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2014-07-01
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  ◆04347 洲波神社祭 更新

◆04347 洲波神社祭 更新
□社名 洲波神社
□所在地 長野県安曇野市(豊科町)細萱
□祭神
タケミナカタノミコト 建御名方命
コトシロヌシノミコト 事代主命
□祭は九月下旬。 
□山車
山車の呼称、形態は、舞臺。
一臺を曳く。
□汎論
 【洲波神社】の創祀は不明。
 【スワ】を漢字で表示するには、【諏訪】、【諏方】、【周防】、【洲波】その他がある。もっとも一般的なのは【諏訪】であろうが、長い歴史を経て成立した表記の成り立ちを考えると、いずれとは決めがたい。諏訪氏の沿革は出雲氏にさかのぼることができようが、異説としてその淵源は、周防(山口県)を考慮するべきかもしれない。これには金刺氏が絡んでくる。
 仮説になるが、長野県に海神氏が入植し、古代には一大湖水であった松本平の湖畔に海神族(綿津見氏)が定住するようになった一因には、ここは、日本列島のほぼ中央に位置し、周囲を山に取り囲まれた天然の要害の地であったことが挙げられよう。海神氏が、信濃に入った経路は不明であるが、一番早い経路は、伊勢湾から尾張(愛知県)に定住した海部氏は、木曽川を遡上し、美濃(岐阜県)の美濃加茂、加茂野にいたり、さらに、のちの中仙道沿いに塩尻を経て奈良井川、松本、穂高にいたったと推定される。これについで、遠州(静岡県)から天龍川を経て、佐久間、伊那、諏訪湖にいたる経路。伊豆(静岡県)、駿河(静岡県)から、富士川を遡上し、富士見、茅野を経て、諏訪湖にいたる経路が考えられる。
 これについで信濃に入ったのが、出雲氏族の、スサノオノミコト(素盞鳴命)、オオクニヌシノミコト(大國主命こと、オオナムチノミコト、大己貴命)であり、こちらは、出雲(島根県)から日本海沿いに、伯耆(鳥取県)、古丹波(丹後、京都府)、若狭(福井県)、敦賀。加賀(石川県)、能登、越中、越後(新潟県)の糸魚川から姫川を遡上し、大町(長野県)を経て諏訪湖にいたる経路。さらには新潟から、信濃川を遡上して、飯山、中野、須坂、長野にいたり、ここから犀川、梓川を遡上して松本平にいたり、安曇野の海神族(綿津見氏)と合流し、塩尻峠を経て諏訪湖にいたる経路が考えられる。
 オオナムチノミコトは、加賀でキクリヒメノミコト(シラヤマヒメノミコト・白山比当ス)と結ばれたが
不和が生じたのか? やがて、加賀を出て、糸魚川でヌナカワヒメ(渟名川比賣ミコト)と出会って結ばれ、間に生まれたのが諏訪神である、タケミナカタノミコト(建御名方命)とされる。やがて、、ヤサカトメノミコトを妃に迎え、諏訪湖の東岸から北岸にかけて一大諏訪王国を築くことになったと推察される。諏訪氏の発展に伴って、房総から武蔵、を結ぶ荒川を遡上して、上野(群馬)からは陸路、安中、松井田、碓氷峠、東信濃の軽井沢、佐久平、茅野、諏訪湖にいたる経路。塩尻から中山道を経て美濃、安八、伊吹南麓、近江の米原、長浜(今浜)敦賀にいたる陸路。上野(群馬)の前橋から、中之条、吾嬬、鳥居峠を越えて、上田にいたる経路など、はじめは水路、のちには陸路が整備されたと推察される。
 古代の信濃に定住して大きな権力を持った氏族には海神族(綿津見氏、カモ氏)、秦氏、出雲氏、出雲氏から発展した諏訪氏があり、ときには確執もあっただろうが、これらの氏族は、同族としてほぼ友好的な関係にあったと推察される。
 松本平から、安曇野、大町から北部の木崎湖あたりまで、山車の分布は、御船と舞臺が混在する。一概には言えないが、山車が曳かれ始めてころは、海神族(綿津見氏)系、秦氏の祖先を祀る神社は【御船】。諏訪神を祀る神社は、舞臺を曳いたと推察する。
 大町市の若一王子神社祭の山車は、【舞臺】の形に近いが、これは、熊野系。あるいは、仁科氏支配の影響を受けているかもしれない。
□参考
次を参考にさせていただきました。
◆日本の山車 ブログ
日本の山車
http://blogs.yahoo.co.jp/ypjcd447/
暘州通信
http://blog.goo.ne.jp/admin/
◆日本の山車 ホームページ
【都道府県別分類】は、これまでの記事はこちらにまとめています。随時編集中です。
 http://hiyou.easy-magic.com/


 

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