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日本の山車 日本の山車
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標題の写真説明
2014-07-01
  北海道
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  表題の写真説明
 ボックスのタイトル : 東北
 題名 : ◆青森県

日本の山車 青森県

青森県総論
●2201 青森市
◆00192 青森ねぶた祭
◆00192 ねぶた祭
□所在地 青森県青森市 
□祭は八月上旬  
□山車
ねぶたが曳かれる。
□汎論
青森ねぶた
 青森市で行われるねぶたの起源には諸説がある。征夷大将軍だった坂上田村麻呂が陸奥国の蝦夷征討時の故実をあてたものがあったが、この説は現在では次第に採用されなくなっている。
 熊本県阿蘇市(旧一の宮町)の阿蘇神社には【禰牟利奈賀志神事】が伝わる。富山県の滑川市には古い形態のねぶたが行われる。福島県の長沼町にも古いねぶたがある。これらのねぶたはいずれもその起源は青森県のねぶたより前から行われていると考えられる。
 このことは、ねぶたの起源は【ねむりながし】にあり、ねむりとは病魔に犯されて死ぬことを指していた。俗説に、農業の繁忙期にその疲労から眠りこむのをさけるために「ねぶたながし」をするようになった。というものがあるが誤りである。
 ねぶたの本義は京都の祗園祭とおなじように、夏に多発した伝染病の祓の祭であり、ねぶた行燈を作って派手やかに曳いて病魔をあつめて海に流す行事だったと考えられる。青森県には八坂神社はごく少ないがそのすくない八坂神社も明治になってからの改称がほとんどである。この【疫病やらい】の祗園祭に代わる民俗行事に始まったと考えられよう。

◆05041 浅虫ねぶた祭
□主催
浅虫ねぶた実行委員会
協賛 「道の駅」ゆ〜さ浅虫
浅虫温泉旅館組合
□所在地 青森県青森市浅虫
□祭は七月下旬。  
□山車
山車、ねぶた二−三臺を曳く。
□汎論
 浅虫温泉ねぶた祭は、青森市の東部にある温泉地浅虫温泉で行われる神社に属しない民俗行事である。根拠不明であるが、当地は、ねぶた発祥地だといわれる。
 青森市内のねぶたには、【跳人(はねと)】がでて、らっせーら、らっせーらと囃すが、当地ではこのはねとを【化人(ばけと)】とよんでいる。
 浅虫温泉は陸奥湾に面した古くから知られた温泉地で、平安時代に慈覚大師(円仁)により発見されたと伝えられる。名称の由来は布を織る苧麻(ちょま)を蒸すためだけに使われてたという。

◆02311 青森県観光物産館アスパム

●弘前市
◆02755 岩木山神社
□社名 岩木山神社 津軽国一宮
□所在地 青森県弘前市百沢字寺沢二七
□祭神
ウツシクニタマノカミ 顕国魂神(大己貴命)
タツビヒメノカミ 多都比姫神
オオヤマツミノカミ 大山祇神
ウカノメノカミ 宇賀能賣神
オオヤマクイノカミ 大山咋神
サカノウエノカリタマロノミコト 坂上刈田麿
□祭は八月上旬。八朔祭。
□汎論
 青森県岩木山は津軽平野に秀麗な姿を見せる。神南備山といえる。
山頂付近にはサクラソウ科のミチノクコザクラの自生がある。ハクサンコザクラの亜種、変種、品種などと扱われ、紅花をつける。八幡平には白花を咲かせるヒナザクラがあるがこちらは別種である。つまり、近い距離にあるが山の組成がまったく異なる。
お岩木さん、お山とよばれ、青森県のひとびとにとっては格別に親しみをもたれる山である。津軽三味線の名手として知られた高橋竹山は、この山によく登り、ときに夜になるアともあったようで、近親者から「暗闇は危ないからやめるように」と忠告されたがそれでものぼるのをやめず、「目の見えねえわすには、夜も昼もねえす」と話されたことがある。
岩木山神社の創祀は、宝亀十一年(七八〇)。東北平定を終えた坂上田村麻呂、山頂に社殿を再建し、父の坂上刈田麿を合祀したとされる。つまりそれ以前に、岩木山には海神系、あるいは出雲系の神々である、オオナムチノミコト(大己貴命)、オオヤマツミノカミ(大山祇神)、ウカノメノカミ(宇賀能賣神)、オオヤマクイノカミ(大山咋神)、タツビヒメノカミ(多都比姫神)が祀られていたと推定される。タツビヒメノカミは宗像三女神の次女であるタギツヒメかもしれない。
 これらのことは、皇室が派遣した坂上田村麻呂よりまえに、出雲系の覇権が津軽を制していたことになり、換言すれば、稲作弥生文化が津軽に及んでいたことを証するともいえるだろう。

◆00648 弘前ねぷた祭
□所在地 青森県弘前市
□祭は  
□山車
 山車、ねぷた。
 弘前市に出るねぷたは大型の扇ねぷた、中、小型の扇ねぷた、それに若干の担ぎねぷたで、その数は七〇臺近い。
・茂森新町ねぷた同好会
・堅田ねぷた愛好会
・槌子ねぷた愛好会
・向外瀬ねぷた愛好会
・樹木ねぷた愛好会
・昭和町ねぷた愛好会
・下新町ねぶた愛好会
・桔梗野ねぶた友の会
・桜ヶ丘ねぷた愛好会
・槌子ねぷた愛好会
・西地区ねぷた親交会
・町ねぷた愛好会 
・茂森津軽ねぷた愛好会
・鬼沢ねぷた同好会 
・向外瀬ねぷた愛好会
・東目屋地区ねぷた愛好会
・富田清水町会青年部
・JR弘前駅前町会
・宮園連合ねぷた愛好会
・本町ねぷた愛好会
・新寺町ねぷた愛好会
・独狐ねぷた愛好会
・樹木ねぷた愛好会
・浜団ねぷた愛好会
・城北ねぷた同好会
・藤代ねぷた
・城南ねぷた愛好会
・境関町会 境関ねぷた愛好会
・弘前銀座街協会
・和徳町大通り町会
・三八町会 大浦町、蔵主町、長坂町、下白銀町の一部
・中野ねぷた愛好会
・小沢ねぷた保存会
・紺屋町ねぷた同好会 
・土手町連合会          
(順不同)
*企業、団体、こどもねぷたは除外
□汎論
 弘前市の夏はねぷたが曳かれる。青森市のねぷたは【組ねぶた】とよばれ、立体的に作った人形が曳かれることから、【人形ねぶた】とも呼ばれるのに対し、弘前市は【ねぷた】と呼ばれ、形態も基臺の上に半円形の行燈を組み華麗な彩色がされる、後部には山車の【見送り】に相当する見事な額絵が描かれる。緻密で妖艶な美人画が多くその艶やかさはひとしおである。しかしねぶたに該てられる、【佞武多・ねぶた】は用いられないようである。
 弘前城の南にある弘前市銅屋町には、弘前藩によって祀られた八坂神社があり、祭神はスサノオノミコト(須佐之男命)、クシイナダヒメノミコト(奇稲田姫命)、クサノヒメノミコト(草野姫命)、スガワラミチザネコウ(菅原道真公)を祭神としている。
 同一境内には【最勝院】があり、簡単な塀で仕切られている。
 もと大円寺別院・牛頭天王と称し、津軽藩が悪疫封滅の祈願所として篤く祀られてきた。明治の神仏分離令でへだてられることになった。
 八坂神社は、銅屋町、桶屋町、鍛治町、新鍛治町、北川端町、南川端町の六ケ町会の鎮守であり、六ケ町産土神として敬われている。江戸時代の悪疫流行の説は、この八坂神社が行う夏祭が執行され山車が曳かれた。これが幕末から明治政府への明治維新以後に現在のねぶたへと次第に移行することになった。

●02203 八戸市
◆00836 八戸三社大祭
□社名 
長者山新羅神社
内丸おがみ神社
神明宮
各社の合同祭
□所在地 青森県八戸市
□祭は八月上旬
毎年山車二十臺あまりを作って曳く。
□山車
□青森県八戸市二十六日町
神明宮
山車六臺
廿六日町山車組
新荒町附祭若者連
上組町附祭
根城新組町附祭
売市附祭
□青森県八戸市内丸
おがみ神社
山車十二臺
・朔日町
・塩町
・青山会山車組
・柏崎新町
・内丸附祭親睦会
・城下山車組
・下組町山車組
・淀町山車組
・新井田附祭親睦会
・十一日町
・下大工町
□青森県八戸市長者山
新羅神社
山車十臺
・吹上山車組
・糠塚山車組
・長横町
・六日町
・類家山車組
・十六日町
・鍛冶町
・八戸共作連
・華屋臺

◆21592 鮫の神楽
□汎論
 鮫神楽は、青森県八戸市鮫地区に伝わる【~樂】である。鮫地区は
海沿いで鮫漁港、近くには蕪島ウミネコ繁殖地がある。鮫神楽の演目は三十三が伝わるが、仏教徒結びついた「墓獅子」とよぶ演目がある。お盆の行事として、また葬儀や慰霊祭などでも演じられ、笛、太鼓、ひらがねの奏楽、墓獅子の音曲にあわせ、獅子は身体を震わせ、泣き、花を手向け、人間の悲しみを所作で演じる。
 『南部藩日記』、承応二年(一六五二)に、藩主重直の病気平癒祈願を諸社に命じ、湯立ての神事を行い、小田毘沙門堂などの別当が神楽を演じたとあることから鮫神楽はそのころすでに行われていたと推測される。飛んで、むつの田名部大明神(むつ市)にも伝わっていたようである。
 鮫の神楽は昭和五十五年に青森県の無形民俗文化財に指定されている。

◆36447 櫛引八幡宮の河童
 櫛引八幡宮は八戸市八幡字八幡丁にある神社で、その祀られたのは建久年間(一一九〇−一一九九)と伝わる古社であり、八幡宮の創祀期はひじょうに古い。祭神はホムダワケノミコト(誉田別命・應神天皇)である。現社殿は、一見簡素に見えるが、社寺建築の本軌に則った、格調高い雰囲気がある東北地方では指折りの名建築物として知られ、本殿など五棟は重要文化財に指定されている。
 この社殿の建造について左甚五郎の伝説がある。

 櫛引八幡宮の社殿再建の計画が出たのは、左甚五郎が深浦に来ているという情報が伝えられたころであった。左甚五郎は陸奥の各地を歩いていたころであった。左甚五郎は社殿建築を任せられたが、その材木が近隣では調達できず遠方より調達しなければならないということだった。左甚五郎は土地の老人を招いて話を聞いたが、馬淵川(まべちがわ)も相当上流まで行けば良材が調達できるだろうが、はなはだ困難だという、というのは地形が険阻で伐採しても引き出す道路がないことである。いきおい水運に頼らざるを得ないが厄介な問題があった。馬淵川には投じすでに水運があり舟もい通っていたのだが、この川には、悪さをするメドツなるものがいて、たいへん困っているのだということだった。土地の人たちがメドツとよんでいるのはどうやら河童らしい。話を聞き終わった左甚五郎はその夜遅く、夜も更けてから、馬淵川の川端にやってきてメドツを呼び出した。しばらく待っていると、水面が波立ち、黒々とした獰猛な様子の河童が岸に上がってきた、「だんな、いったいなんのごようですかい?」、「おお、おまえがこの川の主か?、」「へえ、さようで」、「ちと、たのみがあってやってきた」、「へえ」、「じつはこのかわぎしに八幡さまのお社の建造を頼まれたんじゃが、このあたりにはいい材木がない、そこでまんべ川の上流の木を伐って、いかだに組んで流したらどうかと考えたが、村の衆は黙り込んで何も言わんわい?」、「へえ」、「やっとひとりが言うには、この川には恐ろしいメドツが住みついていて、川に入ったものは片っ端から襲われるらしい?」、「へえ、さようで」、「そうかやっぱりお前のしわざか?」、「いかにも」、「うーん、こまったやつじゃ、ここはひとつわしの顔を立ててくれんかのう」、「なんじゃそんなことですかい、おやすいごようで、しかしここしばらくはろくな食べものにありつけず、ひもじゅうてならん、だんながしりこだまを呉れるなら、力をかしてやらんでもない」、「うーん、そうか、でもおまえには、しりこだまでも。きんたまでもやりたいが、そうすると、わしはあとの仕事ができん、なにかほかにないか?」、「だんな」、「うん、なんじゃ」、「わしは嫁さんがほしい」、「ふうん、おまえは嫁さんがないのか?」、「へえ、さようで」、「以前、いいつまがわにいけば、みつかるかもしれんとおもい五所川原まで行きましたが、見つからず、ついでに岩木川をかみからしもまでたずねてみましたが見つかりませんでした。いや見つかりましたが、おまえにはやえんということで……」、「これこれ、泣くでない、お前が泣くと河童の川流れになる……。よしわかった」、「……?」、「それならわしがおまえに秋田美人のような、色白……いやちがった、色緑のきれいな娘ごをせわしようではないか」、河童は大喜びして、「ふうん、そうか、そんなことならむずかしいことではないぞ」こうしてうまく話がまとまりました。
 帰ってきた左甚五郎は翌日神官に事情を話し、神庫に保管してあった旧社殿のはしらを一本もらい下げ、これで河童の嫁御の彫刻にかかりましたが、困ったことに、ちょうど妙なところに枘穴(ほぞあな)があいております。「まあいいわい」、甚五郎は一匹のめすのメドツを彫り上げ、緑色に塗り上げると、そのめすの河童は、しおらしげに左甚五郎を見上げます。…甚五郎は、その雌の河童に、「……かくかく、しかじか……というわけじゃ、ひとつお見合いをして、気に入ったら、めどつのかしらの嫁御になってくれ」、さっそくメドツのかしらとお見合いをさせたところ首尾は上々、というわけで、川かみの下堂前(下斗米?)あたりから材木を運搬する作業はメドツが引き受けてくれることになったのでございます。さあ、それからはメドツの親分は五〇匹ほどのめどつを指示して、みごとに社殿を建立する材木の運搬を終了しましたから、運搬作業はなにごともなくあっという間に完了しました。神官をはじめ産土の村人も大喜びでございます。翌日は、約束どおり、メドツの祝言が行われることになりましたが、村人も招かれ、夫婦の固めの儀式も神官のはからいで無事におりおこなわれたのはいうまでもございません。…左甚五郎も祝い酒ですっかりごきげんでございます。こうして、社殿の建立が始まりまったのでございますが、あるよ使いのものという一匹のメドツが左甚五郎を尋ねてきました。そして言うには、「まことにおはずかしきことながら、お願いがあってまいりました」、「なんじゃな……?」、「じつはわしらのおかしらが、祝言の晩からごしんぞさまとくっついたきり、はなれなくなってしまいました。「……???」、なにとぞ、おねがいでございます、ふたりをひきはなしていただけませんでしょうか」、「うーん、それは弱ったな、ちょっとできん相談じゃ」、「うん、できんな」、「それはまたどうしてでございます」、「斐太の工が彫った枘穴じゃ、抜けるわけがない。うーん貫穴(ぬきあな)だったらよかったのにな」、使いのメドツは青い顔をさらに真っ青にして帰って行きました。翌日の晩になるとまたやってきて、甚五郎さま、おねがいですからなんとかしていただけませんでしょうか?」、左甚五郎はさすがに可哀想になってきて、その河童を社殿の脇商事に移してやり、無事に収まることと相成り、それ以来、まべちがわ(馬淵川)には悪さをする河童は出ないようになったそうでございます。へい、おたいくつさまで。

◆21597 八戸のえんぶり
 【えんぶり】とは、新春に行われる冬の神事で、漢字では【杁】と書かれる、一説に柄振から転訛したとも言われる。豊年を祈願する予祝の~樂で、青森冬の三大まつり、また、みちのく五大雪まつりにも数えられる。八戸市には多くのえんぶりが伝わるが、いずれも、初演に当たっては八戸市の長者山にある【長者山新羅神社】に詣でて、そのあと市街に繰り出し各所で演じられる。
 農耕馬の首をかたどり縁起のよい瑞獣である鶴などを描いた烏帽子を被った太夫(たゆう)が、笛と太鼓、手平鉦による囃子にあわせて舞う。「摺り始め」「中の摺り」「摺り納め」から構成され、各合間に「松の舞」、「恵比須舞(えびすまい)」、「大黒舞(だいこくまい)」等の祝舞(しゅくまい)や、田植えの様を滑稽に演じる「田植万才」、曲芸風の「金輪切」、厚化粧を施された児童(稚児)による「エンコエンコ」等の余興舞が挿入される。
 関東地方で子供を愛撫する所作のひとつにエンコエンコ、またエコエコがあるが、これはえんぶりが起源だと言う。摺るという語調には、なんとなく【ささら(簓、散々楽)】を感じさせるものがある。

●02204 黒石市
◆21338 黒石よされ
青森県黒石市
□汎論
 ねぶたが終わるとすぐお盆。黒石のお盆には伝統の「黒石よされ」が催行される。
徳島県の阿波踊り、岐阜県の郡上踊りとともに日本三大流し踊りとして名高い。
 黒石よされの起源は古く、山岳宗教が盛んだった数百年前にまでさかのぼり、男女の恋の掛け合い唄で、よされの名称も互いにかけあう「やっされ」が訛ったものともいわれる。数千名の流し踊りには圧倒される。
□郷土藝能
黒石よされ
□問い合わせ
〒036-0307
青森県黒石市市ノ町5−2 黒石市産業会館4階
社団法人 黒石観光協会内
黒石よされ実行委員会事務局
電話 0172-52-3488
FAX 0172-53-5032

◆00639 黒石ねぶた
◆05042 津軽伝承工芸館

●02205 五所川原市
◆00460 五所川原立佞武多
青森五所川原市
□汎論
「やってまいれ…やってまいれ」の掛け声、ねぶた囃子に招かれ巨大なたちねぶたが曳かれる。筆者はねぶたの成立には北陸地方、能登から砺波地方にかけて行われる、きりこ、あるいは夜高などの行燈形式の山車が作用していると推測している。青森のねぶた、あるいはねぷたの態様は、青森市の組みねぶた(人形ねぶた)、弘前市の扇ねぷた、五所川原市の立佞武多、その他に四大別されると思うが、五所川原市の巨大な立佞武多には、富山県伏木のたてもんと呼ばれる巨大な人形山車が底流にあるように考えられる。江戸時代祭の日に伏木湊にむかっている舟の水夫の眼に飛び込んでくるのは巨大な人形の上半身で、近づくにつれて、家々の屋根が見えてきたとの言い伝えがある。いま伏木ではこのたてもんと呼ばれる人形を曳くことはないが、湊からみなとへと、たてもんが北上し、五所川原に見られる立ち佞武多になったと推測する。青森市の人形は高さを制限され、圧平された人形となっているが、これは、明治期に伝統が引かれるようになって制限されたためで、えどじだいのねぶたは五所川原市と同じように高さの制限のないものだった。

●02206 十和田市
◆00613 十和田秋祭
青森県十和田市
□社名 三本木稲荷神社
□祭は九月中旬
人形山車を曳く。
□汎論
新渡戸傳、十次郎の親子が安政六年(一八五九年)稲生川の上水に成功し、この完成を祝って元町に稲荷社を祀ったのがはじまりだという。稲荷社はその後現在地に移築された。人形山車二一臺を曳く。
□問い合わせ
十和田市商工観光課
電話 0176-23-5111

◆31596 南部切田神楽
□社名 切田八幡宮
□所在地 青森県十和田市切田地区
□汎論
 南部切田神楽は、十和田市切田地区にある切田八幡宮に伝承される伝統芸能である。江戸時代の初期に、羽黒修験者から習いうけたと伝えられる。
・権現舞
・山神舞
・三番叟
・花の舞
・薬師舞
・二本剣の舞
・鞍馬山
・信夫太郎
・天女
・龍天
・杵舞
・盆舞
・蕨折(わらびおり)
・二郎太郎
などが継承され青森県の無形民俗文化財に指定されている。

●02207 三沢市
◆02316 三沢祭
□社名 権現神社、不動神社
□所在地 青森県三沢市
□祭は八月下旬
神輿渡御にあわせ山車が合同で曳行される。
□汎論
 祭ばやし競演会、国際カーニバルパレード、三沢まつり流し踊りが行われる。

●02208 むつ市
◆00226 田名部祭
□社名 田名部神社
□ 所在地青森県むつ市
□祭神
アジスキタカヒコネノミコト 味耜高彦根命
ホンダワケノミコト 誉田別命 
□祭は八月
山車五臺を曳く。
□山車
・先山 稲荷山
横迎町 豪川組(ごうせんぐみ)
本座は稲荷の使いである左右一対の白狐
見送り幕 黄鶴仙人図
・二番山 猩々山
小川町義勇組
本座は猩々
見送幕 鳳凰が仙人が鳳凰に乗る。
・三番山 大黒山 
柳町共進組
本座は大黒天
見送幕 義光が秘曲を授ける図
・四番山 蛭子山 
田名部町明盛組
本座は蛭子
見送り幕 大亀が仙人を乗せて泳ぐ図
後山 香爐峯
・新町新盛組(しんせいぐみ)
本座は清少納言
見送幕 鬼若丸が鯉る
紅毛唐人憩図(こうもうとうじんいこいのず)
□汎論
昭和三十五年田名部町と大湊町が合併し「むつ市」となった。田名部は藩政時代この地方の産物の積み出し港として栄え、南部藩の代官所も置かれた。
毎年八月十八日から二十日にかけ恐山大祭と並んでこの地方最大の祭礼「田名部神社例大祭」田名部祭が行われる。
祭は祇園祭で、古くは寛政四年(一七九二)「菅江真澄遊覧記」、「牧の朝露」はに祭の記載がある。
山車は五臺とも形がそろい、二層式、屋根は入母屋造、勾欄ほか他の部分もすべて黒の漆がかけられている。車輪は四輪の外車。
山車の曳行時は祇園囃子が演奏される。
田名部祭の山車の起源には、物産を扱った江州商人の影響を受けているといわれ、滋賀県高島市には「大溝祭」に山車が例にあげられる。
大溝祭の山車は、その起源を旧藩主が前の知行地であった勢州川芸(現、三重県河芸町)で曳かれていた山車を模倣して作らせたという伝承があるが、河芸町には山車がなく、また記録も見つからない。
祇園囃子など上方の影響をうけているのは間違いないだろうが、京都の祇園祭の「鉾」と考えるほうが自然ではないだろうか。
祭の終わるころ山車の曳き別れが辻々で行われる。「五車わかれ」、「三車わかれ」、「二車わかれ」があるが、曳き別かれてゆく山車の後姿には独特の哀愁を帯びた風情がある。

●02301 平内町

●02302 外ヶ浜町(旧蟹田村)

●02303 今別町
●02304 蓬田村
●02305 外ヶ浜町(旧平舘村)
◆02321 平舘ねぶた
□所在地 外ヶ浜町(旧平舘村)
□祭  
□山車
山車、ねぶたが曳かれていた。
□汎論
 外ヶ浜町(旧平舘村)では、一時期佞武多が出ていたが、現在は行われない。

●02306 外ヶ浜町(旧三厩村)
◆02322 ねぶた祭
□所在地 外ヶ浜町(旧三厩村) 
□祭は八月上旬。  
□山車
山車、ねぶた、ねぷたが出る。
・増川地区
(順不同)
□汎論
 外ヶ浜町(旧三厩村) で行われるねぶた祭は、青森の組佞武多、弘前の扇ねぷた画混在する。詳細については、まだ把握できていない。

●02321 鰺ヶ沢町
◆00883 白八幡宮大祭
□社名 白八幡宮
□所在地 青森県西津軽郡鯵ヶ沢町
□祭は、八月中旬(四年毎)
山車が一〇臺ほど曳かれる。
□汎論
藩政期には御用港として北前船が寄港した港町。白八幡宮大祭は、弘前と鰺ヶ沢が隔年で交互に開催してきた三〇〇年以上の歴史があるといい、京風の祭は、津軽の京祭ともいわれる。いま、以前田中町の「はまなす公園」になっている、水屋浜に祀られていた白鳥大明神が合祀されている。
つまり、白八幡宮の白はた白鳥大明神を指している。
優雅な白八幡宮の祭を別名を「京祭」ともいう。鯵ヶ沢は日本海に面し港町として発展してきた最終日には、御座船に神を遷して海上渡御が行われ、漁船が綺麗に飾り立ててこれに従う。鯵ヶ沢港は津軽藩の御用港として盛え、蝦夷、津軽の物産を積舟が多くの舟が出入りし、花町は浮かれた船頭や水夫、船子でにぎわった。京都、大坂の文化を伝え、津軽藩の玄関港であった。日本海側には今に伝わる秀れた民謡が多く知られるが、九州牛深に起源をもつといわれる各地の「おわら」、「津軽あいや」は数あるみんようのうちでも、洗練の極致といわれ、多くの名人を生んでいる。鯵ヶ沢にも独特の風格のある「鯵ヶ沢くどき」と「鯵ヶ沢甚句があり、盆踊でう歌い踊られる。
□問い合わせ
鯵ヶ沢町観光商工課
話0173-72-2111

●02322 つがる市(旧木造町)
◆02323 木造祭
□社名 三新田神社
□所在地 青森青森県つがる市(旧木造町)木造種取
□汎論
 創祀は一六九四年といい、木作、金木、俵元の三地区が、三十年かけて開墾した新田の完成を記念して祀られたと伝える。三地区の鎮守。津軽民謡で知られる弥三郎踊のパレード、岡晴夫と組んだ「国境の春」の作曲など数多くの作曲があり、歌謡界に大きな足跡を残した上原げんとの出身地であることから、「上原げんと杯争奪のど自慢大会」などが行われる。

●02323 深浦町
◆31339 深浦円覚寺厨子
□汎論
飛騨の匠の作

●02324 つがる市(旧森田村)
◆02324 ねぶた祭
□所在地 つがる市(旧森田村)
□祭は八月中旬。  
□山車
山車、扇ねぷたが出る。
・床舞地区
・上相野
・下相野
(順不同)
□汎論

●02325 岩崎村
◆00879 ねぶた祭
□所在地 青森県深浦町(旧岩崎村)
□祭  
□山車
山車、扇ねぷたがでていたとの伝承があるが、現在は行われていない。わずかに子供ねぷたが出る。
・下地区
・沢辺地区
□汎論

●02326 柏村
◆02326 ねぶた祭
□所在地 
□祭は八月上旬  
□山車
人形ねぶたを曳く。
・下町子供会
□汎論

●02327 稲垣村
 
●02328 車力村
◆02327 ねぷた祭
□所在地 青森県つがる市(旧車力村)
□祭は八月中旬。  
□山車
扇ねぷたを曳く。
□汎論

●02341 弘前市(旧岩木町) 
◆02328 ねぶた祭
□所在地 
□祭は七月下旬。  
□山車
山車、ねぶたが数臺曳かれる。
□汎論

●02342 弘前市(旧相馬村)
◆02329 ねぶた祭
□所在地 弘前市(旧相馬村)
□祭は七月下旬−八月上旬。  
□山車
山車、ねぷたを曳く。
・相馬地区
・湯口地区
(順不同)
□汎論
 
●02343 西目屋村
◆02330 鬼ねぶた
□所在地 青森県西目屋村
□祭は八月上旬。  
□山車
山車、鬼ねぶたが出ていたが、現在はその数を減じ、次第にねぶたに移行しつつある。
□汎論

●02361 藤崎町
◆02331 藤崎夏祭
□所在地 青森県南津軽郡藤崎町
□祭は八月上旬。  
□山車
山車、ねぶた一〇数臺を曳く。
・中野目子供会
・新町ねぶた会
・藤越ねぷた愛好会
・表町町内会
・木挽町町内会
・矢沢ねぷた会
・伝馬佞武多愛好会
・東町ねぷた愛好会
・葛野ねぷた愛好会
・西豊田ねぷた実行委員会、
(順不同)
□汎論

●02362 大鰐町
◆02332 大鰐温泉ねぷた祭
□所在地 青森県南津軽郡大鰐町
□祭は八月上旬。  
□山車
山車。ねぶた三〇臺前後が曳かれる。
(順不同)
□汎論

●02363 平川市(旧尾上町)
◆02333 ねぶた祭
□所在地 青森県平川市(旧尾上町)
□祭は 八月上旬。 
□山車
扇ねぶた、人形ねぶた数臺を曳く。
□汎論

●02364 青森市(旧浪岡町)
◆01491 浪岡北畠祭
□社名 浪岡八幡宮
□所在地 青森市(旧浪岡町)
□祭神 オウジンテンノウ 應神天皇
□祭は八月中旬。 
□山車
山車(ねぶた)が出る。
□汎論
 浪岡八幡宮の創建は大同二年(八〇七)に、坂上田村麻呂が東征時に宇佐八幡宮の分霊を勧請して祀ったとされる古社。延喜式神名帳があまれたときには存在したはずだが記載が無い。浪岡の名称は浪岡北畠氏にちなむ。南北朝時代に陸奥の国司として着任した北畠顕家の子孫らが、津軽地方を支配したことから始まるとされるが、諸説がある。
□問い合わせ
浪岡北畠まつり実行委員会
(青森市浪岡商工会内)
電話 0172−62−2511
Fax 0172−62−2512

●02365 平賀町
◆02335 平賀ねぷた合同運行
□所在地 平川市(旧平賀町)□山車
山車(ねぶた)が出る。
□汎論
平賀町のねぶたは八月上旬のひらか合同曳行する。ねぷたは姉妹都市である鹿児島県知覧町と交流がある。

◆00125 ねぶた展示館
平賀町ねぷた展示館
□汎論
平成一三年二月一九日から一般開放。
開館時間 八・三〇ー一六・三〇(年中無休)
毎年、六月中旬ー下旬は、ねぷた絵張り替えのため休館
ねぷたは姉妹都市である鹿児島県知覧町と交流

●02366 藤崎町(旧常盤村)
◆02337 常盤ねぷた祭
青森県藤崎町(旧常盤村)
□山車
山車(ねぶた)が出る。

●02367 田舎舘村
◆02338 田舎舘ねぷた祭
青森県田舎舘村
□祭は八月上旬
□山車
山車(扇ねぷた)が出る。
□汎論
 山車は弘前市に見られる【扇ねぷた】が十数臺出る。

●02368 平川市(旧碇ヶ関町)
◆02339 ねぷた祭
□所在地 平川市(旧碇ヶ関町)
□祭は八月上旬。  
□山車
山車、扇ねぷたが数臺出る。
□汎論

●02381 板柳町
◆02340 りんご堤燈祭
□所在地 青森県北津軽郡板柳町
□祭は八月上旬。  
□山車
山車、ねぶた、りんご山笠、子供山笠など一〇臺前後を曳く。
□汎論
 板柳町には青森県には珍しい山笠が出る。福岡県北九州市の戸畑祗園を連想させる、赤い堤燈を三角状に張った山笠である。

●02382 五所川原市(旧金木町)
◆01495 金木夏祭
□所在地 五所川原市(旧金木町)
□祭は  
□山車
ねぶた二臺を曳く。
□汎論

●02383 中泊町(旧中里町)
◆02342 ねぶた祭
□所在地 中泊町(旧中里町)
□祭は  
□山車
山車、一〇臺ちかいねぶたが出る。
□汎論

●02384 鶴田町
◆01490 鶴田祭
□所在地 
□祭は八月中旬。  
□山車
山車、ねぶたが一〇臺ほど出る。
・仲町ねぶた有志、
・元町子供会、
・亀田子供会、
(順不同)
□汎論
 
●02385 五所川原市(旧市浦村)
◆02344 ねぶた祭
□所在地 青森県五所川原市(旧市浦村)
□祭は八月中旬。  
□山車
山車、人形ねぶたを曳く。
・商工会青年部
□汎論
 近年行われるようになった。

●02386 中泊町(旧小泊村)
◆02345 下前権現祭
□社名 下前権現
□所在地 中泊町(旧小泊村)
□祭神
□祭は八月中旬。  
□山車
山車を曳く。
□汎論
 津軽半島の中中央部に位置する旧中里町、日本海に面する旧小泊村が合併してできた町であるが両者は分離している。旧小泊村は津軽半島の最北部にあり、権現崎は津軽半島屈指の景勝地である。小泊字折腰内には秦の始皇帝の命を受け不老長寿の仙薬を求めて来日した徐福ゆかりの地と伝わる。
 下前権現の祭には手作りの山車が曳かれる。ほかに太刀振り神事がある。

●02401 野辺地町
◆00325 野辺地祇園祭
□社名 
野辺地八幡宮
神明宮
□所在地 
□祭神
□祭  
□山車
山車(舟山車ほか数臺)が出る。
□汎論
 野辺地湊は、むつの田名部、鯵ヶ沢などとともに江戸時代には東北、北海道の物資の積出港としてにぎわった。野辺地湊は南部の銅などもここから長崎に向けて積み出しされたという。江戸時代に日本で作られた銅器は、金の含有量が多く、欧州にに運んで鋳潰して金が分離された。
 江戸時代に繁栄を極めた海運業に関わる人物の往来も多く。上方文化の影響も受けているが、祗園祭もそのひとつである。神社は野辺地八幡宮で、祭神は祗園神ではないが、付祭として行われ、奥州美人らによって祗園囃子が演奏される。
 かつては、海上渡御があり、二百艘以上の舟が供奉する御舟祭が行われたと伝えられる。
 現在は、舟山車ほか数臺の華麗な見立て山車が曳かれる。

●02402 七戸町
◆02347 蒼前神社祭
□社名 蒼前神社
□所在地 
□祭神
□祭は九月上旬。  
□山車
・蒼前
・舘野
・中央
・荒熊内
・上町
・柏葉町
・向町
・川向
・野々上
・東大町
・横
・袋町 
・川原町
・小川町
・城内
・新川原
・新町
(順不同)
□汎論
 蒼前神社は、馬の守護神として祀られる神社。南部地方には蒼前さま信仰があって、各地に祀られているが、祭神は不明、【蒼前】の語彙についても由来は判然としない。

●02403 おいらせ町(旧百石町)
◆02348 若宮八幡宮、土鼻神社祭
□社名 若宮八幡宮
□所在地 おいらせ町(旧百石町)
□祭神
□祭は九月中旬。  
□山車
山車一〇臺ほどを曳く。
・北組
・南組
・一川目町
・根岸町
・肴町組
・大工町組
・上新町組
・新町組
・七軒町組
・藤ヶ森組
(順不同)
□汎論
 土鼻神社は、古城址と伝わる明神館(みようじんだて)にある。由緒としては旧白との関係が想像されるが、詳細不明。 明神館の【館】は、東北、北海道地方にしばしば見られる【居館址】といえようか。【函館】、【大館】、【角館】も。【古館】であった。

●02404 十和田湖町

●02405 六戸町
◆01752 熊野神社祭
□社名 熊野神社
□所在地 青森県上北郡六戸町犬落瀬
□祭神
□祭は九月上旬。  
□山車
山車八臺ほどを曳く。
・上町
・仲町
・下町
・上吉田
・押込
・館野
・南町
・高舘 
(順不同)
□汎論

●02406 横浜町
◆06406 下北横浜ねぶた祭
□所在地 青森県横浜町
□祭八月中旬。
ねぶたが出る。
□汎論
横浜町は、下北半島の野辺地町とむつ市のほぼ中央、陸奥湾に面している。
能舞が伝り、多くの能面が神社に保存される。国の重要無形民俗文化財に指定されている。獅子舞と神楽は、県無形文化財に指定され、八幡神社祭で披露される。

●02407 上北町
◆01651 高山稲荷神社祭
□社名 高山稲荷神社
□所在地 青森県上北町上野
□祭神
□祭は八月下旬。  
□山車
山車
・本町
・南町
・旭町
・栄町
・新町
・新山
・上野
・花向町
(順不同)
□汎論

●02408 東北町
◆02351 乙供神社祭
□社名 乙供神社
□所在地 
□祭神
□祭は九月中旬。  
□山車
山車六七臺ほどを曳く。
□汎論

●02409 天間林村

●02410 おいらせ町(旧下田町)
◆02352 伏見稲荷神社祭
□社名 伏見稲荷神社
□所在地 青森県おいらせ町(旧下田町)
□祭神
□祭は九月下旬。  
□山車
三田町内会北組
三田町内会中組
三田町内会南組
下田町連合青年団
三本木町内会
(順不同)
□汎論

●02411 六ヶ所村
◆02353 宝山神社、諏訪神社祭
□社名 宝山神社、諏訪神社
□所在地 青森県六ヶ所村泊
□祭神
□祭は七月中旬。  
□山車
山車を曳く。
□汎論

●02421 むつ市(旧川内町)
◆02346 川内八幡宮祭
□社名 川内八幡宮
□所在地 青森県むつ市(旧川内町)
□祭神
□祭は九月中旬。 
□山車
・弁天山 上町共心会。
本坐人形は弁財天。
京都でえ作られたという。
文政一〇年の建造。
宝暦年間に造られた山車を曳いたが火災に遭い失われた。
「二見ケ浦の日の出」の見送りをかける。
・蛭子山 中浦町有終会。中町、浦町の頭文字を一字づつとっている。
本坐人形は蛭子(恵比寿)。
元は中町の山車で、幕末の文久年間に浦町と合併した。
蛭子は京都の人形師野村五兵衛の作。
見送りは『資治通鑑』を著わした司馬温公。甕割りの故事はよく知られる。
・大黒山 新町新盛会。
本坐人形は大黒天。
大國天のように見受けられる。
・布袋山 浜町共正会。
本坐人形は布袋。
布袋は七福神の一人であるが、寺院では弥勒菩薩とされている。
布袋は明和年間、是休の作とされるが詳細は不明。
・松竹山 仲崎町壮和会
本坐人形は蝦夷征伐の将軍、坂上田村麿。
舟山である。
(順不同)
□汎論
 川内町は陸奥湾に面する町。江戸時代にはむつ市とともに上方との通商があり、京都、難波、近江商人らと交流があって、上方文化がはいっている。古い時代の山車があり今も大切にされている。近年はねぶたも出るようになっている。

●02422 青森県むつ市(旧大畑町)
◆02355 大畑八幡宮祭
□社名 大畑八幡宮
□所在地 青森県むつ市(旧大畑町)大畑 
□祭神
□祭は九月中旬。  
□山車
山車五臺、舟山車二臺。ほかに、ねぶたが出る。
・八幡山 本町
上臺は屋根の無い無蓋車。騎馬姿の八幡太郎義家の人形がのる。
正面に「八幡山」と書いた額が掲げられその左右に純白の幣束がたてられる。
見送りは、【琴高仙人(きんこうせんにん)】である。土地の伝承に好み送りは斐太高山の屋臺にかかっていたものだと言う言い伝えがある。高山には春の高山祭に曳く本町の【琴高臺】があるが、天保時代の建造である。もしかすると、この琴高臺の球体にかかっていた見送りかもしれない。中国の『列仙伝』に「琴高仙人は、龍の子を取ってくるといって、水に潜っていったが、やがて赤い鯉に乗って戻ってきた」とあるが、大畑の八幡山の鯉は黒鯉である。ちなみに高山の琴高臺の見送りの鯉も黒鯉である。
 勾欄は、上臺、下臺とも黒漆塗りである。
 山車の創建は古く、享保三年(一七一六)には【八幡山】を曳いたとの伝承がある。
現在の山車は、平成十一年の建造。工匠は地元本町の道地則之。
・天女丸 上野
工匠は青森県八戸市櫛引烏沢の吉井氏。
昭和五十一年に大湊の畑中旅館の所有する船山「天女丸」を譲りうけ「上野天女丸」として祭礼に参加。
・明神丸 湊
平成元年の建造。工匠は、久本武雄。
古く、享保六年(一七二一)ころすでに曳いていたとの伝承がある。
・鞍馬山 東町
 上臺の人形は、鞍馬山で修行する牛若丸と烏天狗。
 見送りは、中国の古典二十四孝の郭巨にちなむ。母親を養う貧しく若い夫婦が、あまりの生活苦に耐えかねて、子供はまた授かることがあるだろうが、親はかけがえがないと、意を決し、悲しみながらもわが子を埋める穴を掘っていると、金の釜を掘り当てたという故事。
 おなじ題を持つ山車に、京都祗園祭の郭巨山(かっきょやま)、滋賀県の大津祭で曳かれる山車にも郭巨山がある。この見送りも飛騨高山から嘉永五年に入手したと伝えられるが、高山の旧臺は不明。
 昭和六十一年の建造。設計は馬場辰吉。工匠は本町の山車とおなじ道地則之。
 建造の歴史は古く、享保六年(一七二一)ころすでに曳いていたとの伝承がある。
・放生会 大新町
 大新町とは新町と湯坂下、中島の三町の総称であり、湯坂下、中島が分かれた後も大新町の名称を残している。
建造は昭和六十二年、設計は馬場辰吉。工匠は本町の山車とおなじ道地則之。
往古は大名の儀杖行列を出したが、寛保元年の火事で儀杖の装束一切を焼失したので寛保三年(一七四三)より屋臺飾に変更された。
・中島山 中島
平成四年の建造。工匠は本町の山車とおなじ道地則之。
人形は武田信玄、製作は八戸市の類家山車組。
昭和二十九年に大新町の放生会に樽神輿で参加したのが始まり。
昭和三十一年に祭運行の露払いとして認められ、昭和三十九年に西方卯之吉が山車を寄進した、人形ははじめ八戸市類家町から借て祭に参加。
・豊栄会 湯坂下
昭和三十四年から六十一年までは、八戸市下大工町の祭組から「稲荷丸」などの山車を譲り受け、八戸の山車囃子を演奏しながら曳いたといわれる。
昭和六十三年に新町の旧山車を譲り受け、囃子も大畑のものに変えて曳いた。
・南町
享保六年(一七二一)ころすでに【山神臺】とよぶ山車を曳いていたとの伝承があるが、延享三年(一七四六)に山車を廃して神輿を担当するようになった。
(順不同)
□汎論
 大畑八幡宮の創祀は不明。古くは深山の地に祀られ深山権現といい神仏混淆の神社だったようである。創祀時の祭神は不明であるがおそらく八幡神ではないだろう。
 大畑川に沿い県道四号線を遡ると、旧地には深山神社の小祠がある。遷座されたのは、慶安元年(一六八四)とある。
 御神幸は、春日神社が御旅所になっていてそこで仮泊される。
 大畑八幡宮例祭に山車が曳かれるようになったのは、日本の山車史上でも古く、享保三年(一七一六)には【八幡山】を曳いたとの伝承がある。さらに明神丸はが湊、鞍馬山が東町、南町には享保六年(一七二一)ころすでに【山神臺】とよぶ山車があったといわれるが、現在は御神輿を担いでいる。
 大畑八幡宮には不思議な話が語り継がれている。静岡県の遠州灘、千葉県の九十九里浜は、実に明るい砂浜、太平洋の青い海原がつづき、眺めるには申し分の無い景観であるが、江戸時代には海運業者からたいへん恐れられた場所である。ここで暴風雨に遭うと逃げ込む湊が無くまず遭難を免れないからである。東北の米どころ、仙台から舟で運ばれてきた物資は、九十九里浜沖を通らず、利根川にはいり、佐原(香取市)で平舟に積み替えて遡上し、上流で隅田川に入って、ここで下り、両国の蔵前に運ばれていた。
 寛政年間、大畑の長川仲右衛門は幕府の御用船【政徳丸】の船頭として乗り込んでいたが、はたして房総沖に差しかかったとき激しい嵐に遭遇した。船底からは海水が吹き上げ、沈没を覚悟しながらも故郷の大畑八幡宮をひたすら祈ったところ、不思議と浸水が止まり、嵐も収まって、奥州大畑まで無事に帰還できたのだった。不思議なこともあるものと、舟を陸にあげて調べたところ、なんと船底の穴が開いたところに大きな鮑(あわび)が張りついて、浸水を食い止めていたのだった。
 船頭や水夫はその神徳にあらためて感謝を捧げたのだった。だから大畑に働く海運業者はいまでも鮑を口にしないのだそうである。
□問い合わせ 
むつ市役所本庁 〒035-8686 
青森県むつ市中央一丁目8番1号
電話 0175-22-1111 
FAX 0175-23-5178
□参考
 次を参考にさせていただきました。
 http://kenbun55.web.infoseek.co.jp/oohatamaturi.htm

●02423 大間町

●02425 風間浦村
◆01386 大石神社祭典
□社名 大石神社
□所在地 青森県風間浦村易国間字家ノ上
□大石神社
□祭は八月中旬。
□山車 
山車(舟山車)を曳く。
□汎論
 風間浦村は東に太平洋、西は海岸線に沿い急峻な山が迫って、一本の道が山裾を大間に向けて通っている。大石神社は易国間字家ノ上に鎮座する。延宝六年(一六七八)の勧請。襦袢姿の若者達が船山車を曳く。
青森県の夏は青森市、弘前市、黒石市、五所川原などに代表されるねぶた、ねぷた、立ねぶたがねぶた囃子にあわせて行われ、湘南、群馬県の小尾島町、九州鹿児島の知覧、長崎県の壱岐でも行われ、韓国でねぶたが曳かれるなど話題も豊富であるが、現在のように盛んになったのは近年のことで、江戸時代には弘前八幡宮、鯵ヶ沢の白八幡宮、むつ市などは山車を曳いていた。風間浦村の船山車の起源は不明だが、古い貴重なしきたりを伝えていると考える。

●02426 佐井村
◆00882 箭根森八幡宮祭
□社名 箭根森八幡宮
□所在地 青森県佐井村佐井
□祭神
□祭は九月中旬  
□山車
山車、子供扇ねぷたが出る。
・谷地町山
・浜町山
・川原町山
・大佐井山
(順不同)
□汎論

●02427 青森県むつ市(旧脇野沢村)
◆02359 脇野沢八幡宮祭
□社名 脇野沢八幡宮
□所在地 青森県むつ市(旧脇野沢村)
□祭神
□祭は八月中旬。  
□山車
山車二臺
・舟山
・恵比須山
(順不同)
□汎論

●02441 三戸町
◆00881 三戸大神宮祭
□社名 三戸大神宮
□所在地 青森県三戸郡三戸町同心町字諏訪内
□祭神
アマテラスオオミカミ 天照皇大神
□祭は九月中旬。  
□山車
山車一〇臺ほどが曳かれる。
□汎論
 三戸大神宮の創祀は元亀元年 (一五七〇) に伊勢神宮より御分霊
を著木山山頂に勧請して祀ったのに始まると伝える。社殿は棟持柱のある神明造となっている。

●02442 五戸町
◆00195 稲荷神社祭
□社名 稲荷神社
□所在地 青森県三戸郡五戸町上大町
□祭神
□祭は八月下旬  
□山車
山車
・上大町
・下大町
・蛯川
・新町
・川原町
・荒町
・ひばり野
・博労町
(順不同)
□汎論

●02444 南部町(旧名川町)
◆02361 諏訪神社祭
□社名 諏訪神社
□所在地 青森県南部町(旧名川町)剣吉
□祭神
□祭は九月上旬。  
□山車
山車
・桜本町
・桜町
・上町
・中町
・荒町
(順不同)
□汎論
 
●02445 南部町

●02446 階上町

●02447 南部町(旧福地村)
◆02362 苫米地祭
□社名 苫米地神明宮
□所在地 青森県三戸郡南部町(旧福地村)
□祭神
□祭は九月中旬  
□山車
山車
・上町
・中町
・下町
・後町
(順不同)
□汎論

●02448 南郷村

●02449 倉石村

●02450 新郷村
◆02363 戸来三嶽神社大祭
□社名 戸来三嶽神社
□所在地 青森県三戸郡新郷村
□祭は八月中旬。
□祭神
ウカノミタマノミコト 宇迦之御魂命
□山車
山車は曳かれない。
□汎論
 新郷村(しんごうむら)は、青森県十和田湖の東部にある村。
 戸来三嶽神社(へらいみたけじんじゃ)の創祀は、清和天皇期貞観五年 (八六三)と伝わる古社。延喜式外社である。祭神、ウカノミタマノミコト(宇迦之御魂命)は秦氏ゆかりの稲荷神であり、当地が天皇政権確立以前すでに出雲系氏族が入植していたと推定される。祭には青森県指定無形民俗文化財の金ヶ沢鶏舞(かねがさわけいばい)が行われる。
 十和田湖の外輪山のひとつである戸来岳(大駒ヶ岳、三ッ岳)の名をつけた戸来は、旧村名でもあったが、キリストにゆかりのあるヘブライに通じることから、イスラエルおよびユダヤ民族と友好関係があるという。キリストの墓伝説などユダヤにまつわ伝承や数々の遺跡が多いのはあながち偶然とも言い切れない。
 寿永二(一一八三)、御嶽堂(上田市、旧丸子町内)に兵を起こした木曾義仲は、越中と加賀の境にある倶利伽羅峠の戦いで圧勝したが、この戦で大敗した平氏が落ちのびたのが奥州陸奥西越(旧西越村)だったといい、後年仙台藩の初代藩主伊達政宗の擁立に尽力があったとされている。

20130106 更新

 ◆日本山車論
目次
 ◆左甚五郎傳
左甚五郎傳
 ◆斐太ノ工
斐太ノ工
 ◆谷口與鹿
谷口與鹿
 ◆論攷 延喜式神名帳
論攷 延喜式神名帳
◆阿波國
◆安房國
◆安藝國
◆伊賀國
◆隠岐國
◆越後國
 ◆古代祭祀と神南備山
古代祭祀と神南備山
 ◆玉依姫  様