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日本の山車 日本の山車
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標題の写真説明
2014-07-01
  北海道
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  表題の写真説明
 ボックスのタイトル : 関東
 題名 : ◆千葉県

日本の山車 千葉県 

千葉県総論
●12101 千葉市

●12101 千葉市中央区
◆02545 千葉神社祭
□社名 千葉神社
□所在地 千葉県千葉市中央区院内
□祭神
アメノミナカヌシノオオカミ 天之御中主大神
フツヌシノミコト 経津主命
ヤマトタケルノミコト 日本武尊
□祭は八月中旬。
□山車
山車の形態(呼称)は山車。
・山車
休止。現在は曳かれていない。
□汎論
 千葉神社の創祀は長保二年(一〇〇一)と伝わる。創祀は、千葉氏が妙見菩薩を信じていたことから千葉妙見宮という寺院として建立され多と伝わる。明治の神仏分離令で、分離され、祭神を妙見菩薩と同じとされるアメノミナカヌシノオオカミ(天之御中主大神)として神社となった。相殿に、香取神のフツヌシノミコト(経津主命)、皇室神のヤマトタケルノミコト(日本武尊)が祀られる。

●12102 千葉市花見川区
◆06723 検見川神社祭
□社名 検見川神社
□所在地 千葉県千葉市花見川区検見川町
□祭神
ウカノミタマノカミ 宇迦之御魂神
スサノオノミコト 素盞嗚尊
イザナミノミコト 伊弉冉尊
□祭は八月中旬。 
□山車
山車の形態(呼称)は、山車
・検見川地区
二臺あるがいずれも平成期に入っての建造。
□汎論
 検見川神社の創祀は、創建 869年(
貞観一一年(八六九)と伝わる古社であるが、延喜式神名帳には記載されない。祭神は出雲系神である。

●12103 千葉市稲毛区

●12104 千葉市若葉区

●12105 千葉市緑区

●12106 千葉市美浜区

●12202 銚子市
◆00477 銚子祭

●12203 市川市

●12204 船橋市
◆02546 二宮神社祭
□社名 二宮神社
□所在地 千葉県船橋市三山
□祭神
ハヤスサノオノミコト 速須佐之男命
イナダヒメノミコト 稻田比賣命
オオクニヌシノミコト 大國主命
フジワラトキヒラ 藤原時平
配祀(境内社)
若宮八幡神社
阿波八幡神社
□祭  
□山車
(順不同)
□汎論
 二宮神社は船橋市三山に鎮座する、延喜式神名帳下總國千葉郡に記載される下總國一一座のうちの一座である。創祀は、社記によると嵯峨天皇期、弘仁年間(八一〇−八二四)と伝わる古社である。社名は延喜式神名帳に寒川神社の記述があり、二宮神社の社号は、香取神宮を總ノ國(上総、下総、安房)の一宮とし、当社を二宮とよんだため現在の社名となったと考えられる。スサノオノミコト、イナダヒメノミコト、オオクニヌシノミコトで、出雲系の神々である。
 二宮とは、社格をあらわす通称である。社前には古くから渓清水が流れ、その流れは下流にある習志野市津田沼に鎮座する菊田神社に通じるといわれ、この水流をもって寒川神社の語源とされる。
 直接の関係はないようであるが、神奈川県高座郡寒川町には相模國一宮である寒川神社が鎮座する。祭神はサムカワヒコノミコト(寒川比古命)、サムカワヒメノミコト(寒川比女命)が祀られる。相模の總ノ國(上総、下総、安房)の古代は、相模國と密接な関係にあったことを考えると、【寒川】の淵源、語源はさらに古くにあると思量される。
 千葉市中央区寒川町一丁目にも延喜式神名帳に記載される【寒川神社】が鎮座し、祭神はアマテラスオオミカミを主神とし、サムカワヒコノミコト、サムカワヒメノミコトがつづくが、これは相模の寒川神社とおなじである。
 当、二宮神社は、近隣二〇村あまりの鎮守でありその範囲は千葉市の西部、船橋市東部および北部、習志野市、八千代市に及んでおり、
七年祭には行政の範囲を超えた各地域からの参集がある。
 サムカワヒコノミコト、サムカワヒメノミコトは古来不明の祭神とされる。私見ではスサノオノミコト、クシイナダヒメだろうと考える。

◆06718 本町八坂神社祭
□社名 八坂神社
□所在地 千葉県船橋市本町
□祭神
□祭は七月中旬。  
□山車
山車の形態(呼称)は、山車。
・本町地区
□汎論
 
◆06719 湊町八剣神社祭
□社名 八剣神社
□所在地 千葉県船橋市湊町
□祭神
□祭は七月中旬。  
□山車
山車の形態(呼称)は山車。
・湊町地区
□汎論
 
◆06720 印内八坂神社祭
□社名 八坂神社
□所在地 千葉県船橋市印内町
□祭神
スサノオノミコト 素盞鳴命
□祭は七月下旬。  
□山車
山車の形態(呼称)は山車。
・印内地区
□汎論
 印内八坂神社は統治に疫病が蔓延したことから隣地にある光明寺が別当となって、京都の八坂神社より分霊を受けて創祀したと伝わる。

◆06722 高根神明社祭
□社名 千葉県船橋市高根町
□所在地 高根神明社
□祭神
□祭は一〇月中旬。  
□山車
山車の形態(呼称)は、曳太鼓
・高根地区
□汎論
 高根神明社の創祀は不明。金杉地区にあった伊勢神宮の荘園(御厨)は室町期まで続いたが、金曾木郷の名称があり、これは金杉のことだとされている。やがて、伊勢神宮領になると夏見に【伊勢明神 船橋明神社】が建立されたが、当高根神明社は、そこから分祀を受けたと伝わる。

●12205館山市
◆00350 館山国司祭
□社名 鶴谷八幡宮(つるがやはちまんぐう)
□所在地 千葉県館山市
□祭神
ホムダワケノミコト 品陀和氣命(オウジンテンノウ)
タラシナカツヒコノミコト 帶中比古命(仲哀天皇)
オキナガタラシヒメノミコト 息長帶比賣命
□祭は八月上旬  
□山車
山車(御船)
・国司丸
文化一四年の建造と伝わる。
□汎論
 安房の國府がどこにあったのか。『和名抄』に平群郡にあったとされる記述があるが不詳のようである。一説では三芳村の府中の地だともいう。南に国分寺がある。安房総社でもある鶴谷八幡宮は、また元八幡神社ともいい近年創祀千年を祝う祭典が挙行された。
鶴谷八幡宮本殿は、享保四年(一七一七)の建立で、拝殿向拝のひろい格子天井には、後藤利兵衛義光のみごとな「百態の龍」 が彫刻されている。例年九月中旬の例大祭は、「国司祭」また「安房六所祭」ともいい安房国の安房神社、鶴谷八幡宮、洲宮神社、下立松原神社、手力雄神社、山宮神社、山荻神社、莫越山神社、木幡神社、高皇産霊神社、子安神社の十一社の神輿が参集する。国司祭をコクシサイ、コクシマツリとよばず、土地では「コクシマチ」という。神奈川県の「国府祭」も、「コウノマチ」と呼ぶ。館山で「ヤワタンマチ」とよぶのは、「館山がやわたのまち」なのではなく、「八幡祭そのものをヤワタンマチ」とよぶのである。
神明神社、諏訪神社からは山車が曳きだされる。

◆00348 館山神社祭
□社名 館山神社
□所在地 千葉県館山市
□祭神
□祭は八月上旬。  
□山車
山車
・上町
本座人形はクニノトコタチノミコト(國常立尊)
明治期の建造。
・仲町
本座人形はイザナギノミコト(伊邪那岐命)。明治期の作。
山車は明治期の建造。
彫刻千倉の後藤喜三郎橘義信。
・下町
本座人形はイザナミノミコト(伊邪那美命)明治期の作。
仲町の人形と一対をなしている。
彫刻は、後藤喜三郎橘義信。
・楠見
本座人形は仁徳天皇。
彫刻は後藤喜三郎義光。
・明神丸 新井
稲荷神社の氏子であるが館山神社祭と共齋する。
創建は江戸時代と伝わり、始めから舟山車で、地元の和船大工の建造になる。剛性にすぐれた造でそのまま大海に船出できるような構造だったと伝わる。平成五年に大改修された。工匠は鈴木建設・鈴木正一。
彫刻は先代の後藤義光の作が用いられている。
(順不同)
□汎論
 館山神社は、大正十二年(一九二三)の関東大震災により大被害を受けたことから、館山六地区の神社デアル、
・下町 
諏訪神社
祭神 タケミナカタミコト 建御名方命
別当 長福寺  
・上町
諏訪神社
祭神 タケミナカタミコト 建御名方命
別当 長福寺
・上須賀
八坂神社
祭神 スサノオノミコト 素盞鳴命
別当 観乗院
・御屋敷
稲荷神社(上須賀稲荷)
祭神 ウカノミタマノカミ 倉稲魂神
別当 吉祥院
・楠見
厳島神社
祭神 イチキシマヒメノミコト 市杵島姫命
別当 観乗院
 が合祀されて、館山神社の社号がつけられた。

◆00423 相浜神社曵舟祭
□社名 相浜神社
□所在地 千葉県館山市相浜
□祭神
□祭は3月下旬  
□山車
山車
御舟
・浪除丸 相浜地区
御舟の曳行には、舳先(へさき)には神の依代として神格視される
子供が、裃(かみしも)を着て立つ。【殿様】とよばれる。
□汎論
 相浜神社は、大正時代にヤマトタケルノミコトを祀る【浪除神社(なみよけじんじゃ)】と、ウズヒコノミコト(宇豆彦命)を祀る「楫取神社(かじとりじんじゃ)」とが合祀された神社である。
ウズヒコノミコトは、あまり聞きなれない神であるが、祖先はアメノホアカリノミコト(天火明命)、アメノカゴヤマノミコト(天香語山命)、アメノムラクモノミコト(天村雲命)、ヤマトスクネ、(倭宿禰)とつづく。珍彦といい、ヤマトタケルノミコトの相模から房総渡海時の水先案内をしたといわれる。
 だが異説がある。
 水先案内をしたウズヒコ(珍彦)とは、ヤマトスクネのことで、のちのシイネツヒコ(椎根津彦)とはおなじとされ、倭国造となっている。サオネツヒコノミコト(槁根津彦命)、シイイネツヒコノミコト(椎根津彦命)の別名ある。
 ウズヒコノミコト(宇豆彦命)の別名を、サオネツヒコノミコト(槁根津彦命)の【槁根・さおね】というのは男性器のことだとされる。珍彦の名は【チンポコ】の語源だというがどうだろうか?
 ムナチ(胸乳)と、ホト(女性器)を出して乱舞したといわれる
ウズメノミコト、アメノウズメノミコト(宇豆彦命、鈿女命)とは一組になる男女神だともいう。
 異説に、【丹後國、籠神社の海部氏本紀系図】に、ワノスクネの父を「またの名をアマノイソタテ(天五十楯)とあって、もし、アマノイソタテと、イタケルミコト、イソタケル(五十猛命)だとすると、出雲系の神で、播磨國(姫路市)にある射楯兵主神社、紀國(和歌山県和歌山市)の伊太祁曾神社の祭神である。伊太祁曾神社は、四国に若干の形跡があるほか、木曽川を遡上し、信濃國木曾(祁曾)から、薮原を経て、北アルプス乗鞍岳の山頂に祀られ、西の飛騨に下って丹生川村(現高山市)に数社。神岡町(現飛騨市)に一社があり、ここで版図が止まっている。
 神岡町(現飛騨市)は旧名称を【船津】といい、延喜式神名帳に記載される【大津神社】が鎮座する。ここには祭神に、越後國(新潟県)ゆかりのヌナカワヒメ(渟名川比賣)が祀られるが、飛騨地方ではほとんど唯一神ではないかと推定される。船津(ふなつ)の名称は
大和川沿岸に点在する渡来系【船氏】と同じと考えられる。

◆01921 那古観音祭
□寺名 那古観音
□所在地 千葉県館山市那古
□祭神
□祭は七月中旬。  
□山車
山車の呼称
人形山車
・東藤組
本座人形は豊臣秀吉。人形は東京の浪花屋七郎兵衛の作。
昭和一一年の建造、工匠は東藤・加藤佐一郎。
彫刻は藤義徳。
幕は平成一四年に株式会社川島織物が納めた。
現在の山車は五代目だと伝わり、山車の建造をいちばん早く手がけた組だといわれるが過去の詳細は不明である。
・大芝組
本座人形は神武天皇。
江戸時代後期から明治中期ころの建造と伝わるが詳細は不明
彫刻は、後藤喜三郎橘義信。
・浜組
本座人形は弁財功徳天。
明治四三年の建造。工匠は浜町の山口仙太郎。
初代の山車は船形の川名区より譲り受けて曳いたが、明治末期に新臺の建造にともない市内の国分に譲渡された。
・芝崎組
本座人形はアマテラスオミカミ(天照大神)。
大工不明。
彫刻は後藤喜三郎橘義信、後藤実義房。
・寺赤組
本座人形は後醍醐天皇。明治四三年の作。
明治三二年の建造。工匠は不明。
彫刻は後藤利兵衛橘義光。
(順不同)
□汎論
 観世音菩薩は、インドを起源にする菩薩であるが、その成立には多説がある、インドラナヤートラの山車祭でも知られる【ラクシュミー】を観世音菩薩の起源とする説もある。観世音菩薩の居所は補陀洛で、チベットのポタラ宮は観世音菩薩の居所とする考えがある。中国では観世音菩薩と訳され、ひろく信仰を集めたが、唐代になって「世」の文字が二代皇帝の諱である【太宗李世民】にかかったことから、観世音菩薩の「世」がはずれて、【観音菩薩】とよばれるようになった。
 日本に仏教が伝来したときもいち早く伝わり、法隆寺の百済観音、
夢違観音、東院夢殿の救世観音など、釈迦如来とともに伝来している。
 観世音菩薩は佛教教義では、如来に次ぐ【菩薩位】にあり、【如来・佛】ではない。したがって、観音菩薩を【佛・ほとけ】、その尊像を【佛像】とよぶのは誤りである。
 菩薩の中でも弥勒菩薩は例外とされ、釈迦入滅後五六億七千万年後には仏となって現れるとされることから【弥勒如来】とよぶことがある。
 わが国でも古くから【観音菩薩】の信仰が定着し、たとえば、栃木県の日光は、本来観音霊場の補陀洛(ふだらく)が二荒(ふたら)これを音読して日光(にっこう)とよばれるようになっている。
 観世音菩薩は、阿弥陀如来の脇侍として【勢至菩薩・せいしぼさつ)とともにたつ、【阿弥陀三尊像】はよく知られる。両方ともに同じ形態が多いが、宝冠に【化佛】があるのが観世音菩薩、法瓶があるのが勢至菩薩である。観世音菩薩の【化佛】は三十三に変幻することから、一体で三十三身とする考えから、観音三十三箇所霊場があり、京都の【三十三間堂】の千体の観世音菩薩を三万三千体ともいわれる。
 阿弥陀如来は、平安期以後鎌倉時代にかけて、浄土思想が広く支持されたことから信仰されるようになっているが、観音信仰に数百年遅れて渡来したと考えられる。

◆01922 川崎八雲神社祭
□社名 八雲神社
□所在地 千葉県館山市川崎
□祭神
□祭は七月中旬。  
□山車
山車形態、人形屋臺
・川崎地区
彫刻は後藤喜三郎橘義信。
□汎論

◆01923 子野神社祭
□社名 子野神社
□所在地 千葉県館山市竜岡字北竜
□祭神
□祭は八月上旬。  
□山車
山車の形態(呼称)は屋臺と神楽太鼓。
・北竜地区
神楽太鼓は曳行休止。
□汎論
 明治七年に、それぞれ独立していた南竜村、北竜村、松岡村の三ヶ村が合併し竜岡となった。南竜地区、北竜地区は互いに連帯意識が強い地域。近年北竜の熊野神社が南竜地区に合祀された。夏の例祭には伝統の獅子~樂があり、二人立ちで浴衣を着た関係者らにより執行される。

◆01924 松岡八幡宮祭
□社名 松岡八幡宮
□所在地 館山市竜岡字松岡
□祭神
□祭は八月上旬。  
□山車
山車の形態(呼称)は屋臺。
・松岡地区
□汎論
 福原有信は、【花椿】で知られる東京銀座資生堂の創始者、旧松岡村(現館山市竜岡字松岡)の出身で、境内に寄進の鳥居が建てれている。

◆01926 正木諏訪神社祭
□社名 正木諏訪神社
□所在地 千葉県館山市正木
□祭神
□祭は九月下旬。  
□山車
山車の形態(呼称)人形屋臺。
・上地区
・下地区
・向地区
・岡地区
(順不同)
□汎論
 正木諏訪神社の創祀は延喜年間だと伝わる。館山市正木にある諏訪山頂に鎮座する。古代の房総は、縄文時代に続く出雲系氏族の弥生文化圏にあった痕跡が、古墳を始めとする山上祭祀遺跡、古代遺物が残存することでうかがうことが出来る。出雲系氏族による古代祭祀はスサノオノミコト、クシイナダヒメノミコト、オオナムチノミコト、コトシロヌシノミコトと続き、一部は同族の諏訪氏へと引き継がれ、タケミナカタノミコト、ヤサカトメノミコトにつづき、四国の阿波、紀州からアメノフトダマノカミを祭神とする阿波忌部(中臣氏)が渡来したことが知られる。
 佐倉市から成田市にかけて分布する麻賀多神社は、阿波の麻植に連想が重なり、香川県の小豆島、紀州の湯浅を経て房総にいたる醸造技術は野田市を中心にして栄えるキッコーマンは、創業時は【亀甲萬】であったが、いまや世界的企業となっている。
 味噌の醸造は現在も産地名で呼ばれることが多く、金山寺味噌(形經山寺味噌)、京都の白味噌、三河の八丁味噌、赤だし味噌、信州味噌、仙台味噌(仙臺味噌)など枚挙にいとまが無い。
 醸造酢は尾張の知多半島がよく知られる。
 日本海沿岸には、丹波から若狭にかけては、大和(奈良)東大寺の僧侶らによる醸造業が興り、大阪府の池田市から、兵庫県の伊丹市は清酒の醸造業で栄え、さらには灘へとひろがっている。
 醸造技術の歴史は弥生時代に大陸から伝わり、表日本、裏日本の味噌、醤油、清酒の名産となっている。
 諏訪氏は【國譲り】によって、権力を大和朝廷に奪われて信州に逼塞することになった。この大和政権誕生に力をかしたのが、香取神、鹿島神であるが、いずれももとは出雲系の神である。いまは下総國、常陸國に祀られ、畿内では大和國、春日大社の祭神になっている。
 ヤマトタケルの東征、オトタチバナヒメの悲劇などは房総をはじめ関東一円に広がる。だが歴史を認識すれば、ヤマトタケルの東征とは夷敵に対する攻撃などではなく、出雲国家への挑戦だったことになる。ヤマトタケルの故事は【史実には遠い創作】といわれる由縁でもあろう。
 とまれ、房総から追いやられたはずの諏訪神の祭祀が延喜年間より続いているのは、諏訪神を祖神とする氏族が房総では脈々と息づいていたことを示している。

◆01927 船形諏訪神社祭
□社名 船形諏訪神社 
□所在地 千葉県館山市正木
□祭神
□祭は九月下旬。  
□山車
山車の形態(呼称)人形屋臺。
・上地区
・下地区
・向地区
・岡地区
(順不同)
□汎論

◆01925 金毘羅神社祭
□社名 金毘羅神社
□所在地 千葉県館山市川名
□祭神
□祭は  
□山車
山車の形態(呼称)は、人形山車。
・堂ノ下
本座人形は仁徳天皇。
彫刻は後藤喜三郎橘義信。
□汎論

◆01930 亀ヶ原八幡神社祭
□社名 八幡神社
□所在地 千葉県館山市亀ヶ原
□祭神
□祭は一〇月上旬。  
□山車
山車の形態(呼称)は、人形屋臺。
・亀ヶ原地区
彫刻は、後藤義孝。義孝の本名は堀江松太郎といい、三代、後藤義光の実弟にあたる。三嶋神社の向拝桁上に龍、向拝柱の木鼻に獅子を彫刻し、彫刻裏の記銘に昭和十二年とある。
□汎論

◆01931 山本御嶽神社祭
□社名 御嶽神社(みたけじんじゃ)
□所在地 千葉県館山市山本
□祭神
□祭は一〇月中旬。  
□山車
山車の形態(呼称)は、人形屋臺。
・山本地区
□汎論
 館山市には御嶽神社が山本のほかに伊戸、塩見と二社ある。当山本の御嶽神社には江戸京橋の五代後藤茂右衛門正綱の門人だったと伝わる、後藤恒俊(常俊)の手馴れた向拝彫刻がある。

◆01572 長須賀熊野神社祭
□社名 熊野神社
□所在地 館山市長須賀
□祭神
□祭は七月下旬。  
□山車
山車の形態(呼称)は、踊屋臺
・長須賀地区
昭和三〇年の建造。
彫刻は千倉の後藤義孝と伝わる。
□汎論

◆01929 田邊日枝神社祭
□社名 日枝神社
□所在地 千葉県館山市竹原
□祭神
□祭は一〇月中旬。  
□山車
山車の形態(呼称)は、囃子屋臺。
・田邊地区
□汎論
 中国の古典『水滸傳』は、洪という地方長官の過失から、封じ込められていた天罡星三六星と、地□星(□は、さつ、文字なし)七二星の一〇八星が飛び去り、時移って一〇八人の英雄となって地上に現れ、及慈雨(きゅうじう)の宋江明を中心として中国山東の水滸(湖のほとり)に集結する物語で、最初の花和尚魯智深(かおしょうろちしん)の豪快で痛快なお話に続いて一〇八人の英雄譚の物語である。わが国でも人気の書で、この物語に出てくる人物は江戸時代には青森のねぶたなどにも表現されて評判を呼んだ。
 安房の『南総里見八犬伝』は瀧澤馬琴の作と伝えられ中国の水滸伝を基にして出来た話と伝えられ、合戦の苦境を脱するために伏姫を与えるの提案は、八房という猛犬の活躍により危急を救われる。約束を重んじ、伏姫は八房と城を去る。やがて、【仁、義、禮、智、信、忠、孝、悌】の一字をもつ八玉は空に飛び散る。ときうつり、この玉を持つ八剣士は大活躍をしながら相集う。
 当地区の山車(屋臺)の本座人形は、絶世の美女伏姫と猛犬八房がのる。

◆01929 田邊日枝神社祭
□社名 日枝神社
□所在地 千葉県館山市竹原
□祭神
□祭は一〇月中旬。  
□山車
山車の形態(呼称)は、囃子屋臺。
・田邊地区
□汎論
 中国の古典『水滸傳』は、洪という地方長官の過失から、封じ込められていた天罡星三六星と、地□星(□は、さつ、文字なし)七二星の一〇八星が飛び去り、時移って一〇八人の英雄となって地上に現れ、及慈雨(きゅうじう)の宋江明を中心として中国山東の水滸(湖のほとり)に集結する物語で、最初の花和尚魯智深(かおしょうろちしん)の豪快で痛快なお話に続いて一〇八人の英雄譚の物語である。わが国でも人気の書で、この物語に出てくる人物は江戸時代には青森のねぶたなどにも表現されて評判を呼んだ。
 安房の『南総里見八犬伝』は瀧澤馬琴の作と伝えられ中国の水滸伝を基にして出来た話と伝えられ、合戦の苦境を脱するために伏姫を与えるの提案は、八房という猛犬の活躍により危急を救われる。約束を重んじ、伏姫は八房と城を去る。やがて、【仁、義、禮、智、信、忠、孝、悌】の一字をもつ八玉は空に飛び散る。ときうつり、この玉を持つ八剣士は大活躍をしながら相集う。
 当地区の山車(屋臺)の本座人形は、絶世の美女伏姫と猛犬八房がのる。

●12206 木更津市
◆02547 木更津八剱八幡神社祭
□社名 八剱八幡神社(やつるぎはちまんじんじゃ)
末社
三社神社 
 御嶽神社
 三峰神社
 稲荷神社
祖神社  
□所在地 千葉県木更津市
□祭神
ヤフネククノチノカミ 屋船久久能知神
ヤフネトヨウケヒメノカミ 屋船豊受姫神
タオキホオイノカミ 手置帆負神
ヒコサチノカミ 彦狭知神
□所在地 木更津市八幡町
□祭神
ホムダワケノミコト 誉田別命(應神天皇)
オキナガタラシヒメ 息長足姫命(神功皇后)
タラシナカヒコノミコト 足仲彦命(仲哀天皇)
スサノオノミコト 素盞鳴命  
ヤマトタケルノミコト 日本武尊 
□山車
・八幡町 
・親交会
・南町
□汎論
八剱八幡神社の社記に、昔はこのあたり一帯を八剱の里と呼び、里の神を八剱の神と称え、神に仕える祝(はふり)を八剱と言ったとある。また、景行天皇期にその皇子であるヤマトタケルノミコ(日本武尊)の東征があり、相模(神奈川県)から舟で房総半島に渡る際、颶風の難に遭い、妃のオトタチバナヒメ(橘姫)が犠牲となって入水し、ミコトは何とか無事に木更津の浜に上がることができた。しかしミコトはヒメが忘れられず、この地を去りがたかったので、当社にとどまられた、ゆえにこの地を「君去らず」といいのちに「木佐良津」、「木更津」というようになったという。
 群馬県の碓井峠には、ミコトが来しかなたをはるかに見やり、オトタチバナヒメを愛惜して「ああ、わがつまよ」と涙されたので、「吾嬬(あづま)」というようになったとある。ヤマトタケルノミコトが木更津の地にいたったとき、すでに土地が身を祀る神社があり、それはおそらくヤツルギのカミ(八剱)だったかもしれない。
 しかし、案ずるに、祖神社に祀られる土地神の屋船久久能知神、屋船豊受姫神、手置帆負神、彦狭知神は気にかかるところで、埼玉県にある三峰神社、また御嶽神社、稲荷神社が祀られているのも由緒の深さを覚える。むしろこちらが本来の神社のすがたであり、八幡神は後祀であろう。
 木更津には全国に知られた民謡「木更津甚句」がある。

◆06716 吾妻神社祭
□社名 吾妻神社
□所在地 千葉県木更津市吾妻
□祭神
オトタチバナヒメノミコト 弟橘媛命
□祭は七月中旬。  
□山車
山車
・置山(屋臺)
・傘萬燈車
(順不同)
□汎論

◆06717 桜井諏訪神社祭
□社名 諏訪神社
□所在地 千葉県木更津市桜井
□祭神
□祭は七月下旬。  
□山車
山車(萬燈)、曳太鼓。
萬燈
・片町
・北町
・三丁目
曳太鼓
南町
(順不同)
□汎論
 関東地方の埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県には【まんど】とよばれる山車が存在する。またかつては多く存在したが消滅していった。齋藤月岑(さいとうげっしん)著の『武江年表』には【万度】と書かれている。いまは【万灯】と書くべきなのだろう。
 江戸時代の一般人の暮らしむきで、灯火となる蝋燭(ろうそく)や菜種油は非常に高価で、夜の闇を照らす明かりのもとである油は容易には入手できなかった。鯨油や魚油、獣畜の油、松の根から採る「あかし」、松脂などの樹脂、割り木。奈良の貸すが神社の萬燈會(まんどうえ)には、梛(なぎ)の果実が絞られた油が使われる。このほかにも胡麻油なども使われたが黒胡麻や白胡麻から精製した油は、黒絞(くろしめ)、白絞(しろしめ)などとよばれたが、灯火よりもまず食料であった。貴重な食料を燃やすという行為は罪悪感さえ伴っていた。それに、嫌な臭いや、煤煙が多く出た。しかし、とにかく、灯火の材料はひじょうに高価であった。
 この感覚は現代人には理解しづらい。だから江戸時代の暗い闇の街を、提燈や雪洞にたくさんの明かりを入れて曳く【風流物】は、ひとびとは驚嘆の目で眺めたはずである。それは超常の世界だったのである。現在も夜間に明かりを入れて曳かれる山車には独特の美観を覚える方も多いはずである。
 当、桜井の萬燈はその伝統が受け継がれている。 

●12207 松戸市

●12208 野田市
◆00906 野田のつく舞
千葉県野田市野田
□汎論
 風流(ふりゅう)は、江戸時代初期には、ねりものとおんじゃいように、全国的に行われていた神事に付属する行事であったが、いまは関東北部の常陸、房総北部に風流、九州北部の肥前、筑前に浮立としてまとまった分布が遺存する。
「つくまい」は肥前では「衝舞」と書かれる地方もある。
 野田の「つくまい」は、白い布を巻いた柱を立て、上部には樽がかぶせられる。これを「ひっぱり」という綱を張って固定し、柱、綱のうえでは、「ジョウジロサン」とよぶ演技社が軽業以上の演技お披露する。演技の節目では大きな拍手が起こるが、高所の藝で見ていてはらはらする。最後は勢よく綱を滑り降りてきて、目出度しめでたし。ホッと大きな溜息が洩れ、大喝采となる。
 「愛宕神社年暦」によれば、享和二年(一八〇二)に野田町と山崎村で行われていてこれが始まりといわれる。
  上街、仲街、下町の三地区に伝わり、交代で年番をつとめる。「津久年番」という。
演じられる場所は年番の担当によって異なる。
千葉県の無形民俗文化財、国の選択無形民俗文化財荷指定されている

●12209 香取市(旧佐原市)
◆00415 佐原祇園祭
□社名 八坂神社
□所在地 千葉県香取市(旧佐原市)本宿
□祭は七月上ー中旬。
□山車
・上仲町
本坐人形は太田道灌、大正十一年、人形師は大柴徳次郎。
山車建造は明治三十四年。
山車彫刻は大正十一年。彫刻は佐藤光正、金子光清。
・下仲町
本坐人形は菅原道真、人形師は三代目安本亀八、大正一〇年。
建造期は不明。
簾、天幕の記録に安政三年(一八五六)とある。
彫刻は大正九年、後藤桂林。
・浜宿
人形は武甕槌命(タケミカヅチノミコト・鹿嶋神)。
建造は平成九年、工匠は芹川昇司。
山車彫刻は。後藤茂右衛門正綱、嘉永四年
・本川岸
本坐人は天鈿女命(アメノウズメノミコト)、慶応年間の作。人形師は不明。
山車の建造は明治十五年。工匠は飯島棟梁。
彫刻は小松重太郎光重、明治期の作。
・船戸
本坐人形は神武天皇。明治二〇年、人形師は三代目原舟月の作。
建造は平成九年、工匠は岡野繁、和義。
彫刻は石川常次郎、幕末。
・八日市場
本坐は鯉、曳行中に口を開け、しめる。
山車の建造は明治二十九年、工匠は芹川清助、政吉、朝倉幸造。
彫刻は明治二十一年、小松重太郎光重、三男の光春。
・荒久(あらく)
本坐人形は経津主命(フツヌシノミコト・香取神)、大正九年の作。人形師は安本亀八。山車は昭和三年の建造。工匠は不明。
彫刻は安政年間の作。後藤茂右衛門正忠。
・仁井宿
本坐は鷹。
建造は平成十一年、工匠は山本建具店。
飾り物のは稲わらを使い町民全員の協力で作る。鷹。
彫刻は江戸期に制作された、後藤系の彫刻に、葛飾の北澤一京が補作。
・田宿
本坐人形は伊弉諾尊(イザナギノミコト)。明治四十三年の作。
山車は寛永四年(一八五一)の建造。工匠は梶取棟梁。
彫刻は安政期の作。十代目後藤茂右衛門正忠。
・寺宿
本坐人形は金時と山姥。人形師は鼠屋。
山車は嘉永三年(一八五〇)の建造。工匠は岡野冶兵衛重好。
彫刻は三代目石川常治郎。
山車額に「幣臺(やたい)」が懸かる。
(順不同)

◆00179 佐原諏訪神社祭
□社名 諏訪神社
□所在地 千葉県香取市(旧佐原市)新宿
□祭は十月中旬。
山車を曳く。
□山車
・上宿
本坐人形は源義経。昭和五三年、面六四代目田口義雄の作。
山車は昭和五三年の建造。工匠は八木、芝山、大里。
彫刻は嘉永年代。石川寅次郎の作。
・下宿
本坐人形は源頼義。明治三十二年、古川長延の作。
山車は明治八年の建造。工匠は芹川清助。
彫刻は明治八ー一〇年。石川三之助、後藤源兵衛、左利重吉。
・上中宿
本坐人形は鎮西八郎為朝。明治十五年、鼠屋(福田万吉)の作。
山車は嘉永五年(一八五二)の建造。工匠は岡野冶兵衛重好。
・西関戸
本坐人形は瓊瓊杵尊、昭和一五年鼠屋の作。
山車は昭和一〇年の建造。工匠。
彫刻は嘉永期(一八四九ー一八五四)、四代目石川藤吉朝光。
山車額は明治神宮の元宮司有馬良橋の筆。
・南横宿
本坐人形は仁徳天皇。大正十四年、三代目安本亀八。
山車は、明治初期、工匠は寺島。
彫刻は明治九ー一八年の作、後藤一重。
・東関戸
本坐人形は楠木正成。昭和一〇年護豊(大柴徳次郎)の作。
山車は昭和一〇年の建造。工匠は太田達四郎、和助。
彫刻は昭和一〇年ー二六年。金子光清、池田信之。
・北横宿
本坐人形は日本武尊。明治八年、鼠屋(福田万吉)の作。
山車は明治八年の建造。工匠は杉崎与吉。
彫物は岸上定吉、塙正明、石川常次郎。
・上新町
本坐は諏訪神。地区の住民らが作る。
山車は昭和十一年の建造。工匠は高木彦冶。
彫刻は昭和八年、成毛哲太郎。
・下新町
本坐人形は浦島太郎。明治十二年、鼠屋(福田万吉)の作。
山車は幕末文久二年(一八六二)の建造。工匠は不明。
彫刻は山車とおなじ文久二年、石川三之介が、歌川国芳の下絵をもとに彫る。
・下分
本坐人形は楠木正行。明治一〇年、護徳(大柴徳次郎)の作。
山車は明治二十八年小見川町新町より譲り受けた。
・新橋本
本坐人形は小野道風。明治四年、鼠屋(福田万吉)の作。
山車は明治二十七年の建造。工匠は越中屋(高野友三郎)。
彫刻は平成二年、岡野繁の作。
・新上川岸
本坐人形は牛天神。幕末期の作とぴわれるが作者不明。
山車は、明治二十九年の建造。工匠は越中屋(高野友三郎)。
彫刻、作年、作者は不明。
・仲川岸
本坐人形は神武天皇。湯本長太郎の作。
山車は明治二十九年の建造。工匠は不明。
彫刻の作者は不明。
・下川岸
本坐人形は素盞鳴命。幕末期の作。
山車は明治三十一年の建造。工匠は不明。
彫刻は文久年間の作といわれるが詳細不明。
・中宿
幕末期の建造といわれる。
曳行を休止している。
・上宿台
山車があるが曳行休止。
・若松町
休止。
(順不同)
□汎論
 佐原(現香取市)には、華やかだった江戸の祭の面影を伝える山車祭がある。山車の形態は露臺式で大きな人形が飾られる。江戸で曳かれた山車とは趣が違うが、山車の曳き方は多数の女性が片肌脱ぎの粋な姿で曳き綱をひき、ひとやすみの都度手古舞を披露する。曳行中は自慢の佐原囃子が演奏されるしずかに山車が行き交い、艶やかな女性らが踊る姿を見、佐原小唄をきいていると目頭が熱くなり、「ああ、祭っていいな」とつくづく思う。

◆00421 水郷佐原山車会館

●12210 茂原市
◆03151 橘樹神社秋祭
□社名 橘樹神社(たちばなじんじゃ)
□所在地 千葉県茂原市本納
□祭神
オトタチバナヒメ 弟橘媛
□祭は一〇月上旬ー中旬。
山車を曳く。
□山車
・本町
・仲町
・御船町
□汎論
橘樹神社は延喜式に記載される古社。房総の荒れ狂う海を鎮めんとわが身を投じて夫の日本武尊を無事に渡してくれた恩徳に感じ、日本武尊が弟橘媛の鎮魂のため自ら祀ったと伝えられる。上州の碓氷峠で亡き弟橘媛をしのんで「吾が嬬よ」と涙した地は、吾嬬郡である。しかし、日本武尊のこの先の旅は平穏なものではなく、美濃(岐阜県)、近江(滋賀県)の境、伊吹山の戦で傷つき、能褒野(のぼの 三重県亀山市)の地で死去したのであった。一説では生駒を越え河内羽曳野(大阪府羽曳野市)から白鳥に姿を変えて飛び去ったとも言う。

●12211 成田市
◆成田祇園会
◆00080 成田祇園会
□寺名 成田山新勝寺
□所在地 千葉県成田市成田
□祭神
□祭は七月上旬。  
□山車
山車、屋臺。
・幸町
本座人形は朱雀天皇。平成七年の作、松崎昭玉、福田東久。
二層式屋臺。
昭和四八年の建造。工匠は成田市宗吾の森工務店。
三代目に当たる。
・花崎町
本座人形は八幡太郎源義家。
人形師は三代目、面六。
江戸型山車。昭和五一年の建造。工匠は成田市おなじ花崎町の池田正一。
・田町
本座人形は素盞鳴命。
平成一〇年の作、人形師は福田東久。
二層式屋臺。昭和五三年の建造。
三代目。
先代は江戸型山車だったが、神崎町明神会に譲渡された。
明神会は田町の囃子方を担当している。
・本町
本座人形は藤原秀郷。大正四年の作。
江戸型山車。明治三五年の建造。工匠は三代目村田政親が請負い。東京神田紺谷町の川口氏が建造したと伝わる。
・仲町
本座人形は神武天皇。人形師は初代山本福松。
江戸型山車。
明治三三年の建造。工匠は三代目村田政親。
・土屋
本座人形は鎮西八郎源為朝。
平成一三年の作、人形師は関口敬二。
二層式屋臺。昭和四九年の建造。工匠は成田市宗吾の森工務店。
・囲護台三和会_(囲護台、馬橋、新町)
本座人形は、嵯峨天皇。
人形師は福田東久。
二層式屋臺。昭和六一年の建造。工匠は成田市宗吾の森清。
・成田山交道会
本座人形は日本武尊。
人形師は川本喜八郎(辻村ジュサブロー)。
江戸型山車。
昭和六三年の建造。工匠は五代目宮惣、村田政親政親。
彫刻は富山県井波町の吉田信久。
先代は大正四年の建造。現在は成田観光館に展示されている。
・上町
単層屋臺。江戸時代後期に千葉県内の長洲町が建造した屋臺。工匠は千葉市院内町の宮大工と伝わる。
昭和三〇年代に回収され少し小型になった。
平成一四年に彫刻が付加された。
・東町
単層屋臺。昭和五三年の建造。工匠は花崎町の山車と同じ池田正一、池田政夫。
創建は昭和一〇年と伝わり、寺台に譲渡された。
(順不同)
□汎論

◆03748 宗吾御逮夜祭
□名称 鳴鐘山東勝寺宗吾霊堂
□所在地 千葉県成田市宗吾
□祭神
サクラソウゴ 佐倉宗吾
□祭は九月上旬。  
□山車
屋臺
・宗吾地区
□汎論
 宗吾御逮夜祭は、藩の過酷な課税を死をも省みず、わが身をなげうって危難を救ったサクラソウゴロウ(佐倉宗五郎)に感謝し威徳を偲び、その霊を慰める祭である。【御逮夜(おたいや)】とは死去当日の前夜のことをいう。

◆06692 二宮神社祭
□社名 二宮神社
□所在地 千葉県成田市松崎(まんざき)
□祭神
フツヌシノミコト 經津主命
□祭は七月下旬。  
□山車
山車
・松崎地区
□汎論
 二宮神社は下総成田の旧五ヶ村、松崎村、大竹村、宝田村、上福田村、下福田村の鎮守である。創祀は斉衡天皇期三年(八五六)と伝わる古社であるが、これを否定する異説がある。古くは二ノ宮埴生大明神とよばれていたといい、明治元年(一八六八)には、二ノ宮埴生神社と称しいわゆる。二位のお宮としての社格がある。現在の祭神はフツヌシノミコト(經津主命)であるが、もとはハニヤマヒメ(埴安比賣)を祀っていたことをうかがわせるが確証が無い。市内の郷部にはハニヤマヒメミコト(埴安比賣命)を祀る、三ノ宮埴生神社(さんのみやはぶじんじゃ)があり本殿は出雲系の大社造である。
 香取神宮と同じ祭神が祀られることにはそれなりの由緒があるのだろう。

◆06710 琴平神社祭
□社名 琴平神社
□所在地 千葉県成田市飯田町
□祭神
□祭は七月下旬。  
□山車
山車
・飯田地区
 素木造り、前後に二分割し後陣を本座とし、人形がのる競り上げ構造。前陣は平坦に近い唐破風屋根の藝座飯別若連(いいわかれん)の囃子方がここで山車囃子を演奏する。前面には飯田町と墨書きされた大きな白提燈が左右に下がる。四輪車で、前輪は自在に方向が変えられる構造になっている。水引幕、大幕、下幕などの幕はない。
 神行祭は一時中断されたが、昭和五八年の協議を経て復活、太鼓山車を曳くことから始まり、昭和五九年には下座連の乗りこむ本山車が曳かれ、さらに平成七年にいたって三代目となる現山車が完成した。
□汎論
□参考
次を参考にさせていただきました。
・飯若連ホームページ
 http://iiwaka.jimdo.com/photo/

◆06711 埴生神社祭
□社名 埴生神社
□所在地 千葉県成田市並木町
□祭神
□祭は七月下旬。  
□山車
山車
・並木地区
□汎論
 成田市内には埴生神社が数社ある。郷部の埴生神社から分祀されたと伝わり、二ノ宮、三ノ宮がつけられている。かつては一ノ宮、二ノ宮であったのが、大和朝廷に成立とともに本来出雲系氏族だった鹿島神、香取神が大和朝廷の成立に関与していることと相俟って、上総、下総、常陸に強い勢力を持つようになったことから神位が下がったと推定される。
 佐倉にある麻賀多神社も近隣に同じように分布している。成田に鎮座する埴生神社は、当地が元は埴生郡と呼ばれていたことは、当地に多い湖沼は沈殿層として珪酸、長石などの微細粒を含む土壌が堆積していて、土器から陶器にいたる焼き物に適した土地だったことをうかがわせ、大阪府藤井寺市道明寺の土師の里を想像させる。
 佐倉にある麻賀田神社は古代の麻の産地で、社紋も麻の葉の形状をしていて麻の生産に関わっていた氏族が祀る神社だったと推定される。埴生神社の祭神であるハニヤマヒメノミコト(埴山比賣命)は古代祭祀にさかのぼる古い神で、海神族(綿津美氏)から出雲氏に祭祀が移ってゆく段階で各地に祀られた祭神といえよう。同じ出雲系の群馬県の榛名山を御神体とする榛名神社の祭神にもなっていて出雲氏族とは密接な関係がある。
 当地も阿波國などからの渡来人らが到来する以前、古くは出雲系氏族の支配する弥生文化がひらけた地であったと考えられる。

◆06712 六所神社祭
□社名 六所神社
□所在地 千葉県成田市竜台
□祭神
□祭は七月上旬。  
□山車
山車
オタチ屋臺
・竜台地区
当地区の山車(屋臺)は、屋臺の上に御神輿を載せる珍しい形態となっていて、【オタチ】とよぶ。もとは屋臺と御神輿は別に出ていたようで、往古は激しいぶっつけが行われていたと伝わる。
□汎論
 山車囃子は多くが廃れ、現在はしゃぎりと葛西囃子に起源をもつ和歌囃子(馬鹿囃子)が演奏される。

◆06713 保目神社祭
□社名 保目神社(ほうめいじんじゃ)
□所在地 千葉県成田市寺台
□祭神
□祭は七月下旬。  
□山車
山車
屋臺
・寺台地区
□汎論
 寺台地区の屋臺はせいご型の屋臺だとある。近くには同じ形式の屋臺として、三和会、上町、三里塚が挙げられる。
 【せいご】とは地方的な呼称で、赤飯や、温泉饅頭などの蒸し物をつくる蒸籠(せいろう)を重ねてのせる四角く組んだ木枠のことを言うそうである。山車や屋臺の基臺の形状は地方によって多様であるが、山車は原則的に金属を遣わないため、大きな木を平行にならべ、これに桁端を枘(ほぞ)にして差し貫き、楔留(くさにとめ)する構造が一般的であるが、四角い枠状にした枠型もある。せいご形式は基臺を井桁状に組まれる。下総の屋臺では時たま見られる形式であるが、この様式は神奈川県三浦半島方面の山車にも共通する。かつて、上総は海から上陸する地であり、南から東が上で【上総】、北から西は下で【下総】であった。海路は【三浦半島の走水(現横須賀市走水)】が起点になっていた。
 源頼朝が石橋山の合戦に敗れて敗走した地が上総であるが、上総は当時すでに相模から多くの一族が渡っていた地であった。
 せいご型の山車が下総と相模に共通するのには、ながい歴史の中に息づいている民族意識が伏在しているように感じられる。

◆06714 日吉神社祭
□社名 日吉神社
□所在地 千葉県成田市押畑
□祭神
□祭は七月中旬。  
□山車
山車
・押畑地区
 素木造り、屋根の無い無蓋の山車。上臺は下臺をそのまま上に写したいわゆる総二階構造で広々としている。素木の勾欄で囲み、そのうちには、さらに勾欄をめぐらした本座とする。園児の水引幕を引き回し、下臺にも大幕がめぐらされる。成田市内の飯田町から譲り受けたと伝わる。下臺は藝座とし、柱一杯まで床がとられていてゆったりとしている。囃子方は佐原と同じように、両側面の勾欄に腰掛けてお囃子を演奏する。
□汎論
□参考
次を参考にさせていただきました。
・日吉神社祭礼 
 http://www.geocities.jp/dashimaturi/navi14.html

◆03715 麻賀多神社祭
□社名 麻賀多神社
□所在地 千葉県成田市台方
□祭神
ワクムスビノミコト 稚産霊命
境内社祭神
セオリツヒメノミコト
アメノヒツクノミコト
スガワラミチザネコウ
イブキトノミコト
ハヤアキツヒメノミコト
ハヤサスラノミコト
□祭は七月下旬  
□山車
山車
・台方地区
□汎論
 麻賀多神社は佐倉市鏑木町に鎮座する延喜式神名帳記載される式内社として知られる。祭神はワクムスビノミコト(稚産霊命)で、トヨウケヒメ(豊受比賣命)の父親とされる。母親は水神として各地に祀られるミズハノメノカミ(罔象女神)である。また、ワクムスビノミコトは、カグツチ(軻遇突智命)とハニヤマヒメ(埴山比賣)の間に生まれた子である。当地の二ノ宮神社、三ノ宮神社の祭神がハニヤマヒメノミコトとなっているのは、一連の古代氏族の係累をしめしているといえよう。
 佐倉市、成田市、富里町などの印旛沼の周辺一帯には二〇社近い麻賀多神社が鎮座する。

●12212 佐倉市
◆00164 佐倉合同秋祭
□社名 
麻賀多神社
 千葉県佐倉市内鏑木町
八幡神社
 千葉県佐倉市弥靱町
神明神社
 千葉県佐倉市本町
愛宕神社
 千葉県佐倉市田町
□所在地 
千葉県佐倉市
□祭神
□祭は一〇月中旬。  
□山車
□汎論
 佐倉市の祭は一〇月中旬に合同祭として齋行される。中心になるのは麻賀多神社で、山車と屋臺(御神酒所)が曳かれる。屋臺を【御神酒所】とよぶ。山車の歴史は江戸時代中期から末期にかけて建造されていて、古い歴史がある。
 仲町の山車は、江戸日本橋室町一丁目が文政九年(一八二六)に建造した山車で、明治一二年に譲り受けたと伝わり、本座には三國志の關羽(関羽)がのる。
 横町の山車も文政年間の建造と伝わり、本座人形は石橋(しゃっきょう)がのる。仲町とおなじ明治一二年に譲り受けたと伝わる。
 上町の山車は、明治一三年に日本橋の某所より譲り受けたと伝わる
。天保一二年(一八四一)の記銘がある。本座人形はヤマトタケルノミコト(日本武尊)。
 二番町の山車は文化八年(一八一一)の建造で、勾欄羽目板に墨書きがある。明治一二年に江戸日本橋が曳いていた山車を譲り受け御神酒所(屋臺)に改造された。本座人形は玉ノ井がのる。
 肴町の山車も明治十二年に江戸末期に江戸日本橋の魚河岸が曳いていたものを譲り受けたと伝わるが、異説があり、江戸牛込の肴町(現新宿区神楽坂五丁目)だとも言われる。山車から御神酒所に改修されている。人形は、江州(滋賀県)竹生島の龍神がのる。飛騨高山の上二ノ町にも、江戸の山車の影響を受けた竹生島の龍神がのるが、人形は龍神ではなく、下一ノ町の大八臺に改修前に載っていた【猩々】である。
 【佐倉新町おはやし館】は、佐倉市の祭の様子などが映像で紹介あされていて、地元の集会所としても利用されているが、ここにも江戸の祭で曳かれた大幕が保存されている。
 佐倉市の山車は、江戸の色彩を濃く残している。維新により江戸幕府が明治政府へと改まったときには、廃仏毀釈により、神社と寺院が分離されこのとき多くの文化遺産が失われたが、江戸の町で曳かれ、千代田城まで曳きいれて将軍の上覧に供した【天下祭】は、絢爛たる江戸文化の華ともいえる【山車】が曳かれたが、明治政府はこれを潔しとせず、江戸の町から次々と山車が姿を消していった。
 東京の周辺にはこの譲り渡された山車のいくつかが現在も曳かれている。仮に東京に残っていて曳かれ続けていたとしても、大正時代の大震災、次いでおきた東京大空襲と、天災、人災により失われてやはり現在に残ることはなかったであろう。
 佐倉の山車を見せていただいていると、山車に伝わる宿命といおうかその歴史、運命には複雑な思いが去来する。いつまでも健在な姿を保って欲しいものである。
 各神社ごとの記述はいずれ稿をあらためる。
◆麻賀田神社例祭

◆佐倉市 佐倉新町おはやし館
 かって江戸で曳かれた山車の大幕を保存する。波しぶきのおおきな玉はおそらく銀製である。

◆国立歴史民俗博物館

●12213 東金市
◆岩崎の東金祭

●12214 八日市場市

●12215 旭市
◆02562 八雲神社祭
□社名 八雲神社
□所在地 旭市新町
□祭は七月下旬。
屋臺を曳いたが休止中。
□汎論

◆千葉県旭市
太田八坂神社
□祭は七月下旬
つく舞が行われる。
□汎論
 長崎県と佐賀県。茨城県と千葉県には「つく舞」が行われる。八坂神社の「つく舞」は「エンヤーホー」の別名がある。別名は掛け声にちなむといわれもとは「陰陽法(いんようほう)」だったといわれるが真偽不明である。祭礼日には、夜間、午後八時すぎから午後一〇時ごろにかけて八坂神社において行われる神事で、赤獅子の面を付けた昇り獅子と称する舞の演じ手が、舞臺のわきに立てられた高い柱にのぼり、さまざまな軽業藝と無言劇を披露する。

●12216 習志野市

●12217 柏市

●12218 勝浦市
◆00903 勝浦合同秋祭
□社名 
遠見岬神社
 勝浦市勝浦地区
出水神明神社
 勝浦市出水
熊野、貴船神社
 勝浦市墨名(とな)地区
澤倉八幡神社
 勝浦市澤倉地区
新官八坂神社
 勝浦市新官地区
串浜春日神社
 勝浦市串浜地区
松部武内神社
 勝浦市松部地区
ほか。
□所在地 千葉県市
□祭神
□祭は九月中旬。  
□山車
□汎論
【日本三大朝市】というのがあり、房総の勝浦、能登の輪島、飛騨高山の三箇所をいうのだそうである。
勝浦合同秋祭の取材にあたって勝浦市の君塚氏にはいろいろご教示にあずかった。誌して謝意を表する。

●12219 市原市
◆00904 飯香岡八幡宮大祭
□社名 飯香岡八幡宮
□所在地 千葉県市原市八幡
飯香岡八幡宮(いいがおかはちまんぐう)
□祭
□汎論
創祀は社記によれば白鳳四年(六五七)。一国一社の国府八幡宮。
飯香岡八幡宮の名称は、日本武尊の東征時、六所御影神社で休息されたおり、社人が食事を捧げたが、その飯の香がよいと嘉みされたことから名づけられたといい、六所御影神社は、飯香岡八幡宮として鎮座前の神社だという。

◆00480 五井大宮神社秋季大祭
□社名 大宮神社
□所在地 千葉県市原市五井
□祭神
國常立命
クニトコタチノミコト 國常立命
アマテラススメオオカミ 天照皇大神
オオナムチノミコト 大己貴命
□祭は  
□山車
舞臺屋臺
・上宿
・下宿
・新田
(順不同)
□汎論
 大宮神社の創祀は、社記によると景行天皇期、ヤマトタケル(日本武尊)の東征時だと伝わる。また、治承四年(一一八〇)には、源頼朝が参詣した記録があり、北条氏は戦勝祈願の太刀一振を奉納したとある。近隣二十八村の総鎮守で、ひろく尊崇をあつめる。
 山車の一形態である屋臺もさまざまなかたちがあるが、千葉県でも地域により呼称が変わり、屋臺、藝屋臺、担屋臺、笹萬燈、踊屋臺などとよばれる。当社の祭に曳かれる屋臺は【踊屋臺】である。


◆02554 五井稲荷神社祭
□社名 稲荷神社
□所在地 千葉県市原市五井
□祭神
ウカノミタマノミコト 倉稲魂命
□祭  
□山車
屋臺
・岩崎
・玉崎
・川岸
(順不同)
□汎論
 五井稲荷神社の創祀は、社記によると享保十三年(一七二八)、有馬家の代官であった粟原市之右衛門が湊新田(現、川岸)に勧請したと伝わる。幸稲荷、冨貴稲荷と呼ばれて親しまれる。

◆06056 飯沼春日神社祭
□社名 春日神社
□所在地 千葉県市原市飯沼
□祭神
□祭は一〇月中旬  
□山車
御仮屋(屋臺)
・飯沼地区
□汎論
 飯沼春日神社祭に曳かれる山車(屋臺)はお囃子と所作藝がおこなわれるが、地元では、屋臺(やたい)とよばず、【御假屋(おかりや)】とよび、御神幸の際には、神さまがおのりになるのだという。
 一般に式年例祭の御神幸は、神は、おおむね地域を巡行され一定の場所にある【御旅處・おたびしょ】において假泊される。この宿所を【お仮や】とよぶ例は多い。 
 このごろでは御神幸は、神が御神輿におのりになって巡行され、山車はお祓いを受けたり、御神札をいただいて、祭礼の行列に随行するようになってきているところが多い。当飯沼春日神社祭は山車に神がおのりになって巡行され、山車(屋臺)を御假屋とよぶ古いしきたりが今に伝わる貴重な例で、これが本来の山車のかたちである。

◆06090 廿五里宇佐八幡神社祭
□社名 宇佐八幡神社
□所在地 千葉県市原市廿五里(ついへいじ)
□祭神
□祭は十一月上旬。  
□山車
御假屋(屋臺)
・廿五里地区
単層、素木、唐破風屋根、六本柱の屋臺。屋根は油障子とする。祭礼のときは神がおのりになって曳かれる。屋臺は御假屋(おかりや)とよばれる。
□汎論
 【廿五里】は難読地名。【ついへいじ】とよばれる。二十五里とおなじ。古くは「露乾地(つゆひぢ)」また、「津井比地(ついひぢ)」ともよばれていたと伝わり、源頼朝がこの地の東泉寺に使者を送って毎月読経と焼香を行ったという故事にちなんでいて、鎌倉と当地までが二十五だったこと、東泉寺には【ついへいじ】の通名があったことによるといわれるが疑問。「ついへいじ」の由来は不明である。

◆06091 牛久八坂神社祭
□社名 八坂神社
□所在地 千葉県市原市牛久
□祭神
□祭は七月下旬。  
□山車
屋臺
・上宿
・仲宿
・下宿
(順不同)
□汎論
 牛久八坂神社祭に曳かれる山車は千葉県の山車の内でもいずれも一回り大きく、内陣藝座のまえには大太鼓、小太鼓三、さらにその脇には笛方が両側に立てる余裕がある。演奏方法も身振りが大きく、当地独特の【牛久囃子】が実に威勢よく演奏される。

◆06092 飯香岡八幡神社祭
□社名 飯香岡八幡神社
□所在地 千葉県市原市八幡
□祭神
ホムダワケノミコト 誉田別尊
オキナガタラシヒメノミコト 息長帯姫尊(神功皇后)
タマヨリヒメノミコト 玉依姫尊
ほか七柱神
□祭は一〇月。  
□山車
屋臺
・八幡
・観音町
・本町
・南町
・五所
(順不同)
□汎論
 飯ヶ岡八幡神社の創祀は白鳳年間(六七五)と伝わるたいへん古い歴史がある。市原市は、奈良町時代、聖武天皇の発願で東大寺を中心として全国に建てられた、上総國分寺、國分尼寺の所在地である同じ、千葉県の下総の國分寺は市川市にある。全国の国分寺がおかれた地はおおむね、國衙、國造がおかれた往古の繁栄地と考えられる例外もある。市原市の上総國分尼寺はその規模の大きいことで日本有数とされる。

●12220 流山市

●12221 八千代市

●12222 我孫子市
◆03222 竹内神社例大祭
千葉県我孫子市布佐地区
竹内神社
アメノカグツチノミコト 天之迦倶土命
相殿
ヤマトタケルノミコト 日本武尊
タケノウチノスクネ 竹内宿禰
□祭は九月
山車五臺を曳く
□汎論
竹内神社は、天慶三年(九四〇)、神功皇后にしたがって九州、三韓に従った武内大明神(武内宿禰)を勧請して創祀した伝わる古社であるが、延喜式に記載がない式外社である。白蛇が出現した伝説がある。
 山車の共通仕様は幅、奥行きともにゆったりとられたやや大型で、唐破風屋根、単層の四輪車、最前面は藝座としてとられ所作を伴う達者な藝が見られる。その後ろが囃子座脇障子で仕切られた奥が本座となっている。柱は素木の円柱である(一部例外がある)。
 天慶年間初期は、平家物語にもあるように、純友の乱、平将門の乱があったが、当社の創祀はそれらの乱のあとということになる。

●12223鴨川市
◆00751 鴨川合同祭
□社名 
日枝神社
諏訪神社
八雲神社
熊野神社
八幡神社
厳島神社
□所在地 千葉県鴨川市
□祭神
□祭は九月上旬。  
□山車
日枝神社
・山王講
山車
本座人形は恵比須神。
江戸時代末期、嘉永年間の作と伝わる。
明治四二年に神田神社の山車を譲り受け回収して三輪となった。
諏訪神社
・諏訪講
山車
本座人形は神功皇后。
明治四三年に山王祭で曳かれていた山車を譲り受けた。
八雲神社
・横渚講
山車
本座人形は神武天皇。
四輪車
・祇園講
囃子屋臺。
・白幡講
囃子屋臺。
熊野神社
・熊野講
囃子屋臺。
八幡神社
・貝渚区
囃子屋臺。
厳島神社
・大浦地区
担屋臺。
天保四年(一八三三)には担がれていたと伝わる古い歴史がある。
(順不同)
□汎論
 鴨川合同祭には七社の合同祭として行われ、内六社から四輪山車、外輪式三輪山車、囃子屋臺、担屋臺などの多様な山車が曳かれる。 

◆01696 吉尾九地区合同祭
□社名 
吉保八幡神社
子安神社
神明神社
八雲神社
八幡神社
春日神社
□所在地 千葉県鴨川市(旧吉尾村)
□祭神
□祭は九月下旬。
□山車
屋臺
吉保八幡神社
・仲区
人形屋臺。
子安神社
・宮山地区
人形屋臺。
神明神社
八雲神社
・大川面地区
人形屋臺
牛頭天王祭に屋臺が不定期に曳かれる。
彫刻は初代後藤義光。
八幡神社
・松尾寺地区
人形屋臺。
春日神社
・北風原(ならいはら)地区
人形屋臺。
次の地区は曳行休止中。
・横尾地区
・細野地区
・大幡地区
・八丁地区
・寺門地区
(順不同)
□汎論


◆03662 津嶋神社祭
□社名 津嶋神社
□所在地 千葉県鴨川市太海浜
□祭神
□祭は七月下旬。  
□山車
御船
・津嶋丸 太海浜
・太海岡
休止
(順不同)
□汎論
 津嶋神社は、仁右衛門島と向き合う太海浜の小山の上に祀られ、龍宮さまがある。同じ地域に香指神社、白旗神社があり、香指神社の祭には【波太御神輿】が担がれ、【波多屋臺】が曳かれる。
 津島神社総社は尾張國(愛知県)津島(現津島市)にあり、スサノオノミコトを祭神とし【天王祭】が行われる。祭には【樂車】がでるが、これを、【だんじり】とよんでいる、伊賀上野の天神祭に曳かれる山車も、【楼車・だんじり】とよぶ。関西から四国地方に曳かれる山車は【地車・だんじり】とよばれるものが多いが、この呼称は関西方面よりも、尾張津島のほうが古く、尾張から和泉方面へと波及したものだろうと推定している。名古屋市の西部には海部郡がある。
 大阪府の寝屋川市を通る国道一号線の仁和寺(にわじ)交差点から、東南に入ったところに、延喜式神名帳に記載される津島部神社(對馬部神社・つしまえじんじゃ)がある。全国には津島神社が多く祀られるが、祭神はスサノオノミコト(素盞鳴命)で、祭は祗園祭とおなじである。讃岐國(香川県)香川県三豊市には津嶋神社がある。
 カモ氏は海神族(綿津美氏)に包括される氏族として北九州に根拠を占め、伊豫國(愛媛県)に大山祗神社、伊豆國に三島大社、大和國(奈良県)に鴨都波神社(かもつばじんじゃ)がある。
 豊前國、豊後國(大分県)は、古代には新羅から渡来した秦氏の支配地だったと推定される。宗像大社、宇佐神宮があるが、宗像氏は海神族(綿津美氏)からでており、宇佐も宗像と近縁であった。
 海神族(綿津美氏)と秦氏は同族で、山城國(京都府)では、争いなく、カモ氏の上賀茂神社、下鴨神社。秦氏の松尾神社、伏見大社が成立しており、この共存の関係は、たとえば信濃國(長野県)では、安曇、波田となっていまに続いている。
 迂遠な引用になったが、長崎県対馬(對馬)から、鴨川市には、カモ氏、秦氏、龍宮伝説が一本の線でつながる関係にあるといえよう。

◆01945 広場須賀神社祭
□社名 須賀神社
□所在地 千葉県鴨川市広場 
□祭神
スサノオノミコト 須佐之男命
ミズハノメノカミ 罔象女神
ミナモトノヨシイエ 源義家
□祭は七月下旬  
□山車
屋臺
・広場地区
□汎論
 広場須賀神社の創祀は不明。社記によれば、天正時代(一五七三ー一五九三)ころ、京都より分祀を受けたとある。鴨川市広場地区の鎮守で、明治一四年におなじ地区に祀られていた水神社(祭神・ミズハノメノカミ)と、白幡神社(祭神・ミナモトノヨシイエ)が合祀された。
 社殿には鴨川市墨村(現千葉県鴨川市打墨)出身の名工、波の伊八こと、【武志伊八郎信由】作の、軒下の雲に麒麟、向拝の龍、向拝柱の獅子と獏など秀作が見られる。
□参考
次を参考にさせていただきました。
・伊八めぐり・須賀神社(鴨川市広場)
 http://blog.goo.ne.jp/yoshi883t/e/a9aff0dd44be1b45c137c06c5e92fd02

◆01946 香指神社祭
□社名 香指神社
□所在地 千葉県鴨川市太海
□祭神
オトタチバナヒメノミコト 弟橘姫命
□祭は七月下旬。  
□山車
屋臺
・太海地区
□汎論
 香指神社は、太海地区の海に面して立つ神社、鳥居をくぐると急勾配の石段がある。拝殿が建ち、社殿の前には立派な狛犬が一対ある、安房の三名工と讃えられる武田石翁の作と伝わる。本殿は後ろの巌を削って祀られる。
 拝殿には【香指神社】の社号の右に小さく【八雲神社】とある。主祭神をオトタチバナヒメ(弟橘比賣)としながれも、スサノオノミコトを祀り、疫病の蔓延した江戸時代には祗園祭が行われてきたことをうかがわせる。
 オトタチバナヒメの伝承は記紀(『古事記』、『日本書紀』)の創作といってしまえばそれまでだが、悲運の比賣がひとりさびしく祀られているのは哀れを誘い感傷的になる。
 境内に古い【宝筺印塔】がある。相輪部分を欠き、この部分に五輪塔五石の【キャ・空、カ・風、ラ・火、バ・水、ア・土】中の風石がのせられている。四隅の馬耳が立つ古形で、江戸時代前期ころの作になろうか。古い石祠があるがいずれとも分かちがたい。

◆01940 高蔵神社祭
□社名 高蔵神社
□所在地 千葉県鴨川市平塚
□祭神
ヤマトタケルノミコト 日本武尊
□祭は八月上旬。  
□山車
人形屋臺
・平塚地区
・金束地区
・古畑地区
・奈良林地区
・佐野地区
・釜沼地区
(順不同)
□汎論
 高蔵神社の創祀は不明。由緒は古く、奈良東大寺大仏殿建立の勧進で、各地を巡業した良弁上人(ろうべんしょうにん)によるといわれる大山寺があり不動明王を祀る。参道にも智拳印をむすぶ金剛界の大日如来立像、不動明王の石像が見られる。不動明王は大日如来の姿を変えたお姿とされる。神奈川県の大山寺、成田山の新勝寺とともに関東三大不動として崇敬され参詣される。
 おなじ鴨川市太海の香指神社にも見られる宝筺印塔とほぼ同じ形の石塔があり、こちらは完全な形で残っている。寺院を建立するとき、事前に宝筺印塔が立てられる例はしばしば見受けられるが、この石塔もそれに該当するかもしれない。保存が望まれる。
 当社の祭神はオオヤマツミノカミ(大山祗神)だったとの伝承がある。古くは山上祭祀の行われた神南備山、高蔵神社は里宮といえるかもしれない。

◆01949 竹平愛宕神社祭
□社名 愛宕神社
□所在地 千葉県鴨川市竹平
□祭神
□祭は九月下旬。  
□山車
囃子屋臺
・竹平
彫刻は、四代目武志伊八信明(文久二年ー明治四一年)、高石信明。
初代武志伊八郎信由の出身地である打墨はすぐ東部にある。
□汎論
 初代武志伊八郎信由は、打墨の出身地で、江戸の嶋村三代目である
嶋村俊實に師事した。嶋村俊表は嶋村家八代目に当たるが、勝浦市の屋臺の脇障子に彫刻を残している。嶋村家は、斐太ノ工(飛騨の匠)の中川吉兵衛に師事したいきさつがあり、武志家も斐太ノ工の系譜を引いている。後藤義光は、左甚五郎を尊敬し、自ら【左氏】を名乗っているのも興味深い。

◆01951 川代地区合同祭
□社名 
須賀神社
熊野神社
□所在地 千葉県鴨川市川代(かわしろ)
□祭神
□祭は九月下旬。  
□山車
囃子屋臺
・川代地区
□汎論
 川代のすぐ東には御嶽神社がある。例祭には、もと三重県の伊勢地方に伝わる【~樂】といわれ、三河國(愛知県)のひとによって齎されたと伝わる【川代神楽】が奉納される。

◆01954 主基加茂神社祭
□社名 加茂神社
□所在地 千葉県鴨川市成川
□祭神
□祭は一〇月上旬。  
□山車
山車、屋臺。
山車
・南小町地区
屋臺
・成川地区
・広田地区
(順不同)
□汎論
 主基加茂神社(すきかもじんじゃ)ともよばれる。長狭古街道に面した地で、現在は成川になっているが、主基の名称は今も各方面で用いられている。
 主基とは、天皇即位のあと初めて行われる天皇一代に一度だけ行われる大祀、つまり、収穫祭・大嘗祭(おおなめのまつり、だいじょうさい、おおむべのまつり)のときに、 悠紀と主基にあたる国から齋田が選定されて、稲が奉供された。
 古来、悠紀は近江國(滋賀県)、主基は丹波國(京都府・兵庫県)、備中國(岡山県)とおおむねきまっていたが、明治天皇即位のときは、主基が安房國(千葉県)が選ばれた。当地はその主基にあてられた地だったのであろう。
 この所縁はカモ氏の【カモノクニ】だったことと故なしとしない。

◆01955 東条須賀神社祭
□社名 東条須賀神社
□所在地 千葉県鴨川市東条
□祭神
□祭は七月上旬。  
□山車
囃子屋臺
・待崎
単層素木、中柱がやや後方に寄る六本柱、屋根は神明造、四輪の屋臺。柱と勾欄は紅白の布が巻かれる。勾欄伊は華やかな七色の色彩の造花が取り付けられる。正面は榊、交差させた日章旗が屋根まで届く二本、青色の水引幕で覆われる。下臺は正面のみで、右三ツ巴の臺紋が入る。袢纏もおなじ紋が染め出しになっている。
□汎論
 東条地区および近隣には、須賀神社のほかにも八坂神社、八幡神社、御嶽神社などがある。御嶽神社は市内に二社があるようだが、沖縄の御嶽(うたき)の祭祀が遠く及んでいることを窺わせる。
 正月行事に【カアマンズズ】とよぶ民俗行事がおこなわれる。カアマンの語義が不明だが【庚申・こうしん】の【庚申待ち】が訛ったものかもしれない。六〇日目ごとの庚(かのえ)申(さる)の日には、三尸虫(さんしちゅう)が、五体を抜け出して、依主の所業をすべて天の閻魔王に報告するといって懼れ、この夜は夫婦も交わりを絶って徹夜で過ごす、一体となる集落などでは一同が会して円座を組み「オコウシンサマ、庚申さま……」と唱え、ときに長さが五間以上(九メートル)以上もあるおおきな数珠をまわし、結び目の親珠(母珠)がくるとこれに頭をすりつけて拝礼して次にまわす。かつては、集落のいりくちには【賽ノ~・さいのかみ】ともよばれる道祖神、出口には青面金剛童子を祀る【庚申】を祀る例が各地に見られるが、一組として祀られることが多い。
 青面金剛童子の石像や図には上に日月、下部に【見ざる、言わざる、聞かざるの三猿】鶏などを顕したものが多く、童子は三面、ときに単面、八臂、ときに六臂で右下の腕には赤ん坊をぶらさげる。赤ん坊でないときはその髪の毛をさげる。ときにこれを羂索と書かれるものを見かけるが、これは誤りである。
 当東条地区には二月の下旬に、【綱つり】とよぶ習俗があり、片草鞋(片方のみのわらじ)、桟俵(さんだらぽっち)、それに、ツットコとよばれる牛蒡注連様(ごぼうじめよう)の三つを組みあわせた魔除が配される。
□参考
次を参考にさせていただきました。
 ・須賀神社
 http://www8.plala.or.jp/tojo/sugajinja.htm

◆01956 滝口神社祭
□社名 滝口神社
□所在地 千葉県鴨川市西条
□祭神
□祭は一〇月中旬。  
□山車
山車
・西条地区
本座人形はジングウコウゴウ(神功皇后)
右手に翳、左手に弓を執る。埼玉県熊谷市の長野屋、雛匠五代目、綱季の作。【熊谷のうちわ祭】で曳かれる銀座の山車には、長野屋作の熊谷次郎直實の人形が載る。
平成五年の建造、工匠は市内八色の杉田敏明。
内陣の屋根は素木彫りの獅子、牡丹、三爪の龍などの彫刻を施したおおきな鬼板がつけられる。軒下には丸提燈が下がる。前内陣を房総に見られる屋臺様式を引く造りとし、ここを藝座にあて、正面に向かって囃子方が座る。その前には打墨區の御用提燈がならぶ。前面の見付柱は、全面が彫刻で埋め尽くされる。
後陣は江戸方山車に見られる競り上式の方形で幕で覆われる。本座(人形座)は素木の勾欄で、前面は、四隅に雪洞(ぼんぼり)がつく。その下はふくらみをもたせたいわゆる三味線胴で、この部分にも素木彫の彫刻がある。上総と、江戸の折衷型とも言える形態の山車である。
□汎論
□参考
次を参考にさせていただきました。 
・房総の祭 南総編
 http://festa.fc2web.com/nanso01.htm

◆01957 曽呂東宮神社
□社名 東宮神社(ひがしみやじんじゃ)
□所在地 千葉県鴨川市鴨川市宮
□祭神
□祭は一〇月上旬。  
□山車
屋臺
・同志会
単層、素木造の囃子屋臺。軒下は臙脂色を帯びた水引幕がかかる。柱は紅白の布を巻き、囃子座の下幕は紅白。藝座は内陣勾欄の内側にあるが、前面は勾欄外に差出部を作り、ここに子供らが乗って演奏するのが可愛らしい。屋臺囃子は当地自慢の平群囃子(へぐりばやし)系。赤、白、黄、桃、青の造花が屋根周りをはなやかに装う。
・上組
単層、唐破風屋根、唐破風、素木造の屋臺、鬼板の前面部分に交差させた日章旗がつく。鬼板と懸魚は一組となった浮彫彫刻がある。六本柱は円柱で、素木造りの屋臺。前柱は左、昇龍(向かって右)・右が降龍彫刻(向かって左)が柱を埋め尽くす。他の四本柱は円柱で彫刻は無い。前部柱の内側には「家内安全」、「五穀豊穣」と書かれた白行燈がつき、開口部はやや狭くなるが、この囲まれた内陣が囃子座となっている。
欄間には緻密な透かし彫があり、軒四隅は瀟洒な尾垂木となっている。軒下にはやや長い白提燈が一列に下げられ、左右に脇障子が立てられて内陣前後が区切られ、その外部は勾欄であるが隅は跳ねず留勾欄で、全面も開口されていない。全体に均整と調和のとれたみごとな熟練の技が冴える木組みが施され、藝座下は四手先までを組む木組となっている。下幕が無いのはこの自慢の木組みがあるからかもしれない。

◆01947 細谷八坂神社祭
□社名 細谷八坂神社
□所在地 千葉県鴨川市広場細谷
□祭神
スサノオノミコト 素盞鳴命
□祭は一〇月中旬。  
□山車
屋臺
・八坂地区
□汎論
 細谷八坂神社の創祀は、社記によると天慶から天暦(九三八−九五七)と伝わり、もとは集落内の私邸に祀らえる屋敷神だったらしい。のちにそれが集落全体の氏神となったのは、病魔の蔓延を牛頭天王にお願いして調伏していただくという、ほぼ全国に及んでいた牛頭天王と祗園祭に結びつく八坂神社の信仰に起源をもつようである。
 当社の祭神も京都の八坂神社より御分祀を受けたと伝わる。
 社殿の向拝彫刻は刻銘に【彫工 当国打墨住 三代目 武志伊八郎信秘作】とあり、嘉永二年(一八四八)に、名工の系譜を継ぐ武志伊八郎信美(当時三三歳)により彫刻されている。信美は、「しんび」とよみ「信秘・しんび」も用いている。

◆01958 東町八幡神社祭
□社名 八幡神社
□所在地 千葉県鴨川市東町
□祭神
ホムダワケノミコト 誉田別命
□祭は九月上旬。
□山車
囃子屋臺
・東町地区
□汎論
 八幡神社の創祀は不明、平安末期から鎌倉時代に至る、院政期時代に山城國(京都府)の岩清水八幡宮から分祀を受けて祭られたとの伝承がある古い神社。明治四二年に地区内の諏訪神社と天満神社が合祀されたとあるが、諏訪神・タケミナカタノミコト、天神・スガワラミチザネコウの祭神名は挙げられていない。

◆01959 西町モウケ神社祭
□社名 □神社(□.、文字なし) 
□所在地 千葉県鴨川市西町
□祭神
アメノオオヒルメムチノミコト 天大日□貴命(□、文字なし)
アメノヒワシノミコト 天日鷲命
□祭は  
□山車
屋臺
・西町地区
(順不同)
□汎論
 □神社(□.、文字なし)の、□は、「まだれに寺」と書く、表現を改めると「痔のニスイ偏を省いた文字」というこおとになる。西町のモウケ神社は、源頼朝が、伊勢神宮に寄進した荘園だったと伝わり、境内にも【東条御厨】と呼ばれた説明札が立てられている。
 鳥取市鹿野町河内 に、【茂宇気神社】がありこちらも「もうけじんじゃ」とよばれ、近年これが商いの「儲け」につながるとして、縁起がいいので参詣者が増加しているといわれる。また、鳥取県日野町金持には【金持神社】があり、いっしょに参詣すると宝くじが当たったり、利益が得られ? お礼に参るという方もあるらしい。もとは妙見様を祀る神社で、元禄期に現在の茂宇気神社の社号に改称されたとある。
 語源の考証になるが、長崎県南高来郡に有家町があった。現在は南島原市になっている。【ウケ】は、トヨウケヒメノミコト(豐受比賣命)、ウケモチノカミ(保食神、ときに稲荷神のウカノミタマノカミ)などのウケと同義ではないだろうか。モウケ神社の祭神がオオヒルメムチであることから、のちにアマテラスオオミカミと同じとみなされるようになっている。
  モウケ神社に共通するのは【ヒ】で、【日神】、【中臣氏】、【阿波忌部】、安房とつながる。
 □神社(□は、まだれに寺)の□には、「かみだち、かんだち」の訓みがあり、「神立」とも書かれ、祭祀にかかわるひとなどが潔斎するときに籠る「齋館」のことだともいう。
 難しいことはさておいて、地元でお聞きした話によると、西町モウケ神社にお参りして、賽銭を寄進するとその額に応じて賽得があるそうで、多ければ多いほうがより福運があたえられるのだそうである。
 大阪堀江の惠比壽神社は、西宮神社のえべっさん、なんばの夷神社と同じように参詣人が多いが、初詣に来た人が投じた宝くじから一億円の当たりが出たとかで話題になったことがある。関東方面で宝くじをお買いになる方は「西町モウケ神社」にお参りしたあとのほうがいいかもしれない(笑)

◆01941 男金神社祭
□社名 男金神社
□所在地 千葉県鴨川市和泉
□祭神
アメノミナカヌシノミコト 天御中主神
□祭は  
□山車
囃子屋臺
・和泉地区
□汎論
 男金神社はアメノミナカヌシノミコト(天御中主神)を祭神とする古い神社である。アメノミナカヌシノミコトは宇宙の根源神とされ、日本の神々の中でも最も高位にある神で、眷属神をともない、アマテルカミ、オオヒルメムチなどの名がある太陽神は次位にある。日氏、綿津美氏(海部氏)から、スサノオノミコト、オオナムチノミコト、オオモノヌシへと出雲系の勢力の拡大期にあったいわゆる弥生時代の祭祀では杵築を中心にした祭祀が確立していたはずであるが、皇室祭祀の擡頭にしたがい次第に姿を消していった古い神である。
 房総にはその古いアメノミナカヌシノミコトを祀る神社が何社かあって痕跡をとどめるが、当社もその一社といえよう。ほかにも、妙見信仰の対象となっている神社があるが、妙見菩薩ともに、アメノミナカヌシノカミ(天御中主神)が置き換えられたと考えられる。
 男金神社を「おかねじんじゃ」とよび、西町の「もうけ神社」と組み合わせて【おかね・もうけ】に利益があるとしてお参りする信仰があるらしい。

  お伊勢参らば 朝熊をかけよ 朝熊かけねば 片参り

 といわれる。伊勢神宮と朝熊山(あさまやま)の金剛證寺は、いっしょにお参りするべしといわれ、もしお伊勢さんだけに参っても、それは【片詣り】だといわれる。
 このように一組にしてお参りする例は、信州長野の善光寺と上田市別所温泉にある北向観音があり、ここは戦前当時の女性らが紅涙を絞った【愛染かつら】でも知られる。
 讃岐の金刀比羅宮(金比羅さん)と倉敷市児島の蓮台寺もいっしょに参ることで知られ、鷲羽山と讃岐は見合いになっていて宇野・高松をむすぶ宇高連絡船便がある。
 鳥取県の日野町金持の「金持神社」と鳥取市の【もうけ神社】もいっしょにお参りされる方が多いと聞く。
 当、「男金神社ともうけ神社」は特に女性にご利益があるらしい?
ちゃんと両参りすべきかもしれない(笑)

◆01942 打墨神社祭
□社名 打墨神社
□所在地 千葉県鴨川市打墨(うっつみ)
□祭神
□祭  
□山車
囃子屋臺
・打墨地区
□汎論
 打墨神社は、鴨川富士、あるいは鹿野岡山の名もあるという【長狭富士】標高二〇八・七メートルの南麓に鎮座する。長狭富士は東西に長い山であるが、鴨川方面からは二等辺三角形を呈し、山には浅間神社跡地、山頂には一心講中と書かれた石碑、万延元庚申五月吉日、世話人村中の銘がある石祠などがある。もしかしたら神南備山で、打墨神社は里宮かもしれない。
 安房の名工、武志伊八郎信由は、通称を【波の伊八】とよばれ、波の彫刻に非凡な腕前を発揮したことで知られる。安房国長狭郡下打墨村(現、千葉県鴨川市打墨)の出身で、江戸の嶋村に師事した。五代目伊八、高石伊八朗信月まで続き、多くの彫刻が神社、寺院、また山車に伝わる。

◆01943 八雲神社祭
□社名 八雲神社
□所在地 千葉県鴨川市上区
□祭神
スサノオノミコト 須佐之男命(素盞鳴命、牛頭天王)。
□祭は一〇月上旬。  
□山車
囃子屋臺
・代野地区
□汎論
 八雲神社は鴨川市上(旧上野村)。鋸南町と鴨川市を結ぶ長狭古道に面して鎮座する。鴨川市内には、漁業の中心地である大浦地区にも八雲神社が祀られる。当、八雲神社の創祀は、社記によると享禄年間(一五三一)に武蔵國から勧請したとあるが詳細は不明。享保三年(一七一八)に本殿の再建が行われ、以後なんどか社殿が改築されている。

◆01960 奥野神社祭
□社名 奥野神社
□所在地 千葉県鴨川市仲
□祭神
□祭は  
□山車
囃子屋臺
・仲地区
昭和四年に曽呂上が曳いていた屋臺を譲り受けたと伝わる。
□汎論
 奥野神社の詳細は不明。同じ名称の神社が市内南小町にもう一社ある。
 
◆01961 石尊神社祭
□社名 石尊神社
□所在地 千葉県鴨川市二子(ふたご)
□祭神
□祭は一〇月上旬。  
□山車
囃子屋臺
・二子地区
□汎論
 石尊神社は、二子地区の西北にある高鶴山、標高三二六メートルの東南麓に鎮座する。創祀など詳細は不明。高鶴山の山頂には、古代祭祀につづく、出羽三山の、月山、羽黒山、湯殿山の石碑、石尊神社の石祠ほかがあり、複合祭祀の山になっているが、山頂の石尊神社と麓の石尊神社を併考すれば、高鶴山を御神体山、麓の石尊神社は里宮に当たるだろう。
 石尊神社の名称は、岩倉、岩峅、巌坐、などと書かれる【神降り、坐す】、神籠る【神籠石】だとされる。その祭祀は古代にさかのぼり、神社制度で体系づくられられた範疇を越えているかもしれない。
 神奈川県伊勢原市大山にある、大山阿夫利神社(おおやまあふりじんじゃ)は雨降山(あふりやま)とその麓に祀られる古社で、【阿夫利】とは、雨降(あふり、あめふり)のことであり、古来雨乞いの神として石尊を祀った農耕神であろう。ちなみに、大山阿夫利神社は戦後も長く孤高の古代信仰をつづけて神社庁に属さなかったが、近年になって従属している。
 祭神は三島神のオオヤマツミノカミ(大山祗神)、貴布禰神のタカオカミノカミ(高□神、□は文字なし)、オオイカツチノカミ(大雷神)が祀られるが、これは明治以降のことであり、もとは石尊大権現の称号がある。
 大山阿夫利神社は、鳥取県の大山に関連がある。
 各地に石尊神社があるが、たとえば、山梨県北杜市白州町鳥原地区の瀬既存神社も雨乞いの神を祀り、祭神はオオヤマツミノカミ(大山祗神)、ヤマトタケルノミコト(日本武尊)となっている。

◆06688 熊野神社祭
□社名 熊野神社
□所在地 千葉県鴨川市畑
□祭神
クマノオオカミ 熊野大神
□祭は三月上旬。  
□山車
囃子屋臺
・畑地区
□汎論
 熊野神社は鴨川市の西部に鎮座する。そのさらに西は和田町と境界を接している。仮説になるが、古代の肥前國、筑紫國にあたる北九州に一大勢力を持った海神氏(海神族・綿津美氏)の一族、あるいは支族にカモ氏がある。カモ氏は九州においては豊前國、豊後國に覇権を広げたハタ氏とは同盟関係があったと推定される。海神氏はいわゆる倭氏で、【倭の盟主】だったと考えられ、日本の東北へと次第に勢力を延ばしたが、その版圖にはいつもハタ氏が行をともしており、ワダ氏が随行している。海神族(綿津美氏)、和田氏、阿波忌部、紀伊忌部、平群氏、タコ、タゴ氏(多古氏、多胡氏)、我孫子氏らはいずれも公をともにした古代氏族と考えられる。このことは前に触れている。
 熊野神社は南紀(和歌山県)に根拠を占めるが、おそらく島根県が先で、旧地であろう。南紀にあるスサミ(周参見)はスサノオノミコトのスサと同じと考えられる。
 古代の分権勢力は、稲作の伝播とともに、東へさらに北上しつつ統一されていったと考えられる。戻るが、カモ氏の山城國(京都市)の上賀茂神社、下鴨神社と、ハタ氏の松尾神社、伏見大社。伊豆國のカモ氏(加茂郡)と相模國のハタ氏(神奈川県秦野氏)。そして、当千葉県鴨川市と畑。これには熊野神社が付随する。
 千葉県はおそらく【フサの國】であり、これに總の字がつけられ、さらに後に、上と下に分割された。【カミフサ】と【シモフサ】である。上總は「カミフサ、カズサ」、下總は「シモフサ、シモウサ、シモオサ」とよばれるようになり、「總は総」になった。
 安房國は上總から平群郡、安房郡、朝夷郡、長狭郡が分離したが、一時元に戻されたあとまた安房國として成立した。房州ともよばれるが、【房もまた、フサである】。
 香取神社と鹿島神社も、ハタ氏と海神族(綿津美氏・カモ氏)の関係にありそうである。

◆06689 江見諏訪神社祭
□社名 江見諏訪神社
□所在地 千葉県鴨川市諏訪町
□祭神
□祭は一〇月中旬。  
□山車
屋臺
・諏訪青木地区
 鴨川諏訪講が曳いていた屋臺を、同じ諏訪のゆかりで譲り受けたと伝わり、江戸時代末期の弘化四年に曳いた記録がある。鬼板には武志龍造(龍三)の記銘があることが知られている。
□汎論

●12224 鎌ヶ谷市

●12225 君津市
◆06088 鹿野山白鳥神社祭
□社名 白鳥神社
□所在地 千葉県君津市鹿野山
□祭神
□祭は四月下旬。  
□山車
花車
・上町
休止。花車は廃臺。
・下町
曳行されている。
(順不同)
□汎論
 鹿野山(かのうざん、かのさん)は、標高三七九メートル、千葉県では三番目の高山。東峰とよばれる白鳥峰。中央峰とよばれる熊野峰。春日峰の三つの山塊で構成される。山頂に白鳥神社・白鳥神(ヤマトタケルノミコト)。熊野神社・熊野神。春日神社・春日神が祀られていたと伝わることからも、神南備山と想像されるが、これらのいずれの神も祀られるようになった歴史は古代祭祀の神々のように古くないことから、それ以前に祀られた神があったと想像される。白鳥神社は山麓の里宮と位置づけされが、その歴史をさかのぼるのははなはだ困難である。
 
◆06089 久留里八坂神社祭
□社名 
久留里神社
八坂神社
□所在地 千葉県君津市久留里
□祭神
□祭は七月下旬。  
□山車
屋臺
・上町
 単層、神明造の屋根、六本柱の黒漆塗り屋臺。柱は四隅を丹塗りとする。勾欄も丹塗り、正面は左右の柱の基部から前方に斜上する竿が二本立ち、黄味を帯びた白麻が先から垂れ下がる。神を迎え・送る柱に相当する。勾欄前部には町会長、氏子総代、賀美若などと書かれた御用提燈が架け並べられる、勾欄は左右の側面を開放しここから乗降する。後部は出格子として閉鎖される。基臺の上は藝座で囃子方が乗り演奏する。下臺は黒い幕で覆われ、巻くには白く九曜星が染め出される。
・中町
 単層、なだらかに裾を曳く唐破風屋根、むくり屋根に近い。六本柱の素木屋臺。前部の柱は彫刻がある。乗降部は後方側面に約二尺七寸(約八〇センチメートル)ほどを開口する。後方は千本出格子で、閉鎖されている。下臺は上が赤、下が黒のほぼ等分二色に染め分けた幕で覆われ前部は丸の中に変体仮名で「奈可若」と書かれる。
 勾欄前部には「氏子総代、町会長、副会長、若頭、仲若」などと書かれた御用提燈が架け並べられる。
・下町
 単層、なだらかに裾を曳く唐破風屋根、むくり屋根に近い。六本柱の素木屋臺。正面は左右の柱の基部から前方に斜上する竿が二本立ち、黄味を帯びた白麻と、幣が竿先から垂れ下がる。神を迎え・送る柱に相当する。前部の柱には白彫りの昇龍・降龍が彫刻される。軒下には青と赤2色の丸提燈が下がる。勾欄前部には「氏子総代、町代、下町若、下町」などと書かれた御用提燈が架け並べられる。下臺は、茶色の幕で覆われ、正面は下町と染め出し、側面は左三ツ巴、九曜星の紋がはいる。
・新町
 単層、正面は神明造、側面を唐破風とする八ツ棟造りの屋根素木、八本柱の屋臺。前面柱は彫刻が施される。正面勾欄には「志ん町」の御用提燈が並ぶ。勾欄は隅を刎ねない留勾欄で柱頭にか金属製の擬宝珠が取り付けられ、側面中央部で大きく開口される。下臺は、錦手の幕で覆われる。役員、曳子の袢纏の背にも「志ん町」とある。
(順不同)
□汎論
 久留里(くるり)の地名は、ヤマトタケル(日本武尊)が房総に上陸して初めて戦を交えた相手とされるのが、阿久留王(アクルオウ)であ、六手(むて・現君津市六手)の出身だったといい六手王の名がある。阿久留王は鹿野山に本拠をおき、君津地方を支配した土着の氏族だったようである。久留里(くるり)の地名はこの阿久留王に拠るとされる。
 祭礼のおこなわれる一帯は、江戸時代には久留里藩の城下町の商業地区であった。【久留里市場】とよばれ、久留里街道(国道四一〇号)沿いに、小櫃川の上流から上町、仲町、下町。上町から大多喜方面へ向かう街道沿いに新町からなる。
 古くから山車が曳かれたようであるが、詳細は不明であるが、大正九年の久留里神社の祭礼には、本座人形に、
・上町 源頼朝
・仲町 楠公(楠正成)
・下町 日本武尊
・新町 素盞鳴命
 がのる山車だったと伝わる、電線の架設で現在の屋臺に置き換わったと伝わる。

◆06255 三直八雲神社祭
□社名 八雲神社
□所在地 千葉県君津市三直(みのう)
□祭神
□祭は八月上旬。  
□山車
山車
・三直地区
□汎論
 神社の創祀は、社記によれば成務天皇期(一三一−一九〇)とある。詳細不明。地元では天王さまと呼んで親しまれる。

◆06259 南子安神明神社祭
□社名 神明神社
□所在地 千葉県君津市南子安
□祭神
□祭は九月下旬。  
□山車
山車
・南子安地区
□汎論

◆06256 北子安菅原神社祭
□社名 菅原神社
□所在地 千葉県君津市北子安
□祭神
□祭は八月下旬。  
□山車
山車
・北子安地区
□汎論 

◆02557 清和市場諏訪神社祭
□社名 諏訪神社
□所在地 千葉県君津市清和市場
□祭神
□祭は八月下旬。  
□山車
山車
・清和市場地区
 【一本柱人形花車】と呼ばれる山車が曳かれる。一本柱山車は、柱から進化した山車の古形といってもよく、関東各地に見られたものであったが時代とともに次第に姿を消し、大政奉還で江戸幕府が明治政府となった時に、山王祭は、日枝神社祭に、山車祭は御神輿の祭にと姿を変え江戸の町から山車が消えていった。東京都市部、埼玉県、栃木県、千葉県などへと譲られた山車は現在でも往時の姿をとどめ、華やかな江戸文化を髣髴せしめている。千葉県では屋臺を花車とよぶところが多いが、純粋な藝屋臺とはなっていないものも多く、屋臺に本座人形がたてられるものが見られる。明治から大正期に、電線が架設され、山車からやむなく屋臺へと姿を変えたものも多い。これらの中には、古くからの山車の思想が屋臺に継承されているものがある。【一本柱人形花車】は、【一本柱人形山車】の面影を引いているといえるだろう。西は神奈川県相模あたりまで分布する。関東には【まんど】とよばれる山車があり、「まんど」、「まんどう」などとよばれる。斎藤月岑(さいとうげっしん)著述の 『武江年表』には、【万度】と漢字表記されている。これは、夜間に曳く【萬燈・まんどう】が語源であろう。
 当、清和市場地区の【一本柱人形花車】は、山車の古形が維持された形態で貴重な例だと考える。
□汎論

◆06257 杢師八幡神社祭
□社名 八幡神社
□所在地 千葉県君津市杢師
□祭神
□祭は九月中旬。  
□山車
山車
・杢師地区
□汎論

●12226 富津市
◆00409 富津天神社祭
□社名 富津天神社
□所在地 千葉県富津市海良
□祭神
□祭  
□山車
囃子屋臺
・海良(かいら)
・売津
(順不同)
□汎論
 富津天神社は、天神山の南麓に鎮座する神社であるが祭祀は不明。天神山は峰上城主だった武田氏が、支城として築いたその城址と伝わるが、近年北条氏との関係が注目されている。南麓には湊川が流れる。推定で確証はないが、古代には富津天神社は天神山を御神体山とする神南備山山の麓にある里宮かもしれない。創祀時の祭神もスガワラミチザネコウ(菅原道真公)ではないだろう。西麓には熊野神社が祀られている。

◆067001 日月神社祭
□社名 日月神社
□所在地 千葉県富津市佐貫
□祭神
□祭は一〇月下旬  
□山車
屋臺
・佐貫地区
□汎論
 日月神社の創祀は、社記に拠ればヤマトタケルノミコト(日本武尊)が東征したとき、アマテラスオオミカミ(天照大御神)、ツクヨミノミコト(月讀尊)を祀ったのにはじまり、のちにスサノオノミコト(素盞鳴尊)を祀るようになったとある。アマテラスオオミカミの日、ツクヨミノミコトの月より社号を日月神社
と名づけられた神社といえよう。境内に稲荷神社、古峰神社が祀られる。
 私見だが、祭祀の歴史を考えれば、創祀は出雲系のスサノオノミコト(素盞鳴尊)、ウカノミタマノミコト(倉稲魂命)が先で、アマテラスオオミカミ、ツクヨミノミコトの祭祀は後祀ということになるだろう。佐貫(さぬき)の地名も讃岐國(香川県)の【讃岐・さぬき】と同義と思考される。

◆06702 八坂神社祭
□社名 八坂神社
□所在地 千葉県富津市萩生
□祭神
スサノオノミコト 素盞鳴命 
□祭は七月中旬。  
□山車
囃子屋臺
・六区 萩生
□汎論

◆06703 皇神社祭
□社名 皇神社
□所在地 千葉県富津市萩生
□祭神
□祭は七月中旬。  
□山車
囃子屋臺
・七区 濱組
□汎論

◆06704 三柱神社祭
□社名 三柱神社
□所在地 千葉県富津市竹岡
□祭神
アメノフトダマノミコト 天太玉命
アメノヒリトメノミコト 天比理刀当ス
アメノヒワシノミコト 天日鷲命
□祭は七月上旬。  
□山車
屋臺
三臺
詳細不明
(順不同)
□汎論
 三柱神社は造海城址の中腹にあり、創祀は養老二年(七一八)の創設と伝わる、三柱大明神、三所大明神ともよばれてきた。忌部氏(中臣氏)の祖神であるアメノフトダマノミコト(天太玉命)、アメノフトダマノミコトの妃神であるアメノヒリトメノミコト(天比理刀当ス)、アメノフトダマノミコトに従う四神中の一神アメノヒワシノミコト(天日鷲命)は阿波忌部氏の祖神を祀る古い神社である。社号もこの三神にちなむ。
 アメノヒワシノミコトは、埼玉県から茨城県にかけて数社に祀られる。房総(安房國、上総國、下総國)武蔵國、常陸國における阿波忌部氏以来の古代の阿波氏の勢力範囲を示しているともいえよう。
□参考
次を参考にさせていただきました。
祭りに人あり 彫物に歴史あり
富津市竹岡 三柱神社彫刻
http://blogs.yahoo.co.jp/maruchan1902/9621835.html

◆06705 金谷地区合同祭
□社名 
金谷神社
神明神社
八坂神社
諏訪神社
□所在地 千葉県富津市金谷地区
□祭神
□祭は七月下旬。  
□山車
山車、花傘萬燈山車、屋臺、舟型屋臺、囃子屋臺、担屋臺。
・宮本組
花傘萬燈山車
花・柳山車ともいい、紅色の造花が花笠のように枝垂れ、頂部には四角い天王座らしきものがある。基臺には榊がたてられ、紅色の造花と榊の緑の対比が美しい。前部には太鼓がのり、後部には美人画の行燈が添えられることがあり、あたかも見送りのようになっている。
・新町区
大杉さま山車
 長い舁棒があり、かつては舁山だった形態を曳いている。曳くときは車による。中央に大きな榊をたて、四方に副棒が立ち、小さな五色の吹流し、幣の梵天が付属する。
・仲町区
囃子屋臺
 単層、素木、唐破風屋根、六本角柱の屋臺、前面左(向かって右)に日章旗、前面右(向かって左)には旭日日章旗、その上に五色の吹流しがつく。さらに、扇面状の絵行燈がつく。屋根は市松模様の油障子。四隅の柱に沿うように榊が立つ。基臺には前後に通る長い舁棒がつく。
・久保組
屋臺
 単層、素木、唐破風屋根、六本角柱の屋臺、側面の軒には社紋の右三ツ巴えのはいる長い提燈が下がる。前面には日章旗が二本水平に差し出され、梶棒一本が取り付けられる。素木造の勾欄前部は四割、側面は五割、柱頭には金属製の擬宝珠がつく、四隅は刎ねないと目勾欄としている。前部も開口しない。中柱には素通しの脇障子がつく。正面柱両脇に常緑の榊が立てられ、大太鼓がのる。下臺は低くとり紅白の幕で覆う。後部は乗降を考え勾欄は無い。
・荒戸
屋臺
 単層、素木、唐破風屋根、六本角柱の屋臺、軒には「荒若」と墨書
した白丸提燈が下がる。前部に紅白の布を巻いた旗竿は水平に差し出され、二本の日章旗がつく。屋臺の前後を通す長い二本の舁棒が側面にあり、黄色の曳綱もつく。後部に二本の旗が立ち一本には紺地黄色の丸い中に「荒」の文字を入れ、諏訪大明神と染め抜かれていて、当地区は諏訪神社の氏子であることを標榜している。
・田尻区
お舟
 単層、素木、唐破風屋根の和船の形をしており、前面にはしろ御幣が立てられ、後部には白地に墨文字で田尻丸と染め抜いた旗が立つ。下臺には、しっかりした舁棒が二本つき、その周りには注連縄が張られ幕は無い。曳綱は白。
(順不同)
□汎論
 金谷地区には氏子を異にする神社がいくつかあり、祭は合同祭として同じ日に齋行される。地区ごとに山車の形態が異なり多彩な山車が曳かれる。
□参考
次を参考にさせていただきました。
・祭り好きのSHOP
 http://mikoshi.blog72.fc2.com/blog-entry-820.html 

◆06706 小久保神明神社祭
□社名 神明神社
□所在地 千葉県富津市小久保
□祭神
□祭は七月下旬。  
□山車
囃子屋臺
・か組 川向
本座人形は、源氏再興の祖、また鵺退治(ぬえたいじ)で知られる、源従三位頼政。
・や組 寺谷
本座人形は忠臣蔵の大高源吾。
・み組 上町
ヤマトタケルノミコト(日本武尊)
・な組 仲町
源頼朝。
・は組 浜町
忠臣蔵の大石内蔵助義雄。一般に「よしお」とよばれるが、「義雄」の正しい訓みは「よしとも」である。
(順不同)
□汎論

◆06707 湊神明神社祭
□社名 神明神社
□所在地 千葉県富津市湊 
□祭神
□祭は九月上旬。  
□山車
囃子屋臺
・上町
・仲町
・下町
・富士見町
(順不同)
□汎論
 
◆06708 吾妻神社馬だし祭
□社名 吾妻神社
□所在地 千葉県富津市西大和田
□祭神
□祭は九月中旬  
□山車
屋臺
(順不同)
□汎論
 吾妻神社の創祀は東征の途次、ヤマトタケルノミコト(日本武尊)が房総
に海上を渡る途中で暴風雨に遭い、荒れ狂う波風を鎮めんとして入水した
、ヤマトタケルノミコトの妃である、オトタチバナヒメ(弟橘姫)に所縁の神社で、姫の遺品を納めたといわれる山麓に祀られる。
 ヤマトタケルノミコトが、東征を終え、碓氷峠に到ったとき、振り返って「ああ、わが妻よ…!」と嘆嘆されたことから、「吾妻・あづま、あがつま」、「吾嬬・あがつま」の名が生まれたといい、上野國(群馬県)では吾嬬の名があり、関東地方には広く吾妻の呼称がある。富津市西大和田の吾妻神社は「あずまじんじゃ」とよばれている。ヤマトタケルノミコトは九州方面への西征とともに、勇猛であった半面、悲劇的な運命と、その末路が哀歓と同情を呼んで語り継がれる英雄である。
 ヤマトタケルノミコトは史実の上からは実証困難で、おそらく創作された実在しないミコトであるが、関東地方に多くの事蹟がある。
 馬だし祭は、神霊を馬にのせて出御する、御神輿出現以前の古い神幸の形態を継承していて貴重である。岩瀬海岸では、神霊をのせた馬が曳かれる。

◆06708 鶴峯八幡神社祭
□社名 鶴峯八幡神社(つるみねはちまんじんじゃ)
□所在地 千葉県富津市八幡
□祭神
ホムダワケノミコト 誉田別尊
タマヨリヒメノミコト 玉依姫命
ジングウコウゴウ 神功皇后
□祭は九月中旬  
□山車
置山、屋臺。
・八幡地区
(順不同)
□汎論
 鶴峯八幡神社の創祀は養老年間(七一七−七二四)と伝わる。房総は源頼朝が石橋山の戦に破れ、一時難を避けた地といい、鎌倉幕府とも所縁の深い八幡神宮が多く祀られる。館山市には安房國総社として
鶴谷八幡宮(つるがやはちまんぐう)があり、平安時代に祀られた古社と伝わるが、鎌倉時代以降は【八幡街・やわたんまち】と親しまれるようになっている。
 鶴峯八幡神社の創祀は館山市の鶴谷八幡宮より古い。祭神がオウジンテンノウ(應神天皇)、ジングウコウゴウ(神功皇后)は当然として、タマヨリヒメノミコト(玉依姫命)の名があるのが目を惹く。
 タマヨリヒメノミコトは、一般にはワダツミオオカミ(綿津見大神)の子で、トヨタマヒメ(豊玉姫)の妹とされ、姉の子であるウガヤフキアエズを育てたが、のちにその育ての子の妃となって、イツセノミコト(五瀬命)、イナイノミコト(稲飯命)、ミケヌノミコト(御毛沼命)、ワカミケヌノミコト(若御毛沼命)を出産したが、この末子のワカミケヌノミコトがカムヤマトイワレヒコ(神倭伊波礼琵古命)で、初代天皇のジンムテンノウ(神武天皇)である。
 また、丹波の出身とされ、京都上賀茂神社に祀られる、カモタケツヌミノミコト(賀茂建角身命)の子であるカモワケイカヅチノカミ(賀茂別雷命)の母もタマヨリヒメの名がある。
 讃岐國(香川県)の金刀比羅神宮、大和國(奈良県)の大神神社に祀られるオオモノヌシノミコト(大物主命)の妃は、イクタマヨリヒメノミコト(活玉依毘売命)である。
 一説にタマヨリヒメとは、「巫女」を指す一般名詞で、各地に祀られる土地神にもタマヨリヒメがあるとされている。当社のタマヨリヒメはいずれに当たるのだろうか。

●12227 浦安市

●12228 四街道市

●12229 袖ヶ浦市
◆02560 坂戸神社祭
□社名 坂戸神社
□所在地 千葉県袖ヶ浦市坂戸市場
□祭神
□祭は七月下旬。  
□山車
山車
・坂戸市場地区
□汎論

◆05964 福王神社祭
□社名 福王神社
□所在地 千葉県袖ヶ浦市奈良輪
□祭神
□祭  
□山車
山車
・東町
・西町
(順不同)
□汎論
 福王神社の創祀は不明。社記によれば、古くは奈良輪神社と言い、延宝二年(一六七四)に、現地に遷座となったとある。現地には大友皇子の伝説が伝わる。大友皇子は天智天皇の子であるが、壬申の乱(六七二)で大海人皇子に敗れ、滋賀県大津市の山前で死去したとされるが、異説がいくつかあり、そのひとつに、海路上総へ逃れ、奈良輪の高洲ちかくの海岸に上陸し、【おふごの森】で居住したが、数年後にみまかられたので祠を建てて祀ったとされる。これが福王神社の創祀という。また蘇我赤兄等とともに小櫃地区に到ったとの伝承がある。
 福王(ふくおう)は大友皇子の子である。三重県の御在所から滋賀県の土山に抜ける道路を昭和四〇年代の初期に通ったことがあるが、沿道には産地の限定される【フクオウソウ】の自生があり、標品に採集したことがある。

◆06450 軻遇突智神社祭
□社名 軻遇突智神社
□所在地 袖ヶ浦市
□祭神
□祭は一〇月中旬。  
□山車
屋臺
・代宿地区
□汎論
 カグツチノミコト(軻遇突智尊)は、『古事記』では、ヒノヤゲハヤオノカミ(火之夜藝速男神)、ヒノカガヒコノカミ(火之R毘古神)の別表記があり、『日本書紀』では「軻遇突智尊」と記述される。イザナギノミコト(伊弉諾命)とイザナミノミコト(伊弉冉命)の間に生まれた一神とされる。出生の不祥事により母のイザナミノミコトが死去したことから、父のイザナギノミコトは怒り、十拳剣・天尾羽張(あめのおはばり)という劔で斬ったとされる。いわゆる記紀神話であるが創作の俗記だと思う。
 カグツチノミコトは、記紀によれば、凶事を起こした不肖の子のはずであるが、この神を祀る神社は幾社もある。一説にカグツチノミコトは、鹿島神のタケミカヅチノミコト(武甕槌命)、香取神のフツヌシノミコト(經津主命)の祖神とされる。また同県(千葉県)に香取神宮、隣県の茨城県に鹿島神宮が祀られていることとは無関係とも思えない。

●12230 八街市
◆06062 八街神社祭
□社名 八街神社
□所在地 千葉県八街市
□祭神
スサノオノミコト 須佐之男命
イナダヒメノミコト 稲田姫命
オオナムチノミコト 大己貴命
□祭は十一月上旬。  
□山車
山車、屋臺
山車
・一区
屋臺
・二区
・三区
・四区
・五区
・六区
・大東区
□汎論
 八街神社の創祀は、明治五年に当地を開墾した西村郡司が土地の産土神として氷川神社本社より分祀を受けて祀ったのに始まると伝わり、実住、東実住、住野、西林、夕日丘、真井原、小間子角逐の鎮守となっている。社地は八街村実住字氷川台 (現四区)にあり、当初はここに小祠をつくって氷川さまと敬ったといわれる。この伝承を索めると、氷川本社分祀以前、すでに【氷川台】とよばれ、出雲系氏族が定着していた地と伺える。

◆06227 住野神社祭
□社名 住野神社
□所在地 千葉県八街市
□祭神
□祭は十一月上旬。  
□山車
屋臺
・八街は地区
 単層、白木造、なだらかな曲線の唐破風屋根を持つ屋臺。柱は六本、腰板の無い素通しの勾欄があり、二分割しさらに前部を三、後部を二に小分割し、柱の間隔もこれに相応して前三、対、後二となっている。全部は約一尺三寸(約四〇センチメートル)さげた差出造で、藝座の小太鼓がおかれ、お囃子が演奏される。下臺前後は幕で覆われるが、本座と差出部の段差部分は紫色の幕で覆う。大太鼓は後陣右側に取り付けられるが、居囃子演奏のときには山車の外部左側にも置かれる。屋臺の軒は奉賛者名が記された御用提燈でぎっしりと埋め尽くされる。驚くのは屋臺に乗り込む囃子方がほとんど女性で、桜吹雪を思わせる華やかな上着に黒い胸当て、黒いかるさん姿で演奏する。屋臺の曳子の多いことも特筆されるが、辻々に屋臺を止め、手古舞が披露されるが、ちいさな子供たちも加わり、手に緋色の扇を持って、賑やかに舞う。近年は少子化で祭礼参加者の減少がね(順不同)涸れるが、当地区の祭礼は非常に多くの参加者があり、女性や子供が多く、活発なお祭となっている。

◆06234 烏森稲荷神社祭
□社名 稲荷神社
□所在地 千葉県八街市沖
□祭神
ウカノミタマノミコト 蒼稲魂命(倉稲魂命)
□祭は十一月上旬。  
□山車
屋臺
・沖地区
□汎論
 烏森稲荷神社の創祀は東京都目黒区上目黒に祀られるウカノミタマノミコト(蒼稲魂命)より分霊を受けて祀られたと伝わる。稲荷神社の祭神はウカノミタマノミコト(倉稲魂命)とされることが多く、ときにウケモチノカミ(保食神)、トヨウケヒメ(豊受比賣)が祭神になっていることがある。当社の祭神は【蒼稲魂命】と表記され、目黒の稲荷神社の祭神と同じ表記である。また、目黒区の教育委員会の説明板にも「蒼稲魂命」と書かれている。
 東京都港区新橋にも、創祀の古い烏森稲荷神社があり、目黒の稲荷神社は、新橋の烏森稲荷神社より分霊を受けたとも言われる。祭神はウカノミタマノミコト(倉稲魂命)、アメノウズメノミコト(天鈿女命)、ニニギノミコト(瓊々杵尊)となっている。千葉県はサツマイモ、落花生の生産は日本一で、量のみでなく品質が優秀なことで知られるが、当八街市は、その落花生の主要生産地である。
 稲荷神は、農産物の豊作を司る神、つまり農耕神であるが、行われる祭は感謝祭でもある、もとは【身代わり稲荷】として祀られた稲荷神が現在は収穫祭の神になっている。

●12231 院西市

●12303 関宿町

●12305 沼南町
◆06061 八幡神社祭
□社名 八幡神社
□所在地 千葉県柏市(旧沼南町)
□祭神
□祭は七月上旬。  
□山車
山車
・手賀兵主地区
□汎論

●12322 酒々井町

●12324 富里市(旧富里町)
◆06059七栄稲荷神社祭
□社名 稲荷神社
□所在地 千葉県富里市(旧富里町)
□祭神
□祭は一〇月中旬。  
□山車
山車
・七栄地区。
火災に遭い失われた。
□汎論

●12325 印旛村

●12326 白井町

●12328 本埜村

●12329 栄町

●12341 下総町

●12342 神崎町
◆05962 神崎神社祭
□社名 神崎神社
□所在地 千葉県香取郡神崎町(こうざきまち)本宿
□祭神
アメノトリフネノミコト 天鳥船命
スクナヒコナノミコト 少彦名命
オオナムチノミコト 大己貴命 
配祀 
オモダルノミコト 面足命
カシコネノミコト 惶根命
□祭は七月下旬。  
□山車
山車
・明神会
昭和五三年に、成田市田町が曳いていた山車を譲り受けた。
□汎論
 神崎神社は、延喜式神名帳に記載されない【延喜式外社】である由緒ある古社である。祭神のアメノトリフネノミコト(天鳥船命)は、アメノトリフネノミコト(天鳥船命)、トリノイワクスフネノカミ(鳥之石楠船神)ともいい、『古事記』、『日本書紀』では、日本神話に現れる神で、神産みの段でイザナギノミコトとイザナミノミコトの間に産まれた神で、鳥のように空を飛ぶことができる神だとある。
 だが、この記述は、アメノトリフネノミコトを皇紀に付会させるためであり、それ以前、すでに海神族(綿津美氏)、出雲系の神として祀られていたことを知らねばならない。次もおなじことが言えよう。
 オモダルノミコトとカシコネノミコトは、神世七代つづく神とされる十二柱、七代の神の第六代として挙げられている。オモダルノミコト(面足命)には 「オモダルノカミ・淤母陀琉神」の表記があり、カシコネノミコト(惶根命)は、「アヤカシコネノカミ・阿夜訶志古泥神」の表記があって夫婦神となっている。『古事記』、『日本書紀』の記述は、海神族(綿津美氏)、あるいは出雲の神々を皇室神としてとりこむための剽窃があったと考えなければならない。
 筆者の見解であるが、神崎神社には『古事記』、『日本書紀』が完成する以前すでに出雲神として祀られていること、神崎神社が延喜式神名帳に加えられなかった経緯には注意を要する。

●12343 大栄町
◆06964 吉岡八坂神社祭
□社名 吉岡八坂神社
□所在地 千葉県成田市(旧大栄町)
□祭神
□祭は七月下旬。  
□山車
山車
・吉岡地区
休止
以前は佐原祭の旧臺を譲り受けて曳いたが老朽で廃臺となり、以後更新されていない。
□汎論

◆伊能の歌舞伎

●12344 小見川町
◆小見川祇園祭

●12345 香取市(旧山田町)
◆02568 八重垣神社祭
□社名 八重垣神社
□所在地 千葉県香取市(旧山田町)新里
□祭は七月中旬。
山車を曳く。
□汎論
三月には、白川流十二神楽が奉納される。神楽殿の前で釜に湯を沸かす神事を神楽にとりいれた「湯立神楽」である。文化元年(一八〇四)にはじめられたと伝わる。十二座の演目があり、天下泰平、万民安泰、五穀豊穣を祈願する。
□問い合わせ
八重垣神社
電話 0478-78-2939

●12346 栗源町

●12347 多古町
◆00905 多古祇園祭
□社名 多古八坂神社
□所在地 千葉県香取郡多古町
□祭神
□祭は七月下旬。  
□山車
屋臺
・新町
二層式の屋臺。
天保一〇年の建造と伝わる。
・本町
二層式の屋臺。
・仲町
二層式の屋臺。
・高根
二層式の屋臺。
(順不同)
□汎論
 多古八坂神社の創祀は不明。祭に行われる【しいかご舞】で用いられる【猿の面箱】には天明元年(一七八一)とあって、それ以前と考えられる。山車の引き回しには藝方が上臺にのり、山車囃子が演奏される。山車(屋臺)は大宮神社にも参詣する。囃子方は佐原祭でよく知られる佐原(現香取市)からの出囃子でみごとな演奏が華やかな山車の曳行に花を添える。
 しいかご舞は付属神事で、八坂神社境内に設えられた舞臺の上で本町、仲町、新町から選ばれた若衆が、猿、獅子、鹿、まんじゅうとよぶ雨蛙の面をつけ、囃子にあわせて舞う。
三方に太縄を張った【津久舞柱(大柱)】に猿の面をつけた年番町の若衆が登って、観客の肝を冷やす妙技を演じ、最後に取り付けられた扇子を落として終わる。房総から常陸にかけてみられる【つくまい・衝舞】の一形態で、つくまいは九州福岡県、佐賀県、長崎県に多様な形態が伝承されていて、民俗行事として著しい隔離分布となっている。

●12348 干潟町

●12349 東庄町

●12361 海上町

●12362 飯岡町

●12381 光町

●12382 野栄町

●12402 白里町

●12403 九十九里町
◆02571 須賀神社祭
□社名 須賀神社
□所在地 千葉県山武郡九十九里町真亀
□祭神
スサノオノミコト 須佐之男命
□祭は七月下旬。  
□山車
山車
・海岸
・中間
・丘
(順不同)
□汎論
 須賀神社の創祀は不明、一説には牛頭天王を祀り、享保以前(一七一六)に建立されたといわれる。祭は病魔退散を祈願する祗園祭として行われてきた。が明治の神仏分離令により現社号となった。山車のほかに、曳太鼓、鞨鼓舞がおこなわれる。

●12404 山武市(旧成東町)
◆05935 八幡神社祭
□社名 八幡神社
□所在地 千葉県山武市(旧成東町)
□祭神
□祭は一〇月中旬。  
□山車
山車
・宮前、辺田地区
隔年に曳行。
(順不同)
□汎論

●12405 山武町

●12406 蓮沼村

●12407 松尾町

●12408 横芝町

●12409 芝山町

●12421 一宮町

●12422 睦沢町

●12423 長生村

●12424 白子町

●12426 長柄町

●12427 長南町

●12441 大多喜町
◆02753 船子正八幡神社祭
□社名 正八幡神社
□所在地 千葉県夷隅郡大多喜町船子
□祭神
□祭は一〇月上旬。  
□山車
山車
・船子地区
□汎論

◆01506 松尾神社祭
□社名 松尾神社
□所在地 千葉県夷隅郡大多喜町新丁
□祭神
□祭は一〇月上旬。  
□山車
山車
・新丁地区
□汎論
 
◆02336 大国主神社祭
□社名 大国主神社
□所在地 千葉県夷隅郡大多喜町西部田(にしべた)
□祭神
□祭は一〇月上旬。  
□山車
山車
・西部田地区
□汎論
 
◆06064 上原諏訪神社祭
□社名 諏訪神社
□所在地 千葉県夷隅郡大多喜町上原
□祭神
□祭は九月下旬。  
□山車
屋臺
・上原地区
□汎論
 祭には、屋臺が曳かれ山車囃子が演奏される。囃子は関東地方に広く行われている曲目の多くが敷衍している。すなわち、
・祇園囃子
・馬鹿囃子(和歌囃子)
・新馬鹿囃子(新和歌囃子)
・四丁目囃子
・新馬鹿くずし(新和歌崩し)
・大間
・通り囃子
 などであるが、調子が若干早く、軽快で、平群囃子の影響が見られる。
 当社には~樂が伝わり、
・山ノ舞
・袖巻ノ舞
・御幣ノ舞
・剣の舞
・怒ノ舞
 などがあるが、近年は【大多喜お城まつり】に参加しそちらで行われるようになってきている。

◆06046 武内神社祭
□社名 武内神社
□所在地 千葉県夷隅郡大多喜町森宮
□祭神
□祭は一〇月上旬。  
□山車
山車
・森宮地区
□汎論

◆06050 中野水神山神社祭
□社名 水神山神社
□所在地 千葉県夷隅郡大多喜町中野
□祭神
□祭は一〇月上旬。  
□山車
山車
・中野地区
□汎論

◆06051 大山祇神社祭
□社名 大山祗神社
□所在地 千葉県夷隅郡大多喜町三叉
□祭神
□祭は一〇月上旬。  
□山車
屋臺
・三叉地区
□汎論
 大多喜町の三叉は、いつごろからか三又になったらしい。オオヤマツミノカミ(大山祗神)を祀る神社の社号は、社頭の社号にも【大山祇神社】とあって、【大山祗神社】ではない。標記の混乱だろうか。

◆06052 帝釈神社祭
□社名 帝釈神社
□所在地 千葉県夷隅郡大多喜町八声
□祭神
□祭は一〇月上旬。  
□山車
屋臺
・八声地区
□汎論
 祭には屋臺で山車囃子の演奏が行われる。演奏曲目は、江戸神田囃子の系統を曳くといわれ、八声囃子保存会が担当する。
演奏曲目は、
・昇殿
・神田丸
・祗園囃子
・七調目(しちょうめ)
・馬鹿囃子(和歌囃子)
・新馬鹿(新和歌囃子)
・新馬鹿大廻し(新和歌大廻し)
・大廻し
・鎌倉大廻し
・屋臺大廻し
  などがある

◆06053 熊野神社祭
□社名 熊野神社
□所在地 千葉県夷隅郡大多喜町
□祭神
□祭は一〇月上旬。  
□山車
屋臺
・小谷地区
□汎論

◆06054 天照神社祭
□社名 天照神社
□所在地 千葉県夷隅郡大多喜町
□祭神
□祭は一〇月上旬。  
□山車
山車
・笹倉、小内地区。
□汎論

●12442 夷隅町

●12443 御宿町
◆02574 御宿春日神社祭
□社名 春日神社
□所在地 千葉県夷隅郡御宿町
□祭神
アメノコヤネノミコト 天兒屋根命
タケミカヅチノミコト 武甕槌命
フツヌシノミコト 經津主命
タクハタチチヒメノミコト 栲幡千々姫命
□祭は九月下旬。
□山車
山車
・新町
・須賀
・久保
・浜
・六軒町
(順不同)
□汎論
 春日神社は、御宿町の総鎮守「かすがさま」と称んで親しまれる。祭神はならの春日大社の三神である、枚岡神のアメノコヤネノミコト(天兒屋根命)、鹿島神の、タケミカヅチノミコト(武甕槌命)、香取神の、フツヌシノミコト(經津主命)はそのまま、アメノコヤネノミコトの妃神とされるヒメオオカミ(比賣大神)がなく、タクハタチチヒメノミコト(栲幡千々姫命)が加わっている。
 タクハタチチヒメノミコトは女神で、タカミムスビノカミ(高御産巣日神)の娘で、アメノオシホノミミノミコトの妃。アメノホカアカリノミコト(天火明神)、ニニギノミコト(邇邇芸命)の母である。
 日本の女神は美人の印象がもたれるが、タクハタチチヒメノミコトも美女だったと伝わる。機織の神ともされ祀られることが多い。
 御宿町は、美しい浜辺で知られ、加藤まさを作詞の、童謡【月の砂漠】はまだテレビも無かった昭和二〇年代には、当時のお嬢ちゃんたちから圧倒的人気をあつめ、女性の支持する童謡日本一であった。
 御宿町は海女でも知られるが彼女らや村人たちは、サンフランシスコ号遭難のとき救助にあたり、乗組員三七三名のうち三一七名を
救助を行ったことは、いまに語り継がれる美談である。

●12444 大原町

●12445 岬町

●12461 南房総市(旧富浦町)
◆01983 南無谷豊受神社祭
□社名 豊受神社
□所在地 南房総市(旧富浦町)南無谷(なむや)
□祭神
□祭は七月下旬。  
□山車
屋臺
・南無谷地区
 単層、素木造、唐破風屋根の屋臺。久寿球がさがる。柱は六本中柱はやや後方よりにつく。前部は人形座、後部は囃子座で胴長の大太鼓がのり、囃子の演奏のときは若衆が外部から打つ、屋臺の囃子座には子供がふたり左向きに座って締太鼓を打つ。囃子方には女性の参加があり笛を担当している。鬼板、懸魚の彫刻は華やかな造花と常緑広葉樹にさえぎられて見えない。欄間の外にはやや大きな長提燈がさげられる。
□汎論
 豊受神社の創祀は不明。
 南無谷は日蓮上人ゆかりの地といわれ、地名も日蓮宗にちなむ。地区内には、山梨県の七面山にもゆかりのある【七面大天女】が祀られ法華経を守護するとされる女神とされる。
 また廣田神社がある。廣田神社の祀られるところには、西宮惠比壽神社が祀られることが多いが、当地区では見あたらないようである。
筆者の調査不十分かもしれない。

◆01984 大宮八幡神社祭
□社名 大宮八幡神社
□所在地 南房総市(旧富浦町)豊岡
□祭神
□祭は七月下旬。  
□山車
屋臺
・豊岡地区
□汎論

◆01985 愛宕神社祭
□社名 愛宕神社
□所在地 南房総市(旧富浦町)
□祭神
□祭は七月下旬。  
□山車
屋臺
・原岡 原地区、岡本地区
□汎論

◆01986 岡本稲荷神社祭
□社名 稲荷神社
□所在地 南房総市(旧富浦町)岡本
□祭神
□祭は七月下旬。  
□山車
御舟
・弁天丸
平成八年に新臺が竣工した。
□汎論
□参考
次を参考にさせていただきました。
御舟 弁天丸の写真があります。
・祭り好きのSHOP 南房総市富浦町祭礼
 http://mikoshi.blog72.fc2.com/blog-entry-809.html

◆01987 青木神社祭
□社名 青木神社
□所在地 南房総市(旧富浦町)青木
□祭神
□祭は  
□山車
屋臺
・青木地区
□汎論
 青木神社の創祀は不明。
 明治一〇年に東青木村と西青木村が合併し、青木村となったのを期に、東青木の三島神社と、西青木村の八幡神社が合祀された。青き神社には、群馬県の中之条町などにわずかに残る【虫送り神事】の伝承がある。

◆01988 北浜神明神社祭
□社名 北浜神明神社
□所在地 南房総市(旧富浦町)多田良北浜
□祭神
□祭は七月下旬。  
□山車
御船
・神明丸
 神明丸は、素木の和船で、唐破風屋根八本柱、舳先から艫まで前後は大きく彎曲し、これにあわせて作られた勾欄もそのかたちに添っていて、腰板が交互に嵌められている。しっかりとつくられた基臺のうえにのり、舵部も拵えられているが舵は取り外され、この部分はお囃子の胴長太鼓がのり、若衆が舟の外から打つ。もし海に浮かべればそのまま操船できるのではないかと思われほどのつくりである。
 多田良はきれいな海岸線に面した地区で、砂を含む砂鉄は上古には製鉄が行われた、踏鞴(たたら)の名称を継承しているのではないかと想像される。南には富浦港があり、御船は、かつては海上渡御を行っていたものが陸に上がった姿ではないかと想像される。
□汎論

◆01989 多田良岡天満宮祭
□社名 多田良岡天満宮
□所在地 南房総市(旧富浦町)多田良岡
□祭神
□祭は七月下旬。  
□山車
屋臺
・多田良岡地区
平成二三年に新臺が竣工してお披露目された。
単層、欅材の素木造、唐破風屋根。柱は六本、見事な彫刻が施されている。旧富浦町では長年培われてきた標準的形状を踏襲している。
□汎論
 富浦町多田良地区(現南房総市)では、北浜地区、西浜地区、それに当、岡地区の三地区の祭礼が合同で齋行される。祭には御船、屋臺が曳かれ、棒術、羯鼓舞、獅子神楽などの伝統神事が執行される。
 棒術は、【棒ノ手】ともよばれ、京都府の丹後の宮津をはじめ、岐阜県の多治見市にも伝承がある。羯鼓舞(かっこまい)は、三重県に広範囲におこなわれている。これらの付属神事(民俗藝能)の伝承は相互に関連がありそうである。

◆01990 多田良西浜熊野神社祭
□社名 西浜熊野神社
□所在地  千葉県南房総市(旧富浦町)多田良西浜
□祭神
□祭は  
□山車
屋臺
・多田良西濱(西浜)地区
 単層、唐破風屋根、六本柱の素木造の屋臺。鬼板には松と鶴、懸魚に波と亀を彫り、鶴亀の瑞獣一組とする。優れた波の彫刻が見られる。当屋臺の懸魚の波は波の伊八の彫刻ではないが、その伝統が息づいている。 南房の名工伊八は、武志伊八郎信由といい、宝暦元年(一七五一)ー文政七年(一八二四)、安房国長狭郡下打墨村(現千葉県鴨川市打墨)生まれた名工で、波の彫刻を得意とし、葛飾北斎の浮世絵の名高い冨嶽三十六景中でももっとも著名な【神奈川波浪沖冨士】は、それ以前に伊八がほぼおなじ圖を彫刻していて、おそらく北斎は伊八の彫刻を基にしていると推察されている。波の彫刻に抜群の腕前をしましたが、【西の彫物師は関八州では波を彫るな】とまでいわれた。
 伊八は、島村に師事していて、後藤義光ともに斐太の工(飛騨の匠)の流れを汲む名工である。勝浦の屋臺には、島村俊表の脇障子彫刻がある。
 当地方屋臺の内陣前部は、人形坐となっているものが多いが、西濱地区の屋臺は人形を乗せず、羯鼓舞の用具が積まれる。これは羯鼓舞の獅子が神の依代と考えられているからで、羯鼓舞の演奏も屋臺で行われる。
□汎論

◆01991 宮本神社祭
□社名 宮本神社
□所在地 千葉県南房総市(旧富浦町)宮本
□祭神
スサノオノミコト 素盞鳴命
□祭は一〇月下旬。
□山車
担屋臺
・宮本地区
□汎論

◆01992 大津熊野神社祭
□社名 熊野神社
□所在地 千葉県南房総市(旧富浦町)大津
□祭神
クマノハヤタマヒメノミコト 熊野速玉姫命
□祭は一〇月下旬。  
□山車
担屋臺
・大津地区
□汎論
 
◆01993 手取聖真名子神社祭
□社名 聖真名子神社(ひじりまなこじんじゃ)
□所在地 南房総市(旧富浦町)手取
□祭神
□祭は一〇月下旬。  
□山車
担屋臺
・鶴鳴会
居倉とおなじ。
□汎論
 聖真名子神社の祭神は当地に丹をを採取した丹生氏の長を祀る神社だという。

◆01994 居倉山宮神社祭
□社名 山宮神社
□所在地 南房総市(旧富浦町)居倉
□祭神
□祭は一〇月下旬。  
□山車
担屋臺
・鶴鳴会
手取との合同
□汎論
 
◆01995 丹生廣田神社祭
□社名 廣田神社
□所在地 南房総市(旧富浦町)丹生
□祭神
□祭は  
□山車
屋臺
・丹生地区
曳き出しは不定期。
□汎論
 富浦町(現南房総市)丹生地区は、手取地区、宮本地区にかけて、奈良時代すでに硫化水銀(丹)の産出が知られていた。地名もこれにちなんでいる。

●12462 南房総市(旧富山町)
◆01210 平久里天神社秋祭
□社名 平久里天神社
□所在地 千葉県南房総市(旧富山町)
□祭神
スガワラミチザネコウ 菅原道真公
コノハナサクヤヒメノミコト 木花之佐久夜毘売命
アマテラッスオオヒルメムチノミコト 天照大日霎貴命
タケミナカタノカミ 建御名方神
□祭は一〇月下旬。  
□山車
担屋臺
・中区
・下区
・犬掛
・荒川
・山田
・吉沢
・井川(井野、川上)
・米沢
(順不同)
□汎論
 平群村(へぐりむら)は千葉県平郡にあった村で、平郡は安房郡となったあとも平群村は存在し、富山町となってその一部であったが、合併により、南房総市とへと発展した。現在も平久里と標記を変えて存在する。
 平群の名称は古代氏族の平群氏にちなむのはほぼ間違いないであろう。平群氏は、神功皇后とともに三韓征伐に従軍した武将のタケノウチノスクネ(武内宿禰)にはじまるとされ、仲哀天皇の遺児である幼いオウジンテンノウ(應神天皇)を抱いた姿が山車人形としてもよく見られる。祗園祭の船鉾(舩鉾)は、神功皇后出産前の身重の姿とされ、祭には岩田帯や安産のお守りが売られる。飛騨高山の秋祭櫻山八幡宮に曳かれる下一ノ町の金鳳臺(きんぽうたい)はよく知られる。
 奈良県の生駒山の東麓にある平群町(へぐりちょう)は、武内氏の故地とされ、三重県桑名市には平群神社がある。
 【平久里】は、武内宿禰につながる古代の由緒を感じさせる。その事蹟は謎につつまれるが、想像するに、阿波氏が房総に渡来するより以前に平群氏はカモ氏とともに房総にいたり、そののちに平群氏、カモ氏の手引きにより阿波忌部氏らが千葉県に定着するようになったのではないかと考えられる。

●12463 鋸南町
◆01962 竜島神明神社祭
□社名 竜島神明神社
□所在地 千葉県安房郡鋸南町竜島
□祭神
□祭は七月中旬。
□山車
山車
・竜島
本座人形に大岡越前がのる。
御舟
・元町
天王丸
神幸出御にあたり、神官が祝詞を奏上、これにつづいて少年二名が【御船歌】を歌う。
□汎論
 御神幸の旅程には、今は無人島になっている【浮島】、竜島地区内の【二柱神社】へのおわたりがある。
 竜島神明神社の祭礼には山車囃子の演奏がおこなわれるが、一般的には【さんぎり】、【平群囃子・へぐりはやし】とよばれ、各地で広く行われる【おしゃぎり】にあたるが、平群囃子(平久里囃子)は、当地独特の演奏法が確立されたもので、関東各地で行われる曲目と共通するものがあるが、同名ではあっても編成されて、演奏方法が異なり、同じ曲だとは判じがたいものもあるが、聞いているといかにも手馴れた伝統と、総じて軽やかで軽快な律感を覚える。
曲目
・さんぎり
・馬鹿囃子(和歌囃子)
・住吉
・麒麟囃子
・祇園囃子
・祇園崩
・国調
・亀山昇殿
  など。

◆01963 加知山神社祭
□社名 加知山神社
□所在地 千葉県安房郡鋸南町勝山
□祭神
スサノオノミコト 素戔鳴尊
□祭は七月中旬。  
□山車
屋臺
・勝山地区
□汎論
 加知山神社の創祀は明らかではないが、祭神がスサノオノミコト(素戔鳴尊)であって、祭礼は【祗園祭】ということになるのだろう。だが、神坐す御神体島【浮島】からご神霊を遷す齋事があることは、祗園社となったいまも、竜島神明神社とおなじように古い祭祀が伝承されている印象がある。 

◆01964 上佐久間日枝神社祭
□社名 日枝神社
□所在地 千葉県安房郡鋸南町上佐久間
□祭神
□祭は八月中旬。  
□山車
屋臺、担屋臺
屋臺
・中組
担屋臺
・上組
・下組
(順不同)
□汎論
 上佐久間日枝神社の創祀は不明。御神行の御神輿は、素木造、金具打ちで、塗がかけられず素木のままとし、各間に後藤秀吉橘義雄彫刻が収まる。題は後醍醐天皇即位、護良親王、楠正成、鎌倉幕府の崩壊までを描いた『太平記』の木寺相模など、各場面が彫刻され、その場面が文字で刻調表記される。
 上佐久間には、ミナモトヨシツネ(源義経)を祭神とする【白旗神社】がある。

◆01965 中佐久間八幡神社祭
□社名 八幡神社
□所在地 千葉県安房郡鋸南町中佐久間
□祭神
□祭は八月中旬。  
□山車
屋臺、担屋臺
屋臺
・塚原
担屋臺
・赤伏
・中尾原
・谷組(やつぐみ)
(順不同)
□汎論
 鋸山は鋸南町、富津市の境にある山で、石質が柔らかな凝灰岩であることから石材として切り出された。そのあとが鋸状を呈することから【鋸山・のこぎりやま】とよばれるようになったが、正しくは【乾坤山(けんこんざん)】である。石材は建築などに適し、東京に近いこともあって盛んに切り出された。【房州石】の名がある。
 鋸山はきわめて風光明媚な山として知られ、海抜三二九・四メートル、東京湾に面するところは明鐘岬(みょうがねみさき)とよばれる。
 鋸山から南部は冬季はきわめて気候が温暖で、春早くから花卉が咲き乱れる。
 
◆01966 佐久間奥山神社祭
□社名 奥山神社
□所在地 千葉県安房郡鋸南町佐久間
□祭神
□祭は九月下旬。  
□山車
担屋臺
・奥山
□汎論

◆01967 小保田安岡神社祭
□社名 安岡神社
□所在地 千葉県安房郡鋸南町小保田
□祭神
□祭は九月中旬。  
□山車
担屋臺
・大帷子
・小保田
□汎論
 後藤三次郎恒俊は、江戸時代橋本町(現中央区京橋)に住まいした彫刻師。千倉の後藤義光の師匠にあたる。千葉県にもその作品が知られ小保田安岡神社の彫刻は恒俊の作と伝わる。安岡神社は内房と外房を結ぶ古街道の【長狭街道】から東に取り付けられた長い参道を経て山麓の小さな社殿に至る。推定だが里宮であろう。社殿の扉四面に彫られた中国の故事、
 「張良は、秦の末期から前漢代の人物と伝わる。始皇帝の暗殺を企てたが成らず、各地を放浪したがある橋にかかると、老人が履を落として張良に拾わせる。張良はその屈辱に耐え、ひざまづいて老人に拾ってきた履をはかせる。この老人は黄石公といい、張良に教えることがあると言い、後日、太公望の兵法書を渡したのだった。
 やがて兵術を学んで身を興した張良は、劉邦を助け前漢が成立したのだった」
 山車彫刻に【張良と黄石公】を大にしたものがときどき見られる。

●12464 三芳村
◆02021 上滝田白山神社祭
□社名 白山神社
□所在地 千葉県南房総市(旧三芳村)上滝田
□祭神
シラヤマヒメノミコト 白山比当ス
□祭は一〇月中旬。  
□山車
担屋臺
・上滝田地区
□汎論
 上滝田の白山神社の創祀は不明、山麓に祀られる。背後の山は、寶井 馬琴(宝井馬琴)の『南総里見八犬傳』でよく知られる、滝田城があったとされ、築城は里見義實とされ里見家の内訌に題をとるが、潤色された語物で史実からは遠い。
 山頂には小石祠があるといわれ、山上祭祀址で神南備山。麓の社殿は里宮であろう。千葉県にはあまり例を見ないシラヤマヒメノミコト(白山比当ス)の祭祀は、その地名の上滝ともあいまって、古くはセオリツヒメノミコトだったかもしれない。
 『南総里見八犬傳』は、中国の古典『水滸傳』の、宋江以下一〇八名の英雄が山東の梁山泊(りょうざんぱく)に集う物語で、最初に出てくる花和尚魯智深以下、拳で猛虎を退治した武松の物語は『金瓶梅』にもなっている。
 英雄活躍の各場面は、古来山車の題としても好んで描かれていて、かつては陸奥青森のねぶたには、その武者絵が人形になったものが多く作られていた。
 利根川の水滸に見立てた『天保六花撰』もやはり千葉県の物語である。
 白山神社の祭礼には自慢の大神輿が担がれる。

◆02024 上堀諏訪神社祭
□社名 諏訪神社
□所在地 南房総市(旧三芳村)
□祭神
□祭は七月中旬。  
□山車
屋臺
・上堀地区
 単層、唐破風屋根の屋臺。屋根は赤・白の市松になっている。浮彫彫刻の大きな鬼板と懸魚がつく。柱は六本。軒下欄間には彫刻が施されているが、やや大きな長提燈にさえぎられて見えない。三方を素木の勾欄がとりまき、後部は開放され、囃子方の乗降の便に供されている。勾欄は素木造で、前部が三分割、側面が四分割される標準的な【三、四分割】である。基臺の平面床部分は後陣を囃子座としており後部には大太鼓が、山車の上では側面に向って締太鼓をこどもたちが打ちお囃子の演奏を行う。大太鼓は山車の外部から打つ。
 造花などは無く、生木が立てられることも無い。御幣も見当たらないようである。
□汎論
 上堀諏訪神社の創祀は不明。【三芳村祭】と呼ばれてきたように、三芳村の産土神社である。

◆02025 谷向高子神社祭
□社名 高子神社(こうしじんじゃ)
□所在地 南房総市(旧三芳村)谷向(やむかい)
□祭神
□祭は七月中旬  
□山車
屋臺
・谷向地区
 単層、唐破風屋根の屋臺。屋根は赤・白の市松になっている。柱は六本。鬼板には右三つ巴の赤い社紋、懸魚は瑞雲に鳳凰。鳳凰は、鳳が雌、凰が雄で、前後に雌雄の鳳凰をを振り分けている。欄間は透かし彫彫刻、貫頭には、前横に獅子の彫刻がつく。神社の向拝柱には前部に獅子、側面が獏となる例が多いが、山車には獏はあまり見かけない。
 柱は六本、前部左柱には昇龍、右柱には降龍が巻きつき彫刻の要處には丹彩が入れられている。中柱には脇障子がつき、龍門をのぼる鯉が彫られる。この瀧を登りきった鯉は龍になると伝えられ、【列仙傳】にも、琴高仙人が「龍の子をとってくる」といって水にもぐっていく話がある。
 前陣内部は人形座、後陣が囃子座となっている。
 谷向には、江戸時代にすでに屋臺があったと伝わり、現在の屋臺は二代目に当たると推定される。すぐれた彫刻は後藤系の後藤義信と伝わる。
□汎論
□参考
次を参考にさせていただきました。
・祭り好きのSHOP 南房総市三芳谷向 高子神社
 http://mikoshi.blog72.fc2.com/blog-entry-1154.html

●12465 白浜町
◆01910 下立松原神社祭礼
□社名 下立松原神社(しもたてまつばらじんじゃ)
□所在地 千葉県白浜町滝口
□祭神
アメノヒワシノミコト 天日鷲命
アメノフトダマノミコト 天太玉命
アメノトミノミコト 天富命
イザナギノミコト 伊弉諾命
イザナミノミコト 伊奘冉命
配祀 
アワワケヒコノミコト 阿八別彦命
スサノオノミコト 須佐之男命
スミヨシオオカミ 住吉大神
高倉彦命
大麻産靈命
高雷命
闇雷命
高皇産靈神
カミムスビノカミ 神皇産靈神
ヤマトタケルノミコト 倭健命
カキノモトノヒトマロ 柿本人丸
タカオカミノカミ 高□命(□は文字なし) 
クラオカミノカミ 闇□命
天忍日命
天照皇大神
磯根御氣姫命
衣通比賣命
木花開耶姫命
金山彦命
菅原道眞
□祭
□汎論
下立松原神社は延喜式に記載される古社。千葉県南房総市千倉町にも同名の古社があり、こちらも延喜式記載社だとされる。
後年、多くの神が合祀されている。
アメノトミノミコト(天富命)はアメノフトタマノミコト(天太玉命)の孫にあたり、主神のアメノヒワシノミコト(天日鷲命)を創祀したとされる。
忌部氏を出自とする祭神で、
太玉命神社 奈良県橿原市
大麻比古神社 徳島県鳴門市
安房神社 千葉県館山市
大原神社 千葉県君津市
にも祀られ、徳島県阿波と千葉県の安房は古代には同義だったことを示している。
大杉神社ほか関東各地で演奏される山車囃子、「あんばばやし」も阿波囃子、安房囃子とされる。

◆02001 根本三島神社祭
□社名  三島神社
□所在地 千葉県南房総市(旧白浜町)根本
□祭神
□祭は八月上旬。  
□山車
山車
・根本地区
本座人形は源義経。
明治二八年の建造。
彫刻は後藤利兵衛橘義光。
□汎論

◆02002 砂取御嶽神社祭
□社名 御嶽神社
□所在地 千葉県南房総市(旧白浜町)砂取(すなどり)
□祭神
□祭は八月上旬。  
□山車
山車
・砂取地区
本座人形は、ヤマトタケルノミコト(日本武尊)。
彫刻は、後藤秀吉橘義雄。後藤義光の門人。
素木造。の山車。
前陣のみを勾欄とし側面は省かれる。前陣は囃子座で、大太鼓、小太鼓がならぶ。中柱よりうしろの後陣は、四方を緋幕で覆う。正面は右三つ巴紋を大きく白抜き。左側面(向かって右側面)には牡丹、蝶、岩陰に亀が遊ぶ図柄が刺繍される。
前の柱には竹竿に白の高張提燈で、砂取區と書かれ、欄間には赤の丸提燈が下がる。
□汎論

◆02003 青根原神社祭
□社名 青根原神社
□所在地 千葉県南房総市(旧白浜町)青木
□祭神
□祭は七月中旬。  
□山車
囃子屋臺
・青木地区
□汎論
 青根原神社は、昭和初期に、青木の八幡社、根元の金毘羅神社、原田の諏訪神社の三社が合祀された神社で、青木、根元、原田の地名より確一字をとって社号とされた。神明型の鳥居が立ち、本殿は社殿の外に棟持柱のあえう神明造である。
 山車はかつて江戸型山車二対が曳かれたと伝わるが、現存しない。現在は単層、素木造、唐破風屋根のある屋臺。前に棚状の造りだし部があり、囃子座となっている。上部はきれいな造花で飾られる。

◆02010 平舘神明神社祭
□社名 神明神社
□所在地 千葉県南房総市(旧千倉町)平舘(へだて)
□祭神
□祭は七月中旬。  
□山車
山車
・平舘地区
□汎論

◆02006 寺庭八幡神社祭
□社名 八幡神社
□所在地 千葉県南房総市(旧千倉町)寺庭
□祭神
□祭は七月中旬。  
□山車
屋臺
・寺庭地区
□汎論
 南房総市(旧千倉町)の寺庭(てらにわ)という地名について私見を述べておく。【寺】は、音読では「じ」、訓読では「てら」である。地名に寺がつけば寺院をさすと考えるのが一般的であろうが、しばしばそう言いかねる場合が出てくる。越前(福井県)には「寺・てら」の名称の地名が多く見られるが、寺を含む熟語には寺院とは無関係な「てら」の読みに「寺」が当てられている例が多い。このことは【侍】という漢字にも言いうる。当地の【寺庭】も、おそらく阿波忌部氏に関係があり、渡来系氏族に関わりがあろうかと推定される。

◆02007 千倉神社祭
□社名 千倉神社
□所在地 千葉県南房総市(旧千倉町)
□祭神
□祭は七月中旬。  
□山車
山車
・千倉地区
□汎論

◆02009 川口鹿嶋神社祭
□社名 鹿嶋神社
□所在地 千葉県南房総市(旧千倉町)川口
□祭神
□祭は七月中旬。  
□山車
屋臺
・川口地区
□汎論
 鹿嶋神社には七月の例祭のほかに、十二月には、湯立てのほかに【川口みのこ踊】が行われ、和服に純白の半直垂をかぶり、右手に団扇、左手は【おんべ】とよばれる御幣を担ぎ女性一〇名が踊る。

◆02012 平磯諏訪神社祭
□社名 諏訪神社
□所在地 南房総市(旧千倉町)平磯
□祭神
タケミナカタノカミ 建御名方神 
□祭は  
□山車
山車
・平磯地区
□汎論
 平磯諏訪神社の創祀は不明。社紋は、根のある【諏訪梶(かじ、かぞ、こうぞ)で、諏訪大社系の神社のようである。夏には、小学生による三番叟が演じられる。白翁、黒翁、揉ノ段、鈴ノ段などが格調高く舞われる。小学生らの役者は面をつけたときから神とされ、世話をする大人たちも奉書を口にあてて丁重に扱う。 

◆02013 大川長尾神社祭
□社名 長尾神社
□所在地 南房総市(旧千倉町)大川
□祭神
オオヤマツミノミコト 大山祗命
□祭は七月中旬。  
□山車
山車
・大川地区
 単層、唐破風屋根、前部の柱には昇龍・降龍がからむ。柱には脇障子のある六本角柱、素木造の屋臺。唐破風の正面額には大川若の額を兼ねる。鬼板は松に丹頂鶴、懸魚は水に亀で、鬼板と懸魚を一組にした瑞獣。軒下は見事な斗栱の組物で構成される。欄間は彫刻で埋められ、柱の支輪のうえの木鼻には獅子彫刻。藝座は正面い赤い鬼燈堤燈(ほうづきちょうちん)がならぶ。
 前後陣にはこどもたちがのりこみ、後部左側面(向かって右側面)に山車囃子の太鼓がある。その外は勾欄が引き回して七分割されるが、前部が四、後部が三となっている。勾欄柱には金属製の擬宝珠がつく。 基臺の下は紺色の幕、白い波が染め出されている。
 四方吹き通し、素木造の屋臺は簡素に見えるが実に入念につくられた屋臺で、さすが名工後藤系彫刻師発祥の地と感心させられる。
 国道沿いに屋臺蔵がある。
□汎論
□参考
次を参考にさせていただきました。
・祭りに人あり 彫刻に歴史あり 
 http://blogs.yahoo.co.jp/maruchan1902/3872212.html

◆02014 千田高皇産霊神社祭
□社名 高皇産霊神社
□所在地 南房総市(旧千倉町)
□祭神
タカミムスビノミコト 高皇産霊命
□祭は七月中旬。  
□山車
屋臺
・千田地区
□汎論
 千田高皇産霊神社の創祀は不明。神社の背後に優美な山がありその麓に祀られている。おそらく背後の山が御神体山たる神南備山、麓の社殿は里宮であろう。本殿は伊勢神宮に見られる、棟持柱が側面から棟を支え、屋根を一直線に葺きおろす神明造。社殿内の脇障子には龍門の瀧を登る鯉。名工武志伊八の透かし彫りである。社前には鳥居が二基立つが、一の鳥居は明神型、二の鳥居は神明方と変えている。
 祭神のタカミムスビノミコト(高皇産霊命)は、【高木神】の別名がある。神名より天皇が連想されるが、大和政権成立以前の古い自然神で、福岡県久留米市の高良大社の初期の祭神だったといわれるが、宿を貸した旅の神に追い出され、今は麓にひっそりと祀られている。
 タカミムスビノミコトと千田の地名には稲作に通じる深い関わりがある。

◆02015 白子三嶋神社祭
□社名 三嶋神社
□所在地 南房総市(旧千倉町)白子
□祭神
オオヤマツミノカミ 大山祇神、和多志大神
□祭は一〇月中旬。  
□山車
山車
・白子地区
□汎論
 白子三嶋神社の創祀は、一説に一条天皇期長保三年(一〇〇一)といい、別説に順徳天皇期承久二年(一二二〇)ともいわれる。土地の民話に、「大嵐のあとに、金色の光をはなつ三体の神像が小船で流れ着いた。村人は大いに畏れ敬い、三体の神像をそれぞれ独立した社殿を建立して祀り鎮守とした。それが岩糸の貴船神社、海発の子安神社、そして当、白子の三嶋神社」だという。
 私見であるが、北九州古代の一大氏族であった海神族(綿津美氏)は、【倭國】の首長であり、日本全国に展開して勢力を広げたが、小国を統括する国家が【大倭・大和】であろう。その海神族(綿津美氏)の一支族であるカモ氏は、海神族(綿津美氏)に従い、伊豫國の三嶋、讃岐國、阿波國から紀國、大和國、山城國、伊豆國、信濃國、安房へと次第に東北上したと推定される。これらの線上にはさらに多くの賀茂、加茂、鴨の地名が見出せるはずである。この途上に随伴したのが、中臣氏(安房忌部)、(紀伊忌部)さらに、平群氏、安孫子氏らということになろう。鴨川市はそのカモ氏の中心だったかもしれない。先の民話の、岩糸貴船神社のタカオカミノカミ、クラオカミノカミ、海発子安神社のコノハナサクヤヒメノミコトなどの祭神は海神族(綿津美、和田)とカモ氏の祖神で、オオヤマツミノカミとコノハナサクヤヒメノミコトは父と娘、貴船神(貴布禰)と上賀茂神は近縁である。

◆02011 荒磯魚見根神社祭
□社名 荒磯魚見根神社
□所在地 南房総市(旧千倉町)荒磯怱戸(こっと)
□祭神
アメノコヤネノミコト 天兒屋根命
□祭は七月中旬。  
□山車
屋臺
・怱戸地区
□汎論
 荒磯魚見根神社の創祀は相当古いと推定されるが、詳細は不明。もとは春日神社と称し、江戸時代に現在の社豪に変更されたと伝わる。
 春日四神は、鹿島神のタケミカヅチノオオカミ(武甕槌大神)、香取神のフツヌシノカミ(經津主神)、枚岡神のアメノコヤネノミコト
(天兒屋根命)、ヒメオオカミ(比賣大神)であるが、荒磯魚見根神社は春日四神のうちアメノコヤネノミコト一神のみを祭神とする。
 奈良の春日大社より分祀を受けたとされるが、祭神の中に地元とも言える鹿島神、香取神がないのは不可解である。憶測になるが、これは最初から祀らなかったと推定され、地元の祖神と相容れない確執があったからと考えられる。社号の変更もこれに付会するのではなかろうか。ヒメオオカミは、アメノコヤネノミコトの妃であるが、こちらの名称も無い。何かほかの理由があるかもしれない。
 神社の齋事には、湯立て、怱戸の三番叟が行われる。

◆29554 後藤義光

 初代の後藤利兵衛橘義光は、文化十二年(一八一五)、千倉(現南房総市)の北朝夷に生まれた。幼いころ左甚五郎とであって、のちに彫刻を手がけることになったといわれる。左甚五郎は飛騨高山の名工としてよく知られるが、実在の人物ではなく、この甚五郎に該当する斐太の工がだれであったかは不明である。
 房総には、上総の長谷川氏が【大木飛弾藤原綱行】を名乗っており、後藤義光が、自身で【左氏】を標榜しているのは注意を要する。
 若いとき、後藤本流とよばれる江戸橋本町(現中央区京橋)にあった、藤茂右衛門の流れを汲む後藤三次郎恒俊に弟子入りして腕を磨いた。後藤、橘の姓号は師筋の姓氏であり、これが許されて用いるようになったのは、義光の才能を師が認めたからと言うことになろう。
 天保一八年、二〇歳のとき浦安の【浦賀神明社(現豊受神社)】の彫刻を手がけ一躍有名になった。やわたんまち、鶴岡八幡宮本殿向拝天井に彫られた【百態の龍】は実に見事なものである。
 安政三年(一八五六)郷里の千倉に帰り、神社仏閣、また山車の彫刻を手がけているが、その傍ら多くの門人を育成した。
館山市船形の大塚山車彫刻は、もと、浦安で引かれていた山車であるが、義光八十六歳の最晩年の作品である。
 各地に名作が伝わるが千倉町内では、
・愛宕神社 千倉町川合
・八幡神社 千倉町 
・住吉寺 千倉町朝夷
・西養寺 千倉町寺庭
 などに作品が見られる。

●12467 丸山町
◆01084 莫越山神社祭
□社名 莫越山神社(なこしやまじんじゃ)
□所在地 千葉県南房総市(丸山町)丸地区
□祭神
タオキホオイノミコト 手置帆負命
ヒコサシリノミコト 彦狹知命 
配祀 
オタミノミコト 小民命
オミチノミコト 御道命
□祭は十月上旬。  
□山車
屋臺
東方
・川谷犬切組
・川谷鯨岡組
・川谷仲組
・神子神組
・宮下吉野組
・宮下根方組
西方
・丸本郷大畑組
・丸本郷上組
・宮下畑組
・宮下西根組
・宮下才開組
・宮下中組
(順不同)
□汎論
 莫越山神社は、延喜式神名帳安房國朝夷郡に記載される、安房國六座のうちの一座。祭神のタオキホオイノミコト(手置帆負命)は讃岐忌部の祖神とされる。忌部氏の讃岐國にはいり鉾柄八百本を造って朝廷に献上したと伝わる。この鉾柄を、讃岐豊浜とその近隣では【長竿(ちょうさ)】とよんでいて、環瀬戸内要素でもある、【蒲団太鼓をちょうさ】と呼んでいる。これは、【ちょうさい】、【ちょうだい】となまり、【頂戴】とよぶところがあるがあるが【豊浜の鉾柄】が出自である。香川県三豊郡笠田村(現三豊市)には、忌部神社、宇賀神社がある。忌部氏は阿波忌部となり、阿波國(徳島県)を経て南総に至った古代氏族と考えられる。
 海神族(綿津美氏)の一族であるカモ氏は、伊豫國(愛媛県)の三嶋神社に関与し、伊豆國(静岡県)の三島で勢力を広げ、さらに安房に至ったと推定される。南房には、加茂氏、平群氏、の苗裔があり、
安馬谷は阿波の転訛であろう。沓見は渡来系の故地と想像される。
 ヒコサシリノミコト(彦狹知命)は、タオキホオイノミコトの眷属で、紀國(和歌山県)忌部氏の祖神とされる。タオキホオリノミコトと、ヒコサシリノミコトはともに古来、木工建築の神として祀られてきた。斐太ノ工の祖神でもある。南総に斐太の工の形跡が残るのは実に意義深い。

◆02017 丸郷神社祭
□社名 丸郷神社
□所在地 
□祭神
□祭は十月上旬。  
□山車
屋臺
・上組
屋臺上に人形が乗る。
・大畑組
休止
(順不同)
□汎論

◆02018 安馬谷八幡神社祭
□社名 八幡神社
□所在地 千葉県南房総市(丸山町)安馬谷(あんばや、あまや・あんまや)
□祭神
□祭は十月中旬。  
□山車
山車、人形屋臺。
山車
・安馬谷新田組
本座人形は神功皇后。
・安馬谷根方組
本座人形は楠正成。
人形屋臺
・古川組
(順不同)
□汎論
 安馬谷八幡神社の祭礼には房総地方に見られる平群囃子(へぐりばやし)の演奏が行われる。山車の大胴(大太鼓)は、左柱(向かって右寄り)少し前下がりにとりつけられ、若衆が山車の外からも打つ。その所作が絶妙で、若い女性らがうっとりと見入る。太鼓の撥は山車柱の下に青竹を伐って作られた撥受けにおさめられている。
□参考
次を参考にさせていただきました。
・安馬谷八幡神社祭礼
 http://www.geocities.jp/dashimaturi/amaya_hatimanjinjya_sairei.html

◆02019 大井熊野神社祭
□社名 熊野神社
□所在地 千葉県南房総市(丸山町)大井
□祭神
□祭は十月上旬。  
□山車
屋臺
・上組
もと館山市亀ヶ原で曳かれていた屋臺を譲り受けたと伝わる。
・茂沢組
・本郷西谷組
・本郷西組
・大井五反目組
休止中。
(順不同)
□汎論

◆02020 石堂諏訪神社祭
□社名 諏訪神社
□所在地 千葉県南房総市(丸山町)石堂(いしどう)
□祭神
□祭は十月上旬。  
□山車
屋臺、人形屋臺
・郷都組
・本郷組
(順不同)
□汎論

●12468 和田町
◆01999 天御中主神社祭
□社名 天御中主神社
□所在地 南房総市(旧和田町)小川
□祭神
アメノミナカヌシノカミ 天御中主神
□祭  
□山車
踊屋臺
・小川地区
□汎論
 天御中主神社は、アメノミナカヌシノカミ(天御中主神)を祀る神社である。
 だが、この改称の歴史は浅い。それ以前にはミョウケン(妙見)を祀る寺院として長い歴史がある。筆者の案ずるところ、さらにそれ以前にはアメノミナカヌシノカミが祀られていたのではないかと推定する。当地和田は和田浦など【ワダ】であるが、沖縄県の【アダ】は、鹿児島県のアダ、北九州のワダ、ワダツミである海神族(綿津美氏)、近畿地方にはナダの名称があり灘と表記される。滋賀県湖西のアド(安曇川)、湖東のアヅチ(安土)、岐阜県飛騨地方の旧阿多野郷は日和田、小日和田の地名とともに、ワダ、ヒワダ、コヒワダを形成した日氏のヒダ(斐太、飛騨)の古い由緒を伝えるが、高山町(現高山市)の南部はオオナダと表記し大灘と書かれていた。現在は名田町になっている。
 長野県の松本市から安曇野にかけて海神氏の痕跡が色濃く残り、穂高岳(穂高嶽)、とともに穂高神社はよく知られる。近隣には、波田、和田神社があり、和田峠とともに中山道の和田宿がある。アサカ(安積)の名称も、のとはアヅミであり、この名称は、朝霞、浅香などともなっている。東京の羽田は飛行場の名称にもなっている。
 長野県の古代は信濃の國で、信州でもあり、仁科、浅科、科野、更級など。シナのつく名称が多いが遠く遡れば、シナツヒコノミコト、シナツヒメノミコトに行きつく級長、科長であり、アメノミナカヌシノカミ(天御中主神)を祀る安曇氏(海神族・綿津美氏)の國だったと推定される。
 愛知県のカイブ(海部)は、古くは海神族(綿津美氏)により開かれた地であるが、海部の名称は各地に見られる。いずれもアダにはじまり、ワダ、ワダツミとなって全国に展開した古代氏族であろう。
 アダ、ワダツミ、ワダ氏が信仰したのが日氏の祭神であるアメノミナカヌシノカミ(天御中主神)である。大和(奈良県)の龍田大社の祭神にはシナツヒコノミコト、シナツヒメノミコトがあり、大阪府和泉の太子町には科長神社がある。富山県富山県南礪市には、級長戸辺神社がある。
 アメノミナカヌシノカミ(天御中主神)は、宇宙の根源神とされ、日本の神のうちでももっとも古い神であり、日氏、海神族(綿津美氏)、出雲氏に継承されたが、大和朝廷期になって、セオリツヒメ、ミズハノメノカミ、フトダマノミコト、タカギノカミなどとともに存在が希薄となった。
 ミョウケンは埼玉県秩父市の秩父神社、大阪府能勢の妙見さん、熊本県八代市の妙見をはじめ高知県には妙見信仰が点在する。
 南総の妙見信仰は、アメノミナカヌシノカミの祭祀まで遡って考えなければならない。

◆02581 和田浦熊野神社
□社名 熊野神社
□所在地 南房総市(旧和田町)
□祭神
□祭は十月中旬。  
□山車
山車、踊屋臺、御船
山車
・和田
・花園
踊屋臺
・仁我浦
御船
・小浦
(順不同)
□汎論
 千葉県には、彫刻の名人といわれる三大彫工の名がある。波の彫刻で知られる波の伊八、後藤義光の木製彫刻、武田石翁石の石の彫刻をいう。ほかにも嶋村をはじめとする名家の彫刻も多く、安房の山車を訪ねれば、山車彫刻、神社彫刻に、いたるところでかれらの名彫刻と出会う。
 当、熊野神社はその武石伊八、初代伊八(武志伊八郎信由)の彫刻があり、拝殿の向拝虹梁には龍。木鼻には獅子と獏(ばく)が彫られている。

◆02000 和田北三原熊野神社祭
□社名 熊野神社
□所在地 南房総市(旧和田町)北三原
□祭神
□祭は十月中旬。  
□山車
山車
・上区
・下区
(順不同)
□汎論
  
◆06700 南三原熊野神社祭
□社名 南三原熊野神社(なみはらくまのじんじゃ)
□所在地 南房総市(旧和田町)南三原
□祭神
□祭は十月中旬。  
□山車
山車
・東組
・中組
本座人形はアマテラスオオミカミ(天照大御神)
大正十五年、浪花屋(庄田七郎兵衛)の建造。
彫刻は、橘義信(後藤喜三郎)。
(順不同)
□汎論

●12472 鴨川市(旧天津小湊町)
◆00559 式年鳥居木曳祭
□社名 天津神明神社
□所在地 鴨川市(旧天津小湊町)
□祭神
アマテラスオオミカミ 天照大御神 
トヨウケヒメノカミ 豊受比賣神
ヤエコトシロヌシノカミ 八重事代主神
オオヤマツミノカミ 大山祗神
コノハナサクヤヒメノミコト 木花咲耶媛命
ほか六柱
□祭は  
□山車
鳥居木曳が行われる。
□汎論
 天津神明神社の創祀は、鎌倉時代の治承四年(一一八〇)に、源頼朝は石橋山の合戦に敗れて当地に逃れたが、このとき源家再興を当社に祈願し、のちに本懐を遂げたことから伊勢神宮より祭神の分祀を受けて当社を寄進したと伝わる。伊勢系の神社としての歴史が長く、伊勢神宮の遷宮に併せて鳥居を建て替える神事が行われる。
 だが、神社の由緒に立ち戻れば、頼朝寄進以前から神社があったのは確かであり、ことに惠比壽さんこと、ヤエコトシロヌシノカミ(八重事代主神)が祀られていて、天津湊、小湊に根拠を置く漁業関係者らにより大漁祈願、海上安全を祈る信仰の歴史が長い。姿を変えたが、もとは出雲系の神々を祀る神社であろう。

◆01996 小湊神社祭
□社名 小湊神社
□所在地 鴨川市(旧天津小湊町)内浦
□祭神
アマテラスオオミカミ 天照大御神
□祭は七月下旬。  
□山車
囃子屋臺
・西田町
・大萩
(順不同)
□汎論
 小湊神社の鎮座地は、日蓮聖人誕生の地として知られる小湊地区にあり、鎮座地は日蓮宗大本山誕生寺に隣接する。このことから当社を
法華経守護神の三〇番神にちなんで番神社ともいう。旧小湊村の産土である。現在の祭神は皇室神であり、日蓮宗とゆかりの深い神社になっているが、鳥居は赤く塗られた明神型、山は神南備山と推定されるが、他の祭神が不明である。

◆01997 城戸須賀神社祭
□社名 須賀神社
□所在地 千葉県鴨川市(旧天津小湊町)
□祭神
□祭は七月下旬。  
□山車
萬燈
・芝町
本座に神功皇后の乗る山車を曳いていたが、現在の萬燈となった。
・城浜(城戸町、浜町)
本座にジンムテンノウ(神武天皇)の載る山車だったが、笹萬燈となった。
・新町
従前屋臺があったが笹萬燈となった。従来の屋臺付属品である脇障子、懸魚などが萬灯に用いられている。
・仲橋(仲宿、橋本町)
笹萬燈を曳く。
・引土
笹萬燈。
・谷町
船型萬燈。
(順不同)
□汎論
 
◆01998 浜荻貴船神社祭
□社名 貴船神社
□所在地 千葉県鴨川市(旧天津小湊町)浜荻
□祭神
タカオカミノミコト 高□命(□文字なし、雨冠に龍)
ホムダワケノミコト 誉田別命
サルタヒコノミコト 猿田彦命
□祭は七月上旬ー中旬。
□山車
笹萬燈
・宮本 仲町
・恵車 東町
・西町
(順不同)
□汎論
 浜荻貴船神社の創祀は弘安五年(一二八二)と伝わる古社で、浜荻地区の鎮守。もと多門寺の境内に社殿があり別当をつとめていたが、神仏分離令で分けられ現地に遷座となった。長年にわたって雨乞いの神事が行われてきた。
 浜荻貴船神社祭に曳かれる笹萬燈と呼ばれる山車は、単層、唐破風屋根、素木造で、基臺の下は、紫紺から水色の下幕で、波が白抜き染めとなっている。屋根の上に枠が設けられて多くの堤燈が取り付けられ、四隅には町印のはいった堤燈が下がる。下臺四隅には榊が立てられ、正面には白くて太く、大きな締縄がかけられる。前部より角の梶棒がでる。
 笹萬燈の横勾欄の上には大きな平太鼓を取り付け、山車の外から打つ。

201230106 更新

 


 

 ◆日本山車論
目次
 ◆左甚五郎傳
左甚五郎傳
 ◆斐太ノ工
斐太ノ工
 ◆谷口與鹿
谷口與鹿
 ◆論攷 延喜式神名帳
論攷 延喜式神名帳
◆阿波國
◆安房國
◆安藝國
◆伊賀國
◆隠岐國
◆越後國
 ◆古代祭祀と神南備山
古代祭祀と神南備山
 ◆玉依姫  様