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日本の山車 日本の山車
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標題の写真説明
2014-07-01
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  表題の写真説明
 ボックスのタイトル : 東北
 題名 : ◆山形県

日本の山車 山形県
山形県総論
●06201 山形市

●06202 米沢市
◇00878 洛中洛外屏風図

●06203 鶴岡市
◆00334 椙尾神社祭
山形県鶴岡市
椙尾神社
□汎論
 創祀は不詳。社記によれば、尾浦城主だった武藤氏の創祀にかかり、積羽八重事代主と天津羽々命を祭神としたとある。祭神は国土開発、酒造、漁業の神とされる。
椙尾神社には次の言い伝えがある。
むかし、椙尾神社の裏山にばけものがいて村人を困らせ、神社の祭にはいけにえの娘をささげることであったが、大山を通りかかった修験者の六部がこのことをきき、「これは歳古りたむじなの仕業である。丹波の国にはむじなを退治する「めっけ犬」というものがいるからつれてきて退治させたら災いはおさまるだろう」と教えた。このことを聞いた村人たちは、さっそく丹波に使いしてめっけ犬を呼び寄せ境内に放ったところ、たちまちばけものを退治し、以後はまったく災いが起こらなくなったという。
祭には「からぐり山車」が曳かれる。市内にからぐり展示館「尾浦の館」がある。

◆03236 からぐり展示館 尾浦の館
山形県鶴岡市

●06204 酒田市
◇31537 本楯神代神楽
山形県酒田市本楯

●06205 新庄市
◆00647 新庄祭
山形県新庄市
戸沢神社
天満宮
などの神社の合同祭
□祭は八月下旬。
毎年粧いもあたらしく飾りつけた華やかな山車が二〇臺ほどを曳く。
□山車(やたい)
〇一 馬喰町
〇二 北本町
〇三 南本町
〇四 東本町
〇五 上金沢町
〇六 新本町
〇七 若葉町
〇八 川西町
〇九 横町、下馬場町
一〇 大正町
一一 落合町
一二 鉄砲町
一三 北町
一四 沖の町
一五 常中町
一六 清水川町
一七 下金沢町
一八 上馬場町
一九 末広町
二〇 千門町
二一 上茶屋町
□汎論
祭は二五〇年の歴史があるという。
趣向を凝らした二一臺の山車が参加する。祭の一ヶ月ほどまえから歌舞伎名場面、合戦戦記、決闘、英雄などにちなんだ人形を作り、祭にはこれを乗せた山車を曳く。新庄祭で曳く山車は「山車」と書いて「やたい」とよむ。
□問い合わせ
〒996-0022
新庄市住吉町3番8号
新庄商工会議所 内
新庄まつり委員会
電話 0233-22-6855

◆03233 新庄ふるさと歴史センター

●06206 寒河江市
◆21535 林家舞楽
山形県寒河江市
慈恩寺
□行事は五月上旬。
□汎論
 慈恩寺には、林家舞楽(はやしけぶがく)とよばれる古い舞楽が継承されている。大阪天王寺の林家に伝承される。林家舞楽、宮中舞楽、四天王寺舞楽、南都楽所舞楽と比肩され、日本四大舞楽の一つに数えられ、重要無形民俗文化財に指定されている。
 山形県には古くは各地におこなわれていたといわれるが、現在おこなわれているのは、おなじ山形県内の西村山郡河北町、谷地八幡宮の秋祭があげられる。
 瑞宝山慈恩寺は、僧行基の開山になる寺院で草創は、神亀元年(七二四)、慈恩宗の本山で本尊は弥勒菩薩。多くの仏像、菩薩像などがあり、国、県の文化財に指定されているがほとんどは非公開である。
 林家舞楽の伝承曲目は、燕歩、三臺、散手、太平楽、喜禄、二ノ舞、還城楽、抜頭、蘭陵王、納蘇利の十曲が伝えられるが、慈恩寺では、五月上旬の一切経会のさい、燕歩、敵手、太平楽、陵王など八番が奉奏される。

◆21536 平塩舞楽
山形県寒河江市
熊野神社
□行事は四月上旬。
 熊野神社は、おなじ寒河江市にある瑞宝山慈恩寺とおなじように、僧行基が紀州(和歌山県)の三所権現から分霊を勧招して祀る神社である。慈恩寺、河北町谷地八幡宮には林家舞楽が伝わるが、熊野神社には、平塩舞楽が伝えられる。もとは林家によって舞楽が奉納されていたが次第に平塩の人たちに移ったといわれる。
 演目には、振鉾(えんぶ)、散手(さんじゅ)、太平樂(たいへいらく)、安摩(あま)、二ノ舞 、三臺塩(さんたいえん)、還城楽(げんじょうらく)、抜頭(ばとう)、蘭陵王(らんりょうおう)、納蘇利(なそり)の十番の演舞がおこなわれ、県指定の無形民俗文化財となっている。

●06207 上山市
◆01148 上山三社合同祭
宮脇正八幡神社
二日町八幡神社
元城内月岡神社
山車の合同祭
□祭は九月中旬。
□山車(屋臺)
・上山若連
宝暦二年(一七五二)に担ぎ山が出ている。現在は曳き山車となっている。
・いろは組
昭和八年の建造。
□汎論
 長禄二年(一四五八)上山に温泉が見つかり、以来長きにわたって最上氏の支配下にあった。上山藩は、元禄四年(一六九一)、飛騨高山の城主だった金森出雲守頼□(□は「とき」文字なし。現在は「時」があてられる)が転封となって移った。しかし、元禄一〇年(一六九七)六月、わずか六年にして金森氏は美濃国郡上藩へと移封になった。
 しかし、羽州上山と飛騨高山はふしぎな奇縁がある。
 江戸時代、熊本五十四万石は朝鮮の役時代虎退治で有名な加藤清正が封じられたが、やがて嫡子である忠廣があとをついだ嗣いだ、忠廣には嫡子があり光正と言った、つまり加藤清正の孫にあたる。光正は加藤家の藩邸で過ごしていたのだが、十七歳のときとんでもない不祥事が起きた。忠廣は熊本にいたのだが江戸に呼び出されきびしく叱責を受け、熊本加藤家は御取りつぶし。光正は飛騨高山金森藩あずけとなり。熊本城には豊前小倉に封じられていた細川氏が襲うこととなった。加藤忠廣は羽州上山藩へのお預けとなった、過酷な制裁である。
 通説では、忠廣は上山を経て庄内藩にお預けとなり、居所が定まるまで鶴岡の本住寺に仮住まい、丸岡に屋敷ができてからは堪忍領一万石をもって移ったといわれる。しかし、それは名目のみで、幕府からはきびしい監視のもとに置かれ、その後三十一年間を屋敷の外に出ることも許されないまま蟄居生活の生涯をとじたのだった。
 本住寺には忠廣と母正応院の墓。加藤家に伝わる日蓮宗、日蓮作と伝えられる大曼荼羅その他の遺品が伝わるといわれる。
 高山にお預けになった光正は高山で一年を過ごすことなく死去した。一説では毒殺だったといわれる。飛騨には日蓮宗の寺院がないため、越中から寺院を招き菩提所と墓が作られた高山市内の東山にはそのときつくられた法華寺がある。世の中とは理不尽なものである。
 この金森氏が六代をすごした高山藩は加賀藩へのお預けを経て幕府の直轄地、すなわち天領として幕末まで代官(途中で郡代)が収めることとなった。
 知性の短かった上山では高山のような山車は作られなかったようであるが、元禄一〇年(一六九七)美濃の郡上に転封となった。金森氏は転封のたび減碌となり、藩経済の賄いに苦慮し、領民の理解を得て経済再建に力を注ぎ、領民との融和を深めるため高山とおなじように屋臺を作って曳くことを許した。郡上市(旧和良村宮代)には、この影響を受けて作られた山車が現存する。しかし、郡上八幡町内で曳かれた山車(屋臺)は金森氏の藩政に対する不満が一気に爆発した宝暦一揆によりすべて姿を消した。
 金森氏は三〇〇年にわたって営々と築いたすべてを失い、父祖の地である故国、越前大野へと還ったのである。

 盆踊りで名高い郡上の「かわさき」の歌詞に、

  郡上のなあ 八幡出てゆくときは 雨の降らぬに 袖絞る

 とあるのは、金森氏の出羽転封で、今生では二度と会えないと思っていた、金森藩遺士らが以外にも郡上への再転封でもう一度会うことが適い、遺士、一族らは高山と郡上を結ぶ郡上街道を往来した、しかしそれもつかの間、ついに金森氏は幕府の強圧と領民の板ばさみにあって御取り潰しとなり、越前に去った。その悲哀の歌だという。
 
●06208 村山市

●06211 東根市
◇32533 東根の太々神楽

●06212 尾花沢市
◆00667 尾花沢諏訪神社祭
山形県尾花沢市
諏訪神社
□祭は八月下旬。
□山車(囃子屋臺、踊屋臺)
囃子屋臺
・新町
・上町
・梺町(ふもとまち)
・仲横町
(順不同)
□汎論
 諏訪神社の創祀は鎌倉時代のころ、信州諏訪から分霊をうけて祭ったのにはじまるという。一説に、源義経の家臣だった鈴木重家の子孫が祀ったものだという伝承がある。
寛政三年に現地に遷座されている。
 祭には「尾花沢雅楽」、「祭囃子」が奉納されるが祭囃子は尾花沢市の指定無形文化財となっている。

●06213 南陽市

●06321 河北町
◆00681 谷地どんが祭
山形県西村山郡河北町
谷地八幡神社
□祭は九月中旬。
山車(囃子屋臺)数臺が出るが、すべては出ない。
□山車(囃子屋臺)
中央
・松若
・大中若
・前東若
・桜東若
・桜西若
・若葉若
・土慶若
・長若
・道海組
・前西若
北部
・上工若
・内若
・北若
・宇若
・末北若
・末南
・下工若
南部
・高関組
・東若
・荒北若
・荒中若
・荒南若
・旭若
・新若
□汎論
 谷地どんが祭。谷地(やち)は湿地のこと。どんがは唐鍬のことといわれ、むかし新しい土地を開墾をするのに用いられた。山形県は古くから紅花が栽培されてきたが、河北町も「べにばなの里」として知られる。
 谷内八幡社の創祀は寛治五年(一〇九一)の「後三年の役」で、源義家が戦勝を祈願して白鳥の地(現村山市)に祀ったのが創祀という。永禄ー天正年間に土地の豪族白鳥長政が現在地に遷して鎮守としたという。
 林家舞楽は、四大神楽といわれる、宮中、大阪四天王寺、楢南都楽所とともにそのひとつにあげられる。
林家は大阪四天寺の楽家の一族だったといわれ、貞観二年(八六〇)に慈覚大師の山寺開創の際に、林家が随従して舞楽を奉納、室町時代に慈恩寺に伝わり、江戸時代になって谷地八幡宮でも舞楽が奉納されるようになったと伝え、祭には神社の石舞臺で演じられる。国の重要無形文化財の指定を受ける。
□郷土芸能
民謡歌手 大塚文雄氏の出身地

◆03235 河北町紅花資料館

◆05889 からぐり展示館

●06322 西川町

●06324 大江町

●06361 金山町
◆03225 金山八幡神社祭
山形県最上郡金山町
八幡神社
□祭は八月中旬。
飾人形山車五臺を曳く。
□山車
・七日町
・十日町
・内町
・羽場
・山崎
□汎論
 金山郷は、大永より天文年間は鮭延領として、秋田仙北の小野寺氏一門である佐々木氏の支配下にあったが、変遷の後、元和八年に戸沢氏が封ぜられてからは、明治初期の廃藩置県に至るまで約二五〇年間戸沢氏の領地であった。戸沢藩政時代は金山と及位を併せて金山郷といい、金山には代官所が置かれた。
山車は毎年趣向を凝らしたものを各組がつくる。

◇31530 稲沢番楽

●06362 最上町
◆01234 大黒天神社祭

●06364 真室川町
◆01788 山神社祭
真室川町
□祭は九月中旬。
□汎論
真室川町の八敷代番楽は、秋田県の矢島地方より伝えられたといい、町内で最も古い番楽と言われれ、ている。三番叟、獅子舞、地神舞、武士舞、もちつきなどが継承され山神社の祭で奉納される。

●06365 大蔵村

●06366 鮭川村
◆03228 愛宕神社祭
鮭川村石名坂

●06367 戸沢村
◆03226 津谷神社祭
山形県戸沢村津谷

●06381 高畠町
◆01529 安久津延年
山形 高畠町阿久津

●06382 川西町
◆05079 諏訪神社祭
山形県川西町

●06401 小国町
◆00692 出羽小国花屋臺
山形県小国町

●06421 庄内町(旧立川町)
◆03230 御諸皇子神社例祭
山形県庄内町(旧立川町)清川
御諸皇子神社(ごしょのおうじじんじゃ・ごしょのうじじんじゃ)
□祭は八月中旬。
山車を曳く。
□山車
一 南町、荒宿、上荒宿、裏町 
二 駅前、幸町、新町 
三 本町 
四 新屋敷 
五 川端
□汎論
 御諸皇子神社
 近くに、清河八郎の霊を祀る清河八郎神社、墓地がある。本稿でもときおり触れているが、藤本鉄石は庄内の齋藤家(清河八郎の実家)を訪ねっしばらく止宿したことがあり、頼山陽のあるいた長崎を母とともに旅行している。
幕府に新撰組組織を建言し、山岡鐡舟とともに新撰組を率いて中仙道を経て京都に上っている。
 伊丹郷町(現伊丹市)の岡田家をたずね、また明倫堂で、橋本香坡、谷口與鹿と歓談した。江戸で刺客の凶刃に倒れたが、遺体は山岡鐡舟が密かにひきとり、供養したと伝えられる。境内に清河八郎関係の遺品や資料を展示する清河八郎記念館(最上峡会館)がある。 清河神社の社号も山岡鐡舟の揮毫である。
近くを滔々とながれる最上川の流れを見ていると、時間のうえを流れ去った歴史が髣髴とよみがえって感傷的になってくる。
□問い合わせ
御諸皇子神社社務所
電話 0234(57)2630

●06424 鶴岡市(旧羽黒町)

●06425 鶴岡市(旧櫛引町)
◆01343 黒森歌舞伎
山形県櫛引町

◆00686 黒川能
山形県櫛引町

●06461 遊佐町
◇01533 杉沢ひやま番楽
山形県遊佐町杉沢

●06462 酒田市(旧八幡町)

●06463 酒田市(旧松山町)
◆03232 中山神社祭
山形県酒田市(旧松山町)
中山神社
□祭は五月上旬。
□山車
・内町 
見立て山車一臺を造って曳く。
□汎論
 中山神社の創祀は不明、一説には慶安元(一六四八)といわれる。松山町(旧中山)の総鎮守である。松山藩がおかれたあと延宝四年(一六七六)に、二代藩主の酒井忠予が庄内藩初代忠次と徳川家康の長男にあたる信康を併祀し、源鎮霊社と称した。
祭には、鹿流の太鼓を打ち、武者行列が町内を練る。無形民俗文化財に指定される。

●06464 酒田市(旧平田町)


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20130530 更新

 ◆日本山車論
目次
 ◆左甚五郎傳
左甚五郎傳
 ◆斐太ノ工
斐太ノ工
 ◆谷口與鹿
谷口與鹿
 ◆論攷 延喜式神名帳
論攷 延喜式神名帳
◆阿波國
◆安房國
◆安藝國
◆伊賀國
◆隠岐國
◆越後國
 ◆古代祭祀と神南備山
古代祭祀と神南備山
 ◆玉依姫  様