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日本の山車 日本の山車
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標題の写真説明
2014-07-01
  北海道
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  表題の写真説明
 ボックスのタイトル : 北海道
 題名 : ◆北海道

日本の山車 北海道

北海道 総論
 江戸時代蝦夷といわれた北海道は、菅江真澄、僧円空が訪れ足跡を残している。加賀の銭屋五兵衛、飛騨屋久兵衛ら商人が活躍し、江差を代表とする鰊(にしん)、昆布は早くから上方に運ばれ、大阪の汐富貴(しおふき)といわれる昆布、京都では、にしんそばの素材としていまも重用される。数の子は新年を迎えるにはなくてはならない縁起物であった。身欠きといわれる乾燥鰊は、食用よりも肥料として用いられ、田植えのすんだ稲苗の間に一本ずつ挿されたものだった。海が盛り上がるといわれるほどの豊漁も近年はすっかり退潮した。一方、本土の文化が持ち込まれ、京都祇園祭の影響を色濃く受けた江差の姥神祭には立派な山車が曳かれる。
信州の信濃追分を本歌とする江差追分は「民謡の王様」といわれ、磨き上げた芸術となっている。江差民謡大会が行われるが関西方面に隠れた名人が多いのも、古くからの文化交流が色濃く残ると見ていいだろう。
 函館には明治維新後早くから屋臺が曳かれている。
 札幌の大神宮は北海道札幌の惣鎮守として祀られ、山車が曳かれている。
 森町は静岡県周智郡森町と姉妹提携している縁で、静岡県で曳かれていた山車が寄贈された。
 北海道には開拓時代に本州から入植した人々が、郷里の鎮守から分祀を受けて神社を建立し、交流を深め、郷里の藝能が持ち込まれている。
 青森県津軽海峡を越えてじょんがらとともにねぶたが曳かれる地方も多い。
 近年は、神社に属しない市民祭、ふるさと祭がおおく催されるようになってきている。

 江戸時代蝦夷といわれた北海道は、菅江真澄、僧円空が訪れ足跡を残している。加賀の銭屋五兵衛、飛騨屋久兵衛ら商人が活躍し、江差を代表とする鰊(にしん)、昆布は早くから上方に運ばれ、大阪の汐富貴(しおふき)といわれる昆布、京都では、にしんそばの素材としていまも重用される。数の子は新年を迎えるにはなくてはならない縁起物であった。身欠きといわれる乾燥鰊は、食用よりも肥料として用いられ、田植えのすんだ稲苗の間に一本ずつ挿されたものだった。海が盛り上がるといわれるほどの豊漁も近年はすっかり退潮した。一方、本土の文化が持ち込まれ、京都祇園祭の影響を色濃く受けた江差の姥神祭には立派な山車が曳かれる。
信州の信濃追分を本歌とする江差追分は「民謡の王様」といわれ、磨き上げた芸術となっている。江差民謡大会が行われるが関西方面に隠れた名人が多いのも、古くからの文化交流が色濃く残ると見ていいだろう。
 函館には明治維新後早くから屋臺が曳かれている。
 札幌の大神宮は北海道札幌の惣鎮守として祀られ、山車が曳かれている。
 森町は静岡県周智郡森町と姉妹提携している縁で、静岡県で曳かれていた山車が寄贈された。
 北海道には開拓時代に本州から入植した人々が、郷里の鎮守から分祀を受けて神社を建立し、交流を深め、郷里の藝能が持ち込まれている。
 青森県津軽海峡を越えてじょんがらとともにねぶたが曳かれる地方も多い。
 近年は、神社に属しない市民祭、ふるさと祭がおおく催されるようになってきている。
□藝能
松前神楽

●01101 札幌市中央区
◆00484 北海道神宮祭(さっぽろ祭)
□社名 北海道神宮
□所在地
北海道札幌市中央区
□祭神
オオクニタマノカミ 大国魂神
オオナムチノカミ 大那牟遅神(大巳貴)
スクナヒコナノカミ 少彦名神
□祭は六月中旬。
山車数臺を曳く。
□山車
・第一本府祭典区
本座人形は日本武尊。
建造年は不詳。
・第三山鼻祭典区
建造は島義勇。昭和五十五年に造り替えられた。
・第四豊水祭典区
本座人形は素盞鳴命。
大正七年の建造。
・第六西創成祭典区
本座人形は素盞鳴命。
明治末期の建造。(人形に明治三五年の銘あり)。
・第七東祭典区
本座人形は神武天皇。
大正二年の建造。
・第八豊平祭典区
本座人形は加藤清正。
建造は大正元年。
・第九東北祭典区
本座人形は猿田彦命。
明治四三年改修の銘あり。
・第一六桑園祭典区
本座人形は桃太郎。
昭和四年の建造。
□汎論
北海道神宮は、明治二年(一八六九)九月一日、明治天皇により大国魂神、大那牟遅神、少彦名神の三神を祀ったのが始まりとされている。山車は八祭典区に各一臺がある

●01105 札幌市豊平区
◆06396 豊平神社祭
□社名 豊平神社
□所在地 北海道札幌市豊平区豊平
□祭神
カミツケノタミチノミコト 上毛野田道命
オオヤマツミノカミ 大山祗神
ウカノミタマノミコト 倉稲魂命
□祭は七月中旬。  
□山車
山車を曳く。
□汎論
 豊平神社は、カミツケノタミチノミコト(上毛野田道命)を祀る、青森県平川市猿賀字石林(旧尾上町)の猿賀山麓にある、猿賀神社(さるがじんじゃ)より分祀を受けたとされる。カミツケノタミチノミコトは、崇神天皇の後裔で、命により蝦夷討伐に向かったが、仁徳天皇五十五年(三六七)に伊峙水門(いしのみと)で戦死したとされる。猿賀山はその伊峙水門とされるが異説がある。カミツケノタミチノミコトは、死後大蛇となり、蝦夷を平定したとの伝説から北海道開拓の祖神とされ、豊平神社に祀られることになった。
 ウカノミタマノミコト(倉稲魂命)は後祀だと伝わる。

●01107 札幌市西区
◆06397 琴似神社祭
□社名 琴似神社
□所在地 北海道札幌市西区琴似一条七丁目
□祭神
アマテラスオオミカミ 天照大御神
トヨウケオオカミ 豊受大神
オオクニヌシノミコト 大国主命
タケハヤチヨノカミ 武早智雄神
ハニツレイノカミ 土津霊神
□祭は九月上旬。  
□山車
山車を曳く。
□汎論
 琴似神社の創祀は、当地に進出した屯田兵らの出身者らが、宮城県出身者が多かったことから、仙台藩亘理伊達氏の祖である伊達成実を、タケハヤチヨノカミ(武早智雄神)として祀っ多野に始まると伝える。
ハニツレイノカミ(土津霊神)は、 会津松平家初代保科正之のことだとする。創祀時の社名を武早神社といったが、後に皇室神が招かれ
現在の社号となった。

●01202 函館市
◆03929 函館八幡宮祭
□社名 函館八幡宮
□所在地 北海道函館市谷地頭町
□祭神
ホムダワケノミコト 品陀和気命(応神天皇)
配祀
スミヨシオオカミ 住吉大神
コトヒラオオカミ 金刀比羅大神
□汎論
函館八幡宮は津軽海峡を渡ると右手に見えてくる函館山の麓に鎮座する。祀られたのは古く、社伝によると、後花園天皇期の文安二年(一四四五)に、亀田郡の領守であった河野加賀守政通が、函館に館を築くさいに東南隅に八幡神を祀っ多野に始まるという。
創祀は、慶安年間に伊知女という巫女が、赤川村より凾館元町に遷座、寛政十一年に東蝦夷が幕府の直轄ちとなって奉行所がおかれたため、文化元年に会所町に遷座となった。
石狩八幡神社、小樽住吉神社、室蘭八幡宮、歌登八幡神社などは北海道開拓に伴って函館八幡宮より分祀されており、樺太にまで祀られた時期がある。
大正年間と推定される函館八幡宮祭を撮影した絵葉書によると、浴衣がけの大人たちが曳き綱をもって、大きな唐波風のある単層藝屋臺の前面に囃子を演奏する人たちの乗る山車を曳く様子が写っている。
写真が不鮮明だが、道の両側を埋める見物人、前には猿田彦?(あるいは祭関係の役員)に導かれて左右二本の引綱に曳子がとりつき、曳綱のあいだには数人の祭関係者がいる。屋臺のうえにはだ女性らしきお囃子の演奏者が五、六人横一列にならんで楽器を持って演奏している。右端の演奏者がもつ楽器は三味線であろう。そのあとに幡、のぼりなどが続いている。
函館市の大森海岸には石川啄木にちなんだ小公園があり、啄木の坐像と歌碑がある。
  潮かをる北の浜辺の  砂山のかの浜茄子よ 今年も咲けるや

●01203 小樽市

●01204 旭川市
◆02260 烈夏七夕まつり
北海道旭川市
□祭は八月上旬。
□汎論
神社に属さない市民祭。盛時には趣向を凝らした五〇臺ほどの山車が「烈夏、烈夏!」の掛け声で曳かれる。

◆05000 旭川永山屯田まつり
□社名 
□所在地 
□祭神
□祭は八月中旬。
□山車
沢山の行燈(あんどん)と扇ねぷたが曳かれる。
□汎論
 旭川永山屯田まつりは、昭和六十二年よりはじまった。旭川市永山地区で行われる神社に繋属しない、市民祭として行われる。行燈と青森県弘前市で曳かれるのと同じ扇ねぷたが出る。また趣向を凝らした見立て山車が曳かれる。直径三メートル以上もある巨大な大締太鼓には乙女が乗って太鼓を打つ。
□参考
次を参考にさせていただきました。
永山屯田まつり
 http://eiyasa.main.jp/

●01205 室蘭市

●01206 釧路市
◆06400 釧路厳島神社祭
□社名 厳島神社
□所在地 北海道釧路市米町一丁目
□祭神
イチキシマヒメノミコト 市杵島姫命
アカンオオカミ 阿寒大神
イナリオオカミ 稲荷大神
コンピラオオカミ 金比羅大神
アキハオオカミ 秋葉大神
ワダツミオオカミ 海津見大神
サルダヒコオオカミ 猿田彦大神
□祭
□汎論
 知人岬台地に祀られる釧路市の産土神。もと南大通七丁目の高台にあったが明治二十四年に現在地に遷された。
創祀は、松浦武四郎の『久摺日記』に、漁場請負人であった佐野孫右衛門が漁場の安全と大量を祈願し、安芸の厳島神社のイチキシマヒメノミコト(市杵島姫命)の分霊をうけて祀ったとある。
イチキシマヒメノミコト(市杵島姫命)は、九州福岡県の宗像大社、
沖ノ島の沖津宮に祀られる田心姫神
大島の中津宮に祀られる湍津姫神
田島の辺津宮に祀られる市杵島姫神
の宗像三女神の一神である。

●01215 美唄市
◆02262 びばい歌舞裸まつり
□社名 
□所在地 美唄市(びばいし)
□祭神
□祭は八月上旬。  
□山車
歌舞裸行燈(かぶらあんどん)が曳かれる。
□汎論
 美唄市で行われる、神社に属さない市民祭。歌舞裸行燈が二〇臺ほど曳かれる。歌舞裸とは、歌=うた、舞=おどり、裸=お御輿だという。

●01216 芦別市
◆02263 芦別健夏まつり
□社名 
□所在地 
□祭神
□祭は七月中旬。  
□山車
山笠が出る。
・中央流
・北大黒流
・緑幸流
・栄流
・市流
・北流
(順不同)
□汎論
 星降る里・芦別市、で行われる山笠で、芦別神社ほかの神社の共催で市民祭でもある。昭和四〇年代のなかばごろにはじまり、すでに
四〇回以上の歴史がある。北九州博多の祗園山笠と同じように、各組は【流(ながれ)】がつき、若松取り、祝儀山、追い山ならしが行われ、まつりに協賛して打ち上げ花火、千人踊りが行われる。
□問い合わせ
星の降る里・芦別健夏まつり実行委員会
電話 0124−22−2424

◆06398 上芦別公園まつり
□社名 
□所在地 北海道芦別市野花南町
□祭神
□祭は六月下旬。  
□山車
子供山笠が出る。
□汎論
 上芦別公園まつりは、芦別市で行われる神社に繋属しない市民祭として行われ、子供山笠が出る。
 芦別市は、芦別岳をはじめとする夕張山系北部の大部分を含み、市域のおよそ九割は山岳と森林地帯。中部には空知川、パンケ幌内川、南部から流れる芦別川の流域に市街地が開ける。
□参考
次を参考にさせていただきました。
芦別市公式ホームページ 
http://www.city.ashibetsu.hokkaido.jp/
□問い合わせ
上芦別公園まつり協賛会
〒075-8711 北海道芦別市上芦別町
電話 0124-22-8785

●01223 根室市
◆02264 根室金刀比羅神社祭
□社名 根室金刀比羅神社
□所在地 
□祭神
オオモノヌシノカミ 大物主神
コトシロヌシノカミ 事代主神
ウカノミタマノミコト 倉稲魂命
□祭は八月上旬。  
□山車
四つの祭典区がそれぞれ山車を曳く。
・第一祭典区
・第三祭典区
・東部祭典区
・西部祭典区
(順不同)
□汎論
 根室金刀比羅神社の創祀は、文化三年(一八〇六)に、高田屋嘉兵衛によって創建され、明治十四年(一八八一)に現地に遷座となった
古い歴史がある。平成十八年は「金刀比羅神社御創祀二〇〇年」にあたり記念行事が行われた。出雲系の神をまつる。コトシロヌシノカミ(事代主神)は、オオクニヌシノミコトの子供でいわゆる「ゑびすさま」で豊漁祈願。ウカノミタマノミコト(倉稲魂命)は稲荷神で収穫の神である。

◆06401 花咲金刀比羅神社祭
□社名 花咲金刀比羅神社
□所在地 根室市花咲港
□祭神
オオモノヌシノオオカミ 大物主大神
コトシロヌシノカミ 事代主神
ウカノミタマノカミ 倉稲魂神
□祭は十月上旬。  
□山車
山車一臺を曳く。
□汎論
 花咲金刀比羅神社は、根室港の南にあたる根室市花咲港に海上安全、豊漁祈願のため祀られる神社。祭神は根室金刀比羅神社とおなじである。

◆36677 高田屋嘉兵衛
□汎論
 高田屋嘉兵衛(たかたや かへえ)、明和六年(一七六九)−文政一〇年(一八二七)は、淡路國都志本村、現兵庫県洲本市五色町の農民の子として生まれ、幼名を菊弥といった。若いときには漁業に従事したが、十八歳のとき兵庫へ出て淡路と大坂とを往復する瓦船に乗った。寛政二年(一七九〇年)に樽廻船の水主から船頭となり、紀州では鰹漁にのり、また和泉屋伊兵衛のもとで船頭となって出羽の酒田へと航海している。
 寛政七年(一七九五)に北風家の援助を得て、庄内(山形県)で一七〇〇石積の辰悦丸を建造して廻船業を開業、蝦夷へと乗り出し、江戸時代後期の廻船業者、また海商である。幕府役人だった、近藤重蔵、間宮林蔵、最上徳内などの重任を得て、蝦夷との交易を許され、幕府の命令により択捉航路(えとろふこうろ)を開いた。さらに、近藤重蔵の依頼で、国後島(くなしりとう)と、択捉島(えとろふとう)間の航路を開拓。こうして得た物産類は【蝦夷地物産売捌方】として扱った。享和元年(一八〇一)に、国後島(くなしりとう)と、択捉島(えとろふとう)の海路を開拓し、幕府から【蝦夷地常雇船頭】に任じられ苗字帯刀が許された。
 根室に祀られる根室金刀比羅神社は、この高田屋嘉兵衛が祀ったものであり、歯舞島(はぼまいとう)、色丹島(しこたんとう)、択捉島(えとろふとう)、国後島(くなしりとう)の北方四島開拓の功績者である。

●01224 千歳市

●01225 滝川市
◆02265 滝川しぶき祭
北海道滝川市
□祭は八月上旬。
□汎論
神社に属しない滝川市民祭。
商店街のベルロードには、四〇基ほどの絵燈籠が飾られ、手作りの大小一〇臺ほどの行燈が曳かれる。行事の終わりには大量の水をかけあう。
□問い合わせ
社団法人たきかわ観光協会
所在地 〒073-0031 滝川市栄町空知通り2、3丁目
電話 0125-23-0030
FAX 0125-23-0918
URL http://caeser.or.jp/kankou/

●01226 砂川市

●01227 歌志内市

●01228 深川市
◆00233 深川ふるさとまつり
□社名 
□所在地 北海道深川市一条
□祭神
□祭は八月上旬。  
□山車
山車が曳かれる。
□汎論
 深川市で行われる深川ふるさと祭は昭和五十六年に始められた。神社に繋属しない市民祭として行われる。主催は深川ふるさと祭振興会深川商工会議所となっていて、山車パレードが行われる。

●01229 富良野市

●01230 登別市

●01231 恵庭市

●01233 伊達市
◆01918 伊達武者まつり
□主催者
伊達武者まつり実行委員会
〒052−0024
北海道伊達市鹿島町20番地1
伊達市役所商工観光課内
電話 0142-23-3331
FAX 0142-23-1084
□所在地 北海道伊達市
□祭神
□祭は八月上旬。  
□山車
多くの山車が曳かれる。
□汎論
 伊達武者まつりは「伊達武者まつり実行委員会」が主催する、神社に繋属しない市民祭として行われる。その行列は、伊達市の開拓時代には多くの伊達藩士が入植したと伝えられ、伊達武者まつりは、往古の伊達藩士の出陣さながらの姿で行われる。その出陣の様相は、御使番、兜、金瓢の馬印、総大将伊達実元、御目付伊達成実、武者奉行伊達政宗、侍大将伊達邦成とつづき、 角山車四臺、太鼓山車六臺ほどの山車が曳かれる。あんどんに描かれているのは、伊達政宗をはじめとする、歴史上の武将などが描かれ。締太鼓には胸まで晒しを巻いた乙女らがうちまたがり、凛々しく太鼓打つ。
□参考
次を参考にさせていただきました。 
・伊達武者まつり
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Ayame/4088/dashi.htm

●01304 新篠津村
◆02266 新篠津青空まつり
□主催 
□所在地 北海道石狩郡新篠津村
□祭神
□祭は八月下旬。  
□山車
有志らにより山車が作られる。
□汎論
 新篠津村は、アイヌ語の「シリノッ・突き出たあご」に由来するという。村域が石狩平野にあり、山がない村。石狩川から分離した旧河川の三日月のしのつ湖がある。
 新篠津村の青空まつりは、神社に属しない市民祭として行われ、六地区と、その他の団体が自由度の高い山車を作って曳く。
 道内の紋別郡上湧別町と友好都市提携が結ばれている。

●01331 松前町
◆03716 江良八幡神社祭
□社名 江良八幡神社
□所在地 北海道松前郡松前町江良
□祭神
ホムダワケノミコト 誉田別命
オオヤマツミノオオカミ 大山祇大神
イナリオオカミ 稲荷大神
フナタマオオカミ 船玉大神
エビスオオカミ 恵比寿大神
アタゴノオオカミ 愛宕之大神
境内外社
弁天神社
イツクシマヒメノミコト 嚴嶋姫命
□祭は九月中旬。
□山車
・寶山
□汎論
 江良八幡神社は、佐々木二見が正徳四年(一七一四)に若宮八幡宮の社殿を建立し、創祀したのにはじまる。社殿の屋根は神明造
のように直線で、反りを持たないのが印象的である。
 江戸時代、北海道の豊富な物産が松前藩領から船積みされていた繁栄期には、江差の姥神神社とおなじように、江良八幡神社の祭には、惠比壽山、弁天山、寶山、龍宮山などの豪華な山車が曳かれていたといわれる。山車の曳行は数を減らしながらも昭和五十年代まで続けられたが、次第に休車となっていった。昭和六十年代に入って、寶山が復活してふたたび曳かれるようになった。
「江良杵振舞」は、江戸時代の末期にはじまったとされる地元の伝承藝能で、松前町指定無形民俗文化財に指定され、江良八幡神社杵振舞保存会が保存に努めている。若者たちが、「松前神楽」の四個散米舞(しかさごまい)の影響を受けたといわれる曲にあわせて約三尺(九十センチメートル)ほどの杵に見立てた棒を採って舞う。

◆00877 桜祭
北海道松前町

◆23627 松前神楽
北海道 松前町

◆03716 江良八幡神社祭
□社名 江良八幡神社
□所在地 松前郡松前町江良
□祭神
ホムダワケノミコト 誉田別命
オオヤマツミノオオカミ 大山祗大神
イナリオオカミ 稲荷大神
フナタマオオカミ 船玉大神
エビスオオカミ 恵比寿大神
アタゴノオオカミ 愛宕之大神
境内外社
弁天神社
イツクシマヒメノミコト 嚴嶋姫命
□祭は九月中旬。
□山車
・寶山
□汎論
 江良八幡神社は、佐々木二見が正徳四年(一七一四)に若宮八幡宮の社殿を建立し、創祀したのにはじまる。社殿の屋根は神明造
のように直線で、反りを持たないのが印象的である。
 江戸時代、北海道の豊富な物産が松前藩領から船積みされていた繁栄期には、江差の姥神神社とおなじように、江良八幡神社の祭には、惠比壽山、弁天山、寶山、龍宮山などの豪華な山車が曳かれていたといわれる。山車の曳行は数を減らしながらも昭和五十年代まで続けられたが、次第に休車となっていった。昭和六十年代に入って、寶山が復活してふたたび曳かれるようになった。
「江良杵振舞」は、江戸時代の末期にはじまったとされる地元の伝承藝能で、松前町指定無形民俗文化財に指定され、江良八幡神社杵振舞保存会が保存に努めている。若者たちが、「松前神楽」の四個散米舞(しかさごまい)の影響を受けたといわれる曲にあわせて約三尺(九十センチメートル)ほどの杵に見立てた棒を採って舞う。

●01332 松前郡福島町
◆05001 福島大神宮祭
□社名 福島大神宮
□所在地 北海道松前郡福島町福島
□祭は九月中旬
山車は船山と曳山がある。
□山車
船山車二臺
・宝丸 日向一
・金久丸 月崎一
曳山九臺
・鞍馬山 みどり町
・泰平山 本町、吉田町
・豊年山 三岳一
・鏡山 上町
・ねぶた山 館古
・隆生山 川原町
・新栄山 新栄町
・宝生山 月崎二
・龍宮山 丸山地区
□汎論
 福島大神宮祭は、藩政期の松前藩の名残が残される、神幸行列の先頭には四ヶ散米(しかさご)、格調高い松前藩公の行列、奴奴行列、
松前神楽の演奏に山車が従う。
【四ヶ散米(しかさご)】とは、~樂の一曲で、十七世紀半ばに起きたアイヌの反乱に対応するため、松前藩では家老、福島村の名主だった戸門治兵衛らにより鎮圧したが、このとき、武運長久祈願として神楽、四ヶ散米がつくられた。現在も祭には、道祓いの主要な演目として継承されている。
□参考
次を参考にさせていただきました。
福島大神宮例大祭
http://www.town.fukushima.hokkaido.jp/div/kankou/spot/event/fukushimadaijingu/fukushimadaijingu.html

●01333 知内町

●01334 木古内町

●01335 北斗市(旧上磯町)

●01336 北斗市(旧大野町)
◆01755 意富比神社祭
□社名 意富比神社
□所在地 北海道北斗市(旧大野町)
□祭神
□祭は八月下旬。 
□山車
山車を曳く。
□汎論
 北斗市(旧大野町)にある意富比神社意富比神社の創祀は不明である。意富比神社(おおひじんじゃ)は、千葉県船橋市に、延喜式神名帳に記載される同名の意富比神社、通称船橋大神宮があり、祭神はアマテラスニイマススメラオオミカミ(天照坐皇大御神)となっている。
 明治元年の明治元年(一八六八)に起きた箱館戦争では、現峠下から五稜郭へ向かおうとした榎本武揚軍の大鳥圭介が率いる部隊と、これを阻もうとする官軍兵が衝突して戦闘が繰り広げられたが、その中心になったのがこの意富比神社界隈だったと伝わる。
 意富比神社の祭礼には、かつては山車の上で祗園囃子が演奏されたという。

●01337 七飯町

●01339 戸井町

●01340 恵山町

●01341 椴法華村

●01342 南茅部町

●01343 鹿部町

●01344 砂原町

●01345 森町
◆01079夏まつり・イン・もり
北海道茅部郡森町
□祭は八月
屋臺一臺
 平成九年、姉妹都市提携をむすんだ静岡県森町より友好を記念して寄贈された。この山車は静岡県袋井市の山梨地区金屋敷で建造されしばらく曳かれたたあと、同市黒田地区、掛川市大和田を経て北海道に渡ったものである。

●01346 八雲町
◆03679 八雲神社例大祭
□社名 八雲神社
□所在地 北海道二海郡八雲町宮園町
□祭神
アツタオオカミ 熱田大神
アマテラスオオミカミ 天照大神
スサノオノミコト 素盞嗚尊
ヤマトタケルノミコト 日本武尊
ミヤズヒメノミコト 宮簀媛命
タケイナダネノミコト 建稲種命
トクガワヨシカツノミコト 徳川慶勝命
□祭は六月下旬。
□山車
山車はない。
□汎論
 日本神話に、スサノオノミコトが詠んだとされる、

  八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣作る その八重垣を

 はよく知られ、【八雲】の名称がつけられた神社は全国にあり、その祭神はスサノオノミコト(素盞嗚命)である例は多い。
 八雲町の八雲神社は、明治十一年に、尾張(愛知県)の旧藩主だった、徳川慶勝が入植させた旧藩士が、熱田神宮の神符と、尾張徳川家歴代の神霊を祀ったのにはじまる。したがって、祭神は、熱田神宮に祀られる神と出雲系の神が混在する。
 ミヤズヒメ(宮簀媛)は、もと尾張のタケイナダネノミコト(建稲種命)の姉で、ヤマトタケルが東征の途中で妃に迎えた。ミヤズヒメは、ヤマトタケルノミコトが死去したのち草薙剣(くさなぎのつるぎ)を祀る社を建てたが、これが熱田神宮の起源だと伝わる。
 タケイナダネノミコト(建稲種命)は、父、尾張国造オトヨノミコト(乎止与命)、母はマシキトベ(眞敷刀婢命)の子で、ミヤズヒメ(宮簀媛)は姉にあたる。
 徳川 慶勝(とくがわ よしかつ)は、尾張藩の十四代、十七代の藩主である。尾張支藩である美濃国高須藩(現岐阜県海津市)に、松平義建の次男として生まれた。兄弟には、十五代尾張藩主藩主の徳川茂徳、会津藩主の松平容保(まつだいらかたもり)、桑名藩主の松平定敬があり、高須四兄弟とよばれる。
 八雲神社例大祭と日を同じくして、八雲町山車行列が行われるが、こちらは当社とは関係がない。

●01347 長万部町

●01361 江差町
◆00653 江差姥神祭(姥神大神宮祭)
□社名 姥神大神宮
□所在地 北海道檜山郡江差町姥神町
□祭は八月上旬。
山車は上町八臺、下町五臺の十三臺がある。
□山車
上町のと下町にわかれる。
上町
・清正山 本町
昭和五四年八月建造。工匠は山本道雄。本座人形は加藤清正、人形師は西海谷厳。
・源氏山 上野町
昭和二一年建造。工匠は町内の梅澤吉五郎。人形は弁慶。人形師は西海谷巌。
・聖武山 橋本町
人形は日本武尊、人形師は大阪心斎橋の大江良介。
・金剛山 新地町、円山、緑丘
平成四年から他町内の山車を借り祭二参加したが、平成一〇年八月に山車を創建。工匠は辻久建設・辻芳則。人形は伊達政宗
・楠公山 津花町
昭和五三年八月建造。工匠は津花町の飯川寿史。
人形は楠正成。
幕末、元治年間はには神船(七福神)を曳いている
楠公山となったのは、明治七年頃。水引は大正中期ころ早川国彦の作。後醍醐天皇を迎える正成図と、母より七生報国を諭される楠正行図。
・松宝丸 海岸町、陣屋町
弘化二年(一八四五)三月に大阪で建造されたといわれる御座船。北海道の文化財に指定されている。注文人は近江屋利兵衛竹蔵。船棟梁は大阪の太秦屋徳八郎、鏡屋茂兵衛。塗師は左兵衛。
・義公山 柏町、南浜町
昭和五十一年建造。工匠は町内の辻喜久雄。人形は水戸黄門。人形師は西海谷厳。
昭和二十三年まで乃木山で、人形は軍人乃木希典だったものをあらためた。
・誉山 茂尻町
昭和六年七月、梅沢吉五郎師の建造。人形は忠臣蔵の大石内蔵助。伊東久重。茂尻山として曳いたが、昭和四年江差町法華寺町の竹林堂野沢悦雄師がつくった人形をのせてから誉山となった。
下町
・神功山 愛宕町
昭和四十年七月建造。工匠は町内の本間松蔵。人形は宝暦四年(一七五四)作の神功皇后。京都五条橋通り塩竈町松尾七郎兵衛。水引幕は宝暦一一年(一七六一)に京都で作成された「寒山拾得図、麒麟、張良と黄石公図」で北海道文化財に指定されている。
・新栄山 新栄町
昭和三十年の建造。工匠は吉井春蔵、吉井清吉。人形は武田信玄。人形師は町内の西海谷北龍)。創建明治二六年で「稲荷山」、人形は、京都より購入した「新田義貞」だった。
大正一〇年の改修時に「鶏山」。さらに大正一三年に「新榮山」と改名された。
・豊栄山 豊川町
昭和六三年七月建造。工匠は小割利雄。
・豊年山 姥神町
姥神神社のある当町の山車。
明治一二年当町在住江州商人の西澤喜蔵、田口伊右衛門氏らが大阪で建造した山車を船で江差に運んだ。人形は神武天皇。人形師は京都の一二世伊東久重。水引幕は文化年間、京都の山田芳州による「唐獅子四季戯図・三枚組」。
・蛭子山 中歌町
明治四四年建造。工匠は町内の山田丑蔵。人形は蛭子。京都の人形師常川又右衛門。
水引幕は天明元年(一七八一)の作で布袋、龍、虎。もと九艘川町の「神鏡山」にかけた水引幕だったが、中歌との合併により蛭子山の水引になった。

●01362 檜山郡上ノ国町
◆05003 川裾神社祭
□社名 川裾神社
□所在地 北海道桧山郡上ノ国町字向浜
□祭神
イザナギノミコト 伊邪那岐命
□祭は七月中旬。  
□山車
山車一臺を曳く。
□汎論
 川裾神社の創祀は天保二年(一八三一)と伝えられ、北海道の神社としては祭られたのがたいへん古い。上ノ国町(かみのくにまち)は北海道でももっとも古く和人の居住した土地で、すでに鎌倉時代以降安東氏の管轄にあり、渡島半島に「館(たて)」とよばれる砦が設置され「十二館」とよばれた。函館は下之国にあり、その地名もこの館の意味である。町内には多くの古文化財が承継され、上之国館跡として、花沢館跡、洲崎館跡、勝山館跡があり、砂館神社本殿、円空作の十一面観音立像などは北海道指定の有形文化財。
上ノ国八幡宮本殿、清浄寺本堂、久末家住宅主屋、物置は、上ノ国町の指定有形文化財である。
 青森県の市浦村(現五所川原市)、滋賀県の安土町(現近江八幡市)とは姉妹都市となっている。滋賀県高島町には川裾神社があり、過去の関連が想像されるが確証がない。

◆05001 瀧澤神社祭
□社名 瀧澤神社
□所在地 北海道檜山郡上ノ国町字扇石
□祭神
コトシロヌシノミコト 言代主命、事代主命
ウカノミタマノミコト 倉稲魂命
□祭は八月中旬。  
□山車
山車一臺を曳く。
・楠公山
□汎論
 瀧澤神社の創祀は寛永十一年(一六三四)と、北海道の神社の中でもたいへん古い由緒がある。祭神は出雲系のコトシロヌシノミコト(言代主命、事代主命)つまり惠比壽さまと、同系の秦氏ゆかりの稲荷神である。長年にわたって鰊の豊漁と安全祈願が行われてきた。

◆05012 汐吹愛宕神社祭
□社名 愛宕神社
□所在地 北海道桧山郡上ノ国町字汐吹
□祭神
ホムスビノミコト 火産霊命
ウカノミタマノミコト 倉稲魂命
オオヤマツミノミコト 大山祇命
□祭は八月中旬。  
□山車
山車一臺を曳く。
・恵比寿山
□汎論
 汐吹愛宕神社の創祀は、天正一〇年(一五八二)と伝わる北海道では古社である。祭神、ウカノミタマノミコト(倉稲魂命)は天和三年
(一六八三)の後祀だと伝わる。

◆02270 石崎八幡神社
□社名 八幡神社
□所在地 北海道檜山郡上ノ国町字石崎
□祭神
フツヌシノミコト 經津主命
□祭は八月中旬。  
□山車
山車一臺を曳く。
・恵比須大黒山
□汎論
 石崎八幡神社の創祀は不明。祭神はフツヌシノミコト(經津主命)とされる。香取神宮の祭神であり春日の神である。厚谷重政の比石館あとに永禄三年(一五六〇)に館神社として祀られていた神社が遷座となったと伝わる。八幡神社の社号があるが、オウジンテンノウ(應神天皇)。ジングウコウゴウ(神功皇后)、ヒメオオカミ(比賣大神)などの祭神が確かめられない。

◆05014 上ノ国八幡神社祭
□社名 八幡神社
□所在地 北海道桧山郡上ノ国町字勝山
□祭神
モムダワケノミコト 誉田別命
アマテラスオオミカミ 天照大御神
ホムスビノミコト 火産霊命
オオサザキノミコト 大鷦鷯命
オオヤマツミノミコト 大山祗命
ウカノミタマノミコト 倉稲魂命
□祭は九月中旬。  
□山車
山車二臺を曳く。
・信廣山
臺名は勝山舘の主であった、武田信廣にちなむ。
・蛭子山
(順不同)
□汎論
 上ノ国八幡神社の創祀は、一説に文明五年(一四七三)に武田信廣が勝山舘の鎮守として祀ったのに始まると伝わる。社殿は明和七年(一七七〇)の建造といい、北海内では現存する最古の神社建築とされている。向拝上に大きく半円形を描く唐破風の屋根があり、桁には鶴、梅、笹が緻密に彫刻されている。境内には室町期の様式を伝える狛犬がある。

◆39778 武田信廣
□汎論
 武田信廣(たけだ のぶひろ)永享三年(一四三一)ー明応三年(一四九四)、は室町時代の武田氏の一族ともいわれ、若狭小浜(現小浜市)の大名だった武田信賢の子とされるが異説がある。
 宝徳三年(一四二五)、二十一歳のとき若狭をはなれ、同年に三戸(現青森県)の南部光政のもとに身を寄せた。その後陸奥国宇曽利(現青森県むつ市)に移り、南部家から田名部、蠣崎の知行を許されて蠣崎武田氏を名乗るようになった。
 享徳三年(一四五四)には南部大畑から蝦夷に渡り、上国花沢館の蠣崎季繁の食将(食客)となり、さらに季繁の養子となった。蠣崎姓
を名乗ったのはこのころのこととされる。康正二年(一四五六)には嫡男の光廣が生まれた。
 康生三年(一四五七)に、アイヌによる和人武士館への一斉襲撃があり、コシャマインの戦いが始まった。当初は蝦夷十二館のうち一〇館までもが陥落する敗色の濃い戦であったが、信廣が大反撃に出ると、アイヌ軍は次第に敗退し、ついに勝利を得た。この功績により
信廣の地位は確立し杢之進 ( もくのしん ) 地蔵(室町時代 1462 年 寛正三年には勝山館を築城した。
 その後子孫は次第に繁栄し、松前守護職につくことともなって姓を松前氏と改めた。江戸時代には松前氏は蝦夷を支配し、信廣は、その初代とされる。

◆0513 桂岡愛宕神社祭
□社名 愛宕神社
□所在地 北海道桧山郡上ノ国町字桂岡
□祭神
□祭は八月中旬。  
□山車
山車一臺を曳く。
・愛宕山
□汎論

◆05015 砂館神社祭
□社名 砂館神社
□所在地 北海道桧山郡上ノ国町字北村
□祭神
スサノオノミコト 須佐之男命
ホムスビノミコト 火産霊命
□祭は九月上旬。  
□山車
山車一臺を曳く。
・大黒山
□汎論
 山車は大黒山であるが、仏教の大黒天ではなく、七福神の一神のオオクニヌシノミコト(大國主命)である。

◆05017 大留大山神社祭
□社名 大山神社
□所在地 北海道桧山郡上ノ国町字大留
□祭神
オオヤマツミノミコト 大山祗命
□祭は九月中旬。  
□山車
山車一臺を曳く。
・楠公山
□汎論
 大留大山神社の祭神オオヤマツミノミコト(大山祗命)は上ノ国八幡神社の祭神としても祀られる。愛媛県今治市大三島町宮浦には大山祗神社があり、平安時代に「日本総鎮守」の号を得ている。

◆05016 大崎稲荷神社祭
□社名 稲荷神社
□所在地 北海道桧山郡上ノ国町字大崎
□祭神
ウカノミタマノイコト 倉稲魂命
□祭は八月上旬。  
□山車
山車一臺を曳く。
・恵比寿山
□汎論
 大崎稲荷神社の創祀は天保二年(一八三一)と伝えられふるい歴史がある。

◆05009 木ノ子稲荷神社祭
□社名 稲荷神社
□所在地 北海道桧山郡上ノ国町字木ノ子
□祭神
ウカノミタマノイコト 倉稲魂命
コトシロヌシノミコト 言代主命
□祭は八月中旬。  
□山車
山車一臺を曳く。
・豊栄山
□汎論
 木ノ子稲荷神社の創祀は弘治元年(一五五五)とたいへん古い由緒がある。天正三年(一五七五)創祀のコトシロヌシノミコト(言代主命)が併祀されている。

◆02271 新村稲荷神社祭
□社名 稲荷神社
□所在地 北海道桧山郡上ノ国町字新村
□祭神
□祭は九月上旬。 
□山車
山車一臺を曳く。
□汎論

◆36449 上ノ国の円空彫刻
 円空が北海道地方を旅したのは寛文五年(一六六五)頃といわれ、上ノ国には残された鉈ばつり像が数体伝わり、しばらく滞在したようである。
・観音堂十一面観音
岐阜県の伊吹山にある太平寺の十一面観音には、四日木伐、五日加持、六日彫刻、七日開眼趣旨の墨書がのこされていて、大作でもその彫刻はさほど時間を要しなかったと推定される。
・北村地蔵庵
・石崎八幡神社
・光明寺
・西村家旧蔵 阿弥陀如来
 明治の初め頃、大成町の久遠から奥尻に向かう途中、西村鶴松氏が海中に漂うのを見て拾い上げたと伝わる。
・旧笹浪家
にその遺作が伝わる。
 円空の飛騨地方滞在は、千光寺の住職だった舜乗との交わりがよく概ね一〇年くらいと推定されている。

●01363 檜山郡厚沢部町
◆05018 鶉稲荷神社祭
□社名 鶉稲荷神社
□所在地 北海道檜山郡厚沢部町字鶉
□祭神
ウカノミタマノミコト 倉稲魂命
□祭は八月下旬  
□山車
山車一臺を曳く。
□汎論
 鶉稲荷神社の創祀は古く、文政十二年(一八二九)、豊作祈願を願う当時の入植者らにより祀られたと伝わる。

◆05019 本町神明社祭
□社名 神明社
□所在地 北海道檜山郡厚沢部町字本町
□祭神
アマテラスオオミカミ 天照大神
□祭は九月中旬。  
□山車
一臺を曳く。
□汎論
 本町神明社の創祀は宝暦九年(一七五九)と伝え、古い由緒がある。

◆05021 富里神明社祭
□社名 神明社
□所在地 北海道檜山郡厚沢部町字富里
□祭神
□祭は  
□山車
山車一臺を曳く。
□汎論

◆05020 鶉大豊神社祭
□社名 大豊神社
□所在地 北海道檜山郡厚沢部町鶉町
□祭神
スサノオノカミ 須佐之男神
オオヤマツミノカミ 大山津見神
ウカノミタマノカミ 倉稲魂神
□祭は八月下旬。
□山車
山車一臺を曳く。
□汎論
 鶉大豊神社の創祀は、安政二年(一八五五)八雲神社として祀られたと伝わる。現在の社殿は昭和三十三年に本社と分離し、あたらしく遷座された。祭神は旧とおなじ。出雲系、三島系、秦氏系の稲荷神が祀られるが、創祀時の八雲神社にはスサノオノミコトのみが八坂神として祀られ祭は祗園祭だったとも伝わる。

◆05022 赤沼神社祭
□社名 赤沼神社
□所在地 北海道檜山郡厚沢部町赤沼
□祭神
オオナムチノミコト 大己貴命
□祭は  
□山車
山車一臺を曳く。
□汎論
 赤沼神社の創始は不明。社記では明和八(一七七一)年に社殿再建と伝わる。町内には皇室系のアマテラスオオミカミを奉る本町神明社、富里神明社があるが、赤沼神社は出雲系の神を祖神として祀る出雲系のひとびとにより祀られたということであろう。

◆05772 豊栄神明社祭
□社名 神明社

□所在地 北海道檜山郡厚沢部町豊栄
□祭神
□祭は九月上旬。  
□山車
山車一臺を曳く。
□汎論
  
●01364 爾志郡乙部町
◆05026 乙部八幡神社祭
□社名 八幡神社
□所在地 爾志郡乙部町字元町
□祭神
ホムダワケノミコト 誉田別命
トヨタマヒコノミコト 豐玉比古命
コトシオヌシノミコト 言代主命
セオリツヒメノミコト 瀬織津姫命
ウケモチノミコト 宇気母智命
□祭は八月中旬。  
□山車
山車六臺を曳く。
・宿禰山 元町一
本座人形は竹内宿禰。
・稲荷山 元町二
・大黒山 緑町一
本座人形は大國主命
・蛭子山 緑町二
本座人形は惠比壽。
町内保存の道具箱に明治二〇年九月 氏子中 との墨書記録があり、町内では一番古い建造と考えられている。 
・弁慶山 滝瀬
本座人形は弁慶。
・楠公山 館浦
本座人形は楠正成。
(順不同)
□汎論
 乙部八幡神社の創祀は、宇田遠江守師長が落武者として当地にいたり、定住した地に祀られたのに始まると伝える。慶長六年(一六〇一)
に社殿を建立し、岡山八幡宮と称したとある。
 もと、古い神々が祀られており、
セオリツヒメノミコト(瀬織津姫命)を祀る、滝ノ神社は文政三年(一八二〇)の創祀。
トヨタナヒコノミコト(豊玉比古命)を祀る海童神社は、明和二年(一七六五)の創祀。
ウケモチノカミ(宇気母智命)を祀る稲荷神社は 慶長十六年(一六一一)の創祀。
これらの神々は明治末期に八幡神社に合祀されている。
 宇田遠江守師長は旧越後上杉家の家臣だったといい、弘治元年(一五五五)の信州川中島の合戦で破れて蝦夷へ落ち延び、定住した地とされている。
 上杉謙信と武田信玄が争った川中島の合戦は、1553年(天文二十二年(一五五三)から永禄七年(一五六四)におよび数次の戦いが繰り広げられたが決着がつかなかった。

●01365 熊石町
◆02274 根崎神社祭
□社名 根崎神社
□所在地 北海道二海郡八雲町(旧熊石町)根崎町
□祭神
アマテラスオオミカミ 天照大御神
コトシロヌシノカミ 言代主神
スサノオノカミ 須佐之男神
オオイカヅチノカミ 大雷神
トヨウケヒメノカミ 豊受比賣神
□祭は八月中旬。  
□山車
八臺を曳く。
・大黒山 関内
・源氏山 西浜
・雷山 鳴神
・素盞鳴命山 雲石
・神武天皇山 根崎
・蛭子山 畳岩
・稲荷山 平
・宝船山 鮎川
(順不同)
□汎論
 熊石 根崎神社の創祀は不明。社記に、慶長十一年(一六〇六)に、
乙部村八幡神社の神主である宇田播磨守豊島により齋事が執行されたとある。由緒不明であるが、氏子の佐野四右衛門が神社の後ろの山を開墾したとき「大神」と刻まれた石が出土したといい、本殿の脇に安置されている。

◆05031 北山神社祭
□社名 北山神社
□所在地 北海道二海郡八雲町(旧熊石町)熊石町泊川
□祭神
アマテラスオオミカミ 天照大御神
オオモノヌシノミコト 大物主命
コトシロヌシノカミ 言代主神、事代主神
ウケモチノカミ 宇気母智神
イチキシマヒメノカミ 市杵島姫神
□祭は八月中旬。  
□山車
二臺を曳く。
・信玄山 大澗
・豊栄山 冷水
(順不同)
□汎論
 泊川にある北山神社の創祀は古く、元和元年(一六一五)と伝わる。
多くの神が祀られるが、もとの祭神はコトシロヌシノカミ(言代主神、事代主神)で、あとは次第に合祀されたカミである。
 オオモノヌシノミコト(大物主命)は、金毘羅神宮の祭神として北海道では港町の神社に祀られる例がしばしば見受けられる。オオナムチノミコト(大己貴命)とは同一視ななちゃんと考える説がある。秋田県にはオオモノヌシノミコトにつながる物部氏の事蹟が多く残る。
 ウケモチノカミ(宇気母智神)はおそらく稲荷神であろう。イチキシマヒメノカミ(市杵島姫神)は宗像三女神の一神であるが、厳島神社の神格として祀られたようである。アマテラスオオミカミ(天照大御神)は主祭神となっているが、祀られたのはいちばんあたらしく、おそらく皇室に表敬したもので、明治以降の祭祀であろう。

◆05032 相沼八幡神社祭
□社名 八幡神社
□所在地 北海道二海郡八雲町(旧熊石町)熊石町相沼
□祭神
□祭は八月中旬。  
□山車
山車五臺を曳く。
・大黒山 1区 折戸
福の神。
・蛭子山 2区 二相沼
本座人形には、豊漁祈願怪獣安全のゑびすさまがのる
・源氏山 3区 三相沼
源義経にちなむ山車。
・宝山 4区 四相沼
・誉山 5区 館平
誉山の名は八幡神社の祭神であるホムダワケノミコト(誉田別命)による。
(順不同)
□汎論
 北海道西部から北部にかけての日本海側には、源義経にちなむ伝承地が点在する。岩手県平泉高館は、東に北上川をのぞむ丘陵地で、藤原氏の要害地であった。源義経終焉の地として知られるが、敗北した藤原氏の一族は蝦夷に逃れたと考察される。岩手県を北上した落武者たちは辛酸をなめながら、北上し、陸奥(青森県の)田名部(むつ市)、あるいは大畑から舟で、箱館(函館)、上ノ國を経て積丹方面へと向かったと想像される。岩手県の高館、秋田県の角館、會津から仙台にいたる伊達は、本来「館」であろう。北海道の伊達市は旧仙台藩から入植した家士たちが多く入植している。

●01366 せたな町(旧大成町)
◆01759 久遠神社祭
□社名 久遠神社(くどうじんじゃ)
□所在地 北海道久遠郡せたな町(旧大成町)
□祭神
アマテラスオオミカミ 天照大御神
オオミケツノカミ 大饌津神
アメノウズメノミコト 天宇受賣命、天鈿女命
□祭は七月中旬。  
□山車
山車三臺を曳く。
・本陣町 
船山車
・都
・上浦
(順不同)
□汎論
 現在は、せたな町となったが旧大成町は久遠村と貝取澗村が合併してできた町であった。久遠神社の社号はその久遠にちなんでいる。江戸時代末期には福岡藩の所領に置かれていた。
 久遠神社の創祀は宝永元年(一七〇四)、平田村の臼別に鎮座したことから、ウスベツ神社とよばれていたといい古い祭祀の歴史がある。
 宝永四年に物産の税金を扱う、運上屋が移転となったため艘澗村へ遷座となり、明治元年までは稲荷神社とよんで、オオミケツノカミ(大饌津神)、アメノウズメノカミ(天宇受賣命)が祭祀されていた。やがて明治となり、アマテラスオオミカミ(天照大御神)が加増祀され現在の久遠神社となった。

●01368 せたな町(旧瀬棚町)
◆02275 事比羅神社祭
□社名 事比羅神社
□所在地 久遠郡せたな町(旧瀬棚町)瀬棚区三本杉
□祭神
オオモノヌシノミコト 大物主神
□祭は九月上旬。  
□山車
山車七臺を曳く。
・弁天舟山 三本杉
・金比羅丸舟山 本町一区
・仲町花山 本町二区
・西部花山 本町三区
・龍神花山 本町四区
・会津花山 本町五区
・南花山 本町六区
・旭花山 本町七、本町九、本町十区
(順不同)
□汎論
 せたな町にある事比羅神社の創祀は不明。社記によると、瀬棚町、北檜山町、今金町の惣鎮守であり、天保九年に、松前福山唐津内町の平田与三右衛門による本殿再建の記録が見られる相当の社格を備えた古社である。事比羅神社には金刀比羅神社(ことひらじんじゃ)、琴平神社(ことひらじんじゃ)、金比羅神社(こんぴらじんじゃ)などとも表記されるが、讃岐のこんぴらさんでも親しまれるように、香川県仲多度郡琴平町の金刀比羅宮が総本宮で、祭神をオオモノヌシノカミ(大物主神)が祀られる。
 讃岐の金刀比羅宮の創祀は、延喜式神名帳が編まれた時期よりさらに古いが、延喜式神名帳には記載されない延喜式外社(えんぎしきげしゃ)である。このことは、出雲系を曳く神社であり、オオモノヌシノカミ(大物主神)とオオナムチノミコト(大己貴命)を同一神、あるいは異神とする説はあるものの、本義においては出雲系であり、物部氏につながる古社であることはほぼ間違いないだろう。
 大和(奈良県桜井市)の大神神社も、祭神はオオモノヌシノカミ(大物主神)で、オオナムチノミコト(大己貴命)、スクナヒコナノミコト(少彦名命)が祀られているが、こちらは延喜式神名帳に記載される名神大社である。
 この延喜式神名帳の記述上の扱いの違いは、総本宮・金刀比羅宮は平安時代には皇室系の神社に準ずるのを拒否したためと推察される。
 内地から蝦夷(北海道)にわたる航海はたいへん危険であり、海上安全を祈願する神社として、北海道各地に金刀比羅神社が建立された事情が理解される。
 せたな町の事比羅神社は、地域の発展が著しく、神徳の及ぶところ大なりとして、明治二十八年に現在地に遷座となった。

●01369 せたな町(旧北檜山町)
◆01761 真駒内神社祭
□社名 真駒内神社
□所在地 北海道久遠郡せたな町(旧北檜山町)北檜山区北檜山
□祭神
ハチマンオオカミ 八幡大神
オオヤマツミノオオカミ 大山祗大神
クマヌノオオカミ 熊野大神
□祭は九月中旬。  
□山車
山車四臺を曳く。
・源平山 本町、中央町
・宝寿山 寿町
・緑新山 緑町
・元町
(順不同)
□汎論
 真駒内神社の創祀は、明治二十六年に瀬棚村会津の高野弥平が開拓安全を祈願してオオヤマツミノオオカミ(大山祇大神)と、クマヌノオオカミ(熊野大神)を祀ったのに始まると伝わる。
 さらに翌年の明治二十七年には、阿波(徳島県)からの入植者である、坂井良蔵と片山悦次郎らが郷里の那賀郡福井村(現阿南市那賀川町福井)の大宮八幡宮より神霊の分祀を受け併祀された。
 このことから、真駒内神社でも山車が曳かれるようになったが、初期のものは、阿波の福井で曳かれるのと同じ形態の山車だったと伝わる。
 山車は唐破風の屋根、四本柱で、丸太を寸胴切にしたものに鉄輪を焼き嵌め(やきばめ)した四輪の「だんじり」や「花山」で、現在も基本的には旧態を継承している。

◆05034 玉川神社祭
□社名 玉川神社
□所在地 北海道久遠郡せたな町北檜山区丹羽
□祭神
サカノウエノカリタマロノミコト 坂上苅田麻呂命
サカノウエノタムラマロノミコト 坂上田村麻呂命
□祭は九月上旬。  
□山車
山車一臺を曳く。
・黄金山
□汎論
 玉川神社の創祀は、明治二十五年に、福島県の丹羽五郎が入植したさい、青森県の岩木山神社より坂上苅田麻呂命、坂上田村麻呂命の分祀を受けて祀ったのにはじまる。
 岩木山神社は、津軽の岩木山麓に祀られる神社で、奥宮は岩木山の山頂付近にあって、もとは岩木山をご神体とする古い祭祀の歴史がある。津軽地方では「お岩木さま」、「お岩木やま」、「お山」などと親しまれ、弘前城主から寄進された宏壮な社殿があって、津軽國一宮の称号がある。
 坂上氏は渡来系氏族といわれ、坂上田村麻呂は勅命を奉じて東北地方の平定に赴いた。坂上苅田麻呂は父である。

◆05035 若松神社祭
□社名 若松神社
□所在地 北海道久遠郡せたな町北檜山区若松
□祭神
アマテラスオオミカミ 天照大御神
□祭は九月中旬。  
□山車
従来山車を曳いていたとの伝承があるが、現在は太鼓臺が曳かれる。
□汎論
 当地区の開拓は明治三〇年にはじまった。明治三十二年に小祠が建ち、翌年から祭が始まったと伝わる。

◆02276 今金八幡神社祭
□社名  八幡神社
□所在地 北海道瀬棚郡今金町字今金
□祭神
オウジンテンノウ 應神天皇
ジングウコウゴウ 神功皇后
□祭は九月中旬。  
□山車
三臺を曳く。
・金龍山
・鳳凰山
・青栄山
(順不同)
□汎論
 今金八幡神社は、明治二十九年に、今金の開拓移らにより、函館八幡宮より分祀を受けて祀られるようになった。

●01392 寿都町
◆02277 寿都神社祭
□社名 寿都神社(すっつじんじゃ)
□所在地 北海道寿都郡寿都町字渡島町
□祭神
イチキシマhメノミコト 市杵島比賣命
ウカノミタマノミコト 倉稲魂命
トヨウケヒメノミコト 豊宇気比売命
□祭は七月中旬。  
□山車
山車四臺を曳く。
・矢追
・大磯
・渡島
・六開岩
(順不同)
□汎論
 寿都神社の創祀は、寛永四年筑紫国(福岡県)から蝦夷に向かっていた辨天丸が、暴風により遭難し、寿都湾まで流されて座礁したが、幸い人身事故には至らなかった。船頭をはじめ水夫などの乗組員らはこれに感謝して、寿都神社を建立し、舟に祀られていた宗像大社のイチキシマヒメを遷して祀ることとなった。
 ウカノミタマノミコト(倉稲魂命)、とトヨウケヒメノミコト(豊宇気比売命)は後祀である。

◆05036 樽岸稲荷神社祭
□社名 稲荷神社
□所在地 寿都郡寿都町字樽岸町建岩
□祭神
トヨウケヒメノミコト 豊宇気比賣命
□祭は九月下旬。  
□山車
山車一臺を曳く。
□汎論
 樽岸稲荷神社の創祀は天保十二年(一八四一)、当時の漁業従事者らが山城國紀伊郡(現京都市伏見区)の伏見稲荷大社から稲荷神を招聘して祀っ田とされる古い神社である。しかし、祭神は伊勢神宮外宮にも祀られるトヨウケヒメノミコト(豊宇気比賣命)のみで、稲荷神である、ウカノミタマノミコト(倉稲魂命)あるいはウケモチノカミ(保食神)の名が見当たらない。稲荷神社の祭神をトヨウケヒメノミコトとする例が稀にみられる。

◆05037 歌棄厳島神社祭
□社名 厳島神社
□所在地 寿都郡寿都町字歌棄町有戸
□祭神
イチキシマヒメノミコト 市杵島姫命
ウカノミタマノミコト 倉稲魂命
シナツヒコノミコト 志那都比古命
シナツヒメノミコト 志那都比賣命
□祭は八月上旬。  
□山車
山車一臺を曳く。
□汎論
 歌棄厳島神社の創祀は不明。天保三年(一八三二)には社殿が再建された記録がある。大正二年に現在地に遷座した。歌棄の総鎮守とされる。歌棄の名称はアイヌ語の「オタシュツ」にちなむ。
 江戸時代は、歌棄郡は和人の地で、松前藩によりオタスツが開かれ、渡島國(おしまのくに)から天塩國増毛郡(てしおのくに、ましけ)までは道路が通じていた。
 祭神の、イチキシマヒメノミコト(市杵島姫命)は、宗像三女神の一神で、豊前(大分県)の宇佐神宮にヒメオオカミ(比賣大神)として祀られるほか、仏教と褶合しベンザイテンとして、安芸の宮島、近江竹生島の辨才天、湘南(神奈川県)江ノ島の弁財天は三弁財天ともよばれ祀られている。ウカノミタマノミコト(倉稲魂命)は稲荷神。シナツヒコノミコト(志那都比古命)、シナツヒメノミコト(志那都比賣命)は、大和(奈良県王寺町)の龍田大社にはシナツヒコノミコト(級長津彦命)、シナトベノミコト(級長戸辺命)が祀られ、シナツヒコノミコトとは、アメノミナカヌシノミコト(天御中主命)のことだとしている。

◆02278 くっちゃんじゃが祭
□社名 
□所在地 
□祭神
□祭は  
□山車
ねぶたがおよそ一〇臺ほど曳かれる。
□汎論
 北海道の開拓は、『日本書紀』に、齋明天皇五年の項に、すでに、阿倍比羅夫が後方羊蹄に郡領を置いたとの記述が見え、その歴史は古い。倶知安(くっちゃん)の名称はアイヌ語に由来するとされる。
 倶知安開拓の先駆となったのは阿波國(徳島県)のひとびとが多かったこともあって、阿波踊が行われ、名産のじゃがいもにちなんだ
くっちゃんじゃが祭が市民祭として行われる。

●01405 積丹町
◆05039 神威神社祭
□社名 神威神社
□所在地 北海道積丹郡積丹町大字来岸町
□祭神
オオワタツミノカミ 大綿津見神
シナツヒコノカミ 志那津彦神、級長彦神
シナツヒメノカミ 志那津姫神、級長媛神
トヨウケヒメノカミ 豊受姫神
□祭は7月中旬  
□山車
山車二臺を曳く。
□汎論
 神威神社の創祀は不明。祭神に海神族(綿津美氏)系の神が祭られているのが眼を惹く。一説に義経伝説として、源義経が蝦夷に逃れ
現神岬村神威岬にさしかかったところ、風浪が激しいため沖の神威岩に大綿津見神、志那戸神を祀って公開安全を祈願したと伝わる。
 のちに松前藩の地頭だった藤倉近兵衛が、神岬村に神殿を建て【志屋古丹明神(しやこたんみょうじん)、於賀武意《おかむい》明神(おかむい)と名づけたという。さらに、寛文三年に漁民らが社殿を再建し、文化二年には、松前の神官白鳥遠江守が齊主に就任。
 幕末の慶応二年、社殿を来岸村に移して神威明神と社號をあらため
明治三年に本殿と拝殿が再建された。明治八年に大綿津見神社と改称された。明治四十四年に、余別・来岸・神岬・西河にあった稲荷神社が合祀され、昭和六年に本殿の改築と社号を旧にもどし、神威神社と改称された。
 トヨウケヒメノカミ(豊受姫神)は伊勢神宮外宮の祭神であるが、
神威神社のトヨウケヒメノカミは、京都府丹後半島の各地に祀られる伊勢神宮祭祀以前の古い神と考えられる。

◆02279 美国神社祭
□社名 美国神社
□所在地 北海道積丹郡積丹町大字美国町字大沢
□祭神
ウケモチノカミ 保食神
オオワタツミノカミ 大綿津見神
オオヤマツミノカミ 大山祗神
□祭は七月上旬。  
□山車
山車二臺を曳く。
□汎論
 美国神社は享保一〇年(一七二五)に京都伏見区の伏見稲荷大社から分祀を受けた創祀に始まると伝わる。もともと稲荷神社であるが、近隣の祭神が合祀されている。だが祭神に、ウカノミタマノオオカミ(宇迦之御魂大神、倉稲魂大神)のながみられない。
□参考
次を参考にさせていただきました。
http://www.hokkaidojinjacho.jp/data/04/04024.html
美国神社

●01406 古平町
◆02280 新地町琴平神社祭
□社名 琴平神社
□所在地 北海道古平郡古平町大字新地町
□祭神
オオモノヌシノカミ 大物主神
ヤエコトシロヌシノカミ 八重事代主神
ウケモチノカミ 保食神
ストクテンノウ 崇徳天皇
配祀
稲倉石神社
カナヤマヒコノカミ 金山彦神 
カナヤマヒメノカミ 金山姫神 
オオヤマツミノカミ 大山祗神
□祭は七月中旬。  
□山車
手作り山車多数を曳く。
□汎論
 新地琴平神社の創祀は慶応元年から御霊代の分祀をうけるため、丸山麓に仮社殿の建立準備にかかり、明治四年に拝殿が完成した、古平郡の惣鎮守である。昭和二十四年の古平町西部大火で社伝を失い、
ご神体は一時浜町恵比須神社に遷されていたが、昭和二十五年に新社伝が落成し、再建遷座祭が行われた。下って、昭和三十六年に、再度遷座が行われて現在に至る。

◆05040 浜町恵比寿神社祭
□社名 恵比寿神社
□所在地 北海道古平郡古平町大字浜町
□祭神
□祭は八月中旬。  
□山車
手作り山車数臺を曳く。
□汎論

●01408 余市町
◆02281 北海ソ-ラン祭
□所在地 北海道余市郡 余市町
□祭は七月上旬。  
□山車
舟山車など一〇数臺の山車が曳かれる。
□汎論
 ソーラン節は、江差追分とともに北海道を代表する民謡として知られる。いずれも鰊にゆかりがあるが、ソーラン節は作業唄として歌われてきた。さしもの水揚げを誇った鰊漁も昭和三〇年頃より次第に水揚げが減少し、これに歩調をあわせるようにソーラン節も次第に低調となってきた。これに憂慮した余市町では、ソーラン節発祥の地としての誇りをかけ、民謡の継承と街の発展を祈願して正調ソ−ラン沖揚音頭保存会により北海ソ-ラン祭がはじめられた。昭和四十三年ごろのことである。以来絶えることなく祭が継承されている。

●01427 由仁町
◆02282 伏古の火祭
□主催 由仁町伏古の火祭実行委員会
□所在地 北海道夕張郡由仁町(ゆにちょう) 
□祭は九月下旬。  
□山車
行燈を作って参加する。
□汎論
 伏古の火祭は、夕刻よりパレードが行われる。神社に属しない市民祭で青森の人形ねぶた風、弘前の扇ねぷた風のもの、それに制約にとらわれない自由度の高い行燈を作って曳く。

●01429 栗山町
◆02283 御大師火まつり
□所在地 北海道夕張郡栗山町
□祭は七月下旬。  
□山車
山車三臺を曳く。
□汎論
 栗山町は、町史をひもとくと、明治二十一年に、角田藩(宮城県)の藩士だった泉麟太郎ら二十四名らがアノロ川畔に入植し、角田の集落をひらき地域の開拓を行ったのに始まると伝わる。泉らは夕張開墾起業組合を設立し、明治二十三年には角田村と村名がつけられた。
明治三十一年は夕張川の大洪水により溺死者、流失家屋多数でて、また、農産物の収穫はほとんどない大惨状であった。
自然災害は大正二年にも起きて 低温と暴風雨により大恐慌で、収穫はほとんどなかったと伝わる。
昭和二十四年に町政が施行され、角田村は栗山町と改称された。
昭和四十五年には角田炭鉱が閉山となった。
昭和五十一年に、第一回栗山夏まつりが開催され、昭和五十三年には宮城県の角田市と姉妹都市となった。
昭和六十一年には栗山夏まつりが御大師山火まつりとなって開催された。このように栗山町には開拓史に記録される自然大災害を乗り越えて発展してきた。入植時の泉麟太郎ら角田藩士らの功績は計り知れないものがあり、角田市との強い結びつきがある。
 御大師山火まつりは、市民祭として開催され、栗山音頭とともに山車パレードが行われ三臺の山車が曳かれる。その前後には、町内の有志らによる踊が披露される。
 傘おどりは、御大師山火まつりに協賛して駅前通り商店街の歩行者天国、栗山公園などで行われる。

●01432 新十津川町

●01433 妹背牛町
◆02284 もせうし夏まつり
□所在地 北海道雨竜郡妹背牛町(もせうしちょう)
□祭は八月上旬。  
□山車
山車(行燈)が一〇数基でる。
□汎論
□問い合わせ
妹背牛町役場
〒079-0592 
北海道雨竜郡妹背牛町字妹背牛5200番地
電話 0164-32-2411
FAX 0164-32-2290

●01434 秩父別町
◆02285 秩父別屯田まつり
□所在地 北海道雨竜郡秩父別町
□祭は八月上旬。  
□山車
山車、手作り山車を約一〇臺ほど作って曳く。
□汎論
 秩父別屯田まつりは、神社に属さない市民祭。昭和五十四年ごろにはじまったといわれ、打ち上げ花火があがり人気がある。
□問い合わせ
秩父別とんでんまつり実行委員会 
電話 0164-33-2111

●01437 北龍町
◆02286 ひまわりまつり
□所在地 北海道雨竜郡北竜町
□祭は八月上旬。  
□山車
手作りの山車、行燈が出る。
・北竜山
□汎論
 北竜町は日本一のひまわりの産地である。町内にはひまわりの里の看板が立ち、花期にはみごとなひまわりのお花畑が展開する。【ひまわりまつり】も、このひまわりにちなんで行われる市民祭。まつりには山車、行燈が出る。

●01438 沼田町
◆01762 沼田夜高
□所在地 北海道雨竜郡沼田町
□祭は八月下旬。  
□山車
山車、夜高行燈を曳く。
□汎論
 沼田町開拓の歴史は、明治二十七年(一八九四)に富山県出身の沼田喜三郎が、郷里から十八戸の移住をもとめたのに始まると伝え、富山県とのつながりが深い。町名もこの沼田喜三郎の姓によって名づけられている。
 沼田喜三郎は天保五年(一八三四)越中国砺波郡新西嶋村(現在の富山県小矢部市新西)の甚三郎の三男として生まれた。開拓民として北海道に渡って事業に成功した人物である。
 沼田夜高は、富山県礪波地方の小矢部市津沢、庄川、礪波、福野などで行われる地域の限定される民俗行事であるが、一部は神社に属し神事となっている。
 沼田夜高は、沼田喜三郎の郷里である富山県の夜高を北海道に再現したものである。夜高は、夜高行燈(よだかあんどん)ともよばれ、木材や竹材などで原型をつくり、これに和紙を張り華麗に装飾される。夜はこれに火を入れて曳くが、最終日には、若者たちがこぞってこれを原形すらとどめないほどに打ち壊してしまう。このことはまた、激しいけんかの応酬にもなる。
 能登方面のキリコに連続し、ねぶたやねぷたの原型とも考えられる。日本海沿岸地方には、新潟県弥彦神社の行燈、秋田県湯沢地方の行燈などのほか、秋田では竿灯、福島県の白河、二本松地方では山車の上に堤燈が飾られるなど【火の行事、火の神事】となっているところが多い。山車と火の関係は、歴史上古く、そして遠くイランやインドの拝火信仰にまで思索をおこなう研究がある。
 
◆01763 沼田夜高会館
□汎論
 沼田町の沼田夜高は、昭和四十八年に第一回町民まつりが開催されたのにはじまる。富山県小矢部市との交流を通じて、夜高のつくりかたを伝習し、昭和五十四年には夜高節が沼田神社に奉納された。昭和六十一年には、夜高あんどん一〇周年記念事業として、夜高会館が完成した。
 隣地にはには明治二十二年に建造されたドイツ製のSLであるクラウス十五号が展示される。現存する小型蒸気機関車では日本最古のものだという。

●01452 鷹栖町
◆05784 たかす熱夏フェスタ
□所在地 北海道上川郡鷹栖町
□祭は八月上旬。
□山車
山車、十六鷹行燈(いざたかあんどん)が出る。
・鷹栖地区
・北野地区
・中央地区
・北成地区
・北斗地区
 このほか企業団体が任意に参加する・
(順不同)
□汎論
 たかす熱夏フェスタは町をあげての市民祭として行われさまざまなイベントがある。行燈は平成八年よりはじまった。
□問い合わせ
鷹栖町役場産業振興課商工観光係
(実行委員会事務局)
電話 0166-87-2111

●01460 上富良野町

●01461 中富良野町

●01462 南富良野町

●01466 士別市(旧朝日町)
◆02289 朝日神社祭
□社名 朝日神社
□所在地 北海道士別市(旧朝日町)
□祭神
アマテラスオオミカミ 天照大神
□祭は八月下旬。  
□山車
山車、若干数の行燈が出る。
(順不同)
□汎論
 朝日神社の創祀は、明治二十九年に阿波國(徳島県)より、当地に入植した伊勢与利蔵ほからによって、郷里よりアマテラスオオミカミの分祀を受けて祀られた。炭鉱の盛時には山神(カナヤマヒコノミコト?)が併祀されていたが、昭和四十九年に炭鉱が閉山となり山神は除かれた。

●01467 風連町

●01469 美深町
◆02291 美深ふるさと夏まつり
□所在地 北海道中川郡美深町
□祭は七月中旬。  
□山車
山車、佞武多風の行燈を曳く。
□汎論
 美深ふるさと夏まつりは、神社に繋属しない市民祭として行われ、青森県のねぶたの影響をうけた行燈が出る。

●01518 利尻町

●01545 斜里町
◆01881 斜里しれとこねぷた
□所在地 北海道斜里郡斜里町
□祭は七月下旬。  
□山車
ねぷたが曳かれる。
□汎論
 斜里町では、斜里しれとこねぷたにおいて、青森県弘前市との友好関係から弘前ねぷたが曳かれる。両市町の友好関係は、江戸時代中期の文化四年(一八〇七)に、幕府が北海道北西部にある斜里地域の警備を津軽藩(弘前)に命じたことが発端となった。
 下命により弘前では一〇〇名の藩士を斜里に派遣したのであるが、北の生活環境は厳しく、寒さと飢えから病人が続出し、無事に冬を越せたのはわずか二十八名、七十二名の藩士らはその犠牲になったのであった。その物故者の記録は「禅龍寺」の過去帳に記載されて伝わる。
 文化九年(一八一二)には津軽藩の縁故者が斜里に赴き、墓碑二基を建立して供養している。斜里町ではこの悲惨な過去を顧みるとともに、犠牲者の冥福を祈り、霊を慰める法会を執行し、日照寺に「津軽藩士殉難慰霊碑」を建立するとともに、昭和四十八年に慰霊祭を行ったが弘前市からも参列者があった。以後この慰霊祭は毎年七月に行われることになったのである。こうして、両市町の間で自然に交流と親善が深まり、ちょうど一〇年後の昭和五十八年には、姉妹都市の締結が行われた。これが機縁で斜里町にねぷたが伝授され、同年七月下旬には「しれとこ斜里ねぷた」が曳かれるようになった。
 平成十七年の市町村大合併が行われたが、新生弘前市ではなんら異存なく姉妹都市の再調印が行われている。
□参考文献
・松前詰合日記
・津軽藩士 斉藤 勝利 著

●01547 小清水町

●01549 訓子府町
◆02295 訓子府ふるさとまつり
□所在地  北海道常呂郡訓子府町
□祭は七月下旬。  
□山車
山車、行燈一〇数臺によるパレードが行われる。
□汎論
 訓子府ふるさとまつりは、神社に係属しない市民祭として例年行われている。まつりに協賛して訓子府太鼓同好会による太鼓の演奏、訓子府音頭、花火大会などが行われる。
□問合せ先
訓子府町産業観光振興協議会
電話 0157-47-2116

●01552 佐呂間町

●01553 常呂町
◆02296 ところふるさとまつり
□所在地 北海道北見市(旧常呂町)
□祭は八月中旬。  
□山車
山車、現在は行われない。
□汎論
 常呂町(ところちょう)の「ところふるさとまつり」は、神社に属さない市民祭として行われる。かつては、まつりに自由な発想でつくられた山車が曳かれていたが、現在は行われず、花火大会に主力がおかれている。

●01561 興部町

●01572 豊浦町

●01573 洞爺湖町(旧洞爺村)
◆02298 洞爺夏まつり
□所在地 北海道虻田郡洞爺湖町
□祭は七月下旬。  
□山車
山車、ちょうさが曳かれる。
□汎論
 洞爺湖町の開拓は明治二十七年(一八八七)香川県財田(現
三豊市)からの移住者七十二名によってはじまった。洞爺夏まつりは、神社に属さない市民祭として行われるが、この祭には三豊市と洞爺湖町の友好を深めるため、香川県三豊市より贈られた【ちょうさ】が曳かれる。瀬戸内をめぐる各地方には、太鼓臺が曳かれるが、その呼称はさまざまに異なる。香川県では太鼓臺が多く、讃岐豊浜(香川県豊浜町)ではちょうさとよび、ちょうさ会館がある。徳島県ではヨイシャ、大阪方面では、蒲団太鼓、布団太鼓、岡山県では、チョウサイ、頂戴、センダイロク、千歳楽などともよばれ蒲団の色も組み合わせが異なるところが多い。兵庫県三木市では四隅を神輿状に反らせるものがある。洞爺湖町の太鼓臺は豊浜と同じ名称で【チョウサ】である。

●01578 白老町
◆02299 元気まちしらおいどさんこまつり
□所在地 北海道白老郡白老町
□祭は八月上旬  
□山車
山車パレード。山車、ねぷた、ねぶた、行燈などが曳かれる。
□汎論
 白老町の【元気まちしらおいどさんこまつり】は、神社に属さない市民祭で、町立病院まえから役場前まで山車パレードが行われ、扇ねぷたやねぶた、行燈が曳かれる。

●01608 様似町
◆02300 アポイの火まつり
□所在地 北海道様似郡様似町
□祭は八月上旬。  
□山車
山車、アポイねぶた
□汎論
 様似町の【アポイの火まつり】は、神社に繋属しない市民際として開催され、アポイねぶたとよばれるねぶたパレードと、ねぶたの海上パレードが行われ、様似アポイ太鼓が披露される。
 アポイとはアポイ岳んことで、日高山脈の南端にある山標高八一〇・五メートルの山で、決して高くはないが、橄欖岩(かんらんがん)、通称蛇紋岩でできていて、地質が日本に多い酸性土壌ではなく、塩基性質の山となっている。水平緯度が低くなっていることとあいまって、いわゆるアルカリ土壌を好む高山性植物が多く見られる、このことは岩手県の早池峰山と共通する。ヒダカソウ、アポイツメクサなどアポイ特産の植物がある。
 山容は、古代の信仰の山を想像させるが、確証がない。麓には広い駐車場があり登山道も整備されているので、植物観察をしながら楽しく登れる。

●01609 えりも町

●01632 士幌町

●01639 更別町

●01641 大樹町
◆02259 大樹神社祭
□社名 大樹神社(たいきじんじゃ)
□所在地 北海道広尾郡大樹町東本通
□祭神
ホムダワケノミコト 誉田別尊
オキナガタラシヒメノミコト 息長足姫命、神功皇后
タラシナカツヒコノミコト 足仲彦尊
オオサザキノミコト 大鷦鷯尊
ヒメオオカミ 比賣大神
ウジノワキイラツコノミコト 莵道稚子命
□祭は九月中旬。  
□山車
山車
・宮山車
・このほか任意に数臺の見立て山車が出ることがある。
□汎論
 大樹神社の創祀は、明治四十一年に兵庫県三原郡阿万村(現三原郡南淡町)から入植した西田円蔵ら数名の人々が発起人となり、郷里の亀ヶ岡八幡神社より分祀を受けて【大樹八幡神社】の社号で祀ったのにはじまるとされる。したがって祭神も八幡神であった。
 昭和三年になって、当時の大樹村が広尾村から分離したことから、新大樹村を氏子区域とする産土神社となり、昭和九年に、あらためて京都府八幡市の石清水八幡宮から分祀を受け、昭和一〇年に現在の「大樹神社」となった。
 大樹神社の祭神にタラシナカツヒコノミコト(足仲彦尊)とは、チュウアイテンノウ(仲哀天皇)のことである。オオサザキノミコト(大鷦鷯尊)とは、仁徳天皇で、應神天皇のあとを継いだ天皇、ヒメオオカミ(比賣大神)はイチキシマヒメノミコトであろう。ウジノワキイラツコノミコト(莵道稚子命)は、仁徳天皇の異母弟であるが、皇位継承時に、皇位を兄に譲って自殺したとされる。

●01645 豊頃町

●01662 厚岸町

●01663 浜中町

●01665 弟子屈町

●01666 釧路市(旧阿寒町)
◆02305 阿寒神社祭
□社名 阿寒神社
□所在地 釧路市阿寒町仲町
□祭神
アマテラスオオミカミ 天照皇大神
トヨウエヒメオオカミ 豊受姫大神
□祭は八月中旬。  
□山車
山車、行燈がでる。
□汎論
 阿寒神社の創祀は、当地に入植した愛知県、富山県からの移住者らにより明治三〇年に祀られた。祭神は、伊勢神宮・内宮に祀られるアマテラスオオミカミ(天照皇大神)、伊勢神宮・外宮に祀られるトヨウエヒメオオカミ(豊受姫大神)となっている。


行政コード番号は従前のままです。
20130108 更新

 ◆日本山車論
目次
 ◆左甚五郎傳
左甚五郎傳
 ◆斐太ノ工
斐太ノ工
 ◆谷口與鹿
谷口與鹿
 ◆論攷 延喜式神名帳
論攷 延喜式神名帳
◆阿波國
◆安房國
◆安藝國
◆伊賀國
◆隠岐國
◆越後國
 ◆古代祭祀と神南備山
古代祭祀と神南備山
 ◆玉依姫  様