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日本の山車 日本の山車
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標題の写真説明
2014-07-01
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  表題の写真説明
 ボックスのタイトル : 近畿
 題名 : ◆滋賀県

日本の山車 滋賀県

滋賀県総論
◆滋賀県総論
 滋賀県日野町は琵琶湖の東に位置する。鈴鹿山脈にはイナベアザミ、スズカアザミ、ワタムキアザミなどタイプ地に地名のつけられたアザミ属の植物があり、さらに北に行くとイブキアザミ、コイブキアザミなどと置き換わる。このワタムキアザミがタイプとなったのが鈴鹿山系の綿向山であり、日野町馬見岡の綿向神社の神南備山と考えられる。
 滋賀県にはいると、五個荘、秦荘にかけて宏壮な旧家の屋敷があり、「てんびんの里」の案内を見かけ、江州商人の繁栄ぶりがうかがわれる。日野町も江戸時代活躍した日野商人の本拠地であった。その繁栄ぶりがしのばれる立派な山車が長い消長の歴史を経て現在十六臺の山車が曳かれる。東海道の街道筋にあたる水口町もまたおなじ数の山車が引かれる。
 屋根の無い露臺式の山車で、近江八幡市「イ草の里」にも古い同じ形式の山車があり、相当古くなっているので車輪のついた枠臺にのせて曳かれている。
 湖東には現在は惹かれなくなっているものもあるが、この日野型の山車が散在する。鈴鹿峠の東にある三重県関町で曳かれる山車も日野型で、町内には綿向神社の社紋の入った旧山車が保存されている。
 千葉県佐原祭で曳かれる山車がこの露臺式である。高山市には四臺の「神楽臺」があるが、日枝神社、八幡神社、白山神社の屋臺がこの露臺式。飛騨総社の~樂臺は屋根があり、屋根と太鼓は同時にせり上げる構造である。
 三重県桑名地方の日本一やかましい祭りで知られる桑名宗社の石取祭で曳かれる「石取車」には日野型山車の影響が見られる。
 日野の山車の起源をさかのぼると演奏される山車囃子も関東系で、どうも佐原の山車を手本にしたのではないかと推定されるが、間違っているかもしれない。識者のご意見が聞きたいものである。

 滋賀県の北部に位置する長浜市は、名高い子供歌舞伎の行われる曳山、また趣のある盆梅でも名高い。旧名称は今濱といったが、豊臣秀吉が浅井長政を攻め、戦勝後、秀吉が主君織田信長の一字「長」を得て、「長濱」と改称した。琵琶湖畔に築城し、初代城主として入場しそのあと、柴田氏、山内氏、内藤氏などが襲っている。
 十七世紀のはじめごろ廃城となり、その後は長浜御坊として親しまれる大通寺の門前町として発展してきた。廃城となった長浜城の部材は彦根城に多く用いられている。
 湖北の地は古代、越前敦賀(福井県)に渡来した人びとにより製鉄が行われ、伊吹山に連なる金糞岳は、鉱滓の捨て場だったといわれる。また鉄の精錬技術を生かした国友は
鉄砲生産として栄えた。
 生糸の生産としても著名で、「濱ちりめん」、琴、三弦の糸が生産される。東浅井には能楽衣装資料館があり、眼を奪う艶やかな能楽の衣装が展示され、また古代染色植物の栽培もおこなわれている。南には謡曲で知られる朝妻川が流れる。
 米原町から山東町にかけては息長帯氏ゆかりの旧地であり、神功皇后(息長帯比賣)の陵墓がある。
 長浜の曳山の歴史は古い。曳山は前部の藝座と後部の亭に二分され、うしろには「見送り」が懸けられ、藝座では神の依代である子供らによって「曳山藝」が行われる。
 大津の曳山「月宮殿」、長浜の「月宮殿」はともに名称をおなじくする謡曲の「鶴亀」がある。おなじ文化圏の共通性を見ることができるが京都の祇園祭、おなじ県内の大津市の曳山とも異なる独特の曳山を完成させている。 滋賀県の北部に位置する長浜市は、名高い子供歌舞伎の行われる曳山、また趣のある盆梅でも名高い。旧名称は今濱といったが、豊臣秀吉が浅井長政を攻め、戦勝後、秀吉が主君織田信長の一字「長」を得て、「長濱」と改称した。琵琶湖畔に築城し、初代城主として入場しそのあと、柴田氏、山内氏、内藤氏などが襲っている。
 十七世紀のはじめごろ廃城となり、その後は長浜御坊として親しまれる大通寺の門前町として発展してきた。廃城となった長浜城の部材は彦根城に多く用いられている。
 湖北の地は古代、越前敦賀(福井県)に渡来した人びとにより製鉄が行われ、伊吹山に連なる金糞岳は、鉱滓の捨て場だったといわれる。また鉄の精錬技術を生かした国友は
鉄砲生産として栄えた。
 生糸の生産としても著名で、「濱ちりめん」、琴、三弦の糸が生産される。東浅井には能楽衣装資料館があり、眼を奪う艶やかな能楽の衣装が展示され、また古代染色植物の栽培もおこなわれている。南には謡曲で知られる朝妻川が流れる。
 米原町から山東町にかけては息長帯氏ゆかりの旧地であり、神功皇后(息長帯比賣)の陵墓がある。
 長浜の曳山の歴史は古い。曳山は前部の藝座と後部の亭に二分され、うしろには「見送り」が懸けられ、藝座では神の依代である子供らによって「曳山藝」が行われる。
 大津の曳山「月宮殿」、長浜の「月宮殿」はともに名称をおなじくする謡曲の「鶴亀」がある。おなじ文化圏の共通性を見ることができるが京都の祇園祭、おなじ県内の大津市の曳山とも異なる独特の曳山を完成させている。
 長浜の曳山の影響を受けたと考えられる伝播地は、日本海にでて、敦賀市で北国街道を西と北にわかれ、西は京都府の舞鶴市、福知山市、宮津市、丹後市まで。北は石川県小松市、富山県小矢部市、礪波市、入善町まで、さらに神通川をさかのぼり岐阜県飛騨市(旧古川町)、高山市まで。
 戻って、滋賀県南部の米原町。岐阜県に入って、垂井町、揖斐川町、大垣市、養老町などに見られる。岐阜県では長浜型の山車(曳山)を、□(やま。文字なし、車偏に山)と書く国字(文字)をあてている。このような例は、富山県福野町の山車にも例が見られる。長浜型曳山が現在すべての地にあるわけではではなく、長い歴史の過程で、曳山があっても曳かれないもの、かつての曳山藝能である歌舞伎のみを行うもの、すでに曳山は存在しない地域と多様である。曳山があっても、曳山藝能のみを伝承地から出張して上演してもらう例があり「買い芝居」とよんでいる。

 長浜の曳山の影響を受けたと考えられる伝播地は、日本海にでて、敦賀市で北国街道を西と北にわかれ、西は京都府の舞鶴市、福知山市、宮津市、丹後市まで。北は石川県小松市、富山県小矢部市、礪波市、入善町まで、さらに神通川をさかのぼり岐阜県飛騨市(旧古川町)、高山市まで。
 戻って、滋賀県南部の米原町。岐阜県に入って、垂井町、揖斐川町、大垣市、養老町などに見られる。岐阜県では長浜型の山車(曳山)を、□(やま。文字なし、車偏に山)と書く国字(文字)をあてている。このような例は、富山県福野町の山車にも例が見られる。長浜型曳山が現在すべての地にあるわけではではなく、長い歴史の過程で、曳山があっても曳かれないもの、かつての曳山藝能である歌舞伎のみを行うもの、すでに曳山は存在しない地域と多様である。曳山があっても、曳山藝能のみを伝承地から出張して上演してもらう例があり「買い芝居」とよんでいる。

●25201 大津市
◆00007 大津祭大津祭
□社名 天孫神社
□所在地 大津市京町三丁目(旧、四宮町)
□祭は十月上旬。
山車を曳く。
□山車
・猩々山
能楽の「猩々」より名付けられた中国の金山の麓に高風という正直で孝行な若者が住んでいたある日高風は夢で楊子の里で酒を売れば豊になるという夢にしたがいい楊子の市で酒売りをしたところ海に住む猩々がやってきて酒を飲み、舞に興じたあと、高風の正直な心をほめ酌めどもつきぬ酒壷を与える
からくり
曵山正面の奥には左手に大盃、右手に扇を持った猩々の人形があり、その手前に左手に長柄の杓を持つ高風の人形が立ちその前に大甕がおかれている。
所望になると、高風が大甕から酒を酌み猩々が持っている盃に酒をつぐ猩々は酒を飲み干し手に持つ扇で自分の顔を隠すその扇を下におろすと酒の回った真っ赤な顔が現れる。扇で顔を隠している間に顔がくるりと回転しているのである。この仕掛けは、殺生石山の玉藻の前にもみられる。
切妻の屋根の内部は水平ではなく化粧屋根裏で裏板は軒とともに金箔おきとなっている
見送りや胴幕は中国製の綴れ織りの一種である「刻子織」
見送りは唐子遊びの図で、
獅子舞
鬼ごっこ
独楽回し
舟遊び
凧上げ
など子供の遊びをあつめ、八十余人唐子によって演出させた「唐子遊技図」である
欄間の木彫りの龍の丸彫り金の麒麟の彫刻が目を惹く
・郭巨山
別名「釜掘山」
中国の故事二十四孝の一人郭巨の物語に因む。
天井は格天井
その格間には、椿、あじさい、牡丹、桃、梅、水仙、八重桜、菊など二十八種類の草花を金箔置き、精巧な彫刻を彫るこのような格天井に彫刻を施した山車は例が少ない。
丸透彫の欄間彫刻にはにずが滝のように流れ波上を騎馬で走る中国の人物(不明という)。この彫刻には焼印があって、京都の彫刻師の手になることが知られている。見送りは、一説に空海、また顔真卿の書を刺繍したという。
からくり
郭巨の物語をからくりで演出する。曵山正面右手に郭巨の妻が童子を両手で抱いて立つ。左手に鍬を持った郭巨が立つ。所望になると郭巨の妻が童子をあやすように動き、郭巨は鍬を動かすと、郭巨の前にある岩に鍬をふりおろすと岩の一部が回転し黄金の釜が現れる。
びっくりして目を丸くする郭巨の表情と妻の慈愛の表情がみもの。
・月宮殿山
「鶴亀山」の別名がある
能楽の「鶴亀」にちなみ
喜多流では「鶴亀」を「月宮殿」と言うところから、山車の名が喜多流によりつけられている。
中国の皇帝が、春陽の節会の儀式のとき、月宮殿において鶴亀の舞を所望したが
興にのった皇帝もともに舞いにあわせて謡った。
寛政三年(一七九一)までは、鳳凰臺山といったが、その後いまの「月宮殿山」に変わった
からくり
曵山中央奥に玉冠をつけた皇帝が控える
一段低い右手に亀の冠をつけた男子の舞人
左手には鶴の冠をつけた女子の舞人
が向き合って立つ
所望の囃子にかわると、まず鶴亀が正面に向かって静かに両手をあげ
亀は右へ、鶴は左へ廻りながら扇を広げる
その後向き合って両手をおろす
ふたたび両手を上ゲ鶴亀が逆方向に廻って、正面に向き合う
皇帝は不動の姿勢であるが、口唇はあたかも謡うがごとく開かれている
見送り幕は
龍門瀧山と同じように十六世紀ベルギーのブリュッセルで織られた重厚な毛綴で
重要文化財に指定されている
天井は折り上げ格天井
その各格間には三十二の金銅星宿(星座)が配されている
この様式は、京都、祇園祭の長刀鉾にも見られる
唐破風の懸魚は、全体金箔をおいた牡丹彫刻である。
飾り金具は、消鍍金による精緻な地彫、毛彫などの技法が施される
・源氏山
「紫式部山」の別名がある
紫式部が石山寺において「源氏物語」を書いた
曵山が平安朝の王朝風の雰囲気を持つ
曵山内部は石山寺の観月臺を模した和様勾欄
下層廻りは蔀を装う
からくり
紫式部のからくり人形は、全国でも二番目に古い
曵山中央の観月臺には紫式部が右手に持つ筆を動かし
左手に巻紙を開いている
その眼前には岩山があり
その左下にある岩戸が開いて、時代衣装の汐汲みの男女、帆掛け船を漕ぐ船頭、牛の曳く御所車それに続く従者、傘持ちなど七体の人形が廻りながら次々と姿を見せる。
さらに岩山の中央では水車、松並木が出没して風景が変わる
執筆する紫式部、回転しながら趣向の変わった人形、背景の変化、
と三様の演出が平安絵巻を盛り上げる
近江八景とは、

 矢橋の帰帆
 瀬田の夕照
 粟津の晴嵐
 三井の晩鐘
 唐崎の夜雨
 堅田の落雁
 比良の暮雪

 をいい、題材にした欄間彫刻は注目に値する
天井画は、長谷川玉峰による萩、もみじ、菊など二十七種の「草花図」が描かれている。両脇柱間の三枚の羽目板には、金地に極彩色で、もみじと菊それに三羽の鳳凰を描く。
物(不明)をはじめ随所に中国風の趣をあしらっている
・殺生石山
「玄翁山」また「狐山」の別名がある。謡曲の「殺生石」にちなみ名付けられた。
からくり
曳き山の前にほっすを持った玄翁和尚が立ちその奥に殺生石を形作った岩があってその中に玉藻の前がいる所望になると、まず玄翁和尚がほっすを動かすとその法力で奥の岩が割れ、んかから玉藻の前が現れる
手に扇を持った玉藻の前は、その扇で顔を隠すがその扇を下におろすと顔だけが狐に変わる。
狐が顔を扇で隠し、再びおろすとこんどは玉藻の前に変わる。
面が早変わりするからくりのなかでも、構造的に面が立体的に一回転するのはこのからくりが唯一である
化粧屋根裏の豪華な草花は京都四条派の画家で知られる松村景文の筆になり、梅、朝貌、藤などを極彩色で描く
泥よけ下四隅の金具(小口)は波、飛龍を高彫りや銀象嵌をほどこす精巧な工芸品。
見送り幕は地元、大津出身の小倉遊亀による
「霽れゆく」
・西王母山
「桃山」の別名がある
能楽の西王母にちなみ名付けられたもの。西王母は中国の伝説上の人物で、中国の西方にある
崑崙山に住む仙女。
能では長生不死を望む漢の武帝の前に西王母が舞い降り、三千年に一度咲く桃の花の枝を皇帝にわたす。
その後ふたたび西王母が現れ桃の実を献じ皇帝の長寿と平和を祈る。
からくり
曵山左手柱のそばに東方朔が立つ。中央奧の台に盛装した西王母が右手に団扇、頭に鳳凰冠をつけて控える。下手の柱の内には桃が見事に実っている。
所望の囃子に変わると、この桃が二つに割れて、中から右手に軍配を持った唐子が出てくる。童子は幹を前方に向かって進み、膝を屈伸するや身を翻して後戻りし、もとの桃の中に戻ってかがむと、桃は静かに閉じる。
大津祭山車展示館で複製された人形が同じ所作でからくりを演じる。
他の曵山は総て柿葺風だがこの曵山の屋根は瓦葺き風に仕上げてある。軒先には金箔張りの大きな飛龍の飾り彫刻が取り付ける。
見送り幕は中国製の綴錦、なぜかこれを蝦夷錦と呼ぶ。
中央には正面向きの龍、下部には波間より、これから天に昇ろうとする二匹の小龍
青海波が精巧に織られている。
・石橋山
古くは「靭猿」とよんでいたが、延享五年(一七四八)能楽の「石橋」に因む現在の臺名である「石橋」
になった。「唐獅子山」の別名がある。
天台宗の像である寂昭(大江定基)は修行のため宗の天台山(または西涼山)にいたる。そこに架かる石の橋を渡ろうとしたとき、文珠菩薩の唐獅子が、牡丹の花に戯れているのを見た故実。
正面と背面には牡丹を彫刻した見事な懸魚がある
この大きさは幅がおよそ一、五メートルにもおよぶ大きなものである
天井の格間には菊の彫刻が施されている。
前の柱には牡丹の花や、たくさんの蕾があしらわれ、蝶が舞う。
胴幕は、中島來章の下絵で、正面は雪景色で月に三羽の雁が飛ぶ。
左側は、港の風景で、中国の三人の人物で一人は、遠眼鏡で船を見、
牡丹が描かれる
右側は陸地と海を隔てて城がある。
海には船が浮かび、白馬に乗った貴人がおり
出迎える人がいる。見送幕は、毛綴織で、上部には花束と鳥の模様が織りこまれている。このような模様は大津祭の龍門瀧山、長浜祭の鳳凰山、京都祇園祭の鶏鉾に類型が見られる。図柄は椅子にかける貴人を真ん中に左には貴婦人がいて、その後方には侍女が控え、右には壺を持った二人の男がいる。後背には、遠く山並みが描かれている。
からくり
曵山奥には大きな岩があり、右手前には寂昭法師が立っている。
所望の囃子が始まると岩の下方が割れて岩戸が開く。
大きな目をした愛らしい唐獅子があらわれて、少し前に進んで跳ね、
後ろ向きになって岩戸の中に入る。
昔は橋樋があって、曵山の前方飾られている牡丹の花に戯れる姿があったといわれる。今は見られない。唐獅子を扱ったからくりは全国でも数が少ない。なお、現在使用されている唐獅子は、昭和五十七年に復元修理された物を使用している。
・龍門瀧山
中国黄河の上流にある龍門山は、魚がさかのぼることの出来ない滝があって、この滝をさかのぼることが出来た鯉は天に昇り龍になるといわれ、ここを越えることが出来れば龍になれるといわれている
龍門瀧山では本祭の日にかけられる見送り幕が目をひく。
十六世紀ベルギーで作られた毛綴織で、画題はギリシャの詩人ホメロスの叙事詩である「イリアッド」
の物語でトロイ落城の情景を織りだしたといわれている。国の重要文化財指定されている。京都鯉山のタペストリーと二分したもの。過去に用いられたからくりの鯉は、初代、林孫之進が宝暦十二年(一七六二)湖南の大工栄蔵の作には、寛政五年(一七九四)の銘がある。製作年代不明の四代目林孫之進の三体が伝わる。これら三体の鯉は宵山から本祭に飾り展示される。
幕押しの彫刻「中国農村風景」は、左甚五郎作と伝える、
からくり
曵山全体が龍門山をかたどり、天井は一面に雲を表した彫刻を施し
て天を表し
中央には大きな瀧がある。
鯉はこの滝を尾や鰭を左右に振り動かして、落ちる水に何度も押し返されながら、幾度も上下を繰り返しつつ徐々に上へと上っていく。金色に塗られた鯉はやがて上部に達するや、やおら翼を左右に大きく広げそのまま、天井の雲の中へと姿を隠す
翼を大きく広げることで、鯉から龍へ変身できたことを表現している。このからくり芸は曵山の下床で、一人で操作されるため、外部からはからくりを操る人の姿は見えない。
・殺生石山
「玄翁山」また「狐山」の別名がある。謡曲の「殺生石」にちなみ名付けられた。
からくり
曳き山の前にほっすを持った玄翁和尚が立ちその奥に殺生石を形作った岩があってその中に玉藻の前がいる所望になると、まず玄翁和尚がほっすを動かすとその法力で奥の岩が割れ、んかから玉藻の前が現れる
手に扇を持った玉藻の前は、その扇で顔を隠すがその扇を下におろすと顔だけが狐に変わる。
狐が顔を扇で隠し、再びおろすとこんどは玉藻の前に変わる。
面が早変わりするからくりのなかでも、構造的に面が立体的に一回転するのはこのからくりが唯一である
化粧屋根裏の豪華な草花は京都四条派の画家で知られる松村景文の筆になり、梅、朝貌、藤などを極彩色で描く
泥よけ下四隅の金具(小口)は波、飛龍を高彫りや銀象嵌をほどこす精巧な工芸品。
見送り幕は地元、大津出身の小倉遊亀による「霽れゆく」
・西王母山
「桃山」の別名がある
能楽の西王母にちなみ名付けられたもの。西王母は中国の伝説上の人物で、中国の西方にある
崑崙山に住む仙女。
能では長生不死を望む漢の武帝の前に西王母が舞い降り、三千年に一度咲く桃の花の枝を皇帝にわたす。
その後ふたたび西王母が現れ桃の実を献じ皇帝の長寿と平和を祈る。
からくり
曵山左手柱のそばに東方朔が立つ。中央奧の台に盛装した西王母が右手に団扇、頭に鳳凰冠をつけて控える。下手の柱の内には桃が見事に実っている。
所望の囃子に変わると、この桃が二つに割れて、中から右手に軍配を持った唐子が出てくる。童子は幹を前方に向かって進み、膝を屈伸するや身を翻して後戻りし、もとの桃の中に戻ってかがむと、桃は静かに閉じる。
大津祭山車展示館で複製された人形が同じ所作でからくりを演じる。
他の曵山は総て柿葺風だがこの曵山の屋根は瓦葺き風に仕上げてある。軒先には金箔張りの大きな飛龍の飾り彫刻が取り付ける。
見送り幕は中国製の綴錦、なぜかこれを蝦夷錦と呼ぶ。
中央には正面向きの龍、下部には波間より、これから天に昇ろうとする二匹の小龍
青海波が精巧に織られている。
・石橋山
古くは「靭猿」とよんでいたが、延享五年(一七四八)能楽の「石橋」に因む現在の臺名である「石橋」
になった。「唐獅子山」の別名がある。
天台宗の像である寂昭(大江定基)は修行のため宗の天台山(または西涼山)にいたる。そこに架かる石の橋を渡ろうとしたとき、文珠菩薩の唐獅子が、牡丹の花に戯れているのを見た故実。
正面と背面には牡丹を彫刻した見事な懸魚がある
この大きさは幅がおよそ一、五メートルにもおよぶ大きなものである
天井の格間には菊の彫刻が施されている。
前の柱には牡丹の花や、たくさんの蕾があしらわれ、蝶が舞う。
胴幕は、中島來章の下絵で、正面は雪景色で月に三羽の雁が飛ぶ。
左側は、港の風景で、中国の三人の人物で一人は、遠眼鏡で船を見、
牡丹が描かれる
右側は陸地と海を隔てて城がある。
海には船が浮かび、白馬に乗った貴人がおり
出迎える人がいる。
見送幕は、毛綴織で、上部には花束と鳥の模様が織りこまれている。
このような模様は大津祭の龍門瀧山、長浜祭の鳳凰山、京都祇園祭の鶏鉾に類型が見られる。
図柄は椅子にかける貴人を真ん中に左には貴婦人がいて、その後方には侍女が控え、右には壺を持った二人の男がいる。
後背には、遠く山並みが描かれている。
からくり
曵山奥には大きな岩があり、右手前には寂昭法師が立っている
所望の囃子が始まると岩の下方が割れて岩戸が開く。
大きな目をした愛らしい唐獅子があらわれて、少し前に進んで跳ね、
後ろ向きになって岩戸の中に入る。
昔は橋樋があって、曵山の前方飾られている牡丹の花に戯れる姿があったといわれる
今は見られない。
唐獅子を扱ったからくりは全国でも数が少ない
なお、現在使用されている唐獅子は、昭和五十七年に復元修理された物を使用している。龍門瀧山
中国黄河の上流にある龍門山は、魚がさかのぼることの出来ない滝があって、この滝をさかのぼることが出来た鯉は天に昇り龍になるといわれ、ここを越えることが出来れば龍になれるといわれている
龍門瀧山では本祭の日にかけられる見送り幕が目をひく。
十六世紀ベルギーで作られた毛綴織で、画題はギリシャの詩人ホメロスの叙事詩である「イリアッド」
の物語でトロイ落城の情景を織りだしたといわれている。
国の重要文化財指定されている。
京都鯉山のタペストリーと二分したもの。
過去に用いられたからくりの鯉は、初代、林孫之進が宝暦十二年(一七六二)湖南の大工栄蔵の作には、寛政五年(一七九四)の銘がある。製作年代不明の四代目林孫之進の三体が伝わる
これら三体の鯉は宵山から本祭に飾り展示される
幕押しの彫刻「中国農村風景」は、左甚五郎作と伝える、
からくり
曵山全体が龍門山をかたどり、天井は一面に雲を表した彫刻を施し
て天を表し中央には大きな瀧がある。
鯉はこの滝を尾や鰭を左右に振り動かして、
落ちる水に何度も押し返されながら、幾度も上下を繰り返しつつ
徐々に上へと上っていく
金色に塗られた鯉はやがて上部に達するや、やおら翼を左右に大きく広げ
そのまま、天井の雲の中へと姿を隠す
翼を大きく広げることで、鯉から龍へ変身できたことを表現している
このからくり芸は曵山の下床で、一人で操作される
ため、外部からはからくりを操る人の姿は見えない
・孔明祈水山
中国の三国誌より、蜀と魏の戦いで、諸葛孔明が必勝を祈願する
祈りが通じて大洪水が起こり、魏の大軍を押し流した故事にちなむ。
からくり
曵山中央に孔明が遣車に着座し、その左手には武将の趙雲子龍が鎧兜をつけ、鉾を構えて立つ。
所望の囃子により、子龍が手に持つ鉾を流れに入れると、川の水は湧き立つように溢れてくる。
孔明はこれを見て、右手を挙げ満足の様子を見せる。この水のあふれる仕掛けは、他に全く例を見ない唯一のもの

◆00289 大津市堅田祭
滋賀県大津市本堅田
休止   

◆00491 大津曵山展示館
滋賀県大津市      
長浜曵山祭

◆00783 大津唐崎
滋賀県大津市
      
◆04999 大津市坂本
滋賀県大津市      

●25202  
滋賀県彦根市稲里町

◆00389 稲村神社祭
滋賀県彦根市稲里町
休止   
□汎論

◆01595 菅原神社祭
□社名 菅原神社
□所在地 滋賀県彦根市薩摩町
□祭
□汎論
 菅原神社は鳥居に天満社の社号額がかかる。よく整備された境内に収蔵庫があり、こここに太鼓臺が保存されている。基臺のうえに前後におおきな太鼓を乗せて打つ。太鼓の胴は約四尺(一・二メートル)もあるおおきなものだが、近年は曳き出されていないようである。

●05203 長浜市
◆00019 長浜曵山祭
□社名 長浜八幡宮
□所在地 滋賀県長浜市宮前町
□祭は四月中旬
山車(曳山)を曳き、子供歌舞伎が演じられる。
□山車
・長刀山
長刀組また小舟町組ともいう
山車の名称を蓬来山ともいう
建造は元禄十二年(一六九九)という。
工匠は藤岡甚兵衛。
他の組の山車(曳山)とはいささか趣が異なり、露臺のうえに架臺をおいて太刀渡りに用いる太刀がかかる。厚彫りの見事な菊の彫刻がある。
上臺には幟が立てられるが、昼間は緋羅紗、夜は源氏の笹龍胆の紋がつく幟となる。
・猩々丸
舟町組
舟形山車(曳山)で亭は無い。
安永三年(一七七四)の建造。
工匠は藤岡和泉藤原一富。
舞臺障子は山中信天翁筆の松竹菊梅図で、明治七年の作という。
楽屋襖絵は老松図。
・萬歳楼
瀬田町組
享和二年(一八〇二)の建造。
工匠は二代目藤岡重兵衛安道と市松安則父子。
胴幕は昭和五八年、沢宏靭の下絵で雅楽の楽器尽くし。
舞台障子は尾長鳥。
楽屋襖は雪亭尚明筆の仙女、西王母図。
・孔雀山
神戸町組
屋根の上に孔雀が載る。
宝暦年間(一七五一ー一七六四)の作と推定されている。
亭は後補で、文化十二年(一八一五)の作。
工匠は藤岡重兵衛。
胴幕の下絵は虎の子渡し図で作者は岸駒といい、また森徹山ともいう。
見送り幕は、昭和三年山鹿清華の萌春の図
舞台障子は長谷川玉峰の紅葉鳩図。
楽屋襖は八木奇峰の紅葉鳩図。人物渡海図は作者不明という。
米原町で曳かれている北町組の旭山は孔雀山の旧臺と伝わる。
先年、長浜祭に出かけたとき、孔雀山は曳き当番に当たっていたが、神社境内に曳きそろえられていたときそれまでの好天がにわか雨に見舞われた。養生シートをもって山車を覆うお手伝いをした。思いがけず山車(曳山)の亭にまでのぼることができ、組内の役員の方より貴重な資料を頂戴した。
・翁山
伊部町組
八ッ棟造で、明和二年(一七六五)の建造。
亭は文化十三年(一八一六)の作。
工匠は五代目藤岡和泉藤原一富。亭は藤原十兵衛と伝わる。
胴幕は唐獅子。
見送り幕、二人の武将図は一六世紀に、ベルギーで作られた飾毛綴で、加賀の豪商「銭五」こと銭屋五兵衛より購入したと伝わる。
楽屋襖は松鶴図。
錺金具は京都東六条の長左衛門で明和七年(一七七〇)の作という。
・青海山
北町組
舞臺の屋根を切妻造とする。亭は寄棟造で青龍が載る。
宝暦五年(一七五五)の建造。
亭は文化二年(一八〇五)の作。
工匠は藤岡和泉長好。
亭は藤岡重兵衛光隆。
舞台襖絵は中谷求馬の四季花卉図。
楽屋襖は松に孔雀図。
胴幕は紺羅紗地に飛燕。
・高砂山
宮町組
建造期は不明。延享二年(一七四五)の修理記録がある。
それ以前の製作。
亭は文化十三年(一八一六)の作。
工匠は藤岡和泉藤原安則。
後部彫刻彫刻幕は「飲中八仙図」。綴織の「唐子遊戯の図」。
舞臺襖絵は山縣岐鳳の国色(牡丹)小禽図。
・壽山
大手町組
屋根に鯱がのる。
天明二年(一七八二)の建造。
工匠は六代目藤岡和泉藤原利盈。
亭は後補で工匠は不明。
胴幕は昭和五十八年、中国蘇州でつくられた「竹林七賢図」。
見送りは中国明代の綴織と毛綴の二面がある。
舞臺襖絵は杉沢春高フ石榴と小禽図。
楽屋襖絵は松に孔雀図。
・常盤山
呉服町組
舞臺屋根は入母屋造。
明和七年(一七七〇)の再建と伝わる。
亭は文政元年(一八一八)の作。
工匠は不明。
胴幕は綴錦で、源義家陸奥勿来関を通る図、新羅三郎義光と豊原時秋、足柄山別れの図。見送りは大正一五年、山鹿清華の飾毛綴と太伯山錦。
舞臺襖絵は嘉永四年(一八五一)、横山某の菊白頬鳥図。
楽屋襖絵は藤原関倍の松鶴図。
・春日山
本町組
平右衛門の建造という。おそらく施主の名であろう。
亭は後補で詳細不明。屋根を寄棟造とする。
舞臺襖絵は北村李軒筆の渓流紅葉鹿図。
楽屋襖絵は稚松群鶴図。
建付襖は文久元年(一八六一)、川路春樵の寿老人と西王母図。
見送りは中国賢人図。
・諫鼓山
御堂前組
安永三年(一七七四)の建造。
工匠は藤岡和泉藤原一富。
亭は文化一四年(一八一七)の作、工匠は田中加平冶博君、亭の上に諌鼓鶏がのる。
正面の舞臺に架かる簾には岸駒筆と伝わる虎墨図が描かれる、天明六年(一七八六)の作という。
・月宮殿
田町組
天明五年(一七八五)の建造。
工匠は岡田惣左衛門重貞。
亭は嘉永三年(一八五〇)の作。工匠は藤岡重兵衛光隆。重層となっており上が六角の円堂で、下は方形。屋根にはギヤマンの宝玉を載せ、下層の両側面にはガラス絵の引き戸を嵌めこんでいる。
舞臺襖絵は波図。
胴幕はペルシャ絨毯。
月宮殿は、謡曲名にちなみ、鶴亀とは同曲。大津市の大津祭にも同名の山車が曳かれる。
・鳳凰山
祝町組また魚屋町組ともいう。
文政十二年(一八二九)の建造。
工匠は不明。
文化十五(一八一八)の火災で先の山車(曳山)を焼失している。
胴幕はペルシャ製。
見送り幕は一六世紀後半にベルギーのブリュッセルで織られたゴブラン織の貴婦人図。
文化十四年(一八一七)に京都から購入したもの。同じタペストリーからは京都祇園祭、大津祭の見送幕も作られている。
(順不同)
□汎論
 長浜の山車(曳山)は日本海に沿い多くの影響を与えている。南は丹後にいたり、いまは山車はないが舞鶴には山車狂言がおこなわれ各地に出かけて公演している。北は北陸道に沿って、石川県小松市の子供歌舞伎曳山、富山県の石動(小矢部市)には歌舞伎山があった。礪波市出口には子供歌舞伎の上演が続けられ、入善町には歌舞伎山があったと伝わる。岐阜県飛騨市(旧古川町)には、いまも白虎臺の舞臺で子供歌舞伎が上演されれいる。長浜の曳山の建造には藤岡和泉守一門が多くを手がけている。同じ滋賀県の米原町、湯谷神社祭には歌舞伎山が曳かれ、岐阜県垂井町、養老町、揖斐川町、大垣市にまでその影響がおよぶ。

◆04941 長浜曳山展示館
滋賀県長浜市宮   

●25204 近江八幡市
◆曳山とイ草の館
 浅小井祭で曳かれる山車が展示される。すべて屋根のない、日野町、水口町などでみられる露臺様式の山車である。老朽化から、鉄枠で作った臺車にそっくり乗せて曳く。

◆00093 浅小井祭
近江八幡市浅小井

◆00680 日牟禮八幡宮左義長
□社名 日牟禮八幡宮
□所在地 滋賀県近江八幡市宮内   
□祭神
ホムダワケノミコト 譽田別尊(應神天皇)
オキナガタrシヒメノミコト 息長足姫尊(應神天皇の御母君)
ヒメガミ 比賣神
 タゴリヒメノミコト 田心姫命
 タギツヒメノミコト 湍津姫神
 イチキシマヒメノミコト 市杵嶋姫命
  この三姫神は玉依姫とも称し奉ります。
□祭は三月中旬。
山車を作って担ぎ、左義長の火で燃やして歳徳神を送る。
□山車
・第一区
・第二区
・十区会
・第十一区
・新町通り
・宮内町
・紫竹会
・仲屋町
・魚屋町
・為心町
・参和会
・本町
・池田町
(順不同)
□汎論
 日牟禮八幡宮の創祀は社記によると、成務天皇が高穴穂の宮で即位されたとき、武内宿禰に命じて当地に大嶋大神を祀らせたといわれ、これが鎮座の始めとされている。
琵琶湖北部は、オキナガタラシヒメ(息長足姫命)ゆかりの地であり、山東町には御陵があり、近江町には式内社の日撫神社(ひなでじんじゃ)、山津照姫神社がある。
かって、明治期には左義長の火は早朝に日撫神社で採火したものを用いたことがあるらしい。とくに日撫神社と日牟禮八幡宮の関係は深かったと考えられ、明治期には久米邦武が調査に赴いている。
大分県宇佐八幡宮には、ジングウコウゴウ(神功皇后)のほかにヒメガミ(比賣神)とよぶ女神がありその御神体がよく疑問視される。当社では、宗像大社に祀られる、
タゴリヒメノミコト 田心姫命
タギツヒメノミコト 湍津姫神
イチキシマヒメノミコト 市杵嶋姫命
 この三姫神は玉依姫とも称し奉ります。
とあって明快である。
三神をあわせてタマヨリヒメ(玉依姫)とするのは珍しい。タマヨリヒメの名のある女神はほかにもあり、複数神でもある。

◆01583 太郎坊宮の夫婦岩
□社名 阿賀神社(太郎坊宮)
□所在地 滋賀県東近江市(旧八日市市)小脇町
□祭神
マサカアガカツカチハヤヒアメノオシホノミミノミコト(正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊)
□汎論
阿賀神社は、古来「太郎坊さん」の通称でよく知られる。創祀は、欽明天皇期に聖徳太子が箕作山に瓦屋寺を創建しその霊験があったことより創建されたと伝えられる。
太郎坊の名称は天狗の名で、京都鞍馬の次郎坊天狗は弟だという。神社の守護神とされる。標高三五〇メートルの赤神山の中腹に鎮座する。赤神山は巨岩の露出する神南備山と考えられ、磐坐が存在する古代祭祀の旧跡と推定される。
 分割された磐。
 阿賀神社は東近江市(旧八日市市)の神南備山と推定される山腹に祀られる。遠近より参詣者が訪れ、「太郎坊さん」として親しまれる。太郎坊というのは神社を守護する天狗の名前である。夫婦岩は本殿前にあり巨巌のあいだに狭隘な間隙があり、参詣人が通れる。

●25206 草津市
◆00452 草津伊佐々神社祭
□社名 草津伊佐々神社
□所在地 草津市渋川二丁目
□汎論
 現在山車は解体され、長らく曳かれていない。伊佐佐(イササ)の名称。篠山市の笹婆神社の(ササバ)も関連性があるだろう。はおそらく大陸起源と推定するがまだ未確認である。

●25207 守山市  

●25342 中主町

●00951 ずいき祭
滋賀県野洲町   

●25363 水口町
◆00059 水口祭
□社名 水口神社
□所在地 滋賀県甲賀郡水口町
□山車
・田町、片町
・松原町
・作坂町
・旅籠町
・東町
・湯屋町
・大池町
・池田町
・柳町
・大原町
・呉服町
・平町
・米屋町
・天王町
・河内町
・天神町
過去に山車があった山車組(現在休止中)
・永原
・中島町   
・西町    
・魚屋町  
・夷町    
・伴町    
・市場町
・中ノ町
・北町
・東小坂町
・鍵中町
(順不同)
□汎論
 水口町の沿革は、天和二年(一六八二)、石見国(鳥取県)より、加藤明友が入り水口藩の知行となったのにはじまる。明友は賤が嶽七本槍で知られる加藤嘉明の孫で、本城の別名「碧水城」は明友の命名である。
第二代の明英は幕府若年寄となって下野国(栃木県)壬生へ転封、能登国(石川県)より鳥居氏が移った。しかし一代のみで、加藤氏が再入、以後明治維新までつづいた。
水口藩は甲賀・蒲生両郡を中心に石高二万五千石で、水口町、日野町を治めた。
また、水口は古くから伊勢に通じる街道の要所としてひらけ、室町時代にはすでに宿場町が形成された。
 天正一三年(一五八五)には羽柴秀吉の命により水口・岡山城が築かれると、甲賀の中心都市として基礎が築かれた。関ヶ原合戦後、徳川氏の直轄地となり、東海道の宿駅に指定された。三代将軍家光は、寛永一一年(一六三四)水口に新たに宿館を築かせた。これが水口城(水口御茶屋)である。築城は幕府直営であったが、実務は作事奉行として小堀遠江守政一(遠州)があたった。
京都に近いが、お囃子は関東系である。格調高い優雅な演奏をおこなう。近年全国の祭囃子の演奏会がもたれるようになっている。
千葉県佐原祭は、梃子舞とともにすばらしい囃子を演奏することで知られるが、水口に出囃子にくる数奇者がいるそうである。水口の囃子がそれだけすばらしいことが知れているのである。
山車の形態は、日野町と共通する。

◆00830 水口歴史民俗資料館
滋賀県水口町   
□汎論
 近年歴史民俗資料館が開館したが、書家で有名な巌谷一六・小波を記念し
「巌谷一六・小波記念室」があり、水口曳山祭の二層露天式人形飾屋臺・実物が展示されている。

◆04618 水口曳山囃子
滋賀県水口町  

●25381 安土町
◆01082 奥石神社祭
□社名 奥石神社(おいそじんじゃ)
□所在地 滋賀県蒲生郡安土町東老蘇
□祭神
アメノコヤネノミコト 天児屋根命
□汎論
 奥石神社は延喜式に記載される古社。創祀は不明。もと、繖山(きぬがさやま)山頂の磐座を遙拝する祭祀場だったという説があり、繖山は神南備だったと推定する。
 景行天皇期、ヤマトタケルノミコト(日本武命)が東征時、相模の海が荒れて危うくなったとき、妃のオトタチバナヒメ(弟橘姫)はみごもっていたにもかかわらず、身体を海に投じて犠牲となった。しかし入水する前に「われ胎内に子宿すも命に代わりて難を救い奉らん、霊魂は飛去り江州老蘇の森に留まり永く女人平産を守るべし」と述べたと言う。この縁起があって安産の宮として祈願する女性の姿が絶えない。
 中山道の街道筋にあるため歌所として名高く、和歌、紀行文、謡曲などにつづられている。
  夜半ならば老蘇の森の郭公 今もなかまし忍び音のころ   本居宣長

  身のよそにいつまでか見ん東路の 老蘇の森にふれる白雪   加茂真淵

安土は織田信長の築城した安土城で知られる。
 安土老蘇(おいそ)の地は、琵琶湖湖西の安曇川とおなじように、古代海神氏の氏族安曇氏によってひらかれた地であろう。古くは琵琶湖が東に深く入り込んでいて、西の海はいまは内湖になっているが、かっては琵琶湖につながっていたと想像される。古来老蘇は湿地帯だったと記されている。スギ、マツ、ヒノキなどの苗を植え次第に人の住める土地になったと伝えられる。湿地ではマツは育たなかったであろう。
 おそらく、奥西神社の「奥西」、「老蘇」も、音の「おいそ」にあてた借字であろう

●25382 蒲生町
◆01125 麻生のけんけと
滋賀県蒲生町   

◆25887 石塔寺
□社名 石塔寺(いしどうじ)
□所在地 滋賀県東近江市(旧蒲生町)石塔町
□汎論
 塔の語源は、仏教のサンスクリット語の「スツーパ」にあり、これが「卒塔婆(そとば)」から「塔婆」、「塔」となったというのが定説である。寺院の伽藍配置はにより塔の位置も変わるが、一寺で双塔をもつ寺院はかつては大和当麻の當麻寺であったが、近年大和の薬師寺の三重の塔が再建された。木造の塔には、法隆寺の五重の塔、大和多武峰(とうのみね)談山神社の十三重の塔、長野県別所の八角形三重の塔、羽黒山神社の五重の塔ほか、いずれも美しい姿を見せているが、古代から中世、近世へと倒壊もせずたちつづけているのには驚嘆させられる。
 石造の塔も各地でふるくから建てられ、文化財の指定を受けているものも多い。なかでも異彩をはなつ石塔は、大陸渡来とかんがえられるもので、大分県の臼杵地方に多く見られ、本耶馬溪には絶壁には岩を穿ってつけられた幅わずか数十センチメートルの道があるが、切り立った絶壁で、下は一〇〇メートル以上はあろうかと思われる垂直の崖で、細い道はでこぼこ、ところによっては落ち葉がふりつもりしかも手すりなどはいっさいなくて歩くのは危険極まりない。
 江戸時代頼山陽は長崎の旅の帰りに立ち寄りその風光を絶賛して「耶馬溪」と命名した。菊池寛の「恩讐の彼方」でもよく知られる「蒼の洞門」も近くにある。道路に迫る崖地には「マツバラン」がみられるのも珍しい。
 脇にそれたが、この絶壁からわかれた巌上にみごとな石造の寶塔がある。国内各地にある多宝塔とは一線を画したみごとな石造美術である。石塔寺の石塔にも通じる古代大陸文化が色濃く感じられる。
 江戸時代にこの地を訪れた、谷口與鹿と、橋本香坡が見ているので足を運んだがさすがにすばらしかった。しかし、耶馬溪のほうは、一般人が興味本位に見られる場所ではないから、奥穂高に登る気概が無ければおやめになるべきだろう。

●25383 日野町
◆00001 近江日野祭
□社名 綿向神社
□所在地 滋賀県蒲生郡日野町村井馬見岡
□祭は五月上旬。
・西大路
・本町
・新町
・越川町
・清水町
・双六町
・河原田町
・今井町
・仕出町
・杉野神町
・上鍛冶町
・金英町
・南大窪町
・岡本町
・大窪町
・上大窪町
休止
・下鍛冶   
・呉服町   
・白銀町 
(順不同)
□汎論
 山車十六臺を曳く。
いずれも屋根のない露臺式の山車で上臺に「だし」とよぶ人形を飾る。
近江日野祭は弘治三年に神輿三基の渡御が行われている。
日野に山車が曳かれるようになったのは「近江輿地志略」によると享保十九年「山鉾二基ほかねり物」とあって享保年間頃で、飾山や舁山だったようである。それ以前には練物が出ていた。「和田日記」には享和二年、引山と見え二輪か四輪の山車が曳かれたようである。宝暦になると「山車十二基」とある。
江戸時代各地に出向いて活躍した近江商人の財力を傾けた見事な山車がのこるが、信州諏訪に出店のあったという岡氏とのかかわりから立川一門の山車彫刻が見られる。
蒲生郡は額田王ゆかりの地で、石塔寺は大陸起源の古石塔がたつ。また日野町には飛騨町がある。
日野祭の山車は俗に「重箱型」と表現される。
屋根がない露臺型で、上部を飾山という。
正面に階段を設ける。
町内の記録によれば、最初に山車が曳かれたのは弘治三年で、「練物」、「飾をつけた舁山」のようなものではなかったか? と推定されている。
享保期にはこの練物や舁山に二輪、あるいは四輪の車輪をつけたものが曳かれるようになった。
享保十九年の「近江輿地志略」によると、
「山鉾二基ほかねり物」の記述があり、 享和二年の「和田日記」には、 宝暦年中「山車十二基」とあるから、このころにはほぼ現在に近い臺数の山車が曳かれるようになったと推定される。
文化三年の越川町山車は、飾山囃場山車で車輪は四輪
正面に階段をつける。
文化四年新町飾山囃場山車はやはり四輪車で階段と向拝が付く山車だったようである。文政期、岡本町の山車は飾山四輪の囃場山車。階段と二階が付いたものだったという。天保四年西大路越川町の山車は、飾山囃場山車葉車輪八輪とあるのが珍しい。階段があり軒唐破風をつけたものだったようである。
新町山車は天保五年の作といわれ、階段部まで船木とよぶ部材が伸びている。
このあとに建造された岡本町山車は二層式で今見られる形がほぼ整ったとみてよいだろう。清水町の山車は向拝をつけるもので新しい形式である。
西大路山車は屋根を葺き、さらにその屋根には軒唐破風をつける。
しかも規模が大型化してきた。
大窪町の山車は塗装をしない素木のままの山車である
南大久保は蔓股彫刻に中国の仙人である、費長房を載せる。
日野町の山車は、更新のさい、旧臺を譲渡した例があり。鈴鹿関町の文化センターには
その面影の残る山車の部材と一部装飾品が展示されている。
  
●25384 竜王町
◆01100 竜王町ケンケト
滋賀県竜王町   

●25401 永源寺町
◆04605 永源寺
滋賀県永源寺町   

●25402 五個荘町
◆00109 五箇神社祭(宮荘の曵山祭)
滋賀県五個荘町宮荘

◆04610 六所神社祭
滋賀県五個荘町石馬寺

◆04613 川並、北町屋
滋賀県五個荘町川並、北町屋   
休止

●25403 能登川町
◆04614 能登川神社祭
滋賀県能登川町垣見
休止

●25421 愛東町

●25423 愛荘町(旧秦荘町)
◆00027 堅丼軽野神社の春季大祭
□社名 軽野神社
□所在地 滋賀県秦荘町岩倉   
□祭礼は四月下旬
 軽野神社は秦荘町一〇郷と甲良町二郷を氏子とする「堅井之大宮」と呼ばれる大社。
九臺の曳山が出る。ここの曳山は日野祭や水口曳山祭と同じ型で、露臺部に作り物の人形や巨大な松などを飾る。曳山に酒を積み込んで飲みながら曳き回すが調子が上がって、ときに曳山同士がぶつかりあう勇壮な曳き回しが見られる。曳山は各町内を練ったあと神社近くの四ツ辻に一一時頃集合し、午後から宮入する。
□問い合わせ
秦荘町観光協会(役場内)
電話 0749-37-2051
秦荘町歴史文化資料館
電話 0749-37-4500

◆00789 甲良豊後守記念館
滋賀県秦荘町   

◆02888 秦荘町歴史文化資料館
滋賀県秦荘町   

●25424 愛知川町 
◆00711 愛知川
滋賀県愛知川町   

●25441 豊郷町 
◆04621 豊郷  
滋賀県豊郷町   
 
●25442 甲良町   
◆04622 甲良
滋賀県甲良町   

●25443 多賀町 
◆01126 多賀大社祭

◆06672 多賀大社萬燈祭
□社名 多賀大社
□所在地 滋賀県犬上郡多賀町多賀
□祭神
イザナギノミコト 伊邪那岐命(伊弉諾命)
イザナミノミコト 伊邪那美命(伊弉冉命)
□祭は八月上旬。
□汎論
 多賀大社は延喜式に記載される古社。「お多賀さんの名称で広く親しまれ、「長寿祈願」の神としてよく知られる。『古事記』に「伊邪那岐大神は淡海の多賀に坐す」とあるのが当社である。南方約二キロメートルに神体山があり、神南備山である。当社は里宮ということになろうか。
 萬燈祭にはおよそ一萬二千にもおよぶ献燈がある。

●25461 山東町   
◆21550 春照の太鼓踊

●25462 伊吹町   
滋賀県伊吹町   

●25463 米原町
◆00034 湯谷神社祭(米原祭)
滋賀県米原町米原

◆03836 賀茂神社祭
滋賀県米原町醒ヶ井   
休止

◆04624 筑摩神社祭
□社名
□所在地
滋賀米原町浅妻筑摩
筑摩神社
□祭神
御食津大神
宇迦乃御魂神
大年神
□祭五月上旬
奇祭鍋冠祭がある。
祭神は御食津大神・宇迦乃御魂神・大年神で、いずれも食物に関係のある神である。

●25464 近江町
◆04626 近江
滋賀県近江町   

●25481 浅井町  
◆04627 浅井町

●25482 滋賀虎姫町
◆02889 日前神社祭
□社名 日前神社
□所在地
滋賀虎姫町五村
□汎論
 史跡小谷城跡は、中世の三大山城のひとつに数えられ、浅井長政と織田信長の妹であるお市がすごし、のちに数奇な運命をたどった茶々、初、小督の三姉妹が育った城である。
虎御前山は織田信長の浅井攻めのときに陣を張ったところという。
むかし虎姫町北部の井筒のほとりに、虎御前という美しい姫が住んでいたが。長じて世々開長者に嫁いだ。やがて子を宿したが、生まれてきたのは十五匹の小蛇だった。嘆き悲しんだ姫は女性ヶ淵に身を投げたという。以来、この山は虎御前山と呼ばれるようになり
、虎姫の地名もこの伝説に由来するという。
日前神社の祭に曳かれる常盤山は、文政五年(一八二二)の建造。工匠は高橋仙助。
大林彦右衛門が子供の誕生祝いに寄進した。しばらく休臺していたが、最近復活した。
北京で作られたという綴織のみごとな見送り幕が懸けられる。
東浅井には能楽衣装資料館があり、立派な衣装の展示、草木染植物の栽培も行われている。
□問い合わせ
虎姫町観光協会
東浅井郡虎姫町五村106
産業振興課内 
電話 0749-73-4850
FAX 0749-73-2517 

●25483 湖北町   

●25484 長浜市(旧びわ町)
◆00802 竹生島
□社名 都久夫須麻神社
□所在地 滋賀県長浜市(旧びわ町)
□祭神
イチキシマヒメノミコト 市杵島比売命(弁財天)
ウガフクジン 宇賀福神
アザイヒメノミコト 浅井比売命
リュウジン 龍神
□汎論
古来琵琶湖の景勝地として有名で、島外から、島内から美しい眺めが展開する。
都久夫須麻神社(竹生島神社)、法厳寺があるり、慶長七年(一六〇二)に豊臣秀頼が秀吉の遺命により、豊国廟より桃山時代の代表的遺稿である観音堂や唐門などを移築させ、都久夫須麻神社、法巌寺はともに国宝の指定を受けている。都久夫須麻神社の「ツクブスマ」は竹生島の古義を伝えるといわれる。これは「イツクシマ」厳島からの転訛であり「イチキシマ」でもある。
竹生島弁才天は相模の江島神社、安芸の厳島神社と並んで日本三大弁財天のひとつに数えられる。弁才天は宗像三女神の一神であるが、仏格として扱われるとき、弁財天(弁才天)となる。
弁才天を本尊とする竹生島宝厳寺は、神亀元年(七二四)聖武天皇の発願を受け、僧行基が勅使として開基したのにはじまると伝えられる。
はじめ、弁才天像を本尊として本堂に安置。翌年、観音堂を建立して千手観音像を安置した。
弁才天は伎楽を司ることより古来多くの音曲が成立している。平曲の竹生島は、平経正が木曾義仲を討つため京都を発ち、途中竹生島で琵琶を弾いていると、島の明神が白龍丹姿を変えて現われる。能楽の竹生島は能の脇物で金春禅竹作と伝わる。
醍醐帝に仕える臣が、竹生島に参詣のため湖畔に着くと、漁翁と若い女が釣船に乗って現われ、臣下はその船に便乗して島にいき参拝する。翁と女性は神徳を説いて姿を消す。やがて弁財天
と翁が姿をあらわし、金銀珠玉をささげて舞う。
ほかにも箏曲の竹生島、一中節の竹生島、長唄 の竹生島、常磐津の竹生島などはその例である。
ほかにもいくつかの謡曲があり、
筆者が島を訪れたときには、北陸の加賀宝生流の奉納が行われていた。
 
◆21551 冨田人形
滋賀県びわ町   
 
◆23827 謡曲竹生島
滋賀県びわ町 

●25501 高月町 
◆01396 日吉神社祭
滋賀県高月町井口   
休止

●25503 伊香郡余呉町
◆00123 ちゃわん祭
□社名 丹生神社
□所在地 滋賀県余呉町上丹生
□祭礼は四月上旬、開催は不定期(概ね三年ごと)
□山車
・丹宝山 北村組
錦水引は安永五年(一七七六)二月、中国風人物の模様。
幕は享保三年(一七一八)七月、三賢人、天人、鶴舞。
臺名はかってこの地で最終された丹(硫化水銀)にちなむ。
・宝山 中村組
錦水引は延宝元年(一六七三)三月の調製、紅色無地。
後部の幕は寛文一三年(一六七二)一〇月、五賢人、極楽鳥。
・恵宝山 橋本組
錦水引は寛文二年(一六六二)三月、梅鉢模様。
後部の幕は寛文一一年(一六七三)二月、五賢人観瀑図。
□汎論
余呉町、丹生神社の大祭「茶わん祭」は概ね三年にいっぺん行われる。丹生ではかって、良質の陶土がとれ、陶工末遠春長は、優れた陶土と技を授けた神に感謝し毎年欠かさず新しい陶器を神社に奉納したという。これが、茶碗祭のはじまりで、
次第に茶碗を木に咲いた花のように積み上げ氏神に奉納したのに始まるという。近江の奇祭として知られ一〇メートルあまりの高さに陶器や磁器を積み上げた三臺の山車が曳かれるようになった。
丹生神社の摂社八幡神社に渡御する三基の曵山「恵方山」「寿宝山」「丹宝山」には、数千を越える陶器をつなぎ合わせた山車飾りがとりつけられ、その高さは約一〇メートルにもおよび、号砲の合図とともに三臺の山車が丹生神社近くに集結する。山車づくりの技法は秘伝とされ、いまも選ばれた工匠のみに口伝されている。
山車は丹生の山から切り出した欅、ひのき、松が主材で、渡御のあいだは「サス」とよぶ竹竿で山車飾を支えながら進行し、八幡神社に到着するとサスがはずされ祭は山場を迎える。山車飾の「藝題」はおもに歌舞伎や戦記物、伝記、伝説などからとられる。能面もかっては祭の道具の一つだった。
祭となると、地元で生まれた二五歳から三五歳までの男たちは、どこに居住していても帰郷してまつり前日には身を切る冷たい丹生川の雪解け水でからだをきよめ御輿を舁く
滋賀県指定民俗文化財に指定
□問い合わせ
余呉町役場ふるさと振興課
余呉町中之郷九五八
電話0749‐86-3221
 
◆00837 茶わん祭の館
滋賀県余呉町   
 
◆01552 中河内の太鼓踊
滋賀県余呉町中河内   

●25525 高島町
◆00053 大溝祭
□社名 日吉神社 
□所在地 高島市(旧高島町)勝野
□祭神
オオヤマクイノカミ 大山咋神
□祭は五月上旬。  
□山車
山車の形態(呼称)は曳山。
・湊組 勝野町
上幕は緋羅紗に仙人を刺繍する。
胴幕は綴錦織、波に千鳥図。
後幕は中国清朝調製、二仙人図。
・巴組 南本町
上幕は緋羅紗に白羅紗刳抜の巴紋がはいる。
胴幕は紫紺地に五爪皇帝龍。
後幕はペルシャ製と伝わる。
・寶組 北本町
後幕は白地毛織に雲龍毛筆画。
・勇組 新町
胴幕は綴錦に唐子遊戯図。
後幕は緑羅紗に円山応瑞下絵の中国人物図。
・龍組 中町、西町
上幕は緋色地に巴紋を白抜きの織出す。
後幕は竹林七賢図。
(順不同)
□汎論
 勝野日吉神社の創祀は、嘉祥二年(一一〇七)に創建された長寶寺の鎮守社として山王権現を祀ったのに始まると伝わる古社である。長らく高島氏の崇敬を受けたが、明智光秀により滅ぼされて一時荒廃した。江戸時代にはいると、大溝藩主、分部氏の崇敬が厚く旧に復した。大溝の山車を藩主の旧地より移したという説があるが、三重県の河芸町には山車が曳かれた歴史がないので疑問である。

行政コード番号は従前のままです。 
20120106 更新

 ◆日本山車論
目次
 ◆左甚五郎傳
左甚五郎傳
 ◆斐太ノ工
斐太ノ工
 ◆谷口與鹿
谷口與鹿
 ◆論攷 延喜式神名帳
論攷 延喜式神名帳
◆阿波國
◆安房國
◆安藝國
◆伊賀國
◆隠岐國
◆越後國
 ◆古代祭祀と神南備山
古代祭祀と神南備山
 ◆玉依姫  様