旧南河原村)
□祭神
・浅間社
・伊奈利社
・八幡社
・一目蓮社
・三峰社
・伊奈利社
・諏訪社
・伊奈利社
・塞神社
・天神社
・伊奈利社
・八坂社
・三峰社
・金山社
・伊奈利社
・白山社
・八坂社
□祭は八月中旬。  
□山車
屋臺一臺
・南河原地区
□汎論
 社記によると、河原神社の創祀は応保元年(一一六一)、武蔵守平賀義信により祀られたとあるとある古社。創祀時の祭神は住吉神で、
入間郡勝呂郷(現坂戸市塚越)より分祀を受けたと伝わる。
 明治二年に現社名となった。
境内には多くの神社が合祀されている。

●11423 鴻巣市(旧川里村)
◆01170 川里赤城神社祭
埼玉県鴻巣市(旧川里村)

●11424 北川辺町 

●11425 大利根町
◆00455 大利根
埼玉県大利根町

●11442 宮代町
◆02542 宮代浅間神社祭
□社名 浅間神社
□所在地 埼玉県南埼玉郡宮代町和戸宿
□祭神
コノハナサクヤヒメノミコト 木花開耶媛命
□祭は六月下旬。  
□山車
屋臺
・和戸宿地区
休止中(存在しない)
□汎論
 コノハナサクヤヒメノミコト(木花開耶媛命)は、愛媛県今治市大三島町宮浦の大山祗神社、静岡県三島市大宮町の三嶋大社などの祭神として祀られるオオヤマツミノミコト(大山祗命)の娘だとされ、富士山の祭神であり、諸国の活火山である浅間神社の祭神になっている。浅間神社はかなり古くから「せんげんじんじゃ」と音読みで呼ばれていたようで、木曾の御嶽山の飛騨頂上の麓には「千間樽」の地名がある。樽は「垂」とも書かれるが、これは噴火によって流出する熔岩の有様から出たのではないかと想像する。
 宮代には、山崎山の赤松浅間神社、辰新田の安養庵浅間神社、杉戸町河原の浅間神社の三山があり、七月一日の富士山の山開きと同じ日に【初山詣】がおこなわれ、参詣人のひたいに【初山】の朱印が押される。

●11445 白岡町
◆00611 篠津天王祭
□社名 
須賀神社
久伊豆神社
境内社
稲荷神社
九ヶ所神社
榛名神社
疱瘡神社
諏訪神社
雷電神社
八幡神社
浅間神社
など
□所在地 埼玉県南埼玉郡白岡町宿
□祭神
須賀神社
スサノオノミコト 素盞鳴命
□祭は七月中旬。  
□山車
屋臺
・上宿
・下宿
・宿
・よ組 横宿 
元治元年(一八六四)の記銘がある。
・神山
・馬立
休止。
□汎論
 篠津天王祭は、【篠津の天王さま】の呼び名で親しまれる祗園祭である。
創祀は不明。『新編武蔵国風土記』に、「西光院持天王社」とあって、もとは廃寺となった西光院に祀られていたゴズテンノウ(牛頭天王)だったかもしれない。地区内には鎮守の久伊豆神社があり氏子が重なる。明治期に一時須賀神社と合祀されたが中止され元に戻された。以後はそれぞれが独立している。祭は久伊豆神社と須賀神社の合同祭として齋行される。久伊豆神社では、須賀神社の祭の翌日、七月一日に【初山】とよぶ新生児の初詣でが行われる。
 山車は、屋臺の上に本座を設け、秩父祭のような笠鉾がつくものがある。堤燈枠が取り付けられ、夜には明かりを入れて曳き、神山の交差点では勇壮な【おおまわし】がおこなわれる。
 山車は奉賛で岡泉の天王さまにも飾られる。
□参考
次を参考にさせていただきました。
・篠津の天王様
 http://ro119.com/archive/kobe.cool.ne.jp/tantantanuki/shiraoka/saijiki/tennousama.htm
・篠津久伊豆神社(しのづひさいずじんじゃ)
白岡町観光協会
 http://www13.ocn.ne.jp/~shiraoka/meishoannnai/shinoduhisaizujinnjya.htm

◆03699 岡泉の天王様
埼玉県白岡町岡泉

●11446 久喜市(旧菖蒲町)
◆00040 菖蒲神社夏祭
□社名 菖蒲神社(しょうぶじんじゃ)
□所在地 久喜市(旧菖蒲町)
□祭神
クシイナダヒメノミコト 奇稲田姫命(袋田大明神)
タケヒナトリノミコト 武夷鳥命(鷲宮大明神)
オオナムチノミコト 大己貴命(久伊豆大明神)
末社(境内社)
稲荷、天神の合社
雷電社
大黒天
金毘羅
秋葉
聖徳太子
□祭は  
□山車
屋臺
・上町、中町
・下町
・上大崎
(順不同)
□汎論
 菖蒲神社の創祀は不明。古くは袋田社、また袋田明神社などとも呼ばれ、奇稲田姫命を祭神とする神社である。
 現在は、タケヒナトリノミコト(武夷鳥命・鷲宮大明神)、オオナムチノミコト(大己貴命・久伊豆大明神)が加わっている。
 タケヒナトリノミコトはアメノホヒノミコト(天穂日命)の子である。武蝦夷鳥命と記載されたものをみるが、誤記であろう。

◆05996 大崎神社祭
埼玉県菖蒲町

●11461 栗橋町
◆01318 栗橋祭
埼玉県栗橋町

●11462 久喜市(旧鷲宮町)
◆00395 鷲宮神社祭
□社名 鷲宮神社
□所在地 久喜市(旧鷲宮町)
□祭神 
アメノホヒノミコト 天穂日命
タケヒナトリノミコト 武夷鳥命
オオナムチノミコト 大己貴命
合祀
タケミナカタノカミ 武御名方神、建御名方神 
イザナミノカミ 伊邪那美神、伊弉冉神
オオヤマツミノカミ 大山祇神、大山祗神
ウカノミタマノカミ 宇迦之御魂神、倉稲魂命
オオヤマクイノカミ 大山咋神
アマテラスオオミカミ 天照皇大神、天照大御神
カグツチノカミ 迦具土神、軻遇突智神
スサノオノミコト 素嗚戔命、素盞嗚命
スガワラミチザネ 菅原道真
*神名の漢字表記は、はじめが社記、次は記述上の常用表記。
□祭は七月下旬。  
□山車
山車、屋臺。
山車
・本町
・上町
・仲町
・旭町
屋臺
・新町
(順不同)
□汎論
 社記によると、鷲宮神社の創祀は古く、神代の時代に、アメノホヒノミコト(天穂日命)と、タケヒナトリノミコト(武夷鳥命)の親子が、昌彦と昌武の父子ほか二十七名の氏族を従え、オオナムチノミコト(大己貴命)を祀る【神崎神社】を創建したのにはじまると伝わる関東でも有数の大社である。
 祭神は出雲系の神である、オオナムチノミコト、アメノホヒノミコト、タケヒナトリノミコトとなっており、主祭神のオオナムチノミコトは次記となっている。合祀の神は、海神系、海神系三嶋神、海神系
山王神(日吉神)、出雲系の諏訪神、稲荷神、皇室系神、天満神などが祀られる。延喜式神名帳が編纂された当時はすでに存在したはずであるが記述がない延喜式外社である。このことは、当社が平安時代になっても出雲系の神を祀る神社として節をまげなかったことがうかがえる。埼玉県から茨城県にかけてアメノホヒノミコト(天穂日命)を祀る鷲宮神社が数社あるが、おそらく当社から分祀されたものであろう。
□参考
次を参考にさせていただきました。
・鷲宮神社
 http://www.washinomiyajinja.or.jp/history/history.html

◆21507 鷲宮の催馬楽神楽
埼玉県鷲宮町
鷲宮の催馬楽神楽

●11464 杉戸町
◆02544 杉戸八坂神社祭
□社名 八坂神社
□所在地 埼玉県北葛飾郡杉戸町
□祭神
□祭は七月中旬。  
□山車
屋臺
・杉戸地区
曳行休止中。
□汎論
 埼玉県ほかの各地で見られる唐破風屋根、単層、六本柱、間口より奥行きの長い四輪(ときに二輪、三輪)の山車は【屋臺】と呼ばれていることが多い。その基本形は近江長濱(現滋賀県長浜市)の曳山に見ることが出来、且つ歴史ももっとも古いことから屋臺の起源はここに辿ることが出来そうである。
 【長濱曳山】は、山車を前後に区切り、前部を舞臺にして子供歌舞伎を上演する。後陣は一段高く襖(ふすま)で仕切り、状態は【亭(ちん)】とよぶ建築工藝の粋をあつめた趣向を凝らした構造になっているが、その形状は町内(組)ごとに異なっている。この亭の部分が本来の【神座】である。
 関東の屋臺とよばれる山車も、その由来はおそらく長濱の系統を引いているといえるだろう。出現当時の形は基臺に一本の柱をたてたものが基本構造で、これが屋根のある屋臺に進化しても屋根の上に四角い神座を設け、一本柱を立て、【萬燈】や【セキダイ】、【太陽神】を備え、正面には神が山車に定着される際の階が設けられていた。これが次第に、笠鉾(傘鉾)、本座人形へと姿を変えていったと考えられる。いまも屋根の上に構造体のある山車・屋臺が曳かれているところがある。さらにこれが、上臺(屋根の上)の構造体が後陣に移り、前部は、囃子座あるいは藝座として定着してゆく。その過程で後陣の神座は二重勾欄で垣られたものがあらわれた。これがさらに変化して、二重勾欄は単重二、正面の階も省かれるようになったのが、今見られる屋臺の姿といえるであろう。 

●11465 松伏町
◆01319 松伏祭
埼玉県松伏町

●11468 庄和町
◆31177 庄和町凧揚祭
埼玉県庄和町


行政コード番号は従前のままです。 
20130109 更新

 

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目次
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左甚五郎傳
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谷口與鹿
 ◆論攷 延喜式神名帳
論攷 延喜式神名帳
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 ◆古代祭祀と神南備山
古代祭祀と神南備山
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